4 蒼獣
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「ルーシーの全てを手に入れる。それが俺たちの目的だ。若さ? 不死? そんなモンはどうだっていいんだよ!」
静磨=ゲープハルトの姿が消えた。
背後にゾッとするような鬼気。
振り向いたまんのう町の眼前に、静磨=ゲープハルトの獰猛な笑みがあった。
「遅えな」
「――ッ」
辛うじて防御したまんのう町が大きく後退した。単純な力で押し負けたのだ。
相手は人間の姿のまま、素手の一撃だった。
「何だよ情けねえな。師匠として恥ずかしいぜ」
「……俺にはあんたの方が惨めに見えるけどな」
「強がってんのが見え見えだぜ。お前は人前で泣かない子供だったが、泣いたのを隠すのは下手クソだったよな」
「……裏切り者がもう喋るな」
「ジウスはルーシーのことで何か隠している。たぶん教会へ対してすらもな。それを見つけ出さねえことにはルーシーの夢は継げない。お前、何か知らねえか。ジウスが何か隠すとしたらどこだ?」
「言う思うか?」
「言っといた方がいいと思うがなァ――」
「ちょっとおッ? 何これ? おえええええ?」
モリアキが混乱と恐怖の悲鳴を上げた。当然だが彼には何が起こっているのか理解できない。
彼は腰を抜かしていて這いずるようにしか逃げられない。三年たちからも大きく離れてしまっていた。彼を庇いつつ、三年に合流するのは不可能だ。静磨=ゲープハルトの速さはまんのう町を大きく上回っている。
「……モリアキ。霧にふれるなよ。その柱の影から決して動くな」
唯一の救いは、近くに霧避けの防衛機構があることだ。モリアキはその柱に待機させるしかない。
まんのう町は戦いの構えをとった。
「そうだ、やるしかないんだよ。背を向けた瞬間、二人とも殺すぜ。ガキ一人でも逃がして仲間呼ばれたりルーシーの資料を隠されたりしたら厄介だからな」
静磨=ゲープハルトは無造作に近づいてくる。
「……人の姿のままでいいのか? もったいぶらず獣になったらどうだ? 猫一匹にオタついてたあの人獣に変わればいいだろ」
威勢のいい言葉に反して、まんのう町の声は強張っている。
彼の腕は腫れ上がり、毛細血管の形に痣ができていた。最初の攻撃を受けたときにこうなった。彼はありったけの力を腕にこめたて防御した。にもかかわらずこれだけのダメージを受けたのだ。
「安い挑発だなァ」
声がしたときにはもう、静磨=ゲープハルトが側面へ回りこんでいる。
今度は受けきれなかった。大きく吹き飛ばされてしまう。
「〈獣〉は図体がデケエぶん相手を見失いやすい。ガキ逃がすには獣相手が有利だとふんだんだろうが甘かったな――」
声だけを残して、静磨=ゲープハルトは縦横無尽に動き回る。
そのたび、まんのう町はなすすべもなく撥ね飛ばされた。
やがて、静磨=ゲープハルトが姿を現す。慣性を完全に殺し、ピタリと制止した。嵐のなかの一瞬の静寂、といった状況だった。
散々なぶられつくしたまんのう町が、たたらを踏んだのち、膝を折る。
「辛うじて致命傷を避けてやがるのは、さすがの経験とセンスってやつだな」
「お前は、この力は――」
まんのう町の口から驚きの声が洩れる。「――人獣」
シズマの姿が変化していた。
人間のサイズのまま〈獣〉の特徴を身に纏っていた。
獣のたてがみ。煌びやかな装飾具。鋭い爪。豹に似た足の形状。
唇を割って、牙が見え隠れした。
「そういやぁ俺たちが〈始末人〉を恐れてるみてぇなコト言ってたよな。確かに俺たちに与えられた聖体は小さい。取り込める獣の力も限界がある。だが俺たちは人獣になって以来研究を続けてきたんだぜ。より効率よく獣の力を扱えるようにな。この姿が成果だ」
「人の姿のまま獣の……いやそれ以上の力を……」
まんのう町の拳が震えていた。
研ぎ澄まされた鬼気が、シズマのしなやかな身体から迸っていた。
「なんだ――ビビってガチガチじゃねえか」
これまでにない速度でシズマが突進した。
まんのう町は唖然としたまま、しかし本能で拳を振り抜いた。
見えてはいない。長年手合わせを繰り返した相手だ。弟子としてのカンだったに違いない。
「合わせてきやがった! さすがだ!」
シズマの声は戦いを心底楽しむ者のそれだった。
カウンターのタイミングで放たれた拳を、彼は額で受けた。
衝撃と共に光が散った。
まんのう町の全力をこめたバロックの力が弾かれていた。拳が裂けて血が流れた。
「なんだと――」
「さすがだが地力が違いすぎたな。御輿は〈蒼獣〉とか気取って名づけてやがったが、〈蒼獣〉の状態となった俺たちの力は教会のいう一〇〇階層を超える。お前たちが普段戦っている獣の――優に二〇倍の力だ」
まんのう町の顔に、初めてはっきりとした恐怖が走った。
ちらりとモリアキの方を見た。
おそらく彼のなかに逃亡の意志が生まれたのだろう。だが間に合わない。
シズマが追撃をしかける。
蒼獣の動きには、獣の荒ぶるしなやかさと、訓練された人間の体術が同居していた。
「どうだ? さらに俺たちは〈蒼獣〉以外にも様々な技術を編み出した。例えばこれは――時空を歪める霧の性質を利用した〈《現象〉」
影すら落とさず、静磨=ゲープハルトが加速した。
特殊な移動術のようだ。予備動作なしで接近、打撃を与えたあとは、すでに死角へ回りこんでいる。その全てが空間を無視したような速度で行われた。
まんのう町の体があらゆる方向から撃ち抜かれる。
もう彼には致命傷を避けて防御するしか方法がない。倒れることすら出来ないようだった。
彼は小さく呟いている。
「『SETO―灼熱伝―』第十一巻……」
「〈オマジナイ〉でバロックの力を高めたって焼け石に水だぜ」
とっさの反撃は、あっさり受け止められた。
「――な? 無駄だったろ。そろそろ心も折れるか?」
唇を歪めて笑うと、シズマはまんのう町の心臓めがけて、貫手を構えた。
その時、子供の声が響いた。
「頑張れセトぉおおおおお!」
「あぁ?」
シズマが動作を中断し、振り返る。
柱の影のモリアキの声だった。彼は必死の様子で繰り返した。
「頑張れセトぉおおおおお!」
「ハハ。だってよ――お。頑張るじゃねえか」
わずかな隙にまんのう町は体勢を立て直していた。
「頑張れセトぉおおおおお!」
子供の声が三度響く。
その声に押された様に、彼は拳を振るった。
また受け止められた。
倍の力がまんのう町を殴り飛ばした。爪が彼の頬を斬り裂いた。
「無駄だって分かったか? ガキにも言ってやれよ『もう無理です』って」
シグマが獣の優雅さで近づいていく。
「開発した技術はまだあるぜ。〈虚無の霧〉の分解能力と〈獣〉の力を混ぜ合わせた光波〈悲劇〉だ。こいつでガキもろとも消し去ってやるよ」
つきだしたシグマの指先に、冷たい力が集まっていく。
まんのう町の背後にはモリアキがいる。避けることはできない。
「頑張れ、頑張れセトぉおお!」
子供の声援は続いている。
しかし、まんのう町の口から漏れたのは、諦めたかのようなセリフだった。
「――ああ。俺はセトじゃなかったのか」
「やっと気づいたかよ――じゃあな。何者でもなかった男」
薄青い光がほとばしった。




