7 御輿Ⅰ
◎
霧の中に、滲んだ月の輝きを見た。
バロックの破片だ。
『彼』から譲り受けたバロック。
僕が選んだバロック。
破片は、握りしめると猫のように溶けて僕へと染み入ってきた。
後で聞いた話によると、僕は猫の影に運ばれて帰還したのだという。
まず消えゆく霧のなかに金木犀が匂った。
そして、鳴き声とともに小さな黒い影が集まってきた。まっ影で出来た体に口と瞳だけが光っている。その影が集まって、溶け合い、やがて人の輪郭を形成した。
鳴き声がやんだとき、僕はそこにいた。
まず、まんのう町の驚いた顔が目に入る。
「待たせたな」と言ってやった。
僕のバディの第一声はこうだ。
「帰還のしかたが気持ち悪い」
お前が言うな。
本当のところ、彼の涙が光る瞬間を僕は見てしまったのだが武士の情けで指摘しなかったのに。
「鼠のシッポだけ食って生きる悪魔みたいだったぞ」
黙れ。泣いてたくせに。
◎
「――うん。空気ってこんな味か」
生まれ直した身体で、僕は周囲を見渡した。
風が入ってきていた。
霧が消えかけている。
散乱した瓦礫。
静磨――シゲさんが倒れている。
モリアキは柱の陰。
僕が霧の中で視たとおりだ。
まんのう町は、怪我が増えている。
僕が消えかけていた間に、御輿との間に何合かの打ち合いがあったらしい。彼に戦う力は残っていないようだ。
彼は僕を見あげて、こう確認してきた。
「お前は今もウルタール、でいいんだな」
「うん。猫たちが助けてくれた……それに、呼んだだろ?」
「掴んだんだな?」
風の中、僕は自分の手を眺める。
そこには何もない。だが確かに『掴んだ』感覚があった。バロックの脈動を感じる。猫の形をした孤独のなかに月みたいに浮かんでいる。
その時、僕は自分が裸なのに気づいた。
「いや――できるきがする」
まんのう町がコートを投げようとするのを遮って、僕は自分の素肌をひと撫でする。〈11ぴきのねこ〉そっくりの毛並みが表れて、素肌を覆った。
まんのう町の何とかモードがヒントになった。
「掴んだよ」と僕は答える。「僕はウルタール。僕は猫の聖堂。そして学校を僕の故郷とする」
「バロック。何を言ってるか分からん」
「ああ。これからも言い続けるさ」
「……御輿は〈玉葱冠〉の時より強力になっているぞ」
「分かってる」
僕は御輿に向かい合う。
〈蒼獣〉の姿になった彼は、四対の翼と黄金の装飾、同じく黄金の杖を身につけている。
「いったい――」
彼が何か言おうとした。
すでに僕はバロックを振るっている。
黒い毛並みの袖口から琥珀色の刀が顕れた。水のように手に馴染み羽根のように軽かった。
光のように速く、夜のように艶やかな〈11ぴきのねこ〉が御輿を捉えていた。
「おおおおおおお」
という雄叫びを上げ御輿は受けとめようとする。
僕がこれまでに放ったことのない規模の奔流だった。確実に力が増している。
〈11ぴきのねこ〉の通った跡はすべてが食い荒らされ、バニラアイスのようにえぐれていた。
スプーンあとの終着点に、血まみれの御輿が残った。
まだ立っている。
羽根が食い荒らされ骨だけになっている。
水晶を防御に使ったのだろう。破片が胸から血とともにこぼれ落ちていた。金の錫杖が虫食いになっていた。巻き上げられた彼の血しぶきが、遅れて地面を濡らした。
試し撃ちにしてはなかなかの成果だ。
彼は現実が受け入れられない様子でわなないている。
「――馬鹿な。帰ってこられるはずがない……お前は目の前で消えたはずだ。無から生まれてこられるのは神だけだ」
「猫を殺したろ。だから来た」
「――バロック‼」
〈蒼獣〉御輿が飛びかかってきた。
開戦だ。
御輿が錫杖を振るう。
波のように水晶が走って僕を襲った。
飛んで躱すが、まさしく水のように跳ね上がって、僕の足を絡め取ろうとしてくる。
僕は空中でそれもかわす。御輿からは黒い影が蕩け見えただろう。同じく水のように、あるいは猫の様に。
そのまま地を滑って御輿へ接近する。
黒い毛並みに隠していた琥珀刀を切り払う。バロックは服のなかではなく僕の体内に潜んでいる。
「――刀を自在に出し入れできるのか」
御輿は錫杖で受けた。冷徹な瞳で分析を繰り返している様子だ。
彼は意識を集中してさらに水晶を展開してくる。
僕の方が早い。蕩ける猫の動きで御輿の側面に回りこんでいる。
「切り返しは私より速いか――」
琥珀刀の輝きに反応して、御輿は防御の姿勢をとる。
刀はフェイントだ。僕は、自由な方の手をさしのべる。
ひたりと、御輿の顔を撫でた。
「猫の声が聞こえるか?」
「――ッ!」
手のひらから〈11ぴきのねこ〉を放った。夥しい毛並みと爪と牙の奔流が御輿を竜巻のように包め。
「うぁあああっ――」
御輿は大きく飛んで竜巻のなかから逃れた。
「――刀以外からでも奔流を放てるのか……」
御輿の顔が大きく裂けていた。
「許さんぞ……」
彼は傷を手で覆った。するとその部分が肥大化し、一瞬、獰猛な獣の顔が覗く。
獣の顔はぼこぼこ蠢いて、すぐに御輿の顔に戻った。
どうやら強力な再生能力を持っているようだ。最初の〈11ぴきのねこ〉で受けた重傷も、すでに回復しつつある。
しかし消耗は免れないらしい。回復の直後には息を切らしている。
「その……コートも刃も力の一部というわけか。バロックは体内にあるようだな……だが私は――」
「ウルタールは猫の聖堂だからな」
台詞を遮られると、我慢の限界に達したらしい。御輿は激怒した。
「猫の話などどうでもいい! 私はお前などとは比べものにならない夢を追っているいるんだぞ! 猫だと⁉ バロック? カスだ! どいつもこいつも夢を、未来をないがしろにする!」
この怒りを隙とみて僕は素早く接近した。
低姿勢で移動しつつ、地面に落ちる自分の影を『掬い取る』。
掬い取った影が黒い刃となって僕の手の中にあった。黒い刃で斬りつける。
御輿が錫杖で受けた。
杖から水晶がまとわりついてくる。黒い刀へ浸蝕してくる。〈11ぴきのねこ〉が撃てない。水晶によって発動が阻害されているようだ。
鍔迫り合いになった。
御輿が片頬で笑う。
「なるほど。落ちた影も自分の一部というわけか。だが複数の場所から一度に黒い技は撃てないようだな。できたら今すぐ私を攻撃している。影からでも体からでもな」
その通りだった。少なくとも今の僕には一回一度の〈11ぴきのねこ〉しか撃てない。今は黒い刀を使っているから、奔流を放つことができない。
僕は琥珀刀の方でも打ちこむ。
御輿は錫杖を上手く使って、黒刀を絡め取ったまま琥珀刀の方も受けとめる。
「私の分析が正しかったようだな」
「……ロッカさんを殺した。それもお前の望んだ未来なのか」
「――ロッカが?」
声を上げたのはまんのう町だ。
僕はわずかにあごを引いて見せる。ロッカさんは死んだ。僕は目の前で何も出来なかった。
御輿の方は、まるで神を冒涜されたかのように僕を睨み返した。
「女の話をしている? 私はルーシーのためにここにいるんだぞ!」
錫杖が二本の刃を押し返してくる。
僕は黒い刃を捨て琥珀刀を両手で握る。
そのまま全力の力で押し切ろうとする。
錫杖がひしゃげる。
それが断ち切られる寸前、御輿は素手で刃を掴んだ。
獣の握力。刃は押すことも引くことも出来ない。斬れない。
僕はそのまま〈11ぴきのねこ〉を撃ち出す。
手榴弾を握り潰したような形になった。
黒い奔流と一緒に血が舞う。
御輿の右腕肘から先が失われていた。だが腕と引き換えに、被害は最小に抑えられていた。彼は致命傷を免れていた。
失った部分が、すぐさま獣の腕に変わる。
完全な再生を待たず、彼は詩の詠唱をはじめた。
「――主よ! 一人の完全な男! 泡の中から立ち上がる無言、雷の化石、三角の頭部を戴く千人目の継子――」
人造秘蹟――。
直後、これまでにない規模で、水晶柱が荒れ狂った。
透き通った鋭い刃が、あらゆる方向へ乱立する。巨大な茨に埋め尽くされた森のようだ。
今のまんのう町が避けられる攻撃ではない。
僕は水晶あいだを縫って走り、彼らの所まで下がった。
猫のコートを広げて、まんのう町とモリアキを包んだ。
そのまま二人を抱え、研究棟の屋根まで避難した。
「すごい規模の攻撃だな。獣の力と人造秘蹟を組み合わせたのか」
「大丈夫か?」
「水晶の茨よりは猫の毛皮の方がマシだな」まんのう町は強がってそう言った。「御輿から目を離すなよ」
眼下で水晶が砕けていく。持続時間は長くないようだ。
水晶が消え地面が見渡せるようになった。
御輿を探す。倒れたシゲさん――静磨=ゲープハルトの傍らにいた。
僕は初め、彼が何をしようとしているのか分からなかった。
御輿は獣の爪がはえた手刀で、静磨の胸を貫いたのだ。
えぐるような動きのあと、何かを取り出した。白い虫、いや指に見えた。
「〈ルーシーの欠片〉だ」
まんのう町が叫んだ。「止めろ! 御輿は聖体を増やしてパワーアップする気だ」
僕も遅れて事態を察した。
大規模攻撃は僕らの意識を逸らすための囮だったらしい。
僕は御輿へ向かって跳んだ。
御輿が喉を反らせ、聖体を嚥下するところだった。




