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バロック!!  作者: 羊蔵
五章 君は愛のチェリー
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32/39

4 蒼獣

 ◎


「ルーシーの全てを手に入れる。それが俺たちの目的だ。若さ? 不死? そんなモンはどうだっていいんだよ!」

 静磨=ゲープハルトの姿が消えた。

 背後にゾッとするような鬼気。

 振り向いたまんのう町の眼前に、静磨=ゲープハルトの獰猛な笑みがあった。

「遅えな」

「――ッ」

 辛うじて防御したまんのう町が大きく後退した。単純な力で押し負けたのだ。

 相手は人間の姿のまま、素手の一撃だった。

「何だよ情けねえな。師匠として恥ずかしいぜ」

「……俺にはあんたの方が惨めに見えるけどな」

「強がってんのが見え見えだぜ。お前は人前で泣かない子供だったが、泣いたのを隠すのは下手クソだったよな」

「……裏切り者がもう喋るな」

「ジウスはルーシーのことで何か隠している。たぶん教会へ対してすらもな。それを見つけ出さねえことにはルーシーの夢は継げない。お前、何か知らねえか。ジウスが何か隠すとしたらどこだ?」

「言う思うか?」

「言っといた方がいいと思うがなァ――」

「ちょっとおッ? 何これ? おえええええ?」

 モリアキが混乱と恐怖の悲鳴を上げた。当然だが彼には何が起こっているのか理解できない。

 彼は腰を抜かしていて這いずるようにしか逃げられない。三年たちからも大きく離れてしまっていた。彼を庇いつつ、三年に合流するのは不可能だ。静磨=ゲープハルトの速さはまんのう町を大きく上回っている。

「……モリアキ。霧にふれるなよ。その柱の影から決して動くな」

 唯一の救いは、近くに霧避けの防衛機構があることだ。モリアキはその柱に待機させるしかない。

 まんのう町は戦いの構えをとった。

「そうだ、やるしかないんだよ。背を向けた瞬間、二人とも殺すぜ。ガキ一人でも逃がして仲間呼ばれたりルーシーの資料を隠されたりしたら厄介だからな」

 静磨=ゲープハルトは無造作に近づいてくる。

「……人の姿のままでいいのか? もったいぶらず獣になったらどうだ? 猫一匹にオタついてたあの人獣に変わればいいだろ」

 威勢のいい言葉に反して、まんのう町の声は強張っている。

 彼の腕は腫れ上がり、毛細血管の形に痣ができていた。最初の攻撃を受けたときにこうなった。彼はありったけの力を腕にこめたて防御した。にもかかわらずこれだけのダメージを受けたのだ。

「安い挑発だなァ」

 声がしたときにはもう、静磨=ゲープハルトが側面へ回りこんでいる。

 今度は受けきれなかった。大きく吹き飛ばされてしまう。

「〈獣〉は図体がデケエぶん相手を見失いやすい。ガキ逃がすには獣相手が有利だとふんだんだろうが甘かったな――」

 声だけを残して、静磨=ゲープハルトは縦横無尽に動き回る。

 そのたび、まんのう町はなすすべもなく撥ね飛ばされた。

 やがて、静磨=ゲープハルトが姿を現す。慣性を完全に殺し、ピタリと制止した。嵐のなかの一瞬の静寂、といった状況だった。

 散々なぶられつくしたまんのう町が、たたらを踏んだのち、膝を折る。

「辛うじて致命傷を避けてやがるのは、さすがの経験とセンスってやつだな」

「お前は、この力は――」

 まんのう町の口から驚きの声が洩れる。「――人獣」

 シズマの姿が変化していた。

 人間のサイズのまま〈獣〉の特徴を身に纏っていた。

 獣のたてがみ。煌びやかな装飾具。鋭い爪。豹に似た足の形状。

 唇を割って、牙が見え隠れした。

「そういやぁ俺たちが〈始末人〉を恐れてるみてぇなコト言ってたよな。確かに俺たちに与えられた聖体は小さい。取り込める獣の力も限界がある。だが俺たちは人獣になって以来研究を続けてきたんだぜ。より効率よく獣の力を扱えるようにな。この姿が成果だ」

「人の姿のまま獣の……いやそれ以上の力を……」

 まんのう町の拳が震えていた。

 研ぎ澄まされた鬼気が、シズマのしなやかな身体から迸っていた。

「なんだ――ビビってガチガチじゃねえか」

 これまでにない速度でシズマが突進した。

 まんのう町は唖然としたまま、しかし本能で拳を振り抜いた。

 見えてはいない。長年手合わせを繰り返した相手だ。弟子としてのカンだったに違いない。

「合わせてきやがった! さすがだ!」

 シズマの声は戦いを心底楽しむ者のそれだった。

 カウンターのタイミングで放たれた拳を、彼は額で受けた。

 衝撃と共に光が散った。

 まんのう町の全力をこめたバロックの力が弾かれていた。拳が裂けて血が流れた。

「なんだと――」

「さすがだが地力が違いすぎたな。御輿は〈蒼獣ブルーブラッド〉とか気取って名づけてやがったが、〈蒼獣〉の状態となった俺たちの力は教会のいう一〇〇階層を超える。お前たちが普段戦っている獣の――優に二〇倍の力だ」

 まんのう町の顔に、初めてはっきりとした恐怖が走った。

 ちらりとモリアキの方を見た。

 おそらく彼のなかに逃亡の意志が生まれたのだろう。だが間に合わない。

 シズマが追撃をしかける。

 蒼獣の動きには、獣の荒ぶるしなやかさと、訓練された人間の体術が同居していた。


「どうだ? さらに俺たちは〈蒼獣〉以外にも様々な技術を編み出した。例えばこれは――時空を歪める霧の性質を利用した〈《現象ブルー・フェノメノン〉」

 影すら落とさず、静磨=ゲープハルトが加速した。

 特殊な移動術のようだ。予備動作なしで接近、打撃を与えたあとは、すでに死角へ回りこんでいる。その全てが空間を無視したような速度で行われた。

 まんのう町の体があらゆる方向から撃ち抜かれる。

 もう彼には致命傷を避けて防御するしか方法がない。倒れることすら出来ないようだった。

 彼は小さく呟いている。


「『SETO―灼熱伝―』第十一巻……」

「〈オマジナイ〉でバロックの力を高めたって焼け石に水だぜ」

 とっさの反撃は、あっさり受け止められた。

「――な? 無駄だったろ。そろそろ心も折れるか?」

 唇を歪めて笑うと、シズマはまんのう町の心臓めがけて、貫手を構えた。

 その時、子供の声が響いた。

「頑張れセトぉおおおおお!」

「あぁ?」

 シズマが動作を中断し、振り返る。

 柱の影のモリアキの声だった。彼は必死の様子で繰り返した。

「頑張れセトぉおおおおお!」

「ハハ。だってよ――お。頑張るじゃねえか」

 わずかな隙にまんのう町は体勢を立て直していた。

「頑張れセトぉおおおおお!」

 子供の声が三度響く。

 その声に押された様に、彼は拳を振るった。

 また受け止められた。

 倍の力がまんのう町を殴り飛ばした。爪が彼の頬を斬り裂いた。

「無駄だって分かったか? ガキにも言ってやれよ『もう無理です』って」

 シグマが獣の優雅さで近づいていく。

「開発した技術はまだあるぜ。〈虚無の霧〉の分解能力と〈獣〉の力を混ぜ合わせた光波〈悲劇ペイル・ブルー〉だ。こいつでガキもろとも消し去ってやるよ」

 つきだしたシグマの指先に、冷たい力が集まっていく。

 まんのう町の背後にはモリアキがいる。避けることはできない。

「頑張れ、頑張れセトぉおお!」

 子供の声援は続いている。

 しかし、まんのう町の口から漏れたのは、諦めたかのようなセリフだった。

「――ああ。俺はセトじゃなかったのか」

「やっと気づいたかよ――じゃあな。何者でもなかった男」

 薄青い光がほとばしった。


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