1 学園到着
☆
「ここが君の通うことになる灰南学園だよ」
「ルスキニアじゃなく?」
「ルスキニアは教会の名前。ここは表向き教会とは無関係だから」
広い空の下、貝殻のように白い建物群が横たわっている。
あまり学校ぽくない大きな建物と、ほかに倉庫みたいな箱がいくつも。敷地はかなり広い。
椰子みたいな背の高い植物がゆっくりと揺れている。
さえぎる物がないせいか、風が強い。
灰南学園は、都心部からやや離れたところにあった。
駅からバスに乗って、へんぴな農道を走り、さらに長い橋を渡った終点にあった。移動時間はそれほどでもないから、街へ行くのに苦労はない。
多分人工島だろう。本州というクッキーからこぼれた小片みたいな島。そこに灰南学園が建っている。
「昔は空港だったんだって」
とロッカさん。
空港が潰れて学校に代わる事なんてあるんだろうか?
「ここでウルタールはみんなと暮らすことになるんだよ」
「ロッカさんもここに?」
「そう。敷地内に宿舎があるんだ」
それは、すごく良いですね。と僕。
ロッカさんの横には三人娘がいてお喋りしている。まんのう町はさっさと建物の方へ歩いて行った。こいつとも一緒に暮らすのか。僕もお喋りな方じゃないから、無愛想なのは気にしないけれど。
玉葱冠事件の後すぐ、僕は家を出た。帰還するロッカさん達にそのままついて来た。
玉葱冠が死んで、校舎は元に戻った。
後で聞くと〈虚無の霧〉は小規模なものだったらしい。
校舎の一部が被害に遭っただけだったという。僕は霧の中をあんなに彷徨ったのに。誰も霧が出たことすら気づかなかったらしい。
校舎は戻った。けれど、すべて元通りという訳ではなかった。
〈獣〉を倒しても、奪還できるのは、土地と、せいぜい植物といった単純な構造をしたものだけなのだという。
つまり、人間は帰ってこなかった。
諸岡と玉川。それと僕は面識のない二年の生徒が一人。加えて、直前に僕と話した優しい用務員のお姉さんが霧に巻きこまれていた。
その四人は消えてしまった。
それも完全に。
「霧から帰ってこられなかったものは、存在しなかったことになってしまうんだよ」
ロッカさんの説明はこうだ。
「歴史からも消えてしまうということ。戸籍からも。人々の記憶からも、居なくなってしまう。誰も彼らが消えたことにすら気づかない」
「そう……」
僕は深く考えなかったが、たぶん大変なことだ。
諸岡だけじゃなく、諸岡の親や何かの人生からも子供は消えてしまうのだ。歴史が書き換わってしまうということだ。もちろん、歴史の方ではそんなこと気にしないだろうけど。
「そうした取り返しのつかない消失を抑えるため、私たちの教会は〈獣〉を狩るんだよ」
「あれ、でも僕はモロちんやなんかのことを憶えてるけど?」
「霧に食べられる前の世界を憶えていられるのは、霧から生還した者だけ。つまり生存者かバロック使いになった人だけだね」
そう説明してから、ロッカさんは可愛く小首をかしげて「モロちん?」と訊き返した。
「済んだことですよ」と僕。
事件の直後。
「すぐに発てますが」
僕がそういうと、みんな驚いた。僕としてはすぐキンモクセイの奪還に向かうつもりでいた。でも手がかりがないのではしょうがない。
もう夕刻だったので、ロッカさんたちはホテルで一泊した。翌朝早い時間から僕の家で集合した。
「すぐにってお前、親は説得したのか」
まんのう町はそう言ったが、家は問題なかった。
義父母は権力に弱い。世界規模の団体、ルスキニア教会の名前を出されると、二人は催眠術にでも掛かったみたいにあっさり承諾した。教会から補助金が降りるのも大きかったろう。
「『11ぴきのねこ』あの絵本だけもらって行きたいんだけど。あれ誰の?」
「さあ……分かんない」
別れ際に、僕と養父母が交わした言葉はこれだけだった。
彼らは居間から出ないまま、ガラス越しで僕を見送った。展開の早さに戸惑っているようでもあり、何も考えてないようにも見えた。あるいは、最後まで懐かなかった義子に対して、ほんの少しでも思うところがあるのだろうか?
改めて見ると、養父母の顔は僕の記憶にある二人より、少し老けて見えた。
でもそれだけだ。申し訳ないけれど、僕は何も感じなかった。ずっと昔、同じ船へ乗り合わせただけの相手、といった程度の思い入れしかなかった。
「話したいことがあるんなら、待つが」
家の前でまんのう町が言った。僕が振り返ったのを別の意味に解釈したらしい。
僕は「何もないよ」と答えた。
まんのう町は何ともいえない表情をした。僕はそのまま歩いてロッカさんに追いついた。
移動のあいだ、彼女に絵本の話をしようと思っていた。
「私は『はらぺこあおむし』が好きかな」
と彼女は言った。
というわけで、僕には学生寮の空き部屋があてがわれた。
広さは義父母のアパートの居間ほど。
ベッドがあり、シーツはちゃんと洗ってある。机の横にボックスケースがあった。試しに『11ぴきのねこ』を差しこんでみると、ぴったりの高さで、僕は満足をおぼえた。
「昔の寮生が置いて行った物とかがあるから、部屋着くらいは何とでもなるよ。お布団は部屋についてるし、洗面道具は支給してもらえるよ。ご飯は食堂でもらえる。ただしお皿は自分で洗うこと」
ロッカさんが色々親切に教えてくれる。まったく至れり尽くせりだ。
「靴下の片方も持たずに引っ越してくるやつ久しぶりだぞ」
引っ越しには三人娘も同席した。僕の部屋を無遠慮に覗きこみ彼女らもいろんな忠告を与えてきた。
大中小の中。一番霊場と名乗る女生徒が、特にお姉さんぶってちょっかいをかけてくる。彼女は僕の一つ上だ。ロッカさんと同じ二年生。
「みんな家族みたいなもんだからな」と一番霊場は繰り返した。「ここに来るのはみんな〈虚無の霧〉の犠牲者なんだ。昔、大きな霧の侵攻があって、その時の同期が多いな」
三人娘は、その大侵攻の際の孤児なのだという。
そんな大事件聞いたことないな。そう言いかけて僕は気づいた。
消失事件は誰にも認識されないのだ。
消えた人や土地のことを憶えているのは孤児達だけなのだ。
一番霊場は、僕の部屋をチェックして、
「荷物はあれか、後で家から届いたりするのか」
「家ね」
と僕。あれは僕の家じゃない。
僕の微妙な言い方に反応したのかどうか、ロッカさんが話をやや変えた。
「キミが猫さんと『前任のウルタール』に会ったっていう廃墟。あれも調査させているから。猫さんを探すヒントがあるといいね」
〈狭間の地〉のことだ。
学校への旅のあいだ、僕は猫との出会いについて彼女らに報告していた。猫との出会い。彼――先代ウルタールのこと。狭間の地のこと。
情報は上に報告して協議する、というのはまんのう町の言葉だった。
彼は一足先に上司――彼は先生とか学長とか言った――の所へ報告に行っている。養父母に対する態度が気に入らなかったのか、彼は移動のあいだじゅう、僕を無視していた。
「じゃあ、私も先生に報告にいくね。一番霊場たちは先生に会う前に――」
ロッカさんは僕を頭の先から眺め渡した。「――ウルタールをお風呂に入れてあげて」
「おっと。やっちゃっていいんですかい?」
三人娘が嫌らしい笑みを浮かべるのを、僕は見た。
「じゃあ、お姉ちゃん達がシャンプーしてあげようね」
「抵抗しても無駄ですよぉ」
「おらっ脱げよ」
嫌だ、と僕。




