8 御輿Ⅱ
◎
御輿めがけて全速で駆けた。
喉をつかんで〈ルーシーの欠片〉を吐き出させようとする。
すでに遅かった。彼は飲みこんだ後だった。
そのまま、手の平から〈11ぴきのねこ〉を放つ。黒い竜巻が御輿をズタズタに引き裂いていく。
限界まで破壊能力を吐き出したあと、僕は距離をとった。
こちらも息をきらしていたが、相手はもっと深刻なダメージを負ったはずだ。
御輿はまだ立っていた。装具も朽ち、全身は傷だらけ、翼や獣の爪もこそぎ取られていて、老人のように縮んで見えた。
なのに不気味だった。落雷の予兆みたいに空気がヒリついている。
「ルーシーを――」
呟きと同時に、彼の背が波うった。
卵の殻が破られるように、傷だらけの肉が吹き飛んだ。御輿の背中から、大きな羽根がいくつも生え出た。何重もの羽根が彼の姿を包んでいく。
動かない。白く輝く繭のなかで御輿はじっとしている。
仕掛けるべきだ。だが行けば死ぬという予感が僕を押しとどめた。
やがて羽根の抱擁が解かれた。新しい姿の御輿が光のなかから現れた。
わずか五秒ほどのあいだに、傷が完全に消えていた。
羽根は六対に増え、皮膚がミルクの滑らかに、大理石のように輝いていた。額から水晶の巻き貝、いや角だ。金の装具も再生され、力に満ち、紫電を纏っている。
神聖さと同時に恐ろしい破壊の気配を身に纏っていた。
声にまで不思議な力が宿っているように感じられた。
「――ルーシーを、聖体を目覚めさせるような情報がどこかに有るはずなんだ。ルーシーが応えてくれさえすれば、聖体は小さくとも十分な力が出せる筈なのに……始末人ごときを恐れる必要はないはずなのに!」
突然の怒号。
瞳がでたらめに暴れている。その瞳と唇から覗く牙だけは獣の禍々しさに満ちていた。
「ルーシー、なぜ応えてくれない。これしきの〈欠片〉では足りないのか。ルーシー! ルーシー! ルーシー!」
聖体二つは彼にとって重すぎたらしい。精神に異常をきたし始めているようだった。
だが力は明らかに増していた。物質的なまでに重い圧力感が一帯をおおっていた。液体の石の中にいるようだ。
「やれるか?」
離れた屋根の上からまんのう町が訊いてきた。
僕は密かに、自分のなかの月と、目の前で猛る人造の獣を秤にかける。
「なんとか」
と僕は応えた。
正直な感想だ。だが「今の御輿ならば」という条件がつく。
ここで逃がせば、さらに力を増して復讐にくるだろう。その時は斃せるかどうかわからない。
御輿は荒れ狂っている。
「クソックソッ! あのガキ。たらしこんでやったのに四行詩の内容を教えやがらない。ルーシーの残した言葉を自分の財産みたいに扱いやがって、だから――」
「だからロッカさんを殺したのか?」
僕は静かに逆上する。だが金木犀の香りが引き戻してくれた。猫の気配。気のせいだろうか。
僕は怒りの代わりにバロックを駆動する。猫そっくりのしなやかさで琥珀刀を奔らせる。この身体も怒りも、僕の物ではないのだ。
「猫から命とロッカさんを奪ったな」
「キアアアアアアオオオオ――」
化鳥の叫びを上げて御輿が躱した。外見が美しいぶん、おぞましさが際立った。
「――オマエお前、お前、お前達がルーシーを殺したせいじゃないか! お前達のせいで未来への夢が失われた!」
御輿は水晶でつくった槍をふるった。触れれば取り込まれる。
琥珀刀に猫の黒を纏わせ受けた。
黒と、水晶の輝きが激しくぶつかりあった。
御輿の力は確かに増していた。
お互いダメージを負いながら、何度もぶつかり合った。
水晶の波が飛狂い、建物を切り刻んだ。
やがて、御輿の方が息切れしだした。
聖体の制御に正気と体力を磨り減らしたためだ。
〈蒼獣〉の姿が保てなくってきている。
部分的に人の姿に戻ったり、獣化して肥大化したりを繰り返した。そのせいで動きが制御できず、さらに疲労を増しているようだった。
「ルーシーを返せ、私はルーシーの子供だ」
意識の混濁も深まっている。
だが、僕の方でも攻め切れていない。
御輿が僕の戦闘パーターンに順応し始めているからだ。僕は速力を最大まで上げて追い立てようとする。
「刃、肌、黒衣、影、先端、飛翔、黒衣、一刀、転足、影……」
御輿は獣の瞳をバラバラに走らせて僕の動きを捉え続けた。
〈11ぴきのねこ〉を繰り出すタイミングが計れない。
僕は自身の体や琥珀刀の他に影からも〈11ぴきのねこ〉を放てる。
意表を突くならこちらだが、影から撃つには、それが自身の影で、かつそれが濃い黒影である必要がある。
もちろん、すでに看破されたように、一度に一ヶ所からしか撃てない。
正気を失っていても、戦闘経験では向こうが上だった。決して僕の影を踏まないよう立ち回っている。
〈11ぴきのねこ〉を全力で打ち込めれば勝てると単純に考えていたが、僕の見積もりは甘かったらしい。
影でなくても、御輿を斃せるだけの〈11ぴきのねこ〉を撃つには、相応の『溜め』が必要である。そちらも御輿は巧妙で、常に僕の呼吸を乱すよう絶妙のタイミングで攻撃を加えてくる。
つかず離れずの距離から、絶え間なく水晶を繰り出してくる。
水晶は一帯に留まるため、長引くほど僕の不利が累積していく計算だ。
水晶の波が足元から伸び上がった。
僕は刀で砕こうとした。
だが、それは僕が触れる前に自ら弾けた。
水晶の破片が舞う。
直後、僕は呼吸器に鋭い痛みを覚えた。
「――しまった」
そう思った時には遅かった。
水晶塵が肺の中で結晶して、一本の針に変わった。なぜ体内の事が分かったかというと、それが僕の胸を突き破ったからだ。
心臓には当たっていない。針は細く、致命傷でもない。
だが、一瞬の、しかも致命的な停滞。
息ができない。
灰色になった視界のなかで、御輿の指先に白い光が集約していくのを見た。
〈悲劇〉――。
僕の停滞は猫のあくびよりも短い時間だった。
でも、もう僕を消し去るのに十分な力が、御輿の指先に溜まっていた。
「消えてしまえ! ルーシーのいない世界ごと‼」
その時、背後からちょっとした音が響いた。
アニメのヒーローが登場するときの効果音みたいな。そう形容するしかない変な音だった。
何が起こったのか一瞬分からない。
振り返ると、高い位置に太陽。最高に輝いているバディが見えた。比喩ではない。実際に光を発しながらまんのう町が言った。
「申し遅れたが先生。俺はたまに光ります。主人公なので」
光は僕の背後に輝いていた――つまり、僕の影は真っ直ぐ伸びて、御輿の姿を覆っていた。
その意味を、僕と御輿は同時に悟った。
「……この……イカれたクソども――」
御輿が声を漏らした時には、僕はすでに振り抜いている。一瞬の間にこめられる力と意志の全てを籠めて放った。
「バロッ――」
彼の叫びを――姿さえも掻き消して、僕の艶やかな奔流〈11ぴきのねこ〉が駆けめぐった。
◎
力を搾り尽くして、しばらく立てなかった。
眼前の地面が大きくえぐれていた。
そのクレーターのなかに御輿が倒れていた。
血まみれだが、まだ胸がわずかに上下している。
「異様な破壊能力だな。鉄で出来た飛蝗の群って感じだ。あれを食らって生きてる御輿も異常だが」
守明を小脇に、まんのう町が下りてきた。
僕はフラつきながら立ち上がって、御輿のところへ向かう。
御輿のそばにしゃがむ。手の平を御輿へ近づける。
「殺すなよ」
まんのう町の声が止めた。
僕は振り返る。
足をやや引きずりながら彼は近づいてくる。
「アシストの礼はいい。お互い様ってことにしておくぞ。なあ、さっきのあの音な。アニメ化したヒーローにしかだせないんだぜ。少年ジャンプじゃあの音が出せて一人前みたいなところあるからな」
僕は彼を見、また御輿へ向き直って、再び手刀を振りかぶった。
「殺すな」
まんのう町が繰り返した。
「……なぜ?」
「ロッカを生き返らせたいんだろう? なら殺すな」
思いがけない言葉だった。僕は驚いてもう一度まんのう町を振り返る。
その時、たくさんの声が近づいて来た。
学校のみんなだ。
霧は完全に晴れていた。




