5 まんのう町工場
◎
いつか、まんのう町は話してくれた。
父は漫画家だったのだという。
短い連載だったが、後に「SETO―灼熱伝―」の作者になる岸本青年をアシスタントに使ったことがある、というのが自慢だった。父親は酔っ払うたびその頃の話をした。
まんのう町少年は父の言葉を信じて、いわば父の弟子の作品に当たる「SETO―灼熱伝―」を読んで育った。
主人公セトから学んだのは、努力大切さと、自分を諦めない心。仲間の手を決して離さない覚悟。
セトを身内のように感じながら、何度も読み返した。そのうち、父親に対する疑念が増していった。
父はもう漫画を描いていない。家庭は壊れていった。生まれるはずだった弟。離婚。そういう事柄をまんのう町は断片的に憶えている。その果てに、父子は郷里のシコクへ出戻って来たのだ。
父はしかし、新作の構想だけは常に持っていて、機嫌の良いときはその内容を聞かせてくれた。でも、実際に筆を執っている姿を、子供は見たことがなかった。不満そうにアルバイトへ出かける背中しか彼は知らない。
父は逃げているだけじゃないのか?
子供心にも、そう考えるようになっていったのだという。
結局、父の新作を見ることはないまま、全ては霧のなかに消えてしまった。
まんのう町が霧に遭遇したのは、父の職場の近くだった。
父が無断欠勤するので、出勤の際には職場まで着いていのがまんのう町の仕事だった。そういう情けない遠回りをした後、学校へ行くのだ。
その日、子供は全部バカらしくなった。
父を置き去りにして駆け出した。学校もサボって、でも行くところがないので空き地の廃車のなかで過ごした。それは、父の職場「まんのう町工場」の近くだった。父親と同じように逃げている、という自覚があったという。
「父さんも分かってはいたはずだ、セトのように努力するべきだった。でもその勇気がなかった」
まんのう町はそう言っていた。「だから、俺は生き残ってセトにならなきゃダメだと思った。霧に食われなければ、親父はいつか新作を描いてたはずだ。でも親父は霧に溶けてしまったし、俺は漫画が描けないからな。じゃあ俺はセトってことになる。だろ?」
バロック。意味が分からない。
でもその話を聞いたとき、僕は笑いはしなかった。僕には彼ほど家族を想ったりできない。きっとセトならできただろう。まんのう町はそうなりたかったんだ。
霧は工場も、まんのう町の父も「SETO」の単行本も喰い尽くし一匹の〈獣
〉に変えた。
そしてその〈獣〉を打ち破り、バロック使い「まんのう町」が誕生したのだ。
◎
そのまんのう町が、敵の前に膝を着いている。
静磨=ゲープハルト。僕らの寮父だった男。突き出した彼の指先に、膨大な力が集中していく。
「力の差は歴然。その上ガキを気にして集中し切れてねえ。バロック使いを象徴するかのような醜態だなァ。棄てるべきものにこだわって自滅していく」
「俺は……セトじゃなかった」
「……後ろのガキごと消してやるよ。お前は故郷を失ったまま、子供一人も救えず、歴史から忘れ去られる。じゃあな、何者でもなかった男」
〈悲劇〉と名づけられた破壊の光が、まんのう町へ迫った。その時である。
「そう……俺はセトじゃない。セトが俺だ。俺は――〝原作〟なのだから!」
まんのう町のバロックが強烈な光を発した。
だが、まんのう町の覚醒を語るにあたって、クソガキことモリアキについて説明が必要である。
「頑張れセトぉおおおお!」
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「頑張れセトぉおおおお! おのれ悪者めエエエ! セトはこんなところで諦めたりしない! あと子供は絶対見捨てない!」
まんのう町を応援し続けるモリアキ少年。彼はまんのう町をセトだと信じたのか? もちろんそんなことはない。彼は生きるためそうしている。
「頑張れセトぉおおおお!」
モリアキは一般人である。この戦いの意味を理解していない。
しかし状況から判断して、彼を助けてくれそうなのは、まんのう町だけだ。ならば生きるため全力で頼るしかないのだ。彼はそう判断した。
「頑張れセトぉおおおお! 信じてるよセトぉおおおお! アンケートも出します」
思春期の命ともいえるプライドを投げ棄て、少年は英雄妄想厄介漫画オタクこと〈まんのう町工場〉のご機嫌を取った。そう、彼は大人になったのだ。
彼は生きることの難しさを知った。走馬灯のチラつく頭で父の姿を見た気がした。記憶の中の父は電話口にペコペコ頭を下げていた。モリアキはその背中を想った。父さんは必死で働いてくれていたんだ。彼もそうする。
「頑張れェエエエエエ! 負けるなアアアアアアお願いします!」
今、その彼の目の前でまんのう町が膝を着いている。
「俺は……セトじゃなかった……」
「後ろのガキごと消してやるよ」
青い光が二人を襲う。
「が――頑張れェえええええ! セトッセトうぉおおおお!」
モリアキは全力を尽くした。
その願いが通じたのだろうか。まんのう町が立ち上がった。
金色の輝きが、青白い破壊の光を受け止めていた。
「セトぉ!」
「そう……俺はセトじゃない――原作なのだから!」
え? 原作って? とは彼は問わなかった。
生きるため、彼は最速の選択をした。戦場では理由を問うている暇などないのだ。モリアキの若い命が眩しいまでに生を欲して輝いていた。
「頑張れ原作のセトぉおおおおおおお!」
◎
バロックの強さは〈歪み〉の強さ。
その事実をモリアキが知るはずもない。だが、この様子がおかしい男を肯定し続けるべきだ、そう彼の生存本能が告げていた。
敵の放った青白い光と、まんのう町の拳がぶつかった。
「セト……セトさん、お願いします」
苦しげに、しかし着実にまんのう町は悲劇を押し返していく。
「まったく……どうかしてたぜ。俺自信が主人公だってのにな。漫画のイメージに引っ張られて自分に枷をかけていた。もっと自由に戦って良かったんだ。俺は『原作』……漫画にない戦いをしてもいい。シゲさん……あんたのおかげで目が――醒めたぜ! 変身!」
変身って何だよ? 漫画のセトにそういう展開は存在しなかった。だがモリアキは指摘しない。彼は大人になったのだ。
「うおおおおいっっけええええ! セト! 『変身』だァー!」
まんのう町の体を金色の光が覆った。
いったん爆発するように拡がった光が、次第に集まっていく。凝縮し、物質的なレベルに達する。
輝く装束が、まんのう町の体を包んでいた。
皮膚にも金色の模様が走っている。
以前、彼はバロック腕輪を擬似的に増殖させたが、これはその発展形といえるだろう。全身をバロックの光で覆う。それは身体をバロックと化したに等しい。それは筋肉であり神経であり外骨格の役割を果たすのだ。
「おおおお――ッ」
彼は全身に力をこめると〈悲劇〉を強引にねじ曲げた。
逸れた〈悲劇〉が、空中で青い爆発の花を咲かせる。
その花を背後に、まんのう町はポーズを決めた。
「――待たせたな!」
それは「SETO―灼熱伝―」コミックス十一巻表紙から剽窃したポーズに違いなかったが、奥ゆかしくもモリアキは指摘しなかった。『原作』様の興をそいでは命に関わる。
「頑張れ原作のセトぉおおおお!」
「モリアキ」
「頑張れ原作のセトぉおおおお!」
「解説していいぜ」
厄介な男が言た。
え? 解説? とはモリアキは訊かない。即座に技の説明を捏造した。彼もまた生存本能の化物といえた。
「説明しよう! ちびっ子を護りたい、その気持ちが最大限にまで高まったとき『あの力』がセトに力を貸してくれるんだ! これぞ『原作』セトのサンシャインモード! これぞ『原作』セトのサンシャインモォオオード!」
「気に入った!」
まんのう町が光芒を残して駆けた。
まさに閃光といえる速度の肘打ちがシズマを捉える。
「――何ッ」
戦いが始まって初めて、まんのう町の攻撃がまともにヒットしていた。
そうなるとモリアキも黙ってはいない。
「ウィーアー! ファイッティンッビーバー!」
全力の手拍子とともに、アニメ版「SETO―栄光伝―」のテーマソングだ。彼のとっさの応援歌。命じられたことをやるだけでは「上」へは行けないのだ。
凶暴な敵に「ウルセえ」と怒鳴られても、モリアキは止めなかった。ここが正念場と彼は理解していた。手を叩き、足を踏み鳴らす。
「ファイッ! ティンッッッ! ビーバー! たッかみをッ目指してッ」
「なんだコイツら……」
「シゲさん、俺はここでアンタを超える!」
まんのう町が更に加速して、静磨へ迫る。
バロックは彼の神経の代わりまでしている。人間を超えた反射速度で攻撃を繰り出し、まら躱し〈蒼獣〉と渡り合った。
「調子に乗るんじゃ――ねえ!」
シズマの反撃がヒットした。
が、まんのう町は持ちこたえた。
仰け反った姿勢から、彼は複雑な印を組む。
頬がぷくりと膨らんだ。エコーの効いた声と共に、火炎の渦がシズマへ襲いかかる。
「崇徳院大摩炎の術!」
術ってなに? とはモリアキは言わない。
「出たァ! サンシャインモードの崇徳院大摩炎の術! 体内で練ったチャクラを炎に変えて放つセトの得意技!」
モリアキの解説に勢いづいて、まんのう町はさらに「技」を繰り出していく。
クソでか手裏剣。
セト玉剛速球の術。
連続足蹴り連弾。
なお、まんのう町が横目でチラチラ様子を窺ってくるため、モリアキはつど解説を加えなくてはならなかった。サボるとテンションが目に見えて下がり、敵の攻撃をガンガン食らいだすからだ。この戦いの優劣を左右するのは、そう読者だ。
「で、出たァー! これは……あれだ……子供の目にも留まらない凄い攻撃!」
「やかましいッ」
シズマの反撃。
今度は、まんのう町の方が額で受けた。
仰け反った姿勢から、彼は複雑な印を組む。
頬がぷくりと膨らんだ。エコーの効いた声と共に、火炎の渦がシズマへ襲いかかる。
「陽遁・五色迦具土の術!」
「――くあああッ……おい、さっきと同じ技じゃねえか!」
「……モリアキ」
まんのう町がまた攻撃を食らい始める。
試されるモリアキの対応力。
「否! 五色迦具土は状況判断から生み出された崇徳院大摩炎の対空バージョン! セトは戦いの中で進化するんだッ! そして子供は決して見捨てない!」
「その通りだ。最近の読者はよく見ているから油断が出来ないぜ」
「うるせえッ!」
こんな無茶苦茶なやり取りに反して、形勢はまんのう町に傾き始めていた。
「なんなんだこのバロック野郎――ッ‼」
まんのう町の輝く拳がシズマの顔面を打ち抜いた。
これまでにない強力な一撃だ。
シズマが地面を滑って研究棟へめりこむ。
まんのう町が雄叫びを上げた。
「見てるか父さん、岸本先生! セトはここに生きているぞ!」
バロック。
しかしこれは彼の魂の叫びなのだ。誰に否定されようと、それが彼の生き方だ。
「ふざけやがって――!」
瓦礫を吹き飛ばし、シズマが飛び出してくる。
牙を剥き〈悲劇〉の構えをとる。
これまでで最大の力が拳へ集中はじめた。周囲の瓦礫が震えるほどだ。
一方、まんのう町は――静かな目で元寮父を見つめていた。
彼の左拳にも眩い力が集まり始めていた。静かで、力強い決意の力が。
「シゲさん……アンタはどうして俺たちを、いや自分の道を裏切った?」
「……俺は進むんだ。ルーシーの夢を継ぐことでな」
「夢を継ぐ? 自分の祈りを見失っただけだろ?」
「バロック。お前たちの方こそ何も見えちゃいねえ、バロック使いは歪んでるんだよ」
「――かもな。そうかもしれないよ、父さん」
「――その苦しみから解放してやるって言ってんだッ‼」
黄金と蒼、二つの輝きがぶつかった。
周囲から一切の音が消えた。
やがて音と色が戻ってきた時、立っていたのはまんのう町の方だった。
倒れ伏す静磨に、彼はこう告げた。
「確かに俺は歪んでいる。だが自分で選んだ祈りだ。貫いてみせるさ」




