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バロック!!  作者: 羊蔵
五章 君は愛のチェリー
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38/39

10 猫に免じて

 ◎


 聖歌隊の声がやんだ。

 三人の友達が、ロッカさんの手を泣きながら握っている。

 何も言わなかった。ロッカさんはバロック使い特有の笑みで応えている。それが何より哀しいことに思えた。いや、きれい事だ。僕程度に分かる事なんて何もない。

 歌声の余韻さえ去っていた。誰かが何かを言わなければならなかった。

 長かった作戦の終わりを告げる役が必要だった。 

 教員の誰かが何かを言おうとした。

 その時、遠くから銃声が響いた。

 次いで近くに悲鳴。


「学長――?」

 銃声を聞いた誰かが言った。

 二つの異変がほぼ同時に起こった。

 僕はまず近い方、悲鳴の方角を見た。

 数人の三年生が倒れていた。狩谷を連行していた人たちだ。

 やったのは狩谷ではない。それは確かだ。彼も一緒に倒れているからだ。

 狩谷の胸から血が流れている。駆けよった技術部が叫んだ。

「聖体がない、抜き取られている」

 狩谷の意識はない。もう死んでいたのかもしれない。

 声も上げなかった。一瞬の出来事だったはず。何が起こったのか見た者はいなかった。

 一瞬、同行している教師達へ視線が向いた。もう一人ユダがいたのかと疑ったのだ。大人達は首を横に振る。嘘ではなさそうだ。抜き取った聖体を持っていた者はいなかった。

「狩谷だけか?」

「――他の三人は」三年の反応は速かった。「拘束して隠せ!」

 みんな、シゲさんと御輿の姿を目で探した。

「――おい!」

 倒れたシゲさんの側に、しゃがむ影があった。

 声を掛けられても、影はのんびりしていた。

「ん~? あれぇ?」

 こちらのことは意にもかけず暢気な声を上げて、シゲさんの体をさぐっている。

 聖体を探しているのだと気づいた。シゲさんの聖体はすでに御輿に奪われたあとなのだ。

 影が立ち上がった。

 子供だった。

 僕らと同じ。いや、さらに若く見える。

 黒いピッタリとした着衣の上に、聖職者が着るような長衣を纏っている。獣の毛皮と金糸で装飾されているようだ。学園では見た事のない衣と意匠だった。〈聖堂獣〉達が纏う装飾の方に似ていた。

「んん~」

 あどけないと言える表情、大きな目が僕らを見渡していた。整った顔つきと衣服のせいで男か女かも判別できない。長い黒髪が特徴的ではあった。

 『彼』と便宜上そう呼ぶが、彼の態度には緊張も殺意もまったく感じられなかった。それが異常だ。

「警戒を緩めるな……」

 三年の誰かが押し殺した声で言った。

 目の前の子供が、一瞬で護衛と狩谷を倒したのだ。

 子供は手に、聖体の指らしきものを二つ弄んでいた。

 二つ。

 狩谷の聖体と、もう一つは誰のものだろう? シゲさんの聖体はまだ御輿の体内にある。胴花の聖体だろう。

 謎の子供に気を取られて気づくのが恐れた。

 彼の傍らによしふみが倒れている。こちらに背を向けた状態で、ぴくりとも動かない。血は流れていないので気絶しているだけだろう。そう信じることにした。

「よいしょ」

 子供はよしふみを肩に担ぎなおす。

 そうやってここまで運んだらしい。ここへ来る直前に、胴花とよしふみを倒してきたのだ。では銃声は学長のものに違いない。彼はどうなったのだろう?

 〈始末人〉という言葉が脳裏を掠めた。こいつがそうに違いない。


「気をつけろ。〈現象ブルー・フェノメノン〉。霧の特性を利用した人獣共の移動術だ」

 戦闘で得た情報をまんのう町が共有する。

 しかし、学長達のいた場所からここまで〈現象〉で移動したとすれば、〈始末人〉のそれは、シゲさんのよりもずっと長距離を移動できるということになる。他の能力も彼らより上に違いない。子供にしか見えないこいつが。

 僕らは、じりじりと動いて、彼を包囲しようとする。

「ん~?」

 〈始末人〉はぐるりと視線を巡らせている。

 僕と目が合うと、ニカッと笑った。なんだ?

 さらに彼は興味を移動させ、

「あっちかな?」

 と言った。

 視線の先にロッカさんがいた。

「ロッカ!」

 傍らの一番霊場、および聖歌隊が盾になる。

 次の瞬間、彼は聖歌隊を擦り抜けロッカさんの背後に立っていた。誰一人、目でさえ追えなかった。

「きみは?」

 ロッカさんはゆっくり振り返る。

 生きている。人獣の毛皮からのぞく彼女のお腹には傷ひとつない。聖歌隊のみんなも無事だ。

 〈始末人〉はロッカさんに興味を示さず、足元の御輿から、二本の聖体をとりだした。聖体が目的だったのだ。

「シゲちゃんの方にないと思ったらコイツが二つ食ってたのかあ。汚ね」

 その時、

「動くんじゃねえぜ」

 駆けつけた学長が銃を向けていた。彼の接近にも僕らは気づかなかった。〈現象〉のはずはない、と思う。〈蒼獣〉とは違う何らかの力を使ったのだろうか?


「ん――?」

 御輿の横にしゃがんだまま〈始末人〉が振り向いた。

「動くな!」

 僕らバロック使いも慌てて包囲する。

「人質をゆっくりと降ろしな。そしたら聖体はくれてやってもいい」

 銃口が〈始末人〉を捉えている。撃たないのは、敵がよしふみを抱えたままだからだ。彼がよしふみに何かしようとした瞬間、引き金を引くはずだ。常識で考えれば、よしふみが致命傷を受けるより、銃弾の方が早いはず。

 それにこの状況、複数のバロック使いと特殊な力を持つ技術部もいる。

 〈始末人〉が圧倒的に不利なはずだ。

 なのに彼はのんびりとした態度を崩さなかった。

「あっは。制服かっこいいね。いいなー学校。行きたかったなー」

 彼のわずかな動作にも、僕らは緊張した。

 誰も手を出せなかった。四人の蒼獣が恐れ続けた〈始末人〉。その力の片鱗はすでに全員が目撃していた。

 最初に動いたのは僕らではない。

 僕らを目隠しに一匹の影が〈始末人〉の背後へ回りこんでいた。距離は短いが俊足の〈現象〉。蒼獣・静磨=ゲープハルトだ。彼はまだ生きていたのだ。

 〈始末人〉の脊柱めがけて鋭い爪を振り下ろした。

 次に学長が動いた。

「愛してるぜぇ、シゲさん」

 躊躇いなく撃った。

 シゲさんの一撃と、銃弾が挟み撃ちする形になった。タイミングも完璧。どちらを防御しても無事では済まない。はずだった。

「ん~。ぴゅんっ」

 〈始末人〉の姿が消えた。

 瞬きより速く、学長の背後に移動していた。

 遅れて血が舞う。学長の脇腹がごっそりえぐり取られていた。

 シゲさんの胴体からも血しぶきが上がっていた。崩れ落ちた彼に血の雨が降りそそいだ。

 〈始末人〉はよしふみを小脇に抱えたままだ。

 つまり片手でシゲさんを斬り裂き、弾丸を受け、移動、その手刀で学長の腹をえぐったのだ。

 どの攻撃も、僕らにはまったく見えなかった。

「わお」

 〈始末人〉はヒラヒラ手を振っておどけてみせる。

 その手の中に、鳩の血色をした弾丸が受け止められていた。学長が撃った銃弾を素手で受けとめたのだ。弾丸は手のひらでまだ回転を続けていた。

「……お?」

 回転が止まらない。〈始末人〉は少しだけ驚いたようだった。次の瞬間〈始末人〉の手のひらから血が流れた。まるでもう一度撃たれてみたいに。回転し続ける弾丸が肉へ食いこみ始めたのだ。

「――おお⁉」

「……人質を放しなよ」

 重傷を受けながらも、学長は再び銃を構える。

「すごいねこの弾。もしかしてしばらく止まらないし取れない感じ?」

「馬鹿。俺の弾丸あいはずっとだぜ」

 青白い顔のまま、学長はにやりと笑った。

 〈始末人〉のにやけた顔に、一瞬だが初めての怒気が走る。

「へえ? じゃあ、あんたを殺した止まるわけだ?」

「どうかなァ?」

「試すさ。簡単だ」

「――学長!」

「ガキどもは動くな!」

 学長が声を荒げた。これも僕の知る限り初めてのことだ。

 学長は銃を構えたまま〈始末人〉と向き合う。

 全員が緊迫に満ちて見守った。とはいえ三年は飛び出す機会を見計らっているようだ。僕らより強敵には慣れている。

「んん~どうしよっかなあ」

 〈始末人〉が周囲を見渡した。

 真剣な顔に飽きてきた、とでもいった感じで、今にもあくびでもやりそうな顔だ。

 それが僕のところで、視線を止めた。

 退屈が晴れて屈託のない笑顔になる。

「ウルタール!」

 僕の名前を知っている。

 そのまま友達みたいに歩いて来る。

「貴様――」

 まんのう町が拳を構えたが、〈始末人〉は敵とも見なさない様子だった。僕もまんのう町も迎撃のタイミングをはずされてしまった。

 そもそも彼は攻撃をしてこなかった。馴れ馴れしく僕へ話しかけてくる。

「ウルタール! もう一回会いたいと思ってたんだよなー。だから今来ちゃった。『父さん』には隠密でやれって言われてたんだけどさあ」

「……どこで会ったか。こっちには見覚えがないな」

 僕は慎重に言葉を選んで訊ねる。

「何かさあ、おれの猫に良くしてくれたっていうし?」

「……『おれの猫』だって?」

 キンモクセイの姿が頭に浮かんだ。その瞬間、僕は目の眩むような怒りを覚えた。おれの猫?

「お前、猫盗みクソ獣野郎か」

「……抑えろウルタール」

 隣でまんのう町が囁いた。僕らにはほとんど力が残ってない。やるなら確実なタイミングでなければならない。

 ゆっくり歩いて近づいてくる〈始末人〉。僕らとの距離は十メートルといったところ。こちらから仕掛けるには、あと五メートルは近づいてもらいたい。

「会えてよかった。ウルタール。でね、父さんからの指示は『もし戦いになったら、その時は殺していい』だったんだけど――」

 さらに近づいてくる。子供の動作はどうみても無防備だ。

 僕は脳内で十通り以上のプランを立てる。その全部が〈始末人〉に致命傷を負わせた。負わせられる、はずだ。なのに全身の細胞が警報を発していた。「こいつは想像を超えている」と。

「ねえウルタール」

 目の前に屈託のない顔があった。

 気づくと距離を詰められていた。

 僕は――琥珀刀を振るった。

 とっさの、でも全力の一撃だった。

 それが、あっさり受け止められていた。

 鋭い爪の生えた指に挟みこまれている。動かなかった。それ以上押すことも引くこともできない。

「んー? どうしてこんなことするのかな? ウルタール?」

 〈始末人〉の瞳孔が縦に細くなる。獣の瞳だ。

 殺されると覚悟した。

 だが、そうはならなかった。

 〈始末人〉は構えかけた自分の手の平を見――そこにはまだ弾丸が回転し続けていた――それから、それをやったジウス学長を、最後に僕を見つめた。

 そして、すぐ考えることにも飽きたかのように肩をすくめて見せた。

「ま。いいか――『猫に免じて』そういうことにしておこっか」

 あっさり引いた。

 何の気概も加えることなく、僕の側をすり抜けた。

 そして、そのまま誰にも咎められることなく姿を消した。

 僕らは、その場から長いあいだ動けなかった。

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