041話 ミズリーと少年の事件簿
おまた!
「ではな、主。行ってくる」
「ああ、行って来い」
屋敷の玄関で見送る俺。
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
「心配いらないわ、ディズが一緒ですもの」
俺と同じく見送りの言葉を贈るリーファさん。
風吹くように、キャルルとディズがそれに応えた。
「さて、じゃあ行きましょうか」
「うむ」
此方に向かって手(ディズは尻尾)を振りつつ、共に小さくなっていく二人。
というのも、いつの間にかこの二人、俺の想像以上に仲良くなっていたらしい。
同じ屋敷で暮らしているのだから当然と言えば当然かもしれないが、ディズが俺以外の人間に懐いたのは少し意外だった。
まぁ、だからと言って如何というわけでもないのだが、それで今日は二人一緒に出かける約束をしていたようなのである。
因みに俺は二人が何処に行くのか知らない。
『秘密じゃ♪』と言っていたので、女性限定空間へ行くと俺は予想している。(たぶんね)
で、リーファさんはメイドの仕事があるので居残り、俺は今からフリータイムというわけだ。
「む……貴様と二人きりか……」
「……なぜ掌を握り締める……」
冗談のようで、しかし本気で冗談に思えないのは何故だろう……。
最近、事あるごとに俺に暴力を振るおうとしてくるリーファさん。
日が増す度に、こちらの仲は遠のいていっているような気がする。
「ではな、私はこれから仕事に戻る」
その声を聞こえてすぐ、俺の傍にあった気配が消えた。
今すぐ振り向けば、あるいは姿は見えたかもしれない。
少しは気になったが、俺は振り返らずに空を見上げることにした。
「…………」
頭上は曇天。
朦々とした空はどこか心寂しい。
ずっと見つめていると、俺の心模様も灰色に染まってしまいそうで。
「……散歩に行くか」
なんとなしに一人呟いて、俺はその場を後にした。
屋敷を出て十分くらい経った頃だろうか。
ちょうど貴族特区とやらを抜け出た辺り。
家と家とのせまい隙間で、俺は怪しい人物を発見した。
「うんうんう~~ん」
何をしているのか、地面にしゃがみ込んで頭を振っている。
人生に疲れた世迷い人が、今まさに悩んでいますと言いたげなその振る舞いは――――あれっ!?
「ミズリーッ!?」
「あっ、アキヒトくん!?」
ミズリーが顔を上げて驚く。(ついでに俺も)
そして何してるんだと言う暇も無く、俺の方へ駆け寄ってきた。
「どうしよ~アキヒトく~ん!」
そのままの勢いで抱きつかれる。
「オイ」
人肌の温かい感触が胸を打ち……違う違う違う。
・
・
・
「財布を落としたぁ~?」
「う、うん……」
理性を宥めて事情を聞くと、どうやらそういう事らしい。
いきなり抱きつかれたのにはビビったが、これはこれで大変なことだった。
「子供がね、走ってきて……」
少し前、ちょうどこの辺で少年とぶつかったそうだ。
少年はミズリーを無視して走り去ってしまい、ミズリーも仕方ないと思い目的地に向かった。
財布がないことに気付いたのはその少し後。
さっき落としたんだと思って急いで戻ってきたのだが、肝心の財布は見つからず……。
俺が見つけたのは、財布を失くして途方に暮れていたミズリーの姿だったということだ。
「どうしよう……これからルルちゃん達と待ち合わせてるのに……」
ああ、ミズリーもだったのか。
「キャルルに貸してもらえば?」
「うん……だけど……財布、大事な物も入ってたのに……」
ちょっと涙ぐむミズリー。
ここで彼女を放っておけるような奴は紳士の風上にもおけない。
そして勿論、俺は紳士の中の紳士であることは疑いようがない。(そう在りたい)
「じゃあ探すか?」
「……え?」
「財布」
「う、うん」
そうとなれば話は早い。
「ぶつかってきた子供を探そう」
「え? どうして?」
「犯人だからだ」
「えええっ!?」
想定していなかったのか……ふむ、これからは気をつけてもらいたい。
そも奴等は此方に存在を気付かせない。絶え間ない警戒が必要なのだ。
手慣れた奴なら、完全に気付かれずに胸元まで手を入れることさえ可能だと聞く
「で、でも子供だよっ?」
「いや、子供の方が警戒され難いから有利だろう?」
街が発展していれば自ずと治安は良くなる。
だが、それでもあぶれる者は何処にでもいるということだ。
「となると……向こうの通りが怪しいな」
街の北側に貴族特区があるのだが、その反対側。
裕福層が幅を利かすこの街の南側に貧困層のエリアというものが存在する。
噂に寄るとそこまで酷いものじゃないらしいが、だからこそ治安の良いこの街では厭でも目立ってしまう場所なのだ。
「まだ言うほど時間は経ってないんだろ? 急げば間に合うかもしれない」
一類の望みを懸けて、俺達はその場所へ向かった。
紙屑が風に吹かれて道端に舞っている。
人気のないその薄汚れた通りを、俺達は突き進んでいた。
「……なんだか気味が悪いね」
「まぁ、飄々とはしてるわな」
見渡せば全容を掴める、決して広くはない界隈だ。
だから、それに出くわしたのは偶然ではなかったと思う。
「変ないちゃもんつけてんじゃねーよ!」
唐突に響く男の怒声。
「ぐがッ?!」
「きゃっ!?」
続いて、少年が勢いよく家屋の中から転がってきた。
目の前で何事が起きたのかと、俺達の歩みが止まる。
「はん……しかし上手くやったもんだな。これだけの大金を……貴族でも襲ったのかぁ?」
「……くす……り……」
「だから売ってやっただろうが。高い高い薬をよお!」
「ごふっ……これ……ちがう」
「お前の言った薬なんざ最初からありゃしねーよ! おら!」
男が蹲る少年に追い打ちをかける。
「ぐぶ! ……く……かはっ!」
子供にさえ容赦のない重い蹴り。
少年はじっと黙って男の猛攻に耐えていた。
体を丸めて、ただ只管に理不尽な暴力から耐え忍ぶ。
「やめてーーーー!!!」
堪えられなかったのはミズリーの方だった。
「あぁ? 誰よお前ら?」
「あなたこそ、何をしてるのかわかってるのっ!?」
ミズリーの激しい叱責。
だが、相手がそれに気圧されることはなかった。
「お前ら……まさか貴族か?」
「だったら何っ!!」
「……はっ、何でもねーよ」
ニヤつく口元を隠しもせずに、男が離れる。
その後ミズリーが慌てて少年に駆け寄った。
「大丈夫!?」
「あ……う……」
「待っててね、すぐ病院に――――」
「――――かっかっかっか!」
見ていた男が腹を抱えて笑う。
おかしくて仕方がないといった感じだ。
「何がおかしいの」
「くく、病院に連れてってやるのはいいが……金は誰が払うんだ?」
「ッ!」
その言葉で俺は気付た。
ミズリーの財布をスッたのはこの少年かもしれないと。
お金がないから盗みを働く……生きるために仕方なく。
生活が厳しい貧困層にとっては、これほど単純で明確な理由はない。
「傷が治ったらどうするんだ、え? お前がそのボウズを養ってやるってのか?」
「親は……この子にも親がいるんでしょ!?」
「いるとも。床に伏せった母親が一人だけな」
「え……」
朧気にわかってくる。
少年が財布を盗んだ動機……その背景。
「くっくっく、そしてその息子は犯罪者ときた」
「…………!」
「母親の病気を治すために平気で人様の金に手をつける野郎だ。まったく、それを知れば母親はさぞかし悲しむことだろうな」
そう言って、男がポンっと財布を捨てる。
彼女の反応を見ずとも、それがミズリーの財布なのは間違いなかった。
「っあなた――――!」
「――――話は大体わかった」
ミズリーを遮って俺は問う。
「その金は彼女の物なんだ。返してもらおうか」
「はぁ? ……まさかこいつを追いかけてきたってのか?」
男の顔が歪む。
「そりゃあ残念だったな……もうこいつとは取引した後だ。この金はもう俺の物だ」
「あ?」
「こいつはこの金で俺の商品を買ったんだ。あぁ、当然だが返品は利かねーぜ?」
笑みを浮かべていた。
「それを何度言っても聞かねーから、俺がそいつをお仕置きしてやったのさ」
「……騙したのね!?」
「そいつが“お母さんの病気が治る薬”が欲しいなんて言うからよぉ、俺は“一番高い薬なら効くかもな”って言っただけだぜ? 勝手に勘違いしたのはそいつの方さ」
「そんな……ひどい……!!!」
話を聞いたミズリーが怒る。
当り前だ。少年の脇に転がっている薬は魔物用の麻痺毒。
騙されたのは少年で、勘違いしたのも少年で、お金を奪ったのも少年だった。
「うぁああああああああ!」
横たわって話を聞いていた少年が、突如として叫び声を上げて男に向かう。
「え!?」
「はっ!」
一体何処に、これだけの力を隠していたのか。
それは渾身の力を振り絞った少年の、最後の足掻きだった。
「"赤呪"」
男が呪う。
魔力が放たれた。
灰色と赤色の混じった嫌な色だ。
「ッ!? 危ないっ!」
俺が動くその前に、ミズリーが飛んでいた。
これ以上ないというタイミングで少年の前に出るミズリー。
迫りくる魔力を受け止めるように両手を前に差し出して――。
――パァン!
と、それが弾けた。
「何!?」
「え……」
狼狽する男。
少年もまた動きを止めていた。
「大丈夫か?」
「あ、うん。……これがあったから」
不思議がる俺に、ミズリーが見せてくれたのは手に持っていた財布。
中から出てきたのは、見覚えがある六角形の古惚けたお守りだった。
「これね、魔除けのお守りなの」
「成程」
男の魔力を退けた魔除けのお守り。
キャルルの持っていたものと同じ……そうか、ミズリーの探してた大事なものはこれか。
「よし、じゃあ戻るか」
「え? ちょっと待って、まだ……」
「すまん、もう終わった」
「え?」
男はすでに立ったまま意識を失っている。
金も取り返したし、ついでに薬も返しとこうか。
「いつの間に……」
探してた財布も見つかったし、もうここには用はない。
そう思って俺が立ち去ろうとすると、ミズリーが少年の前にしゃがみこんだ。(ああ、忘れてた)
「立てる?」
「あ……」
放っておけないらしい。
俺としては、少年をしばいて即終了にしたい所だが……今は様子を見守ることにした。
図らずも事情を知ってしまったミズリーが、この少年をどうするのかを知りたかったからだ。
「だ、いじょぶ……」
目に見えて苦しそうだった。
ので、少年の手を取り治癒魔法をかけてやる。
わずか数十秒で、少年の身体の痣や傷は消えていった。
「あ……あつ……!」
「アキヒトくん! すごい!」
「元々そんな酷いケガでもなかったしな」
軽傷の傷なんて、ディズにしょっちゅう負わされてる。手慣れたものだ。
「ねぇ、君は薬が欲しくてお金を盗んだのかな?」
「あ……ごめ、ごめんなさいっ!」
少年は頭を下げて謝っていた。
悪いことをした、という自覚はあるらしい。
それでも盗みを働いたのは、それだけ薬が欲しかったということか……。
「うん。ちゃんと謝れる君はいい子だね。でも、どうしてお金を盗んだりしたの? 他に方法はなかったの?」
「だって、僕の家、貧乏で……お母さんと僕しかいなくて……お金がないから病院にも行けないし、お母さんが倒れても、誰も僕らのことなんか助けてくれない……」
お金がなくて身寄りもいない。
少年はまだ働ける年でもなく、唯一働ける母親は病魔に倒れた。
病院に行くだけなら、なんとかなったかもしれない。
しかし動けるのは少年だけだった。
母親を助けられるのは少年しかいなかったのだ。
「君が盗んだお金でお母さんが助かっても、お母さんは喜ばないよ?」
「わかってるよ、そんなこと……でも、それでも、そうしなきゃお母さんは助からないじゃないか!」
☆
少年はまだ幼かった。
知恵も無く力も弱い。
それでも大切な人を助けたいと行動した少年は、悪という道に走らざるを得なかった。
たったそれだけの話。
「僕は、どうなっても良かったんだ……お母さんさえ元気になってくれれば……」
それを誰が責められよう。
自己犠牲さえも厭わぬ少年の覚悟は本物だ。
少年の行動は正しくはないが、そうしなければ彼の母親は助からないとしたら?
「でもね、それでも……大切な人を助けたいと願うなら、その人の気持ちも考えてあげないといけない。その人の心も、助けてあげないといけない……」
「じゃあどうすればお母さんは助かるの? 教えてよ!」
少年は無力すぎた。
お金を盗んでも、騙されて、殴られる。
現実に裏切られた少年は、それでも母親を助けたいと言う。
「君が一人でどう頑張っても、お母さんは助からないよ」
「!?」
だからこそ、言ってやるべきだと思った。
「君一人の力じゃ、なんにもできない」
「…………!」
だからこそ、知っていてほしいと思った。
「……なんだよ……なんだよ!? それって!」
事実、無理なのだ。
そんな生活が長く続くわけがない。
社会のシステムが、彼らの従う生活基盤が、彼らを追い詰めているのだ。
悪に手を染めれば、確かに母親の命は助かるかもしれない。
でも仮にそうなったとしても、母親の心はどうなる? 少年の未来は?
自分が助かった理由を知った母親は、少年を見て心から笑えるだろうか?
母親を想う心優しき少年は、元気になった母親を見て心から泣けるだろうか?
「そんなのって、ないだろっ!」
言葉を荒立てる少年の瞳は潤んでいた。
悲しくて、辛くて、悔しくて、怒りが涙に変わる。
「そうだね……そんなのは、ないよね……」
一度死にかけた親友の姿が頭に浮かんだ。
その時に感じた気持ちを、私は忘れない。
「……許せない、よね」
私は恵まれていた。
お金も友達も環境も、それは恵まれてきた。
貴族の家に生まれたという理由だけで、きっとこの少年とはまったく違った生き方を私はしてきたのだろう。
そんな私では、偉そうなことを言える立場ではないかもしれない。
「でもね、私なら助けられるかもしれない」
「……え?」
それでも、そう言ってあげられるのも、今ここにいる私達だけだと思うから。
「君が助けてって言えば、私は助けてあげるよ?」
「……そんな、だって……関係ない、じゃないか」
「君は誰かに頼った? 助けてって言った? 物を盗む前に、一人でなんとかしようと思う前に、君はちゃんと誰かに助けを求めた?」
「……いないよ、そんな人。ここの人は皆、自分のことで精一杯だから……」
どうしようもない事なんて世の中には沢山ある。
今この瞬間にも、世界の何処かには泣いている人がいる。笑っている人がいる。
そんなことが当り前の世界だけど、でもそれが、私達の生きている場所だから。
「じゃあ、どうして私には何も言わなかったの?」
独りだけじゃ、辛すぎる世界だから。
「……それは、だって」
だからこそ、私達は助け合おうとするんだと。
「君が本当のことを言ってくれれば、私は助けてあげたよ?」
そして私達は、助け合えるんだということを。
「ホント、に……?」
そのことを、少年に知っておいて欲しかった。
「君が私のことを信じてくれるならね♪」
少年にとって、この世界の人々は冷たい人ばかりだったのかもしれない。
けれどもそんな人達ばかりではないのだと、応えてくれる人もいるのだと、知って欲しかった。
そして少年にも、そんな心優しい人間になって欲しかった。
何より私が、そうなることを望んでいた。
たとえこの世界がどんなに残酷だったとしても、せめて私の関る世界だけは、そんな優しい世界であって欲しいと――――。
「今度はちゃんと頼ってくれるかな?」
私はそう――――望んでいるから。
「うん!」
†
結果、少年の母親は助かった。
あの後少年の家に訪れて母親を見舞うと、ある事実が判明したからだ。
少年の母親は呪われていた。
頭にへばり付くように黒い靄があったのだ。
俺がその靄を取り除くと、母親はすぐに目を覚ました。
体調が戻るまでにはまだ暫くかかるだろうが、状態はこれから回復に向かうだろう。
少年は喜び、母親も心から礼を言ってくれた。
彼らの苦労に比べたら、俺達のやったことなんて取るに足らないことだけど。
それでもミズリーは泣いて喜んだ……俺もまぁ、それなりに。
だが、彼らの生活が厳しいことは変わらない。
これから先、今回のようなことが起これば辛い現実が待っているだろう。
善意でこの家族を助けることはできるが、貧困に苦しんでいる人々は彼らだけではないのだ。
彼らだけを助けて、他の誰かは救わない……それは、なんて偽善――――。
「――――あの、これを受け取って下さい」
ミズリーはそれを良しとした。
「……そんな大金、受け取れません」
「えっ?」
いや、それは偽善でもなく、ただの自己満足なのかもしれない。
そこにどんな思いがあるにせよ、彼女が家族を救おうとしているのは確かで。
「私の病気を治して下さったことだけでも、あなた方には感謝しきれないというのに……それに子供まで助けて頂いて、そのうえ施しなど、私達には受け取る資格はございません」
素直に受け取ればいいのに、と思う。
そのお金があれば、今よりも生活は随分と楽になるはずだ。
謙虚は結構だが、それは命と釣り合うものでもないだろう。
「でも!」
「いいえ、お気持ちだけで十分です」
なのに、少年の母親は頑なだった。
何度ミズリーが迫っても、一向に変わらない。
「……なァ、この家で一番大切な物はなんだ?」
だから、だろう。
ミズリーと母親との会話を眺めながら、俺は少年に問いかけていた。
「一番? 一番はやっぱり手拭いかな?」
「手拭い?」
部屋の片隅に、それは祭るように飾ってあった。
全体が煤けて一部が破けてしまっている。
限界まで……いや、それ以上に使い込まれた手拭いだ。
「あれね、お父さんの形見なんだ。他の人にはごみに見えるかもしれないけれど、いつもお母さんは大切にしてて……僕はお父さんのことをよく覚えてないけど、お母さんの一番大切なものが僕の大切なものだから」
そっか、と俺は答えた。
「その手拭いは俺が貰おう」
「え!?」
「ッ!?」
驚いたのは少年と母親だ。
その反応だけでもどれだけ大事なものなのかが伝わってくる。
「俺が何の見返りも無しにあんたの呪いを解いたと思うのか? ミズリーはどうだか知らんが、俺はそんなに“良い人”じゃないぜ?」
「ア、アキヒトくんッ!?」
騒ぐミズリーを片手で黙らせる。
「とは言っても、あんたらに金はない。だったら俺はあんたらにとって一番大切なもの……その手拭いを報酬として戴く」
「そ、それは……」
「俺が呪いを解かなきゃあんたの命はなかった。手拭い一つで済むのなら安いものだろう?」
「そん、な……!」
目に見えて狼狽する母親。
それを見て心が痛んだのは俺だけじゃない。
「そんなことさせない!」
少年が俺の前に立ちふさがる。
「なんのつもりだ?」
「させない! そんなこと僕がさせるものか!」
小さな少年は小さな両手を広げて、俺を止めようとしていた。
「また痛い目に合ってもいいのか?」
「関係ない!」
「……そうか」
俺は手をグーにして振り上げる。
誰一人動けない中、それを少年へ振りおろそうとして……。
「やめてください!!!」
母親がそれを止めた。
「お願いします。どうか子供には手を上げないで下さい……手拭いは、差し上げますから……」
「ダメだよっ! お母さん!」
「いいのよ、それで私とあなたが助かったんだから……彼の言うとおり、病気が治らなければ私達は……」
「で、でも……」
そう、彼らに選択肢はなかった。
俺の言うとおりにするしか、彼らは生き残る術を持たない。
どちらを選んでも苦痛を伴う……それはやはり残酷な現実なのだろう。
「よし、なら、お前はこれを持っとけ」
「え?」
それを払拭するように明るく努めて、開いた拳からポンっと数枚の金貨を少年に渡す。
俺の資産の半分もの金額だ……まさかこれで足りないなんてことはないだろう。(あれ? 俺、金銭感覚麻痺してる?)
「あ……え?」
「あんな汚ねー手拭いは保管場所に困る。だからお前に預けとく」
俺は決定事項を淡々と述べた。
「つってもあれは俺の物なんだから大事に扱え。絶対失くしたりすんなよ?」
「あ……」
かなり強引だな、と自分で思いながら。
「あんたらが死んだら俺の手拭いもどうなるかわからないからな。だからその金を渡しとく」
「……いいの、ですか?」
さすがにここまで言えば、俺の考えがわかったのだろう。
まったく、素直にミズリーから金を受け取っとけば、俺がこんな芝居をする必要もなくだな……いやまぁ、楽しかったけど。
「その手拭いが無事ならそれでいいさ」
「……ありがとう……ござい……ます」
母親の深いお辞儀。
少年が謝った時と同じ、今度は感謝の礼だ。
その震える声を受けた後に、俺は少年へと向き直る。
「あと、そうだな……おまえに一つ、俺からヒントをあげよう」
「ヒント?」
実は、少年の傷を治した時に少しわかったことがある。
「魔法ってのは意思の力だ、お前の心がそれを現実にする」
「まほう?」
聞き返す瞳は、穢れのない純粋な輝きを放っていた。
だから、俺は敢えて多くは語らないでおこうと思う。
「おまえはもっと強くなれるってことさ」
この少年を導くのは俺じゃない。
少年を縛りつけるようなことはしたくなかった。
彼の未来は、まだ幼いが故に可能性に満ち満ちているのだから。
「本当に……本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません」
きっとこの母親が、少年を正しく導いてくれるだろう。
「別に俺はやりたいようにやっただけですから、感謝ならミズリーにして下さい」
「何言ってるのー♪ 全部アキヒトくんがやったくせに♪」
……成程。言われてみれば、病気を治したのもお金を上げたのも俺なのか。
くっ、さっきまでの俺が紳士すぎて、今さら恩着せがましいことなんて言えない!(別にいいけど!)
「あー……なんだ、まぁ紳士としてレディにお金を出させるわけにはいかないというか……」(自分に対する言い訳)
「むふふふふ~♪」
なんだ、俺の顔を見てニヤニヤするな!
「じゃあ、そろそろ行くわ」
ミズリーの視線が居心地悪かったので、お暇することに。
「元気でね! 私が言ったこと、忘れちゃだめだよ!」
「うん! ありがとうお姉ちゃん! お兄ちゃんも!」
「それじゃあ、またね♪」
少年とその母親はずっと玄関先から離れないまま、俺達が見えなくなるまで手を振ってくれていた。(ミズリーも)
俺はと言うと、ちょっと手を振り続けるのは疲れるので、代わりに手を上げるだけに留めておいた。(片手な)
「アキヒトくん、優しいね」
ちょうど親子が見えなくなった辺りで、ミズリーが俺にそう述べた。
正直、財布を取られた少年を助けた彼女の方が数倍優しいと思う……いや、少女だったら俺もそうするかもしれんが。
「別に、そうでもないけど……」
俺はただ、もったいないと思っただけ。
あの母親の頑なな姿を見て、少年の一途な思いを知って、少し情が沸いただけだ。
別に誰に対しても優しいわけでなく、こと女性に関してだけ甘くなるのだ。俺は。
「……紳士だからな」
俺の目指す紳士は、女性と品格を大切にするのだ。
「ところでミズリー」
「なぁに?」
「キャルル達との待ち合わせはいいのか?」
「あ……」
実はかなり前から気になっておりました……。(やはり忘れていたか)
「ご、ごめんアキヒトくん! 先に行くねっ!」
「財布は失くさないようにな」
「わかってる~!」
あっという間にミズリーが遠ざかる。
その姿が見えなくなるのを確認してから、俺は曇った空を仰いで呟いた。
「さて――――」
「ぐわあああああああ!!!」
男が痛みに耐えかねて叫ぶ。
声が外に漏れないように、俺は男の口を鞭で塞いだ。
「お前は3つの罪を犯した」
男の体は鞭に締め付けられていて自由はない。
「一つ目は少年を騙したこと」
「んん!?」
徐々に締め付ける力を強くしていく。
「二つ目はミズリーに魔法を使ったこと」
「んんんん―――!!!」
並の力では体験できない痛みを与える。
「そして三つ目は……少年の母親に呪いをかけたことだ」
「んんんんんんんーーーーーーーー!!!!!!」
呪いに触れた瞬間に理解した。
この男の魔力と同じ、どす黒い色、愚劣な意思。
少年を騙した事も、少年の母親が病に倒れたことも、最初からこの男に仕組まれていたことだったのだ。
「『人を呪わば穴二つ』って言葉、知ってるか?」
「んんーーー、んんーーー!!!???」
恐怖と痛みに身を強張らせる男に、俺はわかりやすく教えてやる。
「穴ってのは墓穴のことだな。“呪い”は“報い”で返されるらしいぜ? だから、呪った相手の墓穴と自分の分の墓穴……その2つが必要になるんだ」
俺の手には少年の母親から取り除いた呪いがまだ生きている。
その場で消してしまうこともできたが、俺はそうしなかった。
「あぁ安心しろよ、呪いの返品はちゃんと利くらしいから」
その呪いを、持ち主に返してやろうと思ったからだ。
「……もう二度とあの親子には手を出すな。約束だぜ?」
「ん、んんんーーーーーーーーー!!!!!?????」
パソコンの画面が真っ暗になった!(ビビった)
バックライトが切れてたみたいで!(あーそう)
修理に二万円ちかくかかったとさ!(時間もね)