042話 薄幸のシア
『白光のシア』→『薄幸のシア』
タイトル変更しました。
まあ、別に最初の方も間違ってはいなかったので、両方の意味が掛ってます。
――ザァァァァァァァァァァァ。
雨が降っていた。
土砂降りというほどでもないが、本降りと言える。
午前中にミズリーと出会い、色々な事があった。
まあその時の事はさておき、適当に街をぶらついて昼飯を頂いた後のことである。
思えば初めから天気は良くなかった……曇天極まる灰色の空の下、雨が降り出すのは時間の問題であったらしい。
――ペラ。
堰を切って降り出した雨粒に、俺が避難したのは近くにあった図書館である。
だんだんと強さを増していく水滴は、俺が暫くの間、図書館から離れられないことを雄弁に物語っていた。
――ペラ。
で、この前は思いっきり図書館で惰眠を貪ってしまった俺。
今度こそしっかり調べようと意気込んで、空いてた席を勝手に拝借。(雨のせいか人が少ない)
潤いの雨音をBGMにしながらも、俺は専門書の読破に力を注ぎ込むことにしたのだった。
――パタン。
「魔法基礎理論における歪時空間軸の変容と曲面振動数との関係」
少し読み終えた所でタイトルを音読してみた。
どうだろう? この意味不明な語列を眺めた感想は。
俺の手にする専門書の、その一端でも難解さに触れて頂ければ幸いである。
「ダメだ、さっぱりわからん」
なんで俺はこんな本読んでいるんだろう?
適当に分厚い本を選んだのは失敗だった。
今度はもっと簡単でわかりやすい物を読む事にしようと思う。
・
・
・
「さて、どうするか」
悩む、真剣に。両手で頭を掴んで悩む。
あれから二時間は経っただろうか……外界を侵略する外敵は未だその勢力を温存している。
無駄な労力を費やしている雨粒を尻目に、俺は異世界探索の手段に限界を感じ始めていた。
「マジでない」
資料が、情報が、手掛かりが。
異世界に通ずる何もかもが、一切合切出てこない。
こんなにデカイ図書館なのに、国でトップレベルの品ぞろえであろうはずなのに、これは一体どうしたことか……。
思えば、図書館に手掛かりがあるということ自体がおかしいような気もしないでもない。
俺が異世界人であることはたぶん間違いないが、その存在がここでは全く認知されていないというのも変だ。
無論、精霊などに関係する精神世界なるものは、この世界では存在しているらしい。
が、これは使い魔の召喚や妖精の言ノ葉(未来予知)などで知られる多次元世界との交信に関係したもので、異世界のそれとはまた違ったものであるようなのだ。
他にも次元空間に穴を開けて時間渡航を行えるかもしれないという机上の空論や、パラレルワールドを意図した意識介入など、本当か嘘かもわからない眉唾もの話も多い。
真意のほども知れず、かと言っていかんせん専門的過ぎるものは俺の手には負えない。
全く、俺達がこの世界へやって来たのは国家機密レベルのイレギュラーということらしい……これでは謎は深まるばかりだ。
「……そもそも勇者召喚ってのがなぁ」
目を瞑って、なんとか姫様の言を思い出す。(名前なんだっけ?)
確か、魔王のくだりからアルメキスの勇者についての話……。(詳しい事は思い出せない)
ああ、ディズがいれば何か分かったかもしれないような、そうでもないような。(期待はしない)
話が逸れた。
まぁ簡単に言えば、その勇者云々の話。
それがどこをどう探しても見つからないわけである。(伝承だからか?)
これは困った困った困ったさん……いや、逃避はやめよう。事は重大だ。
国が違うからなのか、どうなのか。
アルメキス……じゃなかった、今度はアルマ帝国(?)に行ってみるのも悪くないかもしれない。
「あるいは魔王と会うか……」
殺されるかも? わからない。
今はまだ分からないことが多すぎる。
だから悩んでいても仕方がないと自分に言い聞かせる。
今はただ、流れに身を任せてみよう。
そう思えるくらいには、俺もこの世界に慣れてきた。
それより何より、俺にはこの街でやるべきこともあるのだから――――。
「――ふう」
取り敢えず、気分を変えようと思い立つ。
ここは図書館。だとすれば俺の為すべきことは一つ。
「小説を読もう!」
俺は自らを鼓舞するが如く、勢い勇んで席を立った。
異世界の小説……勿論、今までにも小説を読む機会がなかったわけじゃない。
童謡や絵本、軽いエッセイなども何度か目を通したことはある。
まぁ、その時には文字を覚えるためだったり必要に駆られていたりしたからで、純粋に娯楽を求めて……というのは今回が初めてかもしれない。
「読書家の俺としたことが……」
なんたることだ、と軽く自嘲しながら小説スペースへと足を向けて、その歩みはすぐに止まった。
「あ……」
視界に映る、真っ白に染まった美少女。
肩までかかる乱雑な白髪に、透き通るような白色の肌が眩しい。
着ている服も白い薄手のワンピースなので、一点、逆に彼女の紅い瞳が強調されている。
一瞬、本の妖精かと見間違うほどに神秘的な隔たりがそこにあった。
まるで彼女のいる空間だけが、世界から切り離されているような……そんな距離感。
アルビノの少女だった。
いや、名前を知らないので便宜的にそう呼んでいるだけだが……。
少女は俺の事などまるで気にも留めない様子で、小説コーナーから本を一冊抜きだして去っていく。
「…………」
いったい何時からいたのだろうか?
それとも何時でもいるのだろうか?
――――良い機会だ。
俺はこの前の雪辱を忘れたわけではなかった。
あの時に負った精神的ダメージは今、炎となって燃えている。
俺はその炎を胸に小説を一冊、本棚から適当に選び出してすぐさま少女の後を追った。
†
――――少し、気になっていた。
文字を追う目線はそのままで、私の思考は別の所にあった。
態々私の前に座り込んできた青年。
初対面のはずだと思う……とは言っても、私は他人に興味がない。
もしかしたら前に会っていて、私が気付いていないだけかもしれないけれど……。
――――本を読むなら別の場所で読んで欲しい。
間違っても声に出しては言わないが、そんな感情が芽生える。
ここは私が本を読むための空間だ、私以外の人間はいらない。
なのにこの男がここにいることが不可解だった。
誰にも近寄らせないように、この場には人払いの魔法が掛っているはずなのに。
……魔力に対する抵抗力が高い人間であるなら、確かに人払いの魔法は意味を為さない。
しかし、それを認めるということは私の魔力がこの男の魔力に劣っていることを意味する。
それだけは絶対にない。ありえないのだ。
そこまで考えて、不意に思考にストップがかかる。
……目の前の男が何者であろうと私には関係がない。
関係がないのだから、これ以上私がそこへ意識を割く必要もない。
視界の中に入るのは少し癪だが、それもただの風景と何ら変わりはないのではないか――――。
そう思い、私は手元の小説へと意識を傾けることにした。
☆
この少女はやはり手強い。
俺が臆面も無く少女と対面の席へと腰を下ろしたにも関らず、やはり反応はなかった。
それどころか、放置プレイしか選択肢はないのかと小手調べに放った挨拶も、悉く無視される始末。
一応ここに宣言しておくが、俺はこんな仕打ちを受けても喜びは感じない。
むしろ、そんな相手を屈服させてみたいと歓喜に打ち奮えるこの身である。
そんなわけで、手に取った小説を眺めながらも俺は心の中で少女に向かってほくそ笑んでいた。
――――今こそ、最終兵器の出番である! と。
前回に無様な敗北を決した俺が、今回は何も手札を用意していないということがあろうか? いや、ありはしない。
「この本を見てくれ!」
少女の鼓膜へ、しっかりと届くように声を出す。
言って取り出したのは、さっきまで俺の読んでいた小説とは違う、別の本。
緑色の古惚けた表紙、分厚い紙片、蔓がのたくったような金細工で飾られた――――そう、『賢者の魔導書』である。
魔導書の事件の後、キャルルとリーファさんは本を見るのすら嫌がった。(ディズとキースは興味なし)
そして何故か事の責任を取らされた俺は、半ば強引にこの本を押し付けられたのである。(俺もそんなに興味なし)
「本が好きなんだろ? だったらこの魔導書を読んでみないか?」
「…………」
反応が、あった。
少女の視線が上向く。
明らかに魔導書を意識している目線。
「いや、是非君に読んでもらいたい」
「…………」
にやっと俺の口角があがる。
甘い蜜に誘われた獲物を見て、勝利の美に酔ったのだ。
「私……?」
初めて聞く少女の声。
静かな、それでいて鈴を転がしたような高く澄んだ音。
きれいな声だと、彼女の紅い瞳を見ながら、俺は素直にそう思った。
「読んでくれるか?」
俺の問いにコクっと首を縦に振る。
今まで俺を無視してきたとは思えない仕草だ……やはり、それだけ本が好きなのだろう。
「ふっふ、頑張ってくれたまえ」
その本は黙っていては開けられない。
だからこれは、俺からの意地の悪い応援の言葉だ。
対して、少女は短く簡潔に『そう』とだけ答えた。
*
「グギャァァァァ!!!」
空を振わせる威圧的な魔物の喚声。
それはこの空を暴力で支配する、憤然極まる王者の証。
ワイバーンと呼ばれる翼竜の上げる威嚇の遠吠えが、煤けた荒野に響き渡る。
「来い」
その翼竜の眼下には、頭に括った赤髪を揺らすモンモレットの姿があった。
細剣レイピアを斜めに構え、大きく開いたしなやかな健足が大地を騒然とさせる。
歴戦を生き抜いてきたAランク以上の傭兵だけが持つ巨大な闘気、それが翼竜の本能に火をつけた。
「グギャア!」
小型の翼竜とは言っても、ワイバーンとは紛れもない竜族。
天空から舞い降りるその鉤爪は、生身の魔物なら苦も無く切り裂けるほどに切れ味が鋭い。
触れるだけで生命さえ脅かすであろう尖爪を見て、モンモレットは強化したその体躯で跳躍し爪先の軌道を外す。
「“雷帝”」
空高く舞い上がった直後、モンモレットの体から無数の電流が迸った。
「ゴギャアアアアア!!!」
二人が交差したのは一瞬の出来事だ。
しかしその刹那の時間が、二人の勝敗を分けるに十分な意味を持つ。
雷光が空を染め上げ、煙を上げながら墜落していったのはワイバーンだった。
「よし……!」
――――これなら。
「ギャオオオオオ!!」
そう思った矢先に、またもや荒野に鳴り響く魔物の叫び声。
地面に降り立っていたモンモレットが、もう一度空を仰ぐ。
仲間をやられて激昂したワイバーンの群れが集まってきていた。
群れで生活するという、竜族としては珍しいワイバーンの生態。
群れから離れた一体の翼竜が、死ぬ間際に残した最後の遠吠え。
それが、彼らをこの地に招いたのかもしれない。
「ギャギャギャギャーーーー!!!」
「まったく、騒がしいな」
頭上で数を増やしていくワイバーン達の喧噪に、モンモレットは余裕を漏らした。
――――数で私に勝てるつもりか。
確かに敵は強い。
それが大勢だ、苦戦するかもしれない。
もしかすると、大怪我を負ってしまうかもしれない。
――――面白い。
だが、そんなことは彼女にとって日常だった。
傭兵、それもAランクの傭兵ともなれば、常に死の影が付きまとう。
それを覚悟して、それを乗り越えて、彼女は今この場に立っている。
――――私は勝つ。
体の中を、体の外を、荒れ狂うほどの魔力が駆け巡る。
体中に流れる魔力は電気となって、放電し、帯電する。
自らがその電流に感電しないのは、“中”と“外”で流れる魔力がしっかりと統率されているからだ。
彼女がここまでの域に辿り着いたことこそが、長年の鍛錬の結晶であり、彼女の強さの源である。
「降りてこないのか? ではこちらから行くとする」
モンモレットの赤い真っ直ぐな長髪が蛇のように逆立っていた。
後ろで括ったポニーテールは放射状に花開き、右目を覆っていた長い前髪はその傷跡を飾るように外へと広がる。
彼女の体を纏う電気が身軽で丈夫な赤鎧を程良く彩り、その存在をさらに輝かせる。
その姿はまさに“雷を司る女帝”に相応しく、群がるワイバーンを踏みつぶす雷の化身と化していた。
「“雷帝”」
――――勝って、証明して見せる!
右目の傷跡に、誓った想い。
友と約束した、あの日の夢。
思い、馳せる景色があった。
覚悟を胸に、彼女の体はより一層の熱を帯びる。
彼女の手から豪雷が一本天へと昇り、開戦の幕となる。
荒ぶる神と化した彼女は、ワイバーン達の最期を看取る死神でもあった。
★
ある森の中で、オスカーは敵を睨んでいた。
「グルルルル」
「…………!」
目の前には、成熟した熊に似た、けれども一本の巨大な角を宿した凶暴な魔物。
無論、ただの魔物ではない。その強さはBランクの中でも上位に位置する危険な魔物である。
野生を生き抜く力と頭脳、何よりも角から発する膨大な熱量にこそ、脅威とされる理由が隠されていた。
「……ふーー」
流れ落ちる冷や汗と共に、静かに息を吐いて心を落ち着かせる。
倒せるかどうかもわからない相手と素手で向かい合っているのだ、一瞬の過ちが自らの死に直結することを否が応にも意識させられる。
そんな極限状態の中でも、オスカーの思考は恐怖とは別の所にあった。
――――オスカーは自覚している。
自分は魔力の放射が致命的に苦手であるということを。
自分は魔力の調節がまだまだ未熟であるということを。
そんな彼が目標としたのは、自分と戦闘スタイルの似ていた秋人だった。
秋人もまた、オスカーのように飛び道具を使わない戦法を主としている。
目標とする人物の戦いを見て、オスカーは自分がどうすればもっと強くなれるのかヒントを探していた。
「強化……!」
そして、オスカーが得た解は簡潔だった。
「強化、強化、強化!」
即ち、基礎能力の全面的な向上である。
魔力という形のない力に、器を与える。
魔術師なら誰もが出来て当り前のことではあるが、しかしそれは果てのない作業でもあった。
「まだだ……まだ、こんなものじゃない」
この身を器と見なして、そこに魔力を注ぎ込む。
どれだけの器を作れるのか、どれだけの魔力を注ぎ込めるのか。
しかし、それら魔術師としての限界点は資質によって決められている。
ならどうすればいい?
走れる速さが決まっているのなら? 走れる距離が決まっているのなら?
『アキヒトさんは、一体どうやってそれほどの強化を行っているんですか?』
頭の中には、いつか自分が秋人に問い正した言葉があった。
何度も何度も忘れないように繰り返し唱えた言葉でもある。
『強化、ねぇ……ま、アレだ、お前は走るの速いのかってことだろ?』
『走る速さ、ですか? ……それなりには速いと思いますが』
『じゃあお前、目を瞑ったままでも開けた時と同じように走れるか?』
『それは……』
『お前と同じ体格の奴で、お前より速く走れる奴はいないのか?』
返ってきたのは自分の望む“答え”ではなかった。
『突き詰めていけば、その身体の最善、最良の動かし方が見えてくるだろう』
けれどもそれは、自分とは少し違った視点、少し違った考え方。
『身体を動かす方法なら物理的に限られてくるけどな、魔法に関しては想像力が物を言う。根本は同じでも、その点で魔法は伸び代が大きい。自分に合った、自分だけの魔力の運用法が十人十色あるわけだ』
足の長さが決まっていても、速く走る方法はある。
足の歩幅が決まっていても、長く走る方法はある。
誰よりも、今の自分よりも。
『俺には魔力が視えてるからな、その分イメージし易いってのもある。……お前も一通りは試したんだろう? 今のお前には何ができて、何ができなかった?』
どーでもいいけど、と秋人は笑い飛ばした。
オスカーの内にあった焦燥の陰りは、その時に消えたのだ。
――――オスカーは自覚していた。
魔力の放射が致命的に苦手であるということは、余計な選択肢をオスカーから省いた。
魔力の調節がまだまだ未熟であるということは、今の自分にできる方法の幅を狭めた。
結局、今の自分が手を加えれそうなのは強化しかなかったと言っていい。
今まではそんなことしかできない自分のコンプレックスに苛立っていた……でも、今は違う。
それでいい、とオスカーは思う。
それならば、とオスカーは思う。
――――さぁ、想像しよう。
身体を包む水のイメージ。
オスカーは魔力を“液体”に近い感覚で感じ取っていた。
それはあたかも水分のように、形のない魔力を水に模して身体に纏う。
「強化、強化強化強化……!」
まだ、足りない。こんなものでは全然足りない。
秋人のそれと比べると、纏う魔力は薄い水膜そのものだった。
それでも魔力を上手く捉えることができない今の自分には、一度で強化できる量はそれが限界でもある。
――――だったら、もう一度強化してやればいい。
どうしてそんな単純なことを、今まで思いつかなかったのか。
一度でダメというのなら、二度でも三度でも、何度でも強化してやる。
どうせ自分には他に何も取りえはないのだから、他の全てをそこに注ぎ込めばいい。
「強化ッ!!!」
勿論、そう簡単にはいかない。
気を抜けば今にも魔法が解けてしまいそうなほど、キツイ。
精神的な圧力、長くは持ちそうにない、思考の全てを傾けた故の、一途な魔法だ。
「グルルルルァァァアアア!!!!」
「はァアアアアアアアアア!!!!」
――――ドン!!!
突き出した拳は、一瞬で周りの景色を置いていく。
一撃で敵は消え去り、やはりその一撃で強化は解けてしまった。
高熱に赤く染まった獣角を砕いて、オスカーの拳はその役目を果たしたのである。
そしてすべてが終わった後、これまで経験したことのない筋肉痛に、オスカーは悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
▼
もうすぐ陽が暮れようとしていた。
人気が失せた図書館の片隅で、俺はにやつく顔を堪えられないでいる。
「ん~♪ もうそろそろ、降参した方がいいんじゃないかな~♪」
「しない」
さっきから……否、数時間前からこんな調子だ。
その間、眼前に座る白い少女はずっと俺の渡した本と格闘を続けている。
本を力ずくで開けてみようとしたり、机の角で叩いたり、果ては何かの魔法を使った(これには驚いた)り……。
しかし、それでも本は開かない。
そしてとっくの昔に開かないのが分かっているのに、同じ方法や一風変わった方法(舐めた)で本を開けようと試みる少女。
俺はと言うと、頑張れと応援してみたり、それは違うと指摘してみたり、本の背表紙を舐める無表情な少女を黙って眺めてみたり……この数時間はとても愉快な時間を過ごさせてもらった。(時間経つのが早いわ)
「ヒントいる?」(十回目)
「いらない、必要無いと言った」
微笑む俺に、むっとしながらも平坦な少女の声。
ふっ……まったく、何をそんなに向きになっているのか……。
苛立たしくも健気に本と交流を試みる(そして失敗する)彼女を見るのは、それは楽しい。
だが残念かな、もう少しでこの図書館とさよならしなくてはならない時間が訪れてしまう。
「『ガコガコ(本を叩く音)』……む、『カジカジ(本を噛む音)』……むぅ」
………………、…………。
とても名残惜しい……嗚呼、時の流れのなんと無常なことか。
この世の儚さを憂いつつ、俺は未練を断つために声を荒げた。
「しっかぁ~し! 時間切れえええええええ!!!!」
「…………!!」
本を握りしめて離さない少女をなんとか宥めて、俺は続きを紡いだ。
「さて、時間が来てしまったので、これから正解を公表します」
「…………」
あまり表情からは読み取れないが、機嫌が悪い気がする。
そう思いながら、気持ちジト目で睨んでくる少女に合図して、俺はゆっくり声を出した。
「皆世、秋人」
ぽわぁっと、ぼんやり発光する魔導書。
開いたページには、俺の記憶で構成された出鱈目なフィクションが記されていた。
あらすじを読んだ限りでは、俺が釣り人になって、今まで俺が出会った人達(登場人物)と対決しながら海や川の環境破壊をどうにかする……と言った感じの物語らしい。
とりあえずの確認事項として、あの変な爺さんは出てこない。(秘密もばらさないでいい)
おそらくは俺が魔導書の魔力を捕獲した際に力を削ったからだろう。
それから、記憶の自動書記も不可解な物語に変更されて、ランダム出力されているようで。
確かこの前に見た時は、俺はたった一人で山奥の先住民達(キースが首領)と戦っていた。
付属の栞を使えば、途中の話でも消去されずに読めるみたいだが……他の人が使うとリセットされる。
……まあ、俺のせいで賢者の魔導書が劣化してしまったというわけだ。
不思議と罪悪感は沸いてこない。むしろ劣化版の方が安心感を持てる。
というより、賢者の魔導書はただの魔導書と成り下がったのであった。
「……なまえ?」
そう、それが本を開くための鍵となった。
「やってみる?」
コクっと頷く。
俺は本を閉じて、彼女に渡した。
じっとその本を見つめる彼女は、真剣以外の何者でもない。
「……シア」
それが、少女の名前。
それが、彼女の証明。
細長い透き通るような声で、それは俺の耳に届いた。
どうやら目の前の少女は『シア』というらしい。
紳士としてはちょっとずるい聞き出し方かもしれなかったが、俺は満足していた。
実感として、俺と少女との間にあった二人の距離が、確かにこの瞬間に縮まった気がしたからだ。
「どうだ、シア? 漸く開いた本の感想は」
「…………」
彼女は本を開いたまま動かない。
「……シア?」
本の内容が気になって彼女の後ろへ回ろうとすると――――。
――パタ。
と、突然シアが本を閉じた。
「おっと、失礼」
考えてみれば、変な物語といっても女の子の記憶を元にしたのものだ。
俺に見られたくない内容のものも、もしかしたらあるのかもしれない。
俺もさすがに無理やりにそれを知ろうとは思わない。
「……で、どうかな? 気に入ってくれたかい?」
小さく頷く。
「また見たい?」
もう一度、今度ははっきりと。
「だったらいいよ、あげる」
それを見て、不思議と自然に俺はそう言っていた。
そう言うべきだと、俺は判断したのかもしれない。
「…………?」
意味が分からなかったのか、シアは微かに首を傾ける。
たったそれだけの動作なのに、どうしてこんなに目に優しいのか。
「欲しいならあげる。シアにあげる」
「くれる?」
振り子のように聞き返してくるシアに、なんだか俺は嬉しくなって。
「あげるよ」
「……そう」
だからその時、少しだけ――――ほんの少しだけ、俺には、彼女が微笑んでいたように見えたのかもしれない。
雨はもう、やんでいた。
そろそろ大会に移行しないと。




