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バロック!!  作者: 羊蔵
一章 穴あき・インザ・ウルタール
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6/14

6 深淵

 ◎


 白い空が破られた。

 遙か上空から、とてつもない質量を持ったものが、いくつも降ってくる。

「他の獣の聖堂へ入ってくるなんて……」

「そんなことできるのは上位の獣だけのはずだろ」

「数は!? 何体?」

 女の子達が慌てだす。

「動け! 逃げる暇はない」

 まんのう町の叱咤が飛んだ。三人は慌てて、何かの準備を始めた。

 香を含んだ灰を撒く。鈴を鳴らす。灰は磁力に引かれるみたいに動いて、幾何学模様を描いた。


「君たちはその結界の中から出ないで」

 僕とキンモクセイは、幾何学模様の内側へ押しこまれる。

 まんのう町が空を睨んだまま叫ぶ。

「気を引き締めていけよ。他の獣の聖堂へ侵入できるヤツらだ。〈深淵〉レベルの獣で間違いない」

「嘘だ、そんなこと考えられない」

「こんなのが来るなんて聞いてねーよ!」

「私たちで対処できるの?」

 再び三人の女の子たちの悲鳴。

 それが轟音に掻き消される。

 獣たちが着地した音――いや衝撃そのものだ。


 立て続けに聖堂が潰れる。石像や金の細工、ガラスが飛散する。 

 煉瓦大の破片が僕らの直前で弾かれていく。灰の陣が、守ってくれているらしい。

 しかし、こんな力を持つ少女達が完全に怯えている。まんのう町のいう〈深淵〉はそれほどのものなのだろうか?


「そんなわけない、そんなわけない、深淵の獣がこんなところに来るはずがないんだから……」

「歌を途切れさせないで」

 ロッカさんが指示を飛ばす。三人は震える声で賛美歌を再開する

「まんのう町くん、本当に深淵だと思う?」

 玉葱冠を圧倒した男の声にも緊迫が満ちていた。

 彼は前衛に立って、遠くの土埃に目を凝らしている。

「他に考えられない。仮にただの獣だったとしてもあの数は――」

 僕の腕の中では猫が唸っている。

 塵煙が晴れていく。僕らは〈深淵の獣〉たちの姿を直視した。


 それは玉葱冠よりさらに大きく、荘厳な〈獣〉だった。

 二列にならんで、半身を僕らの方へ向けていた。回廊に祀られた神像のようだ。


 鋭い爪を持つもの。

 翼あるもの。

 帚星のような尾をもつもの。

 像のような長い鼻のあるもの。

 たてがみをもつもの。

 水を纏うもの。

 鱗あるもの。

 複数の尾を持つもの。

 四臂の腕をもつもの。

 衣のように長い毛並みを持つもの。


 ――十体。

 十体もの巨大な〈獣〉。それも聞きかじった言葉でいうと〈深淵の獣〉。一体一体があきらかに玉葱冠より強大だった。

 深淵は、いずれも煌びやかな装具を纏い、武器とも飾りともつかないものを構えている。

 人よりは獣に似ており、獣よりは神に似ていた。

 やや奇妙なことが一つ。

 どの獣も顔を隠している。隠し物は、面であったり、冑であったり、薄物を重ねた領巾であったりした。そこに、僕はなんとなく人間味を嗅ぎとった。玉葱冠からは着飾ってはいても、そういう意図みたいなのは感じられなかった。

 玉葱冠を見た後でなければ、彼らを敵だとは思わなかったろう。信心深いものなら膝をついて祈りだしたに違いない。

 美しく、神秘的で、あまりに巨大だった。


 だがバロック使いにとっては、明らかな恐怖の対象だった。

 少女の一人が耐えかね、独断で行動した。

「撤退しかない。今、帰還の門を――」

 例の灰を振り撒く。小さな宝石を取り出し噛み砕いた。新たに描かれた灰の紋様へ、噛み潰した欠片を吹きつける。灰の上に、立体映像のように半透明の扉が現れ始める。

 たぶん撤退用の何かだったのだろう。

 だが実現しなかった。

 〈深淵〉の一体が動いた。

 四枚の翼を持つ獣だった。それが黄金の錫杖を振った。

 鈴のような澄んだ音とともに、空中に水晶の柱が現れた。水晶柱は鋭く飛んで、実体化しかけていた扉を破壊した。

「嫌だ、どうして!? 嫌だあ!」

「畜生!」

 さらにいくつもの柱が周囲に突き刺さる。

「ごめんなさい……撤退が不可能になりました……それにどうやら結界も……」

 三人の中、一番大きな女の子が絶望的な顔で報告した。門を出そうとした本人は地面に突っ伏している。

「なんで、なんでこんなことに」

 僕らはどうやら、命綱のようなものを絶たれたらしい。

 〈深淵〉の目的は、僕には想像もつかない。

 玉葱冠の仇を討ちに来たのだろうか?

 でも〈バロック使い〉たちの反応を見るとそうではないらしい。本来なら有り得ない現象が起きているのだ。

 〈深淵〉たちからは、玉葱冠の動物的な感じとは違う、断固とした意志みたいなものが感じられる。


 〈深淵〉の列には、最奥に一体が聳えていて、そいつが彼らの支配格に見えた。

 顔を黒い領巾で隠し、体のほとんどが芳香を放つ衣と装具で隠れている。

 その覆いの向こうから、獣の視線を感じた。僕を見ている? 気のせいだろうか。

 ともかく、領巾のやつがリーダー格だった。

 そいつがわずかな身ぶりを起こした。多分、合図だった。

「――来るぞ! 全員対応しろ!」まんのう町の絶叫に近い声。「歌え! お前の歌ならなんとかやれるかもしれない。俺が引きつける」

 ロッカさんへ言い残すと、まんのう町は獣たちへ突っこんで行った。


 錫杖の鈴音が響いた。

 水晶柱の群れが飛来した。

 腕輪の輝きを残して、まんのう町は雨を避ける燕みたいに駆け巡った。

 光の走ったあとには、水晶柱の破片が舞った。後衛のロッカさん達のために叩き落としているのだ。

 ものすごい力だが、彼が捌いているのは、十体の獣うち一体だけの攻撃に過ぎない。

 九体の〈深淵〉たちは様子見のまま、背後に控えている。

 またいくつも鋭い音が響いた。

 ジャンプしたまんのう町が、蹴りで水晶柱を砕いた。

 その時、もう獣がもう一体動いた。

 黄金の武具を纏った四臂の獣だった。

 動いた、と見えた時には、すでに矢が放たれていた。矢尻は巨大船の錨ほどもある。

 空中のまんのう町に命中した。

 まんのう町の体が寸断される――のを僕は想像したが、そうはならなかった。

 防御したのもあるだろうが、たぶんバロックの力だ。灰模様の結界と同種の防御力を彼は持っているらしい。

 それでも、彼は地面へ撃ち落とされた挙げ句、血を吐いた。

「まんのう町!」

 女の子たちが悲鳴を上げる。

「歌を」

 ロッカさんだけが冷静に指示した。

 女の子たちは嗚咽をのみこんで歌を再開する。


 まんのう町は立ち上がろうとしている。

 そうしながら、彼もまた何か口ずさんでいるる様子だったが、僕の所からでは聞きわけられなかった。お祈りか何かなのかもしれないなと、この時の僕は思った。大きな間違いだったのだが。

「あああッ」

 彼は血の混じった雄叫びと共に、ついに立ち上がった。

 そして、高く拳を振りかぶった。腕輪がいっそう輝きだす。

 そのまま彼は敵へ真っ直ぐ接近した。

 先ほどの〈深淵〉が、再び矢をつがえる。

 とどめの矢が、金色に走った。

 まんのう町は避けなかった。

 僕には初め、彼が力尽きて倒れたように見えた。

 だが、そうではなかった。彼は拳を地面へ打ちこんだのだ。

 金色の輝きが地面へ吸いこまれた。

 直後、地面から噴出した。まるで地下に太陽が発生したみたいだ。

 地面を割って、幾つもの光の槍が放射される。

 それらが飛来した矢を打ち砕いた。

 それどころか、光は地面を奔って〈深淵〉たちの足元から一気に迸った。


 厳粛に構えていた獣たちに、初めて動揺が走った。僕にはそう見えた。

 〈深淵〉たちは空中へ逃れようとした。

「今だ、歌え!」

 まんのう町の絶叫。

 同時に、ロッカさんの歌が完了していた。

 玉葱冠のときより、さらに巨大なオーロラの輪が、上空に浮かんでいた。その輝きが、押さえつけるように〈深淵〉を迎え討った。

 光の輪は天から地へ。光の刃は地から天へ。

 二つの力が十体の〈深淵〉をはさみこんだ。

 周囲から色と音が消え失せる。


 光が収まるまでの数秒、僕らは祈るような気持ちで見守った。

 まんのう町が前に出すぎた戦闘ラインを復帰してくる。すなわち僕らの所へ戻ってくる。

 力を使い果たした様子で、ふらふらしていた。

「――やった、やったの?」

 女の子の一人が呟く。

「ぺしゃんこに決まってんだろ、だよなあ?」

 小さな女の子も元気を取り戻して歓声を上げる。

「さあな。これでダメならどうにもならない」


 力の衝突があった空域は、まだ光が渦巻いていて、沸き立つ雲海のようだ。

 やがて光が収まりだした。

 最初に状況を理解したのはロッカさんだった。彼女は短く指示した。

「みんな散会。このままなんとか逃げて」

 彼女はもう一度祈りの所作をとった。

 だが遅かった。

 雲海のなかから、矢が飛来した。

 オーロラが相殺される。

「ぎゃんっ」

 という動物のような悲鳴があがる。僕かもしれない死女の子の誰かかもしれなかった。

 矢は破壊したものの、オーロラの余波で、全員が吹き飛ばされたのだ。


「そんな――」

 這いつくばった僕らが見たのは、神々しく空に浮かぶ、十体の獣たちの姿だった。

 一体も欠けていない。それどころか傷を負ってもいない。

 装具がわずかに壊れて破片がきらきらと舞っているだけである。

「全員はやく――」

 まんのう町が何か言おうとする。

 錫杖の鈴音が響いた。

「嫌――ッ」

 悲鳴が上がる。

 女の子の一人が、水晶の塊にのみこまれていた。

 地面から生えた水晶が、氷の成長を早送りしたような動きで、女生徒を取り込んでいく。

 今にも頭部まで飲みこまれそうになっている。そうなれば呼吸が出来なくなるだろう。

「嫌だ、いやだあ!」

「どけ! 俺が――」

 まんのう町が砕こうとする。

 しかし水晶はその彼まで取りこみ始めた。

「まんのう町――」

「さわるな、俺はもう駄目だ」

「くそ、くそぉおおお!」

 さらに助けに入った別の女の子も同様だった。

 まんのう町、二人の女の子と戦力の半分以上が一気に失われた。

 残るはロッカさんと背の高い女の子だけだ。


「まんのう町たちはどうにもならない。私がもう一度やる。サポートして」

 ロッカさんは冷静さを保っていた。二人は歌いだすが僕には絶望的な抵抗に見えた。〈深淵〉は十体欠けることなく、神々のように聳え立っている。

「君と猫さんは逃げて」

 そう言うロッカさんへ、黄金の矢が放たれる。

 一瞬だけオーロラを展開させて、彼女は矢を防御する。

 しかし、それは攻撃のために溜めた力のはずだった。それを消費してしまっている。

 続けて矢が射かけられる。彼女は防御に回るしかない。

 だが、その防御ですら完全ではなく、遮断できなかった衝撃波が彼女たちをじわじわ傷つけていた。

 やがてサポートの女の子が倒れ、ロッカさんの力も尽きた。

「ごめんね」

 という言葉を最後に、彼女は膝をついた。

 まんのう町が藻掻いて水晶を殴りつける音も、さっきから途絶えていた。

 彼は右腕と頭部を残して水晶柱に取りこまれてしまっていた。


 僕はまだ無事だ。でも動けなかった。

 逃げるにも、どこへ走ればいいのか分からなかった。どうやったら元の世界へ戻れる? そもそも逃げ切れないだろう。

 四臂の獣が矢をつがえる。

 あの矢が放たれた時が最後だ。


 この時、実は〈深淵〉たちは注意深く、こちらを観察、というより警戒していたのだが、そんなことに気づく余裕が、僕にはなかった。

 矢が放たれる、という寸前だった。

 腕の中からキンモクセイが飛びおりた。

 驚いたことに〈深淵〉が怯えたかのように、弓の動作を中断した。

 キンモクセイ――僕の猫は、人間を守るように、獣と対峙している。

 そして、一度だけ僕を振り返ると、頭を下げた――ように見えた。

「――過日花尾得、犀訶」

 確かに猫の口から、その言葉が流れ出た。

 人間には発声不能の、鳴き声とも言語ともつかない美しい声だ。

 僕の知らない声。

 僕の知らない姿の猫がそこにいた。

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