富良野に現れた異世界ワイナリーの話する?【3 of 5】
――「……やはり、異世界での生活には不安が付きまといます。皆さまにも、これ以上ご迷惑をおかけする訳には参りません。」
ミゲラは小さなワイングラスをシゲルに見せた。
「申し訳ないのですが、こちらで造られたワインを少々分けていただけないでしょうか?ワインの神は、その土地のワインを捧げることで、願いを叶えてくれるのです。」
「ここの葡萄が原料でなければ駄目なのか?」
「はい。それに、神は気まぐれでして。些細な願いは気に入らぬと断られますし、大きな願いにはそれに見合ったワインが求められます。こちらに移動した時には、うちで最後に造った極上のアイスワインを惜しげもなく捧げたのですが……」
テルユキとシゲルが目を見合わせた。
「うちのワイン、それに匹敵しますかね?」
「バカ。その辺のワインには負けんぞ。去年の赤が、まだ何本か残っていただろう?」
艶のある赤色の液体が、グラスに注がれた。芳醇な香りが広がった。
「おお。素晴らしい。異世界にもこのようなワインがあるのですなあ。」
ミゲラはその香りを楽しみながら、神棚にグラスを置いた。蝋燭に火が灯されると、カンナとヒロトが手を叩いた。不意に、辺りが暗くなった。神棚の周囲だけが、明るさを保ち続けている。空気が張り詰めて、息が苦しくなった気がした。
<どのような願いを、叶えて進ぜよう?>
女でも男でもなく、子供でも大人でもない声が、どこからか聞こえた。ミゲラが願いごとを唱えた。
「ワインの神よ。我が父よ。この醸造所を元の場所に戻してほしい。如何かな?」
グラスに注がれたワインが、霧のようになって宙に舞った。赤い霧が渦を巻いて、神棚に吸い込まれていった。
<むーう。良きかな。しかし、可もなく不可もなく。精進されよ。我が子らよ。>
重苦しい空気が解き放たれると、部屋が元の明るさに戻った。火の消えた蝋燭から、白い煙が細く立ち昇っている。唖然としていたテルユキが我に返った。
「要するに、どういうことでしょう?」
ミゲラは肩をすくめた。
「その……申し上げ難いのですが、皆さまのワインでは神の期待には添えなかった、ということでして。」――
その後、近隣ワイナリーのワインをあれもこれもと試したが、神様が願いを叶えてくれることはなかった。終いには、
<もう結構。日を改められよ。ゲプ。>
と言って、相手をしてくれなくなった。異世界の醸造一家は、否応なく富良野の地に留まることになってしまったのだ。
すべてのコンテナを運び終えたユミコは腰に手を当てて、カンナとヒロトが近所の犬と遊んでいる姿に目をやった。
「子供たちはすぐに飽きちゃうわね。ワインの神様が、手伝ってくれたらいいのに。」
「ミゲラさんが言うには、ワインを飲むのが好きな神様、なんだってさ。」
「なにそれ。ただの酒飲みじゃない。『可もなく不可もなく』だって。悔しいね。」
「ああ。一泡吹かせてやりたい。その前に、こっちの胃に穴が開かなければな。」
~~
選果と除梗が終わり、ミゲラを交えて発酵と熟成の段取りが始まった。
「このステンレスという素材の樽は面白いですな。白ワインやアイスワインにはとても良さそうだ。管理もしやすい。」
「香り付けはできんがね。オーク樽にはもう一度手を出してみたいが、木樽は維持が大変だからなあ。」
「しかし、アイスワインは二年以上熟成させてみたいんでしょう?いまあるステンレスタンクだけでは、来年には足りなくなる。」
「ふむ。では、うちのオーク樽をいくつかご提供しましょう。手間はかかりますが、ステンレスしかご存じないテルユキ殿には良い経験になるはずです。折角なので、新樽が良いですかな?」
それを聞いたテルユキは首を振った。
「いやいやいや、そんな高価なものを。我々の目論み通りなら、ミゲラさんたちは春には元の世界に戻れるはずなんですから。お返しすることができない。」
ミゲラは両手を広げて笑った。
「何をおっしゃる。私たちが戻るために、こうしてご尽力いただいているのです。その上、お給金まで出していただいて。樽など、戻った後にまた造れます。赤ワインはオーク樽で発酵、熟成といたしましょう。」
畑に残された葡萄には、予想される鳥害と獣害への対策が幾重にも施された。ミゲラ一家という手は増えたが、それ以上に仕事も増えた。皆が黙々と作業をこなし、あっという間に雪の季節を迎えた。
「いやはや。これは……これほど降るとは想定外でしたな。」
腕を組んだミゲラが、事務所から畑のほうを仰いだ。その横で、シゲルも難しい顔をしていた。
「やはり、実を付けたままでは樹が傷むかな?」
「そうですね。次の年に影響が出るやもしれません。少々大変そうですが、可能な範囲で雪を落として、添え木をして回りましょう。」
雪の降りしきる中、三人の男は葡萄畑で動き続けた。雪を落としながらテルユキが舌打ちをした。
「防鳥ネットが雪を溜め込みますね。来年は、降り出す前に外したほうがいいかもしれない。」
シゲルが意外だという顔でテルユキを見た。
「お?来年もやるつもりなのか?」
「当たり前でしょう。売り出すのは二年後なんだから、毎年やらなきゃ意味がない。」
ミゲラが笑った。
「確かに。この苦労が報われるのは二年も先です。因果な商売ですな。」
疲れた顔の男たちが戻ると、ユミコとティナが出迎えた。事務所には、何やら良い匂いの湯気が充満していた。
「トンジルという食べ物だそうですよ。恐ろしく美味しいので、作り方をユミコさんに教わっていたのです。三人とも、こちらへどうぞ。」
その年の何度目かの大雪は、年の瀬に降り出した。その雪は年が明けても降り続いていた。事務所では、女性三人が石油ストーブを囲んで談笑していた。
「ユミコさん。おかわりしてもいいかい?美味しくてねえ。」
目を輝かせたシーアが、空になったお椀をユミコに差し出した。
「もちろん。いくらでも召し上がってください。お餅を喉に詰まらせないように。」
ティナはその横で、口から伸びた餅と三度目の格闘をしていた。
「あらいやだ。またですわ!どこまで伸びるのでしょう。あらあら。」
ストーブの上に置かれた大きな鍋のお雑煮は、すぐに空になった。奥の和室では、カンナとヒロトが並んでコタツに寝転がり、静かにゲームをしている。その様子を覗き込んだシゲルが、小声でユミコに話しかけた。
「あの二人、いつも一緒にいるな。話をしているのは、あまり聞いたことはないが。」
「カンナちゃんは大人しいし、うちの子も口下手だからね。ああしているんだから、仲は悪くないんじゃない?」
(つづく)




