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バロック!!  作者: 羊蔵
一章 穴あき・インザ・ウルタール
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4/12

4 玉葱冠と優しい人の詩


 ◎


 聖堂の隙間から、巨大な〈獣〉が姿を現す。

 教会街で見た像に似ている。

 それは鼠だった。

 頭に玉葱のような王冠を頂いた、二足歩行の鼠。

 ふさふさの毛並みのせいで、石像より愛嬌があった。

 が、あまりに巨大だ。大きいという一点だけで神性を帯びていた、と言っていい。

 ゆっくりと迫ってくる姿は荘厳ですらあった。

 灰色の毛並みは灰色なりに美しく輝いている。

 装具はインドの神さまみたいに煌びやかだった。

 煙を纏っており乳香の匂いした。

 黒い瞳が僕を見た。

 〈玉葱冠〉は鼻を蠢かせている。僕らを値踏みしているようでもあった。


 知性はあるのか? 凶暴性は?

 僕からでは分からなかった。常識で判断してはいけない気がした。

 そのとき、玉葱冠が声を発した。


――生々花様。不居不滅。天名府実。不清生聖不滅滅滅卵様――


 歌うような美しい声ではあった。それはどのような言語にも当てはまらない響きに聞こえた。

 言葉なのか? しかし意思疎通の意志は感じられない。ただ、僕を見つけて鳴いた、というだけに見えた。

 しかし、僕の本能はおぞましさを感じていた。

 キンモクセイも火を噴くような声で威嚇している。


――雨月々多々良、亜星未――


 再び玉葱冠が鼻を蠢かせる。今度の発声は嘲笑、に聞こえた。

 玉葱冠は齧歯類の手に、メイスというのか、金属製の鎚を持っていた。騎士とかが持つ、撲殺専用のハンマーみたいなあれだ。これも美しい装飾がほどこしてある。

 玉葱冠は歌いながらそれを振りかぶった。

 白い空に装飾が煌めいた。

 助走をつけて叩きつけて来る。

 僕は猫をお腹の下へ隠すと、地面に伏せた。他に何が出来る?

 轟音と共に、聖堂の屋根が吹き飛んでいた。

 折れ飛んだ尖塔が、別の建物へ突き刺った。

 ものすごい、烈風に近い轟音だ。

 瓦礫が周囲へ降りそそいだ。


「だめだ、こいつ敵だ敵!」

 土煙にまぎれ逃げだした。

 玉葱冠は、建築物の隙間をぬるりとすり抜けながら追ってくる。

 速い。たちまち追いつかれた。

 玉葱冠が、僕らめがけてもう一度メイスを振りかぶった。

 あまりの威容に、僕は動けなかった。玉葱冠の背丈は聖堂の屋根へ届くほどだ。その高さから勢いを付けて、ジャングルジムくらいあるメイスの先端が落ちてくる。


 僕の腕の中で、キンモクセイが声を上げた。

 後になって思いだしてみると、この時、猫の首飾りが仄かに輝いていた。だが、この時点で活躍したのは、僕でも猫でもない。乱入してきた第三者だった。

「クソでか手裏剣――シャイニング風車!」

 おかしなこと言ったな。と後になってみれば思う、が、この時の僕は必死で気づかなかった。

 同時に、巨大船のスクリューみたいなサイズの光が飛んで、玉葱冠のメイスを弾いた。クソでか手裏剣は光の塊で出来ていて、メイスを弾いた瞬間欠片になって消えた。


――魚白怨!?――


 玉葱冠の憎しみに染まった鳴き声。攻撃を弾かれた衝撃でたたらを踏んでいる。

 玉葱冠の視線の先、尖塔の頂上に、若い男が立っていた。


――蛇骨!――


 玉葱冠は男に標的を切り替え、メイスを振るった。 

 直後、玉葱冠の方が吹き飛ばされていた。聖堂を破壊しながら仰向けに倒れた。やはり轟音が響いた。

 男は地面に着地している。

 若い、僕と同じ十代後半の男だった。

 その男が跳び蹴りで玉葱頭を倒したのだ。その事実が飲みこめるまで、時間が掛かった。

「夢か? これ?」

 混乱する僕の手を、キンモクセイが軽く噛んだ。夢じゃないようだ。


 男は制服を身につけている。学生なのか。

 不思議なことに、全身を金色の光が覆っていた。特に右腕の辺りが太陽のように輝いている。手首にはまった腕輪が輝いているようだった。

「大丈夫だった?」

 座りこんでいた僕の後ろから、甘い声。

 僕は自分が柔らかなものに抱き留められているのに気づいた。

 振り返ると、女の人の顔が間近にあった。

 十代後半に見える、綺麗な人だった。そしてきっと優しい。霧の滴や汗でベトベトの僕を厭いもせず支えてくれているのだ。


 彼女の背後にも、ブレザー姿の女子がいた。三人。大中小と区分けしたいほど綺麗に、背の順で並んでいた。

「大きな怪我は、ないみたいだね」

 優しい手つきが、背後から僕の身体を点検した。

 うっとり身を任せていると、優しい声の女性は、僕にこう労りの言葉をかけてきた。

「ルスキニア教会シコク支部です。もう大丈夫。頑張ったね」


 〈ルスキニア教会〉。この時の僕にはとっさに思い出せなかった。モロちんたちが話していたあの「孤児教会」だ。

 でも、それより僕は彼女に見惚れていた。

 亜麻色の髪をした優しい人。

 瞳も覗く歯も肌も、香りも、何というか、たった今この世に生まれてきたみたいな清らかさがある。不思議な感じだ。それとも、これは僕の方が霧の中でおかしくなっただけなのだろうか? もしかしたら、雛鳥の刷りこみ現象に近かいものだったのかもしれない。

「どうしたの?」

 僕の様子が変なので、女性はもう一度体を検めた。もう少しで膝枕の姿勢になるといった体勢だった。

「立てる? 痛いところは?」

「えっと……このままがいいです」

「怪我はないみたいだけど……」

 女性は可愛らしく首をかしげている。


 僕が見とれて何も言わないので、彼女は事務的な説明をはじめた。

「信じられないかもしれないけど、あなたは〈虚無の霧〉と私たちが呼ぶ自然災害にまきこまれています。措置は教会がしますので、このまま、慌てずに願います」

「……つまり膝枕をしてもらえる感じですか?」

 相変わらず僕は血迷ったことを訊いてしまう。

 でも優しい人はまったく動じることなく、穏やかに切り返してきた。じゃれつく子猫を指一本で転がすみたいに。

「つまり、あなたを助けに来たということ」

 この人がそういうなら、もう大丈夫なのだろうと思えた。膝枕は無理そうだけど。

「おや」と女性。

 仰向けになった僕のお腹の上に、子猫のキンモクセイが飛び乗った。さっきまで離れて様子をうかがっていたのだ。

「猫? それにその首飾り――」

 優しい人は首飾りに興味を示したようだった。何かをしきりに納得している。

「君たちが無事な理由が分かった。この首輪が〈虚無の霧〉から守ってくれていたんだね。これ、大変なものだよ」

 子猫がフウと唸ったので、女性は伸ばしかけた手を引いた。

「ごめんね。失礼なことをしました」

 彼女は子猫へ対して謝罪する。律儀に、でも転がすみたいに。


 優しい人は離れていった。

 その際に、僕へ毛皮のコートをかけてくれた。優しい。

 でも、後になって気づくのだが、彼女はちゃんとコートを着ていた。僕に貸してくれたのは、向こうの手裏剣男のコートだったのだ。哀しい。

 優しい人が離れると、僕の方もグズグズせず立ち上がった。

 優しい人の指示で、別の女の人が近づいて来た。

 大中小のうち、中くらいの背丈の女の子だ。

 指輪をはめた手で、僕の腕へふれる。すると擦り傷と打ち身の痛みが引いていった。

 指輪に何か不思議な力があるらしい。

 女の子を含め、全員が戦いに慣れている様子だった。いかにも仕事といった感じで淡々としていた。玉葱冠を恐れていない。


 向こうでは、手裏剣男が玉葱冠を引きつけながら戦っていた。

 男は異様な素早さで動いて、地面から聖堂。聖堂の屋根から尖塔の側壁へと飛びまわっている。右腕の腕輪が輝いている。

 太陽に似たフレアが瞬くたび、玉葱冠の装具が砕け、宝石や金銀の欠片が乱れ飛んだ。

 巨大な〈獣〉を男の方が圧倒していた。


 明らかに人間を超えた動きだ。

 僕の傷を癒やした指輪といい、こうした装具が彼らの力の源らしい。

 そういえば、女の子達も全員、学生には不釣り合いな装具品を身につけていた。僕の借りたコートにも飾りがついていた。ボタンに綺麗な色の石がはまっている。


 僕の優しい人は指揮役だった。

 忍者男の戦いを見守りながら、三人の女の子に身振りで合図する。音楽の指揮者みたいな動きだった。案外その通りだったのかもしれない。

 大中小、三人の女学生が、声を揃えて歌いだしたのだ。

 賛美歌のようだった。

 三つの声が共振して空気を揺らしている。

 優しい人は、三人を指揮しながら僕へ話し始めた。瞳はずっと戦況をうかがっている。

「あなたの遭遇した〈虚無の霧〉は、物質を分解し、根源まで還元する力をもっています。あなたがいたあの場所は失われてしまいました」

 学校のことだろうか? 失われたとはどういう事だろう。そもそもここはどこなのか。

 優しい人は、その疑問にも答えてくれる。

「あなたの居た場所が失われ、その代わり二つのものが生み出された。それがこの〈聖堂街〉とあの〈獣〉なんだよ」

 もちろん、分からない。

 学校や同級生たちは消えてしまったということだろうか?

 その代わりに生まれた?

 この街と、あの〈獣〉が?


 でも何より訊くべき事がある。

「あれを……〈獣〉を殺せばみんな戻ってくる?」

 指揮を執る女性の背中が、わずかに哀しげに僕には見えた。きっと気のせいではない。

「……失われた領土だけは取り戻すことはできます。しかし――」


 そのとき地響きが空気を揺らした。

 手裏剣男が〈玉葱冠〉を大きく弾き飛ばしたところだった。

 屋根の抜けた聖堂へ、玉葱冠が仰向けにはまりこんでいる。足をばたつかせ、起き上がろうと亀みたいにもがいている。

「今だ、歌え!」

 男が叫んだ。

 優しい人もすでに指揮タクトを振っている。

 三人の歌声が高まった。

 彼女たちの装具が輝き始めていた。

 優しい人も、祈るような所作にうつると、共に歌いだした。

 彼女のパートは、歌というよりも詩のようだった。

 美しい声が、白い虚空へ朗々と響く。

 耳の奧が重くなるような気圧の変化を感じた。


――死のない荒野。夜更けの鳥。夜色の乙女。永遠の終わりを告げる左回りの花冠。いざ来ませ、人理の救い主よ――


 優しい人の詩とともに、上空高くに、光の輪が現れた。オーロラのような複雑な輝きかたをしている。

 詩が終わると、光輪は雷の速さで加速して、玉葱冠へと降りそそいだ。

 聖堂ごと、獣が潰れた。

 本当に真っ平らに。

 常識外れの圧力が掛かっているらしく、押しつぶされた物質が発光して瞬いている。地響きは遅れて聞こえた。音までが光輪の中に圧縮されていたのだ。

 一瞬の、圧倒的な出来事だった。

 オーロラが消えると、ようやく塵が舞い上がった。

 圧縮されていた反動で爆発のように空へ登った。爆散する塵は宝石の輝きを含んでいた。

 やがて残響も去った。それで僕はようやく事態を見渡すことが出来た。

 《獣》のいた半径十メートル四方の聖堂が焼失していた。

 クレーターには血一つ残されていない。代わりに灰が積もっていた。

 まだ熱い灰のなかにわずかばかりの毛皮と、装飾具が残っていた。


「終わった……?」

 僕が呟いたらしい。信じられなかった。

 あの恐ろしいものが消えた。本当に? すべてが現実離れし過ぎていてどう判断していいのか分からない。

 優しい人の声がこわばりをほぐしてくれた。僕の精神はもう、この人に全面降伏しているらしい。

「終わったよ。さあ、お家に帰れるね」

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