10 猫に免じて
◎
聖歌隊の声がやんだ。
三人の友達が、ロッカさんの手を泣きながら握っている。
何も言わなかった。ロッカさんはバロック使い特有の笑みで応えている。それが何より哀しいことに思えた。いや、きれい事だ。僕程度に分かる事なんて何もない。
歌声の余韻さえ去っていた。誰かが何かを言わなければならなかった。
長かった作戦の終わりを告げる役が必要だった。
教員の誰かが何かを言おうとした。
その時、遠くから銃声が響いた。
次いで近くに悲鳴。
「学長――?」
銃声を聞いた誰かが言った。
二つの異変がほぼ同時に起こった。
僕はまず近い方、悲鳴の方角を見た。
数人の三年生が倒れていた。狩谷を連行していた人たちだ。
やったのは狩谷ではない。それは確かだ。彼も一緒に倒れているからだ。
狩谷の胸から血が流れている。駆けよった技術部が叫んだ。
「聖体がない、抜き取られている」
狩谷の意識はない。もう死んでいたのかもしれない。
声も上げなかった。一瞬の出来事だったはず。何が起こったのか見た者はいなかった。
一瞬、同行している教師達へ視線が向いた。もう一人ユダがいたのかと疑ったのだ。大人達は首を横に振る。嘘ではなさそうだ。抜き取った聖体を持っていた者はいなかった。
「狩谷だけか?」
「――他の三人は」三年の反応は速かった。「拘束して隠せ!」
みんな、シゲさんと御輿の姿を目で探した。
「――おい!」
倒れたシゲさんの側に、しゃがむ影があった。
声を掛けられても、影はのんびりしていた。
「ん~? あれぇ?」
こちらのことは意にもかけず暢気な声を上げて、シゲさんの体をさぐっている。
聖体を探しているのだと気づいた。シゲさんの聖体はすでに御輿に奪われたあとなのだ。
影が立ち上がった。
子供だった。
僕らと同じ。いや、さらに若く見える。
黒いピッタリとした着衣の上に、聖職者が着るような長衣を纏っている。獣の毛皮と金糸で装飾されているようだ。学園では見た事のない衣と意匠だった。〈聖堂獣〉達が纏う装飾の方に似ていた。
「んん~」
あどけないと言える表情、大きな目が僕らを見渡していた。整った顔つきと衣服のせいで男か女かも判別できない。長い黒髪が特徴的ではあった。
『彼』と便宜上そう呼ぶが、彼の態度には緊張も殺意もまったく感じられなかった。それが異常だ。
「警戒を緩めるな……」
三年の誰かが押し殺した声で言った。
目の前の子供が、一瞬で護衛と狩谷を倒したのだ。
子供は手に、聖体の指らしきものを二つ弄んでいた。
二つ。
狩谷の聖体と、もう一つは誰のものだろう? シゲさんの聖体はまだ御輿の体内にある。胴花の聖体だろう。
謎の子供に気を取られて気づくのが恐れた。
彼の傍らによしふみが倒れている。こちらに背を向けた状態で、ぴくりとも動かない。血は流れていないので気絶しているだけだろう。そう信じることにした。
「よいしょ」
子供はよしふみを肩に担ぎなおす。
そうやってここまで運んだらしい。ここへ来る直前に、胴花とよしふみを倒してきたのだ。では銃声は学長のものに違いない。彼はどうなったのだろう?
〈始末人〉という言葉が脳裏を掠めた。こいつがそうに違いない。
「気をつけろ。〈現象〉。霧の特性を利用した人獣共の移動術だ」
戦闘で得た情報をまんのう町が共有する。
しかし、学長達のいた場所からここまで〈現象〉で移動したとすれば、〈始末人〉のそれは、シゲさんのよりもずっと長距離を移動できるということになる。他の能力も彼らより上に違いない。子供にしか見えないこいつが。
僕らは、じりじりと動いて、彼を包囲しようとする。
「ん~?」
〈始末人〉はぐるりと視線を巡らせている。
僕と目が合うと、ニカッと笑った。なんだ?
さらに彼は興味を移動させ、
「あっちかな?」
と言った。
視線の先にロッカさんがいた。
「ロッカ!」
傍らの一番霊場、および聖歌隊が盾になる。
次の瞬間、彼は聖歌隊を擦り抜けロッカさんの背後に立っていた。誰一人、目でさえ追えなかった。
「きみは?」
ロッカさんはゆっくり振り返る。
生きている。人獣の毛皮からのぞく彼女のお腹には傷ひとつない。聖歌隊のみんなも無事だ。
〈始末人〉はロッカさんに興味を示さず、足元の御輿から、二本の聖体をとりだした。聖体が目的だったのだ。
「シゲちゃんの方にないと思ったらコイツが二つ食ってたのかあ。汚ね」
その時、
「動くんじゃねえぜ」
駆けつけた学長が銃を向けていた。彼の接近にも僕らは気づかなかった。〈現象〉のはずはない、と思う。〈蒼獣〉とは違う何らかの力を使ったのだろうか?
「ん――?」
御輿の横にしゃがんだまま〈始末人〉が振り向いた。
「動くな!」
僕らバロック使いも慌てて包囲する。
「人質をゆっくりと降ろしな。そしたら聖体はくれてやってもいい」
銃口が〈始末人〉を捉えている。撃たないのは、敵がよしふみを抱えたままだからだ。彼がよしふみに何かしようとした瞬間、引き金を引くはずだ。常識で考えれば、よしふみが致命傷を受けるより、銃弾の方が早いはず。
それにこの状況、複数のバロック使いと特殊な力を持つ技術部もいる。
〈始末人〉が圧倒的に不利なはずだ。
なのに彼はのんびりとした態度を崩さなかった。
「あっは。制服かっこいいね。いいなー学校。行きたかったなー」
彼のわずかな動作にも、僕らは緊張した。
誰も手を出せなかった。四人の蒼獣が恐れ続けた〈始末人〉。その力の片鱗はすでに全員が目撃していた。
最初に動いたのは僕らではない。
僕らを目隠しに一匹の影が〈始末人〉の背後へ回りこんでいた。距離は短いが俊足の〈現象〉。蒼獣・静磨=ゲープハルトだ。彼はまだ生きていたのだ。
〈始末人〉の脊柱めがけて鋭い爪を振り下ろした。
次に学長が動いた。
「愛してるぜぇ、シゲさん」
躊躇いなく撃った。
シゲさんの一撃と、銃弾が挟み撃ちする形になった。タイミングも完璧。どちらを防御しても無事では済まない。はずだった。
「ん~。ぴゅんっ」
〈始末人〉の姿が消えた。
瞬きより速く、学長の背後に移動していた。
遅れて血が舞う。学長の脇腹がごっそりえぐり取られていた。
シゲさんの胴体からも血しぶきが上がっていた。崩れ落ちた彼に血の雨が降りそそいだ。
〈始末人〉はよしふみを小脇に抱えたままだ。
つまり片手でシゲさんを斬り裂き、弾丸を受け、移動、その手刀で学長の腹をえぐったのだ。
どの攻撃も、僕らにはまったく見えなかった。
「わお」
〈始末人〉はヒラヒラ手を振っておどけてみせる。
その手の中に、鳩の血色をした弾丸が受け止められていた。学長が撃った銃弾を素手で受けとめたのだ。弾丸は手のひらでまだ回転を続けていた。
「……お?」
回転が止まらない。〈始末人〉は少しだけ驚いたようだった。次の瞬間〈始末人〉の手のひらから血が流れた。まるでもう一度撃たれてみたいに。回転し続ける弾丸が肉へ食いこみ始めたのだ。
「――おお⁉」
「……人質を放しなよ」
重傷を受けながらも、学長は再び銃を構える。
「すごいねこの弾。もしかしてしばらく止まらないし取れない感じ?」
「馬鹿。俺の弾丸はずっとだぜ」
青白い顔のまま、学長はにやりと笑った。
〈始末人〉のにやけた顔に、一瞬だが初めての怒気が走る。
「へえ? じゃあ、あんたを殺した止まるわけだ?」
「どうかなァ?」
「試すさ。簡単だ」
「――学長!」
「ガキどもは動くな!」
学長が声を荒げた。これも僕の知る限り初めてのことだ。
学長は銃を構えたまま〈始末人〉と向き合う。
全員が緊迫に満ちて見守った。とはいえ三年は飛び出す機会を見計らっているようだ。僕らより強敵には慣れている。
「んん~どうしよっかなあ」
〈始末人〉が周囲を見渡した。
真剣な顔に飽きてきた、とでもいった感じで、今にもあくびでもやりそうな顔だ。
それが僕のところで、視線を止めた。
退屈が晴れて屈託のない笑顔になる。
「ウルタール!」
僕の名前を知っている。
そのまま友達みたいに歩いて来る。
「貴様――」
まんのう町が拳を構えたが、〈始末人〉は敵とも見なさない様子だった。僕もまんのう町も迎撃のタイミングをはずされてしまった。
そもそも彼は攻撃をしてこなかった。馴れ馴れしく僕へ話しかけてくる。
「ウルタール! もう一回会いたいと思ってたんだよなー。だから今来ちゃった。『父さん』には隠密でやれって言われてたんだけどさあ」
「……どこで会ったか。こっちには見覚えがないな」
僕は慎重に言葉を選んで訊ねる。
「何かさあ、おれの猫に良くしてくれたっていうし?」
「……『おれの猫』だって?」
キンモクセイの姿が頭に浮かんだ。その瞬間、僕は目の眩むような怒りを覚えた。おれの猫?
「お前、猫盗みクソ獣野郎か」
「……抑えろウルタール」
隣でまんのう町が囁いた。僕らにはほとんど力が残ってない。やるなら確実なタイミングでなければならない。
ゆっくり歩いて近づいてくる〈始末人〉。僕らとの距離は十メートルといったところ。こちらから仕掛けるには、あと五メートルは近づいてもらいたい。
「会えてよかった。ウルタール。でね、父さんからの指示は『もし戦いになったら、その時は殺していい』だったんだけど――」
さらに近づいてくる。子供の動作はどうみても無防備だ。
僕は脳内で十通り以上のプランを立てる。その全部が〈始末人〉に致命傷を負わせた。負わせられる、はずだ。なのに全身の細胞が警報を発していた。「こいつは想像を超えている」と。
「ねえウルタール」
目の前に屈託のない顔があった。
気づくと距離を詰められていた。
僕は――琥珀刀を振るった。
とっさの、でも全力の一撃だった。
それが、あっさり受け止められていた。
鋭い爪の生えた指に挟みこまれている。動かなかった。それ以上押すことも引くこともできない。
「んー? どうしてこんなことするのかな? ウルタール?」
〈始末人〉の瞳孔が縦に細くなる。獣の瞳だ。
殺されると覚悟した。
だが、そうはならなかった。
〈始末人〉は構えかけた自分の手の平を見――そこにはまだ弾丸が回転し続けていた――それから、それをやったジウス学長を、最後に僕を見つめた。
そして、すぐ考えることにも飽きたかのように肩をすくめて見せた。
「ま。いいか――『猫に免じて』そういうことにしておこっか」
あっさり引いた。
何の気概も加えることなく、僕の側をすり抜けた。
そして、そのまま誰にも咎められることなく姿を消した。
僕らは、その場から長いあいだ動けなかった。




