富良野に現れた異世界ワイナリーの話する?【4 of 5】
降り続いた雪は日が落ちる頃に止み、澄んだ空気に鮮やかな星空が広がった。外に出て見上げたミゲラが、白い息を吐いた。
「今夜は冷えそうですな。明日の夜明け前に、収穫いたしましょう。その後、すぐに圧搾しなければなりません。ご苦労ですが、頼みますよ。」
まだ暗い内に作業が始まった。テルユキ、シゲル、ミゲラの後に、ユミコとティナが続いて雪の積もった葡萄畑を進んでいく。息を切らしたユミコが深呼吸をした。
「アイスワインって、苦労するのね。正月からこんな作業、ご近所にも頼めないわ。ティナさんも、いつもやっていたの?」
「ええ。この日だと決めたら譲りませんからね。うちの人は。」
ミゲラが二人を振り返った。
「秋の収穫の時期は人が決めるものです。しかし、冬の収穫がいつになるのかは、天が決めるのですよ。冷え込みが深まるほどに、濃厚なアイスワインになるのです。」
空が白む頃には、軽トラいっぱいの葡萄が加工場に持ち込まれた。凍ったままの果実から絞られた果汁は、長年ワインの世界にいるシゲルですら驚くほどの、豊かな甘い香りを漂わせていた。
~~
少しずつ、春が近づいていた。庭先には、ヒロトとカンナが作った雪だるまがいくつも並んでいた。剪定作業を終えて畑から戻ってきたミゲラとテルユキは、樽蔵の前で腕組みをしたシゲルに気がついた。
「お義父さん。どうしたんです?」
「いやな。ここ数日、何度も蔵の扉が開けっ放しになってるんだよ。お前たちじゃないよな?」
「電気仕掛けの温度管理が台無しですなあ。熟成中に我々が閉め忘れるなんてことはないと思いますが……おやおや。」
辺りを見回したミゲラの視線の先に、小さめの靴の跡があった。
「テルユキさん。少し、見張ってみましょうか?」
物置小屋の陰に隠れたミゲラとテルユキは、しばらくして樽蔵に近づくヒロトの姿を見た。ヒロトは右に左に目をやって、蔵の扉を少しだけ開けると、そのまま立ち去ろうとした。
「あのバカ!」
しかめ面で跳び出そうとしたテルユキの腕を、ミゲラが掴んだ。
「まあまあ。ここは私のほうがよろしいかと。」
行く先に立ち塞がったミゲラに気づいたヒロトは、立ち止まって視線を泳がせた。ミゲラはしゃがみ込み、ヒロトの顔を覗き込んだ。
「ヒロトさん。あなたがおバカさんでないことを、私は知っていますよ?自分のしたことが、どのような結果を招くのか、ちゃんと分かっていますよね?」
ヒロトは無言で頷いた。
「そう。では、きっと理由があるのでしょう。その訳を、私だけに教えてもらえませんか?もちろん、他の人には内緒です。」
ヒロトは上着の裾を手で握りしめた。その手は、少し震えていた。
「……おじさんたちに、帰って欲しくないから。美味しいワインができたら、帰っちゃうんでしょ?」
ミゲラは一瞬目を見開いたあと、微笑んだ。
「そうですか。カンナと一緒にいたいと思っているんですね?」
ヒロトは首を横に振った。
「カンナもだけど。おじさんも、おばさんも、おばあちゃんも。皆、ずっとここにいればいいのに。」
涙ぐんだヒロトの肩に、ミゲラがそっと手を置いた。
「……ありがとう。君がそう思ってくれるだけで、おじさんたちは幸せ者だよ。でもね、おじさんは戻らなければならない。元の世界に、守るべきものがある。ヒロトさんも、シゲル殿やテルユキ殿が大切にしているものを、守らなければいけないよ。」
「ごめん……ごめんなさい。」
「よし。じゃあ、扉をしっかり閉めて、見つからないうちに戻りなさい。」
涙を拭いながら扉のレバーを力強くロックしたヒロトに、ミゲラが付け加えた。
「おじさんは、もうすっかり大人だからね。生き方を変えるのは難しい。だが、君やカンナの人生はまだこれからだ。もし夢があるのならば、よくよく考えて。あるいは神にお願いをしてみても、悪くないのではないかな。」
目を細めてヒロトを見送ったミゲラは、テルユキの元に戻ってきた。隠れたまま様子をうかがっていたテルユキは、少し困ったように苦笑いしながら、ヒロトと同じようにどこか寂しそうな顔をしていた。
~~
いよいよ、今年最初のワインがお披露目される日を迎えた。テルユキたちはもちろん、ミゲラの一家と、事情を知っている何人かの従業員も、顔をそろえていた。
ミゲラのオーク樽で熟成された赤ワインと、ステンレスタンクで仕上げられた白ワインが、プラスチックのカップに注がれ並べられた。子供たちには、秋に同じ葡萄から絞った葡萄ジュースが用意された。
「今年も無事にこの日を迎えることができました。ご存じの通り、ミゲラさん一家にもお手伝いいただいて、今までとは違う仕上がりが期待できます。念願のアイスワインが楽しめるのは来年になりますが、まずはこの紅白のワインで、疲れをいやしましょう。ご苦労様でした!」
テルユキの音頭で、試飲会という名の宴会が始まった。シゲルはいつになく上機嫌だった。
「今年は赤だな。やはり木樽でないと出ない味がある。」
ミゲラは二色のワインの香りを、じっくりと交互に確かめていた。
「なるほど。我々の知る品種とはかなり違いますね。しかし、白ワインもたいしたものですよ。丁寧に育てた葡萄でなければ、この香りは出せないでしょう。」
テルユキは複雑な表情を浮かべていた。
「今までもそれなりに自信をもって出していたんだがな。こうして比べてみると、道半ばだと痛感する。とんでもない仕事を選んでしまったもんだ。」
ティナやシーアと話をしていたユミコが振り向いて、大きな声を出した。
「なあに?もう音を上げたのー?」
「ばか言え!ようやくエンジンが温まってきたところだ!」
「婿養子は辛いね。社長ー!」
誰かが冷やかして、笑いが起こった。ミゲラが、ふと寂しそうな顔になって、テルユキとシゲルに歩み寄った。
「今宵は、このワインをもう一人に味わってもらわなければなりません。お付き合いいただけますかな?」
その言葉を聞いたカンナは、ヒロトの後ろに隠れるように小さくなった。
(つづく)




