第1章 あばずれ娘、見出される 8-10
8
丘の麓から見上げた時には、少々こぢんまりした、お屋敷に毛が生えたぐらいの建物のように見えていたのだけど、近づくにつれて、それが目の錯覚だったことが徐々に分かってきた。
周囲をだだっ広い芝地に囲まれ、周りに大きさを比べられるものが何もないせいで、目がごまかされていただけ。実際は、数えられないほどの窓が並ぶ石造りの堅牢な建物で、両側に高くそびえ立つ円塔を備え、さらにそこからずうっと背後まで屋根が続く、まさに「城」と呼ぶのにふさわしい規模の建物だったのである。
うわあ……なんだ、これ。建物だけで、あたしの働いてた牧場がまるごと二つ三つ入りそうだぞ……。
あまりの偉容に圧倒され、あんぐり口を開けたまま城を見上げているうちに、いつの間にか馬車は停車し、外からしずしずと扉が開かれる。
そこには中に座ったツナ様と同じようにすまし顔をした初老の男性が、ぴしりと背中を伸ばし、立っていた。
「ようこそブラックバーン城へおいでくださ……ぐほっ!」
うやうやしく頭を下げてくれたところまではよかったのだけど、そこで私の体から放たれる猛臭が、男性の鼻に届いたらしい。
体を二つ折りにし、ぐほごほげほげほとひとしきりむせた後で、ハアハア息をつきながら一歩後ろに下がり、そこでようやく、男性は再び口を開いた。
「当主であるメリッサ・ブラックバーン辺境女伯がお待ちです。どうぞそのまま、こちらへお越しください」
促されるままに馬車から降り――本当ならここで伸びの一つでもして、長旅に凝り固まった体をほぐしたいところだったが、ツナ様よりさらに気品に満ちあふれているオジサンが、うやうやしい態度で私の一挙手一投足を見つめている以上、そうもいかない――そのまま道を横切って、おそろおそる城の巨大な玄関へと向かう。
道の途中からは、濃紺のワンピースに純白のフリル付きエプロン、白靴下に黒の靴という揃いの格好に身をかためた、一目でお城勤めと分かる女の人たちが内側を向く形で二列に並び、やや頭を垂れて「主人のごく親しい朋友」である私を、こちらもうやうやしく迎えてくれている。
が……
彼女たちの正面を通り過ぎるたび、げんなりした顔になって額に深く縦皺が刻まれたり、すうっと顔色が青くなったり、「うぷっ」という音と共に慌てて口元を押さえたりと言った反応をされるたび、申し訳なくてこのまま逃げ帰ってしまいたくなる。
しかも、城の中はまた絢爛豪華を絵に描いたような様子なのだ。
あぜんとするほど高い天井を見上げると、そこからキラッキラのガラスとキラッキラの金属で作られた巨大な飾りが吊り下がり――その時の私は「シャンデリア」と呼ばれる照明器具が存在することを知らなかったのだ――さらに天井は金の縁取りがされた格子で区切られ、その区切りの内側の天井板一つ一つに模様のような、絵のようなものが描かれている。
正面の巨大な階段の上には、金の額縁に入ったこれまた巨大な絵――誰だか知らないけど、えらそうな顔をした爺さんが描かれていた――が飾られ、その左右にはごてごてした花瓶。さらに階段の両脇には長い槍を持った鎧と両手持ちの大剣を構えた鎧が立っている。
それ以外にも、扉の横や部屋の隅、ありとあらゆるところに戸棚や小テーブルが置かれ、お高そうな花瓶や茶道具、でかいけれど模様の細かい皿なんかが飾られてて、ちょっとよろけてぶつかりでもしたら、たちまち牧場の一つや二つ、余裕で買えそうなくらいの財産が吹っ飛びそうだ。
こりゃあ場違いなところにきちまった、こんなところにあたしがいるなんて絶対おかしい、なんかの間違いに決まってる……。
その思いは、ツナ様の案内で、玄関広間と同じように飾り立てられた廊下をどんどん奥へと進み、城の一番奥、目的地の中の真の目的地らしい部屋の前にたどりいた時、確信へと変わった。
中から話し声が聞こえてきたのである。
「……ですからメリッサ様、悪いことは申しません、どうかご面会の前に、旅のほこりを洗い落としていただくお時間をお客様にお与えになった方が……」
「なりません。あの馬車とツナを迎えにやった意味、分かっていますね。そのように親しくお迎えした方に「やはり服装を改めてから来い」などと失礼なことを言うことなど、私には断じてできません」
「ですがその、今回のお客様は、その、なんと申しますか、田舎の、それはそれはかぐわしい香りを身にまとっていらっしゃり……」
「なんですか、お客様の姿をあれこれ言い立てるなど、はしたない!お客様に失礼だとは思わないのですか!」
いや、失礼でもなんでもいいから、ちょっと汚れを落とす時間をくれよ、と扉の前にたたずみながら、私はますます逃げたしたくなる(また、さっさと到着を告げればいいのに、どういうわけかツナ様はノックもしないし、声をかけようともしないのだ)。
「失礼は重々承知ですが、しかしメリッサ様、あの臭いは……」
「黙りなさい。あなた方には耐えられない臭いかもしれませんが、私は土や泥にまみれて働く方の臭いは、決して嫌いではありません。そういう方々の尊い労働あってこその領主ではありませんか」
「いや、しかし……」
弱り切ったような声を最後に扉の向こうは沈黙する。それを待っていたかのように、ツナ様はちらりと私に一瞬「行きますよ」というように視線を送ると――その横顔にあざけるような薄ら笑いが浮かんでいたように見えたのは、私の気のせいだろうか?――ようやく扉をノックし、
「メリッサ様。パトリシア嬢をお連れいたしました!」
と、高らかに告げたのである。
「……入っていただきなさい!」
城の偉容と調度品のものすごさ、そして扉の向こうから聞こえてきた会話にすっかり打ちのめされ、私は精一杯身を縮め、ツナ様が開けてくれた扉をくぐり、部屋の中へ一歩入ると、そこで立ち止まった。
「あ、あの……」
「よく来てくださいました。さあ、どうか楽になさってください」
扉をくぐったその時から、私の体から立ちのぼる異臭は鼻に届いているはずなのに、声音からは微塵も嫌悪感を感じ取れない。
そのことが逆に申し訳なくて、私はますますぎゅっと身を縮め、腹の前で両手を固く握りしめた。
「いえ、あの、こんな姿できてしまって、ご迷惑かけてごめんなさい。あたし……」
「なにを言うのです。招いたのはこちらですよ。さあ、そちらに腰かけて、楽になさってください」
「あ、いえ、こんな格好でそんな素敵な椅子に座ったら、汚しちゃいますし」
「まあ、なにを言うのです!さてはあなた、扉の前でしばらく待たされ、サーモンと私の話を聞かされていましたのですね。全くツナときたら、どうしてそういう意地悪をするのでしょう」
「いえ、ツナ様は悪くありません。きっと、場違いだってことを私に教えてくれようとして……」
「いいえ、あなたが場違いなどと言うことはありません。主の私がお招きした以上、あなたはお客様として、堂々と振る舞っていればいいのです。それになんですか、ツナ様?なぜあなた、そのような呼び方を?」
「え、ですから、辺境女伯様の秘書官様ですし、あたしよりずっと……」
「ツナ!あなたまさか、彼女になにも説明していないのですか!?」
辺境女伯様の声がいきなり怒気をはらんだものとなった。
「いえ、しかしメリッサ様、このような方に説明など……」
「おだまりなさい!全くあなたは、どうしてそう高慢なのですか!」
「いえ、しかし……」
いけない、ツナ様が怒られている、私を窮地から救ってくれて、ここまで連れてきてくれた方なのに、あたしが変なこと言っちゃったせいだ!
そう思った私はとっさに顔を上げ、叫んでいた。
「いえ、辺境女伯様!ツナ様は悪くないんです!あの、私がもの知らずなせいで、それできっとツナ様にあきれられてしまって……え?」
必死でそこまで言ったところで、私は部屋の中の雰囲気ががらりと変わったことに気がつき、眉根に皺を刻んだ。
目の前に立った辺境女伯様とおぼしき背の高い女性が――袖や裾に精緻なレースをあしらった深い赤色のロングワンピースをきっちりと着込んだその姿は、確かにいつぞや夢の中でお見かけした「奥方様」そのものだった――息を呑み、目を見開いたまま、じっと私の顔を凝視してたのである。
そのお顔からツナ様への怒気はすっかり姿を隠し、代わりに紛う方なき驚愕が読み取れる表情となったことに困惑し、じっとこの城の女主人を見つめる(ツナ様も、もう一人部屋に居合わせていた老紳士のサーモン様も、私と同じく、この意外な成りゆきに戸惑っていたのか、いぶかしげな顔で、ただただ主人をじっと見つめるばかりだった)。
奇妙な緊迫感と、一体なにが起こったのか全く理解できないいらだち。そうかといって、うかつに口を開くのはためらわれ……結局私たちは身動き一つせぬままに、そのまましばらく凍り付いたように互いを凝視し続けていた。
が、やがて。
辺境女伯様の唇のすき間から押し出されるように震える声が響いてきた。
「パトリシア……でしたね。あなた……家名はお持ちですか?」
「あ、はい。家名はブルフィンチと申します。パトリシア・ブルフィンチです」
「ああ、やっぱり!やっぱりあなたはスティーヴンの!」
「はい、父様……父の名はスティーヴン・ブルフィンチです。父をご存じなのですか?」
と、おそるおそる私は尋ねたのだが……その言葉への返事はなかった。
その代わり、辺境女伯様は、体中の力がいきなり消失してしまったかのように椅子にどさっと座り込み、かろうじて上半身のみを持ち上げると、悲痛極まりない目で私をじっと見つめたのである。
「もし……もしあなたが本当にスティーヴンの娘なら、彼から受け継いだものがあるはずです」
「受け継いだもの……ですか?」
「ええ、ありますか?」
相手の口調が詰問のように厳しく、切羽詰まっていくことにますます困惑し、私は先ほどよりももっとおそるおそる口を開く。
「父は成功した牧場主でしたが、十年ほど前、何者かに牧場を襲撃され、その時に命を落とし、財産らしきものも全て失いました。ですから、私が父から受け継いだものといえば、丈夫な体と、家畜を育てる知識の他には、ナイフぐらいしか……」
「それです!お願いです、そのナイフを見せてください!」
ますます強い剣幕で両手を前に差し出す辺境女伯様の様子に驚きながらも、ベルトに下げていたナイフをさやごと外し、いつの間にか脇に立っていたツナ様に手渡す。
ツナ様が小走りで近づくのももどかしいようにその手からナイフをひったくるように奪い取ると、長身ながらやせぎすの女性にはかなり重く感じるはずの大ぶりなナイフを、慣れた手つきで鞘からすらりと抜き放った。
とたんに、窓から差し込む陽光を反射し、分厚く、それでいて精緻な蒼い刀身が燃えるような光を放ち……辺境女伯様は大きく息をついた。
そして、ぐったりと背もたれに寄りかかりながら、長年その手の刃物を扱い慣れているものだけに可能な、ぞんざいに見えて間違いの手つきで再びナイフを鞘に収め、止めのボタンをかけると、無造作に、しかし力強く、さやごと私に投げ返してくる。
かなりの速度で飛んできたそれをあやうく両手で受け止め、再びそれを腰のベルトに挟み込んだところで、私はむっとした顔で辺境女伯様をにらみつけた。
なんだよ、父様の形見を、なんだってこんなに乱暴に扱うんだ!いくら雲の上の立場の人だからって、今のはちょっとひどいって!
が、辺境女伯様は、私のそんな様子にも全く注意を払うことなく、両手に額を当て、なにやらじっと考えこんだままだ。
「一目見て、すぐに分かりました。そのナイフは『ドロレスの牙』。ということは、この娘は間違いなく、スティーとあの方の娘。ああ、それで分かりました、素質があったのは当然、だって、スティーの血を引いているのですから!ですが、私は一体どうすればいいのか、どうして差し上げるべきなのか……」
追いつめられた様子でブツブツとなにごとか、ひたすらつぶやき続ける相手に、またもや困惑の念を抱きつつ、とにもかくにも一言言ってやろうと口を開きかけた、その時。
「ああ、ごめんなさい!いきなり取り乱してしまって。本来なら、呼びつけた私自身が事情を話さなければなりませんのに!ですが、本当に申し訳ありません、今は、今はまだ無理です。あなたとこうして顔をつきあわせているだけで、気持ちが、心が千々に乱れて、ろくに言葉が出てこないのです!本当に申し訳ありませんが、もう少しだけ時間をください。私の代わりに他のものを差し向けます。ですからあなたは、しばらくこの城に逗留し、ゆっくりと事情を理解してください。どうか……どうか、お願いです……」
あまりに悲壮なその口調にあっけにとられ、そして、わたしはつい、ほだされてしまった。
「え、あの、まあ……牧場も多分、もうクビになってると思うし、他に行く当てもないから……」
しぶしぶそう口にすると、
「感謝します。ツナ、このお嬢さんを城で一番の客間にご案内して!」
すかさず女主人の命令が飛ぶ。
「分かりました。では、お客様、こちらへ」
先に立って歩き出したツナ様に従い、きびすを返したその背中へ、もう一言、追い撃ちがかかる。
「ああ、ツナ!部屋にご案内する前に、まずは例の三人にお客様の世話をするように命じておきなさい!」
その言葉を耳にした途端、ツナ様はちらりと私を見た後で、いやあな笑みをその頬に浮かべ、
「かしこまりました」
と、ゆっくり頭を下げたのだった。
9
なんだか狐につままれたまま辺境女伯様との面会は終了。追い出されるように部屋を出された後は、先をゆくツナ様の後に従い、豪壮だが寒々しい廊下をとぼとぼ歩いて行く羽目になった。
その時になってようやく、夢の中での誘い、などという雲をつかむような話に乗ってこんなところまできたことを、私は後悔しはじめていた。
ああ、あたしってば、なんてバカなんだ。城に留まるなんて言うんじゃなかった。こんなに居心地悪くて落ち着かないところで寝たら、また母様の夢を見てしまう。引き返して、やっぱり帰りますって言おうか。帰る場所の当てはないけど、なあに、あのあたりの牧場はいつだって人手不足なんだ、仕事先の一つや二つ、すぐに見つかるだろうし……。
さっさと城を脱げ出す算段をしつつ、半ば自動的に足を動かしていたせいで、目の前が下りの階段になっていることに気がつかず、あやうく足を踏み外しそうになった。
「おうわっと!」
大声を上げてとっさに片手を手すりに、もう片手を――大変申し訳なかったが――ツナ様の頭にかけて、あやうく転げ落ちるのを防ぎ、ほっと一息。次いで、自分がどこに手を置いて転げ落ちるのを防いだのか、はっと気がつき、慌ててツナ様の頭から手をのけた。「ご、ごめんなさい!ついぼんやりしてて、足を踏み外しそうになったんで、つい……」
ぺこぺこと頭を下げると、ぎりぎりと歯を食いしばったまま、無理矢理顔に笑顔を浮かべ、ツナ様が振り向く。
「……いいんですよ。怪我がなくてなによりですね。どうか、足もとには気をつけてください」
「は、はい!すみません!」
もう一度大声で謝罪を口にしたが、ツナ様はそれに答えてくれず、再び前を見て、すたすたと階段を下りていく。
そして、階段を下りきった先の廊下を奥までずうっと歩き、つきあたりにある小さな扉を開くと、
「トロル、オーガ、イエティ!お主人様直々のご指名です!お三人方に洗浄をお願いしたいものがあるのです!」
と叫んだのである。
私は耳を疑った。
トロルにオーガに、イエティ!?そんな、おとぎ話に出てくるバケモノじゃないか!
だが、その一瞬後、私はイヤでも、その実在を信じざるを得なくなる。
というのも……扉の中から折り重なるようにして巨大な影が三つ姿を現し、私の前に仁王立ちになったのである。
うお……で、でけえ!
私も、辺境女伯様には負けるけど、それなりに背は高い。けれど、目の前に立った三人の女は、揃いも揃って、私より頭一つは大きかった。
そこがお城で、えらく天井が高いからよかったようなものの、普通の家なら絶対頭のてっぺんを梁にぶつけているに違いない。しかもその上、彼女たちの横幅ときたら、優に私の三倍はある。
他の城勤めの女たちと全く同じ服装をしてるのに、なぜか全く違った服を着ているように見えるそのバケモノ女たちは、丸太のように太い腕を組んだまま、じろじろと私をにらみつけ、ふんふんと鼻を鳴らしたかと思うと、世にも怖ろしげなしかめっ面となった(こんなバケモノたちからしても、あたしはクサいのか、といたくへこんだのを覚えている)。
そして、しかめっ面のまま、真ん中に立つ一人がツナ様を見据えたかと思うと、素っ気なくあごをしゃくり、手前の巨大な扉を指したのである。
「こちらの部屋ですね。分かりました。では、どうぞ」
ツナ様に促され、おそるおそる真ん中開きの扉を押し開け、そのまま中に入ろうとして、またしてもあやうくつんのめりかけた。
てっきり床があると思っていたところは階段で、入り口より20センチは低くなっていたのである。
どうにかこうにか体勢を立て直し、数段の階段をなんとか下りきって、改めて部屋を眺め渡す。
広い……けど、なんだかすっごい寒々しい……それになんか、血の臭いがするような……。
後から知ったのだが、そこは狩りで捕獲した大型獣をバラして肉にするための解体場だった。だから、血の臭いがするのも当然なのだが、その時の私はもちろんそんなことは分からず、入ってきた扉とちょうど差し向かいにある巨大な扉――狩りで得た獲物を裏庭から直接運びこむためのものだ――以外は全てごつごつした石そのままで造られた、この上なく殺風景な部屋だとしか思えなかった。
なんだってこんなところへ入れられたんだ?そういやさっき、ツナ様は洗浄がどうとか言ってたけど、まさかここで、あたしが洗われるとか?
石造りの床は冷たく、ブーツのまま立っているだけで、冷気が足もとから忍び込んでくる。
牧場からだいぶん南に下ったとはいえ、今はまだ春の初め。川の水も冷たく、まだまだ水浴びには似つかわしくない季節だ。
いやいやいやいや!ダメだろ、こんな寒い部屋で水なんかぶっかけられた凍えちまう!やっぱり無理だ、気が変わったとかなんとか言って、ここから逃げ出さないと……。
だが、既に遅かった。
鼻と口を三角巾で覆い、裸足に油引き帆布のエプロン、勇ましくブラウスの袖をまくって太ましい腕をむき出しにした姿の怪物どもが、手に手にブラシやらモップやらバケツやらタライやら水桶やら洗濯板やら叩き棒やらを持って、ずかずかと部屋に入り込んできたのである。
「では、ごゆっくり」
と、入れ替わりにツナ様が部屋を出て行き……そこから私の苦行の時間は始まった。
「あ、あのあたし、気が変わって、もうこのお城から出て行こうかと思ってて、だからその、洗浄とかそういうのはもういいから……」
抱えてきた荷物を置くやいなや、三人はそれぞれ無言で作業にかかる。その姿を見据えつつ、じりじりと後ずさりしながら、隙を見て部屋の外に逃げ出そうとしたのだが……あえなく捕獲されてしまう。
「なにしやがんだ、放せ!出てくって言ってんだろ、放しやがれ!」
必死で足をばたつかせるが、トロルの万力のような両手でがっしり掴まれてしまっては、もはやろくに動くことさえできない。
そこへ、水がたっぷり入った桶を抱えたオーガが歩いて行きたかと思うと、問答無用で思い切りよく、私の頭から水をぶっかけた。
「ひゃああああああああっ!」
あまりの水の冷たさに、思わず私は身をよじりながら悲鳴を上げた。
少しでも暖を取ろうと、慌てて身をすくめ、両手で体をこする。
が、トロルのヤツはそんな私をものすごい力でまっすぐ立たせ、その隙に、イエティが情け容赦なくびしょびしょの上衣やシャツ、ベルト、ブーツ、ズボンをはぎ取り、タライにつっこんでいく。
あっという間に私は生まれたままの姿にされてしまった。
「アンタ、肌着は?」
先ほどよりも小さくなって体をこする私に、タライを抱えたイエティがいぶかしげにそう尋ねた。
え、こいつら、人間語話せるの!?
どっからどう見ても人外なんだし、せいぜい「ウホ」とか「ウガ」とか言うだけで、人語は話せないものだとばかり思い込んでいた私は、驚きすぎてぽっかり口を開けたまま、ゆっくり首を左右に振るだけで精一杯。そんな私に向かって「ふん」と鼻を鳴らすと、
「年頃の女の子に肌着すら与えず、首筋が真っ黒になるまで働かせるなんて、一体どんな無体な雇い主だったんだ……」
などとブツブツ言いながら水栓のところにまで歩いて行くと、早速踏み洗いをはじめた。
一方私は、オーガに再び――今度はすっぽんぽんの体に直接――汲みたての冷水をぶっかけられ、「うっひいいいいいい……」と悲鳴を上げる。
「うわ、なんだ、この髪の毛。ぎっちりひっつめたうえに泥やらなんやらかぶって、かっちこちだよ!こりゃ臭うはずだ……」
私の背後にいたトロルはそう言うと、石けんをたっぷり頭にぬったくり、やたら毛足の固い牛用のブラシでがっしゅがっしゅとこすりはじめる。
「ちょ、ちょっと!痛い!せめて髪をといてからこすれよ!」
ブラシの毛に濡れた髪の毛が絡み、思い切り引っ張られ、私は思わず抗議の声を上げる。
が、トロルは、
「とけないんだよ、長いことひっつめたままでいたせいで!ちょっとの間我慢しな!」
そう言うだけで、がしゅがしゅの手を少しも休めない。
「それにアンタ、なんだいこの体は!どこもかしこも真っ黒じゃないか!こんなきったない体でよくもまあ、メリッサ様にお目見えしたもんだ!」
と、今度はオーガが、桶一杯に作った石けん水にざぶりとつけた柄付きブラシで――うん知ってる、そのブラシは家畜小屋の床こすったりするヤツだ――ざっしゅざっしゅと力一杯体をこすりはじめる。
あっという間に私の体は真っ赤に色づき、ヒリヒリと熱を持ち始めた。
「だから、痛えって!自分でも汚いのは分かってるけど、せめて加減してこすれよ!」
家畜扱いはまだしも、床扱いにはさすがに我慢がならず――当時の私にも、さすがに生物としてのプライドはあったのだ――怒りの声を上げるが、トロルと同じく、やっぱりオーガは取り合わない。
「手加減して落ちる汚れじゃないだろ!ちょっとの間我慢しな!」
そう叫ぶと、さらに力を強めるばかり。
やがて、伸ばしていた髪の大半が切れ落ち、体中余すところなく真っ赤になったところで、ようやく二人は手を止めた。
「さて、とりあえずはこんなもんかね」
そう言うと、二人は両手に空の桶を提げてと水栓のところまで歩いていき、水を一杯に満たすと、ざぶりざぶりと何度も私の頭から水をぶっかけた。
ヒリヒリと熱を持っていた体がたちまち「じゅっ!」と音を立てて氷点下にまで冷え切り、再びぶるぶると震えだしたところで、
「さて、じゃ続きといこうかね」
とおもむろにトロルがのたまい、再び私の頭に石けんをこすりつけた。
「なんだよ、終わりじゃなかったのかよ!」
「やかまし!あんだけ洗ってやったのに、アンタときたらちっともあぶくが出なかったじゃないか!まだまだ汚れがこびりついてる証拠だよ!」
「ほんとにどうなってんだい!こんな体でメリッサ様御用達の馬車に乗せるなんて!」
自分のせいでもないのに責められることにいい加減イライラしていた私は、ついに我慢の限界に達し、この上なく憎々しげな――まさにアバズレ魂そのものといった感じのしかめっ面を作った。
「あたしだって、ここに来たくて来たわけじゃねえし、馬車に乗りたくて乗ったんじゃねえよ!あのツナって秘書官様が、身繕いなんかいいからとにかく急げって言うから、仕方なく……」
と、ここで思いがけないことが起こった。
「んなこた分かってるんだよ!」
怒りそのままぶちまけ口調の私に負けず劣らずのいらついた口調で、トロルが私を遮ったのだ。
「あたしらが怒ってるのは、わざわざ馬車を汚してまで若い娘さんに赤っ恥かかせるような真似をしやがった、あのツナに対してだよ!」
「そうだよ!いくらアンタが小生意気だからって、泥まみれの格好であの馬車にずかずか乗り込めるほどいい根性してる、なんて思っちゃいないよ!あのツナの差し金だってのはよく分かってんだ!」
怒りのあまりか、二人はがしがしとますます強く私をこすりはじめる。
が、そのことに文句をつけもせず、私は目を丸くして、二人の声に耳を澄ませていた。
そっか。この二人、あたしを怒ったり、バカにしたりしてたんじゃなくて、どっちかっていうと、心配してくれてたんだ……。
考えてみれば、臭い、汚いと散々いわれはしたものの、だからといって薄笑いを浮かべたり、軽蔑の眼で見たりすることはなく、二人は――イエティも入れれば三人とも――ぶっきらぼうながら、せっせと世話を焼いてくれている。
そうだよ、普通はこんな、泥まみれあかまみれで盛大に臭い小娘なんか、触るどころか目にするのもいやなはず。なのにこの人たちは、つきっきりで体洗ってくれてる。最初思ってたよりいい人たちなのかもしれない……。
そう思うと、現金なもので「がしがし」の手つきも心なしか優しく感じられ、私はおとなしくされるがままとなった。
その間も、やれ人の気持ちを少しも分かろうとしないだの、お高くとまって平民をバカにしてるだの、ツナ様の悪口オンパレード。それらを聞いているうち、その一つ一つが私にも思い当たることばかり。
いつの間にか私は――ごしゅごしゅ洗われ、時折水を浴びせられながら――うんうんうなずきつつ、彼女らの話に耳を傾けていた。
「大体、馬車で来たんなら途中旅籠に泊まったはずだろ?そん時に着替えの用意と洗濯と水浴びぐらい、なんぼでも準備できたはずなんだ。それなのに、一切なにもさせず連れてくるなんてさ。この分じゃきっと、部屋も最低限のとこだったに違いないよ」
そう言われて、確かに泊まったのはわらのベッドに汚れたシーツの掛かった、家畜小屋と大して変わらない部屋だったし、その時に身繕いぐらいはできたはずだと、大いに感心し――ツナ様に対する評価を「助けてくれたいい人」から「底意地の悪い人」へと変えていくとともに、モノノケトリオに対する評価をぐっと上向きに改めていたのだった。
こんな見た目だけど、案外この人たち、頭が切れるのかもしれない――いや、あたしがあまりにも鈍すぎるだけかもしんないけどさ。
そんなことを思い、改めて自分の頭の悪さにうんざりしながら、されるがまま、ひたすら「洗浄」され続け……やがて。
髪の毛から泥水ではなく泡が飛び散るようになり、体からぽろぽろと垢が落ちず、透明感が増してきたところで、最後の仕上げとばかり、トロルがザばりと桶の水をぶっかけた。
お、ようやく終わりか、なかなかおもしろい話が聞けたけど、その分体は冷え切ってるし、唇は震えてるし、早いとこ体を拭いて火の前で暖まりたいぜ、なんて思っていたのだが……トロルの次の一言で、私は再び唖然とすることになったのだった。
「さあ、ようやく下洗いは終わりだ。本洗いに入ろうかね」
10
「本洗い」は巨大なタライに沸かしたお湯を張り、その中に浸かる形で行われた。
唇は真紫で、すっかり体も冷え切り、このままじゃ明日は高熱を出して倒れるかもしれない、と思っていた私は、もうもうと湯気を上げるタライが運び込まれたのを見て、よかった、助かった、と思ったのだが……それは大きな間違いだった。
「熱っちいいいいいいいいいいっ!」
入った瞬間、私は入った倍の速度でタライから飛びでることとなったのだ。
人外三人組ときたら、至って気はいいのだが、ぶっきらぼうな上、活動全てがいちいち大ざっぱなのである。この時も、ろくろくお湯をうめもせずに体の冷え切った私をドボンとタライに入れたものだから、そりゃもう、熱いの熱くないの。
真っ赤になった体を床にこすりつけるようにして冷やしていたのだが、そんな私をトロルは情け容赦なく捕獲し、再びタライに放り込む。
「んぎゃあああああっ!あチッ!熱いって!無理だって!」
だが、トロルもオーガも、一切聞く耳持たず、無言で石けんを擦りつける。
そこへ、ようやく私の服装一式を処理し終えたらしきイエティも加わり、三人で、なんだいなんだい、きれいにしたつもりがまだ真っ黒じゃないか、なんだよこの耳の穴は!だの、なんだよこの指先!なんだって爪はおろか、指の真ん中あたりまで真っ黒なんだ、若い女の子の手じゃないよ!だの、あんたの歯ときたら、まっ茶色じゃないか!今まで歯をみがいたことあんのかい?だの、足の裏カチカチだよ!しかもひび割れてんじゃないか!だの、いちいち憎まれ口を聞かされながら、でも、根気よく根気よく、ありとあらゆる細部を洗い、こすり、ヤスリで磨き、ナイフで切り落とししてくれる。
一通りそれが終わって、黒々としていた私の端々が本来の人間の肌の色に戻ったところで、「本洗い」は終了。
今まで触れたこともないような柔らかい布で頭のてっぺんからつま先まで、余すところなく拭き取られると、トロルはそのまま軽々と私を小脇に抱え、ずかずか部屋を出て行こうとする。
「おい、ちょっと!あたし布一枚かぶってるだけなんだよ!こんな格好で外に出るのかい!?」
「うるさいね!だから、ちゃんとした格好になれるところにつれてこうっていうんじゃないか!」
そう一喝され、それまでばたつかせていた手足をだらんと脱力すると、そのままおとなしく――私は運ばれていった(あまりに暴れたせいで、巻き付けていた布がずれて、ヤバいことになりかけていたのだ)。
連れて行かれた先は、城の階段を上りきった先にある小さな部屋だった。
そこの真ん中に私を立たせると、トロルたちは壁に作りつけられた棚をがさごそとあさり、手に手にいろいろな道具を持って再び集合する。
そこでいきなり布をはぎ取られると、オーガが手にした紐を私の体の隅々に当ててはでかい声で何やら怒鳴り、イエティがなにやら書き付けていく。
「全くもう、洗っている時から思ってたけど、やせすぎだよ!一体今までなに食べてたんだい!」
「ちゃんと食ってたよ!アンタたちに比べりゃ、誰だってやせすぎってことになるだろうよ!」
「うるさいね!あたしらはこれでベストスタイルなんだよ!」
「それで?」
「ああ、そうともさ!三人とも、この体だからこそ、両肩にビール樽を担いで階段を上り下りできるんだよ!」
「ああ、確かに「そういうこと」をするためならベストスタイルだろうね!納得したよ!」
思わず苦笑しながらそう答えると、オーガもにやりと笑みを返してくる。
と、それまで黙ってずっと数字を書き付けていたイエティが、ふんふんうなずきながらにわかに立ち上がると、どたどたと部屋を出て行き、しばらくすると、前が見えないほどうずたかく布を山積みにした籠を両手で抱え、戻ってきた。
「さて、このくらいでいいはずなんだけどね……」
どんと床に置いた籠の中をひっくり返すようにしてかき回すと、無造作に純白の布きれを取り出すと、私に投げて寄越す。
「ほれ、着な。さすがに着方ぐらい分かるだろ」
見るとそれは、腰のところで紐を締めて履く形の膝下丈のズボンのようなものと、頭からすっぽりかぶった後で背中と襟口の紐を絞って着心地を調整するタイプの上衣である。
よかった、これなら私でもなんとか着られそうだ。
私はほっと安心しながらズボンに足を通し、上衣を身につけた。
これまで身につけていた衣服に比べて、いやに薄手でぶかぶかするけど、とにかくようやく、これで人前にも安心して出られる、と笑みを浮かべながら部屋から出ようとしたところで、
「こら!そんな格好でどこ行くんだよ!」
と、トロルに慌てて肩をつかまれた。
「どこって、もう着替えも終わったみたいだから、外に出ていいのかなって……」
「なに言ってんだ!そんな格好で城の中うろつかれたら、みんなびっくりするだろ!」
「なんでだよ!ちゃんとあたし、服着てるだろ!」
「着てないよ!そりゃ肌着だ!人前に出ていい格好じゃないんだよ!」
そこで、はっと思い出した。
そうだった。あたしも、昔父様母様と暮らしてた時は、こういったものを服の下に着させられてたっけ。あの頃は朝起きるとする、この格好のまま遊びに出てたけど、そのたび母様に家の中に引き戻されて、こっぴどく怒られた後、シャツとズボンと靴下とブーツを身につけさせられた。そうか、そうだった……。
突然訪れた理解に呆然としながらゆっくりうなずくと、トロルが少々イライラしながらも、うなずき返す。
「今メリッサ様の昔のドレスの寸法を直して、あんたに合うようにしてるところだ!それが終わるまで、もう少し待ちな!」
なるほど、見るとオーガがどこかから引っ張り出した頭のない無気味な人形にドレスを着せて、あちこち縫い縮めたり継ぎ目をほどいて広げたりしている。
「すごいな、アンタたち縫い物もできるのか」
「なに言ってんだ、これぐらい、城勤めの女はできて当たり前なんだよ!まあ、中でもあの子の裁縫の手の早さはピカイチだけどね!」
と、なぜかトロルが自慢げに話す。
「いや、すげえよ。あたし、そのあたりのこと、なにひとつできないからさ」
「ご家族は?教えてもらわなかったのかい?」
「いや……早くに死んじゃってさ」
「そうかい。そりゃ悪かったね」
「いや、いいんだ。昔のことだしさ」
ちっともよくはなかったが、そういう以外、私になにができただろう。
それからしばらく重苦しい時間が続き、やがてオーガの手が止まった。
「さあ、できた。着てご覧……いや、そんな困った顔しなくていいよ。あたしらで着せてやるから。上流階級の着替えは大体そういうもんなんだ」
着替えすら他人の手を借りないと満足にできないなんて、というか、わざわざそういう服を作らせて着るなんて、上流階級の人間は頭がどうかしてんじゃねえのか、などと衝撃を受けながらも、不承不承着替えさせてもらう。
手を上げて、下ろして、片足上げて、下ろしてと言われるがまま動くうちに、いつの間にか私の体はやたらひらひら飾りのついた布きれに覆われていき……そして、トロルたちが満足げにうなずく。
「やっつけ仕事にしちゃあ、案外見られる姿になったじゃないか」
「本当だね、これなら外に出してもはずかしくないよ」
そういわれても、なぜかこの部屋には鏡がなく、自分がどんな姿をしているのか、さっぱり分からない。だが……まあ、肌着のまま外へ出ようとしたぐらいだし、自分の目が信用できるとは思わない。とりあえずこの二人が「恥ずかしくない」というんなら恥ずかしくないのだろうと思うことにし、私はにっこりと頷いた。
「さて、じゃあ、オーガはまだ何着も服を縫わなきゃならないし、ここへ残していくとして」
と、トロルとイエティが訳知り顔にうなずき合う。
「そろそろ日も落ちてきたことだし、次の作業にかかろうじゃないか」
そういうと、私の手を取ったのだった。
「さあ着いたよ。中に入りな。今日一番のお楽しみだ」
階段を下り、豪勢な廊下をこれでもかと歩いて連れて行かれた先は、食堂だった。
横長の広い部屋のど真ん中に、部屋の横幅ぎりぎり一杯ぐらいなほどの巨大なテーブルが置かれ、そのテーブルには端から端まで純白の布がかけられている。その上におかれたいくつもの燭台には、お客を迎える準備万端と言わんばかり、全てのろうそくにあかあかと火がともされている。
豪勢なもんだな、一体ここで何人が一緒に食事するんだろ……なんてのんきに考えつつ、導かれた席に腰かけ、改めて左右を見回す。と、そこでおかしなことに気がついた。
右を左を見ても、ナイフやフォークなどが並べられた席が、自分のところ以外、一つもないのだ。
あ、あれ?あたしんとこにしか、食器がない……てことは……?
こそっと後ろを向いて、そこに控えているトロルに、そっと話しかかる。
「な、なあ、ひょっとして、あたしはこれからここで、一人でメシを食うのかい?」
「そうだよ。アンタみたいな無作法者を、他の方と一緒にするわけにはいかないからね。今日は他にもお客様がいらっしゃっているけど、アンタはこの小食堂で一人ディナーってわけだ」
この大きさで小食堂って、じゃあ大食堂ってのはどんだけ大きいんだ?
改めて部屋の中を見渡すと、テーブルの上の燭台に加え、天井や壁にも照明器具が取りつけられ、煌々と光を放っている。これら全てが自分一人のために用意されたのだ、とそこで初めて気づき、私は戦慄した。
あたしひょっとして、ものすごく贅沢で、とてつもなく無駄なことしてねえか?
私は再び後ろを振り向いた。
「なあ、あのさあ、メシ食うのがあたし一人なら、こんなに明かりつけなくていいよ。この燭台一本ありゃ十分だからさ、後は全部消すように……」
「余計なこと考えなくていいんだよ!上流社会じゃ、メシ食う時にゃ部屋中明るくすんのが常識なんだ!いいから黙って座ってな!」
「あ、それじゃあさ、アンタも一緒にメシ食うっていうのはどうだい?そんなら、明かりも無駄になんないし……」
「いい加減にしな!無作法者とはいえ、アンタはお客様!あたしは召使い!同じ席でメシを食えるわけないだろ!」
「でもあたし、こういうとこでメシ食ったことねえんだよ!手本にするヤツがいなきゃ、どうやって食えばいいんだか……」
「あたしがいちいち教えてやるから!ほれ、料理がきたよ!前向きな!」
慌てて向き直ると、奥の扉から気取った感じの男の召使いが、銀のでかい入れ物を片手にやってくるところだった。
なんだ!?あんなでかい入れ物に入って出てくるのか?豚の丸焼きかなんかか?
眉をしかめて注視していると、男は巨大な入れ物のふたを取り、中からスープの入った皿を取り出して、テーブルの上に置こうとする。
ああ、なんだ、あれにそのまま入ってんじゃないのかよ。あの大きさのもん全部食わされるのかと思って、びっくりしたじゃないか。
ほっと安心したのもつかの間、今度は男が、なかなか皿をテーブルに置こうとしない。
いぶかしげに男を見ると、困ったような顔でテーブルのど真ん中、フォークやらスプーンやらの中央に鎮座している布を注視している。
なるほど、こんなものが置いてあっちゃ、皿を置けないよな。
男の顔を覗き見ながら布をそっと取り上げると、男はほっとしたような表情になった。
ああ、やっぱりこれで間違ってなかったんだ。けど、取ったはいいが、これ一体どうしたらいいんだ?
しばらく手にもったそれをためつすがめつしたあげく、そういえば、はじめに見た召使いの女の人たち、みんなこんな感じの頭飾りをしてなかったか、と思いだし、そっと頭にかぶってみた。
そこへ。
「アンタは一体なにやってんだ!それはナプキン!膝の上あたりに広げるんだよ!」
と、トロルがそっと耳打ちしてくれる。
それでようやく、食事をはじめることができたのだが……その後も、やれスプーンは握りしめるな、指先で軽くもてだの、ナイフをパンに突き刺すなだの、皿を持ち上げて残りをすするなだの、ひと動作ごとに文句をつけられ、味はおろか、なにをどれだけ食べたのかさえ分からないうちに食事は終了。エネルギー補給のはずがヘトヘトに疲れ、胃が重たくなっただけの食事が終了した。
「やれやれ、アンタも疲れただろうが、あたしらも疲れたよ。でもまあようやく、大体のところはすんだ。後は部屋に行って休むだけだね」
疲れ切ってどろんとした表情のトロルがそう宣言してくれた時、同じく疲れ切っていた私は、どれだけうれしかったことか。
よかった!今日一日で死ぬほど恥かいたけど、とにかく後は眠るだけだ!なんとか一日乗り切った……。
安心のあまり、目に涙さえ浮かんだのだが……次の一言を耳にした途端、涙は引っ込み、代わりにしかめっ面が浮かび上がる。
「さあ、それじゃあ、部屋に戻って湯浴みといこうかね」
「だからさ、ついさっき、メシ食う前に散々洗われただろ!なのに、なんだってもういっぺん湯につかって洗われなきゃいけなんだよ!働いてもいねえのにそんなに汚れちゃいねえよ!さっさと寝かせろよ!」
必死で抗弁したのだが、トロルもイエティも首を振るばかり。
「何回も言ってんだろ!たとえ汚れてなくとも、寝る前にゃ湯浴みするもんなの!でもってしっかり温まってから、寝間着に着替えるんだ!上流階級の生活はそういうもんなんだよ!」
「それに、なに、汚れてないだって?バカ言っちゃいけないよ、あんた昼間あんだけ汚かったんだ、夜になる前に内側からまた汚れがしみ出してきてるに決まってるよ!それをきれいに落として、さらにきちんと体のお手入れしてから寝るんだよ!じゃないと、寝床が茶色くなるんだよ!」
「なんだよ、汚れがしみ出るって!あたしはボロ布かなんかかよ!そんなわけあるか!」
「あるんだよ、これが!」
「うそつけ!」
「本当だよ。あたしらがここに来た時もそうだったんだから!」
「……え?」
いぶかしい顔になった私に、二人は大真面目にうなずいてみせる。
「いいのかい?これからアンタが眠るベッドは、お客様用のめちゃくちゃ豪勢なベッドだ。その真っ白のシーツに、アンタかの体の形をした真っ黒なシミがついても?」
そうまで言われたら、さすがに逆らう気も失せる。
仕方なく私は、仏頂面のまま、再び湯に浸かることになった。
とはいえ、昼間のような手荒な「洗浄」ではなく、次の間に用意されたバスタブにたっぷりの湯を張り、その中にゆっくりと浸かるのである。
湯の中で石けんをたっぷり泡立て、柔らかいブラシで体中をこすってもらう。それが、うっとりするほど気持ちいい。この城に来てまだ半日も経っていないというのに、もう体がぜいたくを覚えてしまったようだ。
「ほれ、湯の色をご覧。なんだか薄茶色くなってるだろ?」
そう言われて目を凝らすと、確かにうっすら色づいているように見える。
昼間あんなにこすられたのに?まだこんなにあたし汚かったのかよ?
愕然とした顔で湯を見ていると、トロルもイエティも、にやりと笑う。
「どうだい?言ったとおりだったろ?」
「うん、あんた方の言うとおりだった。なにも知らないのに逆らって、すまなかったよ。ごめんなさい」
泡をポタポタ落としながら ぺこりと頭を下げると、二人はしたり顔でうなずき合う。
「分かりゃいいのさ。さて、それじゃ仕上げといこうか」
バスタブの中に立たされ、桶の中のお湯を景気よく頭かけられて「湯浴み」は終了。ふわふわの敷物の上に立たされ、頭のてっぺんからつま先まで「タオル」とかいう柔らかい布で拭き取られた後、ようやく合流したオーガから仕立てたばかりの肌着を手渡され、身につける。
昼間着替えたばかりなんだから、それをもう一回着ればいいんじゃ、と言いかけたのだけど、トロルがしぶい顔で顔を横に振るので、おとなしく新しいものに着替える。
全身にいい匂いのする油をすり込まれ、爪にヤスリをかけられ、顔になにやら塗りたくられと、これから料理されて皿に盛り付けられるのか、というぐらい入念に、わけの分からない儀式につきあわされて……それでようやく、寝間着とやらに着替えることが許された。
「なあ……この寝間着ってヤツだけど……」
最後の抵抗とばかり弱々しく口を開いたところで、オーガがじっと正面から私を見つめる。
「アンタのいいたいことは、大体分かる。一日ずっと同じ服着てりゃ楽なのに、なんだってこう、何回も何回も着替えなくちゃならないのか。こんな寝間着なんかじゃなくて、普通の服で寝りゃいいんじゃねえのか。まことにもっともだよ。だがな、今度ばかりは着替えなくちゃならねえきちんとしたわけがあるんだ。アンタが今まで着ていたドレスな、あれにはところどころ固いホネが入ってて、形が崩れないようになってる。そのまま寝ると、とんでもなく寝苦しいのさ。だったらなにもかも脱いで、肌着のままで寝りゃいい?いやいや甘いね、肌着だと、腕やら足やら中途半端に外に出てるだろ?そのままベッドに寝ると、そこだけくっきり、ベッドに茶色い跡がつくんだ。そうならねえよう、最低限の汚れですむように寝間着を着るんだよ。分かったかい?」
いくら当時の私が無知で愚かなきかん坊でも、ここまで懇切丁寧に説明されれば、さすがに納得する。
ということで、おとなしく寝間着にくるまった私は、そのままベッドに入り……長い長い一日はようやく幕を下ろすことになった……はずだったのだけど。
あまりにベッドがふかふかで柔らかすぎるせいか、ちっとも眠気がやってこない。
体はともかく、心はヘトヘトに疲れ切っているはずなのに、いざ目をつぶると、頭の芯が冷たく冴え、次から次へとめまぐるしくいろいろな想念が思い浮かんでくるのである。
……メリッサ・ブラックバーン辺境女伯様か。泥まみれになって動物の世話をするほか芸のない私のような小娘をわざわざ探し出し、城に招待してくださったってのに、お目にかかってすぐ、機嫌を損ねちまった。なぜそうなったのかはよく分かんねえけど、きっとなんか、無作法なことをしでかしちまったんだろうな。一体、私のどの言葉が失礼だったんだ?それとも、言葉じゃなくて、心の中で「あ、夢で会ったあのおばちゃんだ!」と一瞬思っちゃったのが伝わってしまったとか?なんにしろ、せっかくの好意を無にしちまって、ほんと申し訳ないよ……。
それにしても、あの方、父様のこと、知ってるっぽかったけど……一体、父様とどういう関係が?
あのナイフを見て、なんか言ってたよな?「ドロレスの牙」だっけ?あれ、ナイフの名前なのか?いやまさか、ナイフに名前をつけるだなんて、そんな子供じみたこと、上流階級の奥方様はしないよな?それにあれは父様のナイフだし、父様が名前を呼んでたのなんて聞いたことがないし……。
そういえば、代わりの者を寄越す、とか言ってたけど、今日は一日洗われてメシ食って着替えて洗われてで終わっちゃった。一体いつ、その「代わりの者」ってのがやってくるんだ?まさか、あのモノノケ三人組が「代わりの者」なのか?。
それにしても、てっきりお城の人たちは気楽に楽しく、毎日のんびりと暮らしているとばかり思っていたけれど、こんなに大変だったんだな……覚えきれないほどの決まり事があって、なにをするにもいちいち大仰に人の手を借りて……やっぱりあたしにゃ無理だ、こんな生活続けてたら、絶対息が詰まる……。
さまざま思い悩みながら、ごろんごろんと何度も何度も勢いよく寝返りを打っているうちに――あまりにマットが柔らかすぎて、勢いをつけて転がらないと、寝返りさえできないのだ――いつの間にか、時間が経っていたらしい。
気がつけば、真っ暗だった部屋の中が、うすぼんやりと明るくなっていた。
普段なら起き出して身支度を始める時間だ。
その頃には、私の心は決まっていた。
よし、決めた。荷物を返してもらったら、すぐにここから立ち去ることにしよう。なんのご恩返しもしないままいなくなるのは心苦しいけれど、メリッサ様は、私の姿を見るだけでご不快の様子だし、さっさと姿をくらました方が、きっとご安心なさるはずだ。うん、そうしよう……。
思い悩んで末にはっきりと心を決め……それがよかったのか、私はようやく、すうっと眠りの世界に引き込まれていた。
のだけれど……。
気がつくと、顔のすぐ横に、母様の切り裂かれ、無残に崩れた顔があった。
はっと身を固くし、悲鳴を上げて逃げだそうとするが、どういうわけか声が出ず、指の一本すら動かすことができない。額にびっしりと脂汗を浮かべ、横目で母様を見ているだけで精一杯なのである。
そこへ、母様がぐうっと身を乗り出し、額と額のくっつきそうな距離から、うつろな穴だけとなった目で、じっと私を凝視する。
「なぜえ……ここへ……きたあ……」
動かない頭を無理に左右に振り、私は必死で伝えようとする。自分から望んできたのではない、半ば無理矢理に連れてこられてしまったのだと。
「なぜえ……すぐに帰らない……」
目に涙があふれるが、それでもやはり、声はでないまま。それでも私は必死で、ここにいるのも望んでのことではない、と伝えようとする。
そこへ、母様の長く冷たい五本の指が、そっと忍び寄るように私の顔をがっちりとつかんだ。
「お前はあ……幸せになれないい……どこで何をしても……決して……幸せになれない……幸せになど……決してさせないい……させるものかあっ!」
ささやき声が強まっていくと同時に、母様の指先に力が加わり、どんどん顔に爪が食い込んで……ついに、ごしゃ、という音と共に、私の頭骨は砕け散った。




