富良野に現れた異世界ワイナリーの話する?【5 of 5】
夜の闇が訪れ、二つの家族は再び石造りの建物に集まった。ミゲラが、神棚のワイングラスと、紅白のワインが詰められた二本のボトルをテーブルに並べた。
「甲乙つけがたい出来です。順に試せば良いので、どちらからでも。」
テルユキが、パンッと音を立てて手を組んだ。
「赤から行きましょう。うちの畑の葡萄と、ミゲラさんの樽。二つの世界の合同作品です。それに、前回も赤でしたからね。リベンジに相応しい。」
赤ワインが注がれた小さなグラスが神棚に供えられ、蝋燭に火が灯された。耳に覚えのあるあの声が聞こえた。
<どのような願いを、叶えて進ぜよう?>
「ワインの神よ。我が父よ。この醸造所を、どうか元の場所に戻してほしい。私にはあの世界でやり残したことがある。このワイン、必ずや期待に添えることでしょう。」
霧となったワインが渦を巻いて神棚に吸い込まれる様子を、一同は固唾をのんで見守った。長い沈黙が、神の声で破られた。
<その心意気やよし。人の心はワインに宿る。百年に一度の芳醇さだ。願いは次の朝日が昇る頃に叶えられよう。遅れを取るでないぞ。我が子らよ。>
蝋燭の炎が眩しく燃え上がった。重苦しい空気が解き放たれると、燃え尽きた蝋燭から少し焦げた臭いがした。
「……やったのか?」
神棚を見つめるシゲルに向けられたミゲラの目には、涙が浮かんでいた。
「はい。お見事でした。本当に。本当に、ありがとう。このミゲラにとって、生涯最高のワインとなりました……」
感慨にふける間もなく、双方の家で慌ただしく片付けが始まった。半年余りのうちに、二つの家族は一つも同然になっていたのだ。ユミコとティナが走り回る。シゲルは、葡萄の苗木の鉢植えを三つ持ってきて、ミゲラに渡した。
「うちの苗木だ。異世界に持ち出すなら、種苗法も関係なかろう。夏の暑さに耐えるよう、品種改良されている。そっちの世界も温暖化しているようだからな。いずれ役に立つかもしれない。樽の礼には足りないかもしれんが。」
「とんでもない。ありがとうございます。この葡萄はうちの『売り』となるでしょう。大事に育てますよ。しかし、仕込んだアイスワインを味わってみたかったですなあ。私が手がける最後のアイスワインです。どうか、無事に世に出してやってください。」
「もちろんだ。あれには会社の命運もかかっているからな。なあ?」
重そうな荷物を抱えて歩くテルユキが、親指を立てた。その時、部屋の片隅で真剣に話をしているヒロトとカンナに、大人は誰も気づかなかった。片付けが終わると、別れを惜しむ語らいは夜半まで続いた。やがて部屋の灯りは消え、この世界での最後の静寂が石造りの建物を包んでいた。
「おや?」
二階の窓から畑を見下ろしていたミゲラは、月明かりが映し出す少年の影に気がついた。その手には、ワインボトルのようなものが握られている。入り口の扉が開いて、少女の影が現れた。二つの影は手をつなぐと、建物の中に消えていった。
「……引き離すのは可哀想だが、彼を連れていく訳にはいかんだろうな。」
耳を澄ませると、下の階から二人の声が小さく聞こえた。いつ声をかけに行くべきかと思案していると、蝋燭の焦げた臭いを微かに感じた。しばらくして建物の外に出てきた少年の影は、何度も振り返って手を振りながら、畑の向こうに消えていった。
「ふふ。さようなら。愛しい世界よ。」
夜が明けた。その場所には草むらがあった。昨日までの出来事が夢だったかのように、元のままの草むらが広がっていた。
~~
あれから十年が経った。富良野は、日本を代表するアイスワインの産地として名を馳せるまでになっていた。この町の同業者に、テルユキの名を知らぬものはいない。雪の積もった葡萄畑では、ヒロトとテルユキが剪定を行っていた。
「この作業、非効率なんだよなあ。もう少しなんとかならないのかな。」
「夏と冬しか手伝わないのに、何を言ってる。量を取るのか、質を取るのか、剪定次第で決まるんだ。安易な効率化は、却って首を絞めるぞ。」
そのときだ。二人の背後で何かが光った。十年前の光景が脳裏に浮かんだテルユキは、前を向いたまま呟いた。
「まさかな。」
ゆっくりと振り向いたヒロトは、口元をほころばせて頭を掻いた。
「もう少し早いと思ってた。」
そこには、金髪の若い女性が立っていた。蒼い瞳がヒロトの顔を覗き込む。
「ごめんね。あの神、親の説得までは手伝ってくれないんだから。」
「たまにはノンアルも悪くないとか、褒めちぎってたのに。ケチだなあ。」
「ふふふ。大きくなったねえ!」
「そっちこそ!」
笑いながら抱き合って飛び跳ねる二人を見て、テルユキは唖然とした。しかし、すぐに嬉しそうな顔になった。
「これはまた……思い切ったことしたなあ。カンナちゃん。」
カンナはペロっと舌を出して、ミゲラから預かった異世界のワインボトルと手紙を差し出した。
――親愛なる皆さま
この度は、我が娘が再びお騒がせすることをお詫びします。ヒロト殿との約束を果たしたいという彼女の意志は固く、ついに片道の旅立ちを許すことになりました。ワインの神は、幼き日の二人の願いを聞き届けたのです。
こちらの夏は益々暑くなり、今や異世界の葡萄だけが、私たちのワイン造りを支えてくれています。この世界のワインを絶やさぬことが、私の使命となりました。幸い、戻った翌年には双子の息子に恵まれ、後継ぎに困ることもなさそうです。
アイスワインを造ることは最早叶いませんが、その伝統はシゲル殿、テルユキ殿、そしてヒロト殿に受け継いでいただけたものと信じています。神が我々を異世界に導いたのは、このためだったのかもしれません。
私はもちろん、母も妻も変わらず元気です。ご安心ください。皆さまも、あの美しい土地でいつまでも健やかにお過ごしください。ユミコ殿がいらっしゃるのだから心配はないと、妻も申しておりました。最愛の娘カンナを温かくお守りいただけるよう、最後にお願いを申し上げます。
皆さまと富良野とワインを愛してやまないミゲラより――
石油ストーブの前に座って手紙を読み終えたシゲルは、土産のワインボトルを手に取って撫でながら鼻をすすった。奥の和室では、若い二人が並んで懐かしいゲームに興じていた。
「お前たちは、あの神様に何を願ったんだ?」
「えへへー。恥ずかしいなあ。」
「もう一度、カンナをここに連れてきてくださいって。そしたら『必ず待っていることだ。機が熟せば願いは叶えられよう。』だってさ。」
「ほう。何を供えたんだ?」
「葡萄ジュースだよ。毎年お袋が作ってくれてたろ?あれ、収穫の時にこっそり一番いいところを持ち出してたんだってさ。」
「はっはっはっ。そりゃ、舌の肥えた神様もいうことを聞くしかないな。」
「今の話、親父には内緒だよ?」
そこに、テルユキとユミコがやってきた。
「なにが内緒だって?他にも隠している願いごとがあるんじゃないだろうな?」
「ないない。俺はカンナさえいてくれれば幸せなの。」
「まあ!平然と歯の浮くようなセリフを。こんな子だったかしら?」
ユミコは、向こうを向いたままのカンナの耳が赤くなったのに気がついた。
「私もカンナちゃんは大歓迎よ。男ばかりの家が華やかになるわ。明日、二人でお買い物に行きましょう。まずは、服を揃えないと。選ぶのが楽しみね。」
振り向いたカンナの微笑みは、十年前と変わらなかった。
「はーい!よろしくお願いします!」
富良野の冬はまだまだ寒い。葡萄畑に続く白い道を、少しだけ職人の顔をした若い男が進んでいく。その後ろには、今日も蒼い瞳の異国の美女がついて歩いた。金色に輝く髪をなびかせながら。
(おわり)
<このエピソードについての独り言>
私は日本酒が好きなのですが、異世界と日本酒を絡ませるアイデアがなく、ワインに方向転換しました。しかし、ワインはあまり飲みません。赤ワインを飲むと、必ず悪酔いするからです。どうしてなんだろう。途中で毎年クリスマスに飲むアイスワインのことを思い出し、モデル地域は山梨から富良野に変わりました。二転三転して、ようやく筋を通すことができました。富良野、行ってみたいですね。




