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「クリスさん、朝ですよ、起きてください! 起きないと、チューしちゃいますよ」
「起きてるから、唇を突き出してくるんじゃない。そういうのは、もっと大事な時のために取っておきなさい」
「私は別に、全然構いませんよ?」
「俺が構うんですよ」
上半身を起こし、伸びをする。首を横に傾けると、ごきっといい音が鳴った。あまり体に良くないらしいが、ついやってしまう。
すっかり慣れ親しんだ我が家。窓から差し込む日がまぶしい。少しだけ開け放していた窓から、若い草の香りが入ってきた。季節はすっかり初夏だ。
歯を磨こうと洗面台まで向かうと、後ろからアリアン嬢の自信なさげな声が聞こえてくる。
「前から思ってましたけど、私ってそんなに魅力ないですか?」
「いや、そんなことはないぞ」
「でも、普通なら男の人って、こういうシチュエーション我慢できないって……! 私、悲しい!」
「違う、それは……おい待て、なんだその手に握ってるのは」
「こ、これですか? これはあれですよ、そのほら、目薬です」
「ほう? 最近の目薬はライムの形をしているのか」
「ナウなヤングにバカウケなんですよ」
「じゃあたっぷり差してやるわ目の健康のためにな!」
「あああああ染みるうううう! 目が、目がぁぁぁぁ!」
ライムの汁が出なくなるまでアリアン嬢の目に垂らす。文字通りいい薬だろう。ちょっと心配しちゃったじゃねーか。くそ。
「どこでそんな姑息な手を学んでくるんだ」
「涙は女の武器だって、昔の偉い人が」
「言っとらんわ。確かに有名な言葉だけど」
どこかの国のことわざだったような気がするな、とぼんやりと思いながら、洗面台へと向き直る。
「それにしても、クリスさん本当に朴念仁ですよね。普通、こんなアプローチされて平気な男の人いませんよ」
「俺には、君がふざけてるようにしか見えないからな」
「ふざけてなんかいませんよ。大真面目です」
「じゃあ、今日のアプローチの方法はどこで学んだ?」
「『ドキッ! クラスのアイドルが異世界転生で幼馴染と修羅場すぎる』という本です」
「毎度言っているけど、大事なことだからもう一回言うぞ。さっさと捨てて来なさい」
「えー」
アリアン嬢のブーイングを無視して、歯を磨く。さわやかなミントの香りが、寝ぼけた頭を目覚めさせてくれた。
俺たちが『明けの明星』の蒼玉竜討伐に同行してから、すでに2か月半が経過していた。約束通り、帰国後すぐに俺たちはAランクへと昇格し、『探訪者たち』の魔王討伐に必要な武器防具の調達を始めた。Aランクへの昇格速度は、『明けの明星』を超えて歴代1位らしい。ていうかあの人たちの陰謀のせいだよねこれ。
ただ、どんな経緯であれ、あの日『夜の牙』のメンバーとともに昇格できなかったAランクになったことは、俺にとって素直に嬉しいことだった。こんなこと、こっぱずかしくてチームのメンバーには言えないが。
「Aランクになって、もう二か月半ですもんね。だから言ったじゃないですか。『夜の牙』の人たち、見る目ないって」
ばれてーら。
イシシシシ、と口元に手を当ててアリアン嬢が笑う。本当にこの子には救われた。彼女がいなければ、今頃は未だEランクだったかもしれない。
思わず、肩を抱き寄せる。彼女自身も想像していなかったのか、驚くほど簡単に腕の中に入ってきてくれた。うなじから、シャンプーのいい匂いがする。
「く、クリスさん?」
「……ありがとう。何もかも、君のおかげだ」
「そ、そんな……私は別に」
「アリアン嬢が俺に勇気をくれたんだ。おかげで今、俺たちはここに立っている。本当に、感謝してもしきれない」
「クリスさん……」
アリアン嬢が、そっとその蜂蜜色の瞳を閉じる。
「おはようクリス。起こしに来た」
そこに現れるリーディ。
瞬間移動のごとく離れる俺たち。何もやましいことはない。やましいことはないのだが、何となく、ほら、わかるだろ?
「お、おう。もう起きてるぞ」
「残念でした。今日は私が先に起こしたんです」
「……明日は頑張る」
着替え終わるまで、二人には部屋を出てもらう。夜中に汗をかいた肌着を着替え、新しい肌着に首を通した。洗いざらしの綿が心地いい。
二人と連れ立って階下の広間に降りると、ヴィクトリアとコックスが何やら話し込んでいた。こちらに気づいたので、軽く手を振る。
「おはよう。二人とも早いな」
「あら、おはようクリス。また二人に起こされたの?」
「まあな。……そういえば、お前は俺を起こさないよな?」
「そりゃそうよ。駆け引きってものがあるもの。戦いと一緒で、力押し一辺倒の誰かさんとは違うのよ」
「後ろに控えたまんま、結局出番なしになるんじゃないですかあ?」
「忘れ去られたまま、他人の応援に終始」
なんだろう。リーディが結構辛辣なことを言っている気がする。
「先ほどまで、我々の新しい武器の話をしていたんですよ。カーティスさんがデザインしてくれるんで、イヅモも張り切っちゃって」
コックスが嬉しそうに言う。元インチキ不動産屋だった彼だが、今やすっかり立派な冒険者だった。イヅモとパートナーを組み、俺たちのサポートとして破竹の快進撃を続けている。
コックス自身、冒険者としての能力はそこまで高くない。ほぼイヅモ頼りだ。
そこでカムがデザインしたのが、甲羅のような大きな盾だった。表面には棘がついており、攻撃を受けた際、ダメージの何割かが相手に返るようになっている。
こないだ俺たち『黒いメンフクロウ』が討伐したAランクの魔物、メタルタートルの素材を、彼らが買い取って作ったものだ。ギルドの規定で、不当に安くは売れないが、クランということで多少の値引きはできる。彼らは、今までの稼ぎのほとんどを使って、これともう一つの素材を買った。
「イヅモも、昨日できたばかりの『素戔尾』がえらく気に入ったようでして。庭で練習してるんですが、人を殺しそうで心配ですよハハハ」
「笑って言うことかなあ?」
『素戔尾』は、イヅモ専用に作られた、尻尾に装備する伸び縮みする槍のような武器だ。懐に入られた時の対処に問題があると見たカムが、どうしても作らせてくれと言ってきた逸品である。
もともとはDランクの魔物『鉄巨人』の素材が提案されていた。
「例えば、我々の貯金をはたいて、もっと上のランクの魔物の素材で作ることはできませんか。せっかくなら、いいものを持たせてやりたいのです」
そう言ったのは、コックスだった。一緒に旅に出るうち、家族のような、不思議な関係になったのだという。魔物ではない。ともに命を預ける大切な仲間に、いい武器を作るのは当然だと。
それを聞いたカムが、Aランクの魔物『虹色鮫』の牙からであればもっと良いものが作れる、と言い、その絆に感動した俺たちが虹色鮫を討伐し今に至る。
それにしても、カムの引き出しの深さと広さには感服する。さすがは愛で武器を作る天才。最近はアリアン嬢を見ながら、青い果実の汁がたまらない、とつぶやいているのをよく見る。まさに紙一重だ。いろいろな意味で。




