4 玉葱冠と優しい人の詩
◎
聖堂の隙間から、巨大な〈獣〉が姿を現す。
教会街で見た像に似ている。
それは鼠だった。
頭に玉葱のような王冠を頂いた、二足歩行の鼠。
ふさふさの毛並みのせいで、石像より愛嬌があった。
が、あまりに巨大だ。大きいという一点だけで神性を帯びていた、と言っていい。
ゆっくりと迫ってくる姿は荘厳ですらあった。
灰色の毛並みは灰色なりに美しく輝いている。
装具はインドの神さまみたいに煌びやかだった。
煙を纏っており乳香の匂いした。
黒い瞳が僕を見た。
〈玉葱冠〉は鼻を蠢かせている。僕らを値踏みしているようでもあった。
知性はあるのか? 凶暴性は?
僕からでは分からなかった。常識で判断してはいけない気がした。
そのとき、玉葱冠が声を発した。
――生々花様。不居不滅。天名府実。不清生聖不滅滅滅卵様――
歌うような美しい声ではあった。それはどのような言語にも当てはまらない響きに聞こえた。
言葉なのか? しかし意思疎通の意志は感じられない。ただ、僕を見つけて鳴いた、というだけに見えた。
しかし、僕の本能はおぞましさを感じていた。
キンモクセイも火を噴くような声で威嚇している。
――雨月々多々良、亜星未――
再び玉葱冠が鼻を蠢かせる。今度の発声は嘲笑、に聞こえた。
玉葱冠は齧歯類の手に、メイスというのか、金属製の鎚を持っていた。騎士とかが持つ、撲殺専用のハンマーみたいなあれだ。これも美しい装飾がほどこしてある。
玉葱冠は歌いながらそれを振りかぶった。
白い空に装飾が煌めいた。
助走をつけて叩きつけて来る。
僕は猫をお腹の下へ隠すと、地面に伏せた。他に何が出来る?
轟音と共に、聖堂の屋根が吹き飛んでいた。
折れ飛んだ尖塔が、別の建物へ突き刺った。
ものすごい、烈風に近い轟音だ。
瓦礫が周囲へ降りそそいだ。
「だめだ、こいつ敵だ敵!」
土煙にまぎれ逃げだした。
玉葱冠は、建築物の隙間をぬるりとすり抜けながら追ってくる。
速い。たちまち追いつかれた。
玉葱冠が、僕らめがけてもう一度メイスを振りかぶった。
あまりの威容に、僕は動けなかった。玉葱冠の背丈は聖堂の屋根へ届くほどだ。その高さから勢いを付けて、ジャングルジムくらいあるメイスの先端が落ちてくる。
僕の腕の中で、キンモクセイが声を上げた。
後になって思いだしてみると、この時、猫の首飾りが仄かに輝いていた。だが、この時点で活躍したのは、僕でも猫でもない。乱入してきた第三者だった。
「クソでか手裏剣――シャイニング風車!」
おかしなこと言ったな。と後になってみれば思う、が、この時の僕は必死で気づかなかった。
同時に、巨大船のスクリューみたいなサイズの光が飛んで、玉葱冠のメイスを弾いた。クソでか手裏剣は光の塊で出来ていて、メイスを弾いた瞬間欠片になって消えた。
――魚白怨!?――
玉葱冠の憎しみに染まった鳴き声。攻撃を弾かれた衝撃でたたらを踏んでいる。
玉葱冠の視線の先、尖塔の頂上に、若い男が立っていた。
――蛇骨!――
玉葱冠は男に標的を切り替え、メイスを振るった。
直後、玉葱冠の方が吹き飛ばされていた。聖堂を破壊しながら仰向けに倒れた。やはり轟音が響いた。
男は地面に着地している。
若い、僕と同じ十代後半の男だった。
その男が跳び蹴りで玉葱頭を倒したのだ。その事実が飲みこめるまで、時間が掛かった。
「夢か? これ?」
混乱する僕の手を、キンモクセイが軽く噛んだ。夢じゃないようだ。
男は制服を身につけている。学生なのか。
不思議なことに、全身を金色の光が覆っていた。特に右腕の辺りが太陽のように輝いている。手首にはまった腕輪が輝いているようだった。
「大丈夫だった?」
座りこんでいた僕の後ろから、甘い声。
僕は自分が柔らかなものに抱き留められているのに気づいた。
振り返ると、女の人の顔が間近にあった。
十代後半に見える、綺麗な人だった。そしてきっと優しい。霧の滴や汗でベトベトの僕を厭いもせず支えてくれているのだ。
彼女の背後にも、ブレザー姿の女子がいた。三人。大中小と区分けしたいほど綺麗に、背の順で並んでいた。
「大きな怪我は、ないみたいだね」
優しい手つきが、背後から僕の身体を点検した。
うっとり身を任せていると、優しい声の女性は、僕にこう労りの言葉をかけてきた。
「ルスキニア教会シコク支部です。もう大丈夫。頑張ったね」
〈ルスキニア教会〉。この時の僕にはとっさに思い出せなかった。モロちんたちが話していたあの「孤児教会」だ。
でも、それより僕は彼女に見惚れていた。
亜麻色の髪をした優しい人。
瞳も覗く歯も肌も、香りも、何というか、たった今この世に生まれてきたみたいな清らかさがある。不思議な感じだ。それとも、これは僕の方が霧の中でおかしくなっただけなのだろうか? もしかしたら、雛鳥の刷りこみ現象に近かいものだったのかもしれない。
「どうしたの?」
僕の様子が変なので、女性はもう一度体を検めた。もう少しで膝枕の姿勢になるといった体勢だった。
「立てる? 痛いところは?」
「えっと……このままがいいです」
「怪我はないみたいだけど……」
女性は可愛らしく首をかしげている。
僕が見とれて何も言わないので、彼女は事務的な説明をはじめた。
「信じられないかもしれないけど、あなたは〈虚無の霧〉と私たちが呼ぶ自然災害にまきこまれています。措置は教会がしますので、このまま、慌てずに願います」
「……つまり膝枕をしてもらえる感じですか?」
相変わらず僕は血迷ったことを訊いてしまう。
でも優しい人はまったく動じることなく、穏やかに切り返してきた。じゃれつく子猫を指一本で転がすみたいに。
「つまり、あなたを助けに来たということ」
この人がそういうなら、もう大丈夫なのだろうと思えた。膝枕は無理そうだけど。
「おや」と女性。
仰向けになった僕のお腹の上に、子猫のキンモクセイが飛び乗った。さっきまで離れて様子をうかがっていたのだ。
「猫? それにその首飾り――」
優しい人は首飾りに興味を示したようだった。何かをしきりに納得している。
「君たちが無事な理由が分かった。この首輪が〈虚無の霧〉から守ってくれていたんだね。これ、大変なものだよ」
子猫がフウと唸ったので、女性は伸ばしかけた手を引いた。
「ごめんね。失礼なことをしました」
彼女は子猫へ対して謝罪する。律儀に、でも転がすみたいに。
優しい人は離れていった。
その際に、僕へ毛皮のコートをかけてくれた。優しい。
でも、後になって気づくのだが、彼女はちゃんとコートを着ていた。僕に貸してくれたのは、向こうの手裏剣男のコートだったのだ。哀しい。
優しい人が離れると、僕の方もグズグズせず立ち上がった。
優しい人の指示で、別の女の人が近づいて来た。
大中小のうち、中くらいの背丈の女の子だ。
指輪をはめた手で、僕の腕へふれる。すると擦り傷と打ち身の痛みが引いていった。
指輪に何か不思議な力があるらしい。
女の子を含め、全員が戦いに慣れている様子だった。いかにも仕事といった感じで淡々としていた。玉葱冠を恐れていない。
向こうでは、手裏剣男が玉葱冠を引きつけながら戦っていた。
男は異様な素早さで動いて、地面から聖堂。聖堂の屋根から尖塔の側壁へと飛びまわっている。右腕の腕輪が輝いている。
太陽に似たフレアが瞬くたび、玉葱冠の装具が砕け、宝石や金銀の欠片が乱れ飛んだ。
巨大な〈獣〉を男の方が圧倒していた。
明らかに人間を超えた動きだ。
僕の傷を癒やした指輪といい、こうした装具が彼らの力の源らしい。
そういえば、女の子達も全員、学生には不釣り合いな装具品を身につけていた。僕の借りたコートにも飾りがついていた。ボタンに綺麗な色の石がはまっている。
僕の優しい人は指揮役だった。
忍者男の戦いを見守りながら、三人の女の子に身振りで合図する。音楽の指揮者みたいな動きだった。案外その通りだったのかもしれない。
大中小、三人の女学生が、声を揃えて歌いだしたのだ。
賛美歌のようだった。
三つの声が共振して空気を揺らしている。
優しい人は、三人を指揮しながら僕へ話し始めた。瞳はずっと戦況をうかがっている。
「あなたの遭遇した〈虚無の霧〉は、物質を分解し、根源まで還元する力をもっています。あなたがいたあの場所は失われてしまいました」
学校のことだろうか? 失われたとはどういう事だろう。そもそもここはどこなのか。
優しい人は、その疑問にも答えてくれる。
「あなたの居た場所が失われ、その代わり二つのものが生み出された。それがこの〈聖堂街〉とあの〈獣〉なんだよ」
もちろん、分からない。
学校や同級生たちは消えてしまったということだろうか?
その代わりに生まれた?
この街と、あの〈獣〉が?
でも何より訊くべき事がある。
「あれを……〈獣〉を殺せばみんな戻ってくる?」
指揮を執る女性の背中が、わずかに哀しげに僕には見えた。きっと気のせいではない。
「……失われた領土だけは取り戻すことはできます。しかし――」
そのとき地響きが空気を揺らした。
手裏剣男が〈玉葱冠〉を大きく弾き飛ばしたところだった。
屋根の抜けた聖堂へ、玉葱冠が仰向けにはまりこんでいる。足をばたつかせ、起き上がろうと亀みたいにもがいている。
「今だ、歌え!」
男が叫んだ。
優しい人もすでに指揮を振っている。
三人の歌声が高まった。
彼女たちの装具が輝き始めていた。
優しい人も、祈るような所作にうつると、共に歌いだした。
彼女のパートは、歌というよりも詩のようだった。
美しい声が、白い虚空へ朗々と響く。
耳の奧が重くなるような気圧の変化を感じた。
――死のない荒野。夜更けの鳥。夜色の乙女。永遠の終わりを告げる左回りの花冠。いざ来ませ、人理の救い主よ――
優しい人の詩とともに、上空高くに、光の輪が現れた。オーロラのような複雑な輝きかたをしている。
詩が終わると、光輪は雷の速さで加速して、玉葱冠へと降りそそいだ。
聖堂ごと、獣が潰れた。
本当に真っ平らに。
常識外れの圧力が掛かっているらしく、押しつぶされた物質が発光して瞬いている。地響きは遅れて聞こえた。音までが光輪の中に圧縮されていたのだ。
一瞬の、圧倒的な出来事だった。
オーロラが消えると、ようやく塵が舞い上がった。
圧縮されていた反動で爆発のように空へ登った。爆散する塵は宝石の輝きを含んでいた。
やがて残響も去った。それで僕はようやく事態を見渡すことが出来た。
《獣》のいた半径十メートル四方の聖堂が焼失していた。
クレーターには血一つ残されていない。代わりに灰が積もっていた。
まだ熱い灰のなかにわずかばかりの毛皮と、装飾具が残っていた。
「終わった……?」
僕が呟いたらしい。信じられなかった。
あの恐ろしいものが消えた。本当に? すべてが現実離れし過ぎていてどう判断していいのか分からない。
優しい人の声がこわばりをほぐしてくれた。僕の精神はもう、この人に全面降伏しているらしい。
「終わったよ。さあ、お家に帰れるね」




