9 ロッカ
◎
「ロッカを生き返らせたいんだろう? なら殺すな」
「……それはどういう――」
訊き返そうとしたとき、みんながやって来るのに気づいた。三年を中心にしたいくつかの部隊に分かれて移動している。
一団の中にユダの一人である狩谷の姿があった。狩谷は技術部の作った装具で厳重に拘束されている。
遠くから、よしふみの天狗笑いが聞こえて来た。
「こーれーがー! ワレワレの祟りだーッ! お前も逆さまにしてやろうか!」
向こうの空に、巨大トーテムポールが現れては消える。その塔に何度も突き上げられて、人影が宙に舞っている。
おそらく胴花だろう。
気を失っている様子で、何だかシャチに弄ばれるラッコを連想させた。
学長との戦いに割こんで、復讐を果たしたのだろう。霧散していたとき、僕が感じた追跡者はよしふみだった。
狩谷は捕縛。胴花も斃されたと言って良い状態。御輿は僕らの足元にいるし、やや離れた所にシゲさんも倒れている。
――四人のユダを全員確保できたことになる。けっきょく彼らは、逃走しなかった。あるいはできなかったのかもしれないが、御輿やシゲさんを見る限り彼らは「ルーシーの覚醒」みたいな一発逆転に期待をかけていた様子だ。
学園のどこかに、聖体ルーシーを覚醒させるような「何か」が存在する。彼らはそう信じ、ルーシーが自分たちを助けてくれると考えたのだろうか。その「何か」にどれだけ根拠があるのかは謎だ。学長はどう考えているのだろう。
ジウス学長はよしふみと一緒のはずだ。
「お前ら無事かー」
一番霊場の声も近づいてくる。
聖歌隊を率いていた。ラーメン三八、パワーシティさんも無事だ。
「え。何この子。まだいたの。ていうかどうした」
一番霊場はモリアキに気づいて驚いている。というより彼の様子にヒいている。
「頑張れ原作のセトぉおおおお! ガンバっガンバっうおおおおおお」
モリアキは壊れたラジカセみたいな状態だ。緊張の連続で心の何かが弾けてしまったらしい。
「ま、俺の熱心なファンになっちまった感じかな」
まんのう町がイカれたことを言う。
「そっか。可哀想に」
一番霊場は軽く流した。
それから彼女は、周囲を見渡した。
「ロッカは? あんた達と一緒かと思ってたんだけど」
僕は口籠もってしまう。この人はたぶんロッカさんとは一番仲がいい。
「ロッカさんは……」
「待ってくれ」
まんのう町が声を上げた。御輿を拘束しようとする技術者達へ言ったらしい。
「そいつの捕縛は少し待ってくれ。それに今から異変が起こる。だが手を出さないでほしい」
「いや、しかし……意識を取り戻している」と技術者達。「せめて拘束を」
「いいんだ」それから僕へだけ聞こえるように「そろそろだ。そして、これから何が起こっても御輿の自業自得だからな」
不思議な言い方をした。少し昔に聞いたような台詞でもあった。
御輿の身体はほとんど獣化していて、人間だとは分からないほどだ。獣の生命力を使い再生しようとしているのだろう。
シャッフルされるように、様々な獣の特徴が顕れては切り替わっている。
だが、身体を創り治すだけの力は残っていないようだ。ほとんど回復していない。それどころか血を吐いている。
「ジウスは……間違いない……ルーシーの何かを知っている……」
獣化のせいでバラバラに暴れる手足を、無理に押さえこんで、彼はギクシャクと立ち上がった。凄い執念だ。
全員がざわつくのを、まんのう町が止める。
「いいんだ……できれば見ないでやってほしいが……無理だろうな」
「何を言ってる? それにさっきロッカさんのことを――」
奇妙な言い様だった。僕が訊き返したとき異変は起こった。
「ルーシー……ル……?………ニィイイイイイイイイイイッ」
獣が苦しみはじめた。戦いの間でもみせたことのない程の苦しみ方だった。
立ち上がって、空を仰ぎ、踊るようにのたうつ。
ヤギの悲鳴を金属質にした感じ。あるいは竜巻に引き裂かれる鉄工所の軋みのようでもあった。ものすごい悲鳴だ。
獣の胴体が膨らみだした。
今にも限界を超え肋骨から弾けそうだ。
僕がそう思った時、まさに獣の正中線上に亀裂が走った。
裂け目からオーロラのような光があふれ始めた。
「――ィィィイイイイイイイイイイイイイ――あッ」
唐突に悲鳴が止む。
獣の体が『開いた』。
肋骨が外側へ解放している。一瞬だけだし奇妙な印象だが、明け方に開く蕾のような優雅さがあった。
観音開きになった胴体のなかに、ロッカさんがいた。
湯気を上げる獣の体内に、白い肋骨に飾られる、僕の好きな人、優しい人が、赤ん坊のように丸く収まっていた。貝の中の真珠みたいに傷ひとつ無い姿だ。
ロッカさんの目が開いて、僕を見た。
獣は命じられたように――実際には力尽きて――膝をついた。
ロッカさんの裸の足が地面を踏んだ。水晶混じりの獣血が地面を輝かせていた。
彼女は獣の皮を剥ぎ取ると、その毛並みで生まれたままの身体を包んだ。召使いからコートを受けとるのと変わらない優雅さだった。
ロッカさんの頭上に、オーロラの光輪が輝いている。それが彼女のバロックなのだと僕は了解した。
◎
これは、後になってロッカさんから打ち明けられた話だ。
彼女は0歳で愛を悟った。
ロッカさん――コインロッカーに置き去られた赤児は、そこで霧に遭った。
永遠のような時間のなかで、言葉すら知らない赤ん坊は思考を続けた。
言語の発生以前から存在したであろう問い。もっとも原始的な信仰。
彼女は、愛を識ったのだという。
「自分がここにいる」という唯一確かな感覚を、彼女は〈愛〉と名づけたのだ。
霧から帰還するまでのその後の永遠。まっ白な世界で赤ん坊は幸福だったのだという。
赤ん坊は、霧から人知れず生還した。
彼女の素性は誰にも不明のままだった。母親の名前すら判明しなかった。
コインロッカーの子供は気にしなかった。彼女はすでに〈愛〉を知っているのだから。〈愛〉は常に彼女とともにある。ということはつまり、会ったことのない母親も自分を〈愛〉していたに違いないのだ。
バロック――オーロラの光輪は普段は彼女の体内に隠れていて見えなかった。それが特殊な力であると分かるのは、彼女がもう少し成長してからのことである。
施設で成長した彼女は、その容姿で人目を引いた。
養女へとられては施設へ舞い戻るということが繰り返された。彼女を引き取った人間は、なぜか皆消えてしまうのだ。
何度戻って来ても、彼女は養父達の〈愛〉を疑わなかった。それは常に自分とともに実在るから。
最後に彼女を引き取ったのが、まだ学長になる前のジウスだった。
彼がバロック能力を見出した。
ある時ジウスは、コインロッカーの子供に、ある聖人の話を聞かせた。
それは、殉教した聖人が神の愛によって甦る話だ。
「ああ、ああ――不滅なのですね」
子供は美しい瞳で微笑み納得した様子を見せた。「〈愛〉された者は決して滅ぶことはない」
聖人の逸話は、彼女がコインロッカーで見出した〈愛〉とまったく同じだった。少なくとも彼女はそう感じた。彼女は自分の理論が正しかったと納得し、頬笑んだのだ。
教会の検査によって、彼女のバロック能力が明らかになった。
ジウスは彼女に、能力の使用を禁じた。また教会の仲間へさえも秘匿するよう決めた。
とはいえ、彼女の性質までは変えられなかった。一度バロック能力を発現させてしまう。それを偶然目撃したのがまんのう町だったわけだ。
〈クレメントプラザのロッカ〉が持つバロック能力は〈復活〉である。
彼女は肉体が滅ぶと、生前、最も近しい関係にあった人体を母体にして甦る。そしてこの場合『最も近しい』とは、肉体的繋がりを指す。濃い血縁。そうでなければ肉体的結合の相手。
この「愛の繋がり」を辿って〈クレメントプラザのロッカ〉は復活する。それが彼女の能力、いや〈愛〉の条件だった。
では、消えた養父達のあいだに何があったのだろう?
さすがに訊ねることはできなかった。
ロッカさんは僕の沈黙を察して「でもね」と笑う。
「私は彼らの愛を疑ったことはありません。私は愛されて産まれてきました。だって私は――」
◎
「……あ……あぁあ……」
御輿にはまだ息があった。
大きな音を立て、崩れ落ち、うつ伏せに倒れた状態で顔を上げる。
顔の半分が獣から青年のそれへ戻っていた。
「それ……御輿先生……なの?」
ここで初めて、一番霊場たちは〈獣〉の正体に気づいた。裏切り者がロッカさんの恋人だったことに。
〈クレメントプラザのロッカ〉獣から産まれ落ちた女の子が、僕らを見て頬笑んでいた。
僕には幸福の笑顔に見えた。彼女を誰よりも、本当に、心から理解している人になら、悲しい顔に見えたのかもしれない。
「ウルタール」
と彼女は名を呼び、
「ロッカさん」
と僕は応えた。
彼女は幸福な顔、幸福な声のまま御輿を振り向いた。
「先生。そして母なる人。何も言わなくていいんですよ。私はあなたの愛を疑いません。だって――私は生きているのだから」
バロック。それが彼女の歪みだった。
「〈愛〉された者は決して滅ぶことはない」
コインロッカーの永遠のなかで赤ん坊が見つけた答えだ。私は愛されている。だってまだ生きてここにいるのだから。
彼女は〈愛〉を疑わない。疑わない限りバロックは彼女を生かし続けるだろう。
彼女は永遠に幸福なのだ。バロック――光輪が頭上で輝いている。それは祈りだ。
「お願いだ……」
獣が這いずってロッカさんへ近づいて行く。
「……ああ……どうか……を」
這いながら、必死で訴え続ける。
「……ああ、どうか……ルーシーを。ルーシーの四行詩を……」
「――最後くらい他にいうことないのかよ!」
すべてを察した一番霊場が、泣きながら怒った。
「……ルーシー……ルーシーを」
御輿の言葉は変わらなかった。彼もまた祈るようだった。
ロッカさんの表情は動かない。御輿の〈愛〉を疑わないまま幸福な子供に見える。少なくとも表情では。
「歌が聴きたいな」コインロッカーの女の子は、それだけを望んだ。「歌って。私の聖歌隊」
すすり泣きながら、友人達が歌い始めた。
賛美歌の響くなか、ロッカさんは御輿へ近づいていった。
「私は愛されて産まれてきました。私はそれを疑わない。でも先生、あなたは私の愛するものたちを壊そうとしましたね」
「……ルーシー……ああルーシー……」
「私は人の歪みを愛しています。過去に引きずられ、自分の世界に生き、でもときどきふれあう。その捨てきれない優しさを愛しています」
「……連れて行ってくれ……ルーシー、あなたの目指した夢の、夢の……永遠」
「ルーシーはただの男です。そしてあなたの欲しがる永遠のなかに、きっと私の愛するバロックは存在しない。ですから先生、母なる人、私はあなたと戦うでしょう」
「……ルーシー……応えてくれルーシー……」
「先生――これは美意識戦争のようです」
彼女は御輿の側へ跪いた。
それから耳元へ囁いた言葉は、高まる賛美歌のため誰にも聞き取れなかった。
垣間見た御輿の表情からすると、それは彼の求めたルーシーの四行詩だったのかもしれない。
だとしたら、彼の中のルーシーは助けてくれなかったということになる。
オーロラの美しい輝き。人造の奇跡が、人獣を跡形もなく押し潰した。




