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バロック!!  作者: 羊蔵
五章 君は愛のチェリー
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31/39

3 ルーシー派

 ◎


 ――。

 ――――。

 ――――――。

 猫が、霧に溶けていく。二匹の親猫と、五匹もの子猫たち。

 僕は、また失敗したようだ。

 我を失い、バロックの力を発揮できなかった。それどころか、猫たちを巻き添えにしてしまった。

 僕のからだも、霧に溶け、拡散しつつある。

 意識は霧とともに、学園じゅうへ拡がって、どうやら学園のみんなの中へ混じり始めた。

 そのためだろう、僕はみんなの様子や記憶をのぞくことができた。


 ロッカさんが殺害される少し前、学長とユダのあいだに次のようなやり取りがあったようだ。


 ◎


 単調な長い廊下に、コツコツと足音が響く。

 学園の地下、シコクの卵へと続く廊下だ。合わせ鏡みたいに、いくつものドアが並んでいる。ここから〈シコクの卵〉へ、さらに未踏破の聖堂界へと入って行ける。

 足音の主――ユダの大柄なシルエットが、一つのドアの前で止まった。

「上役とのやりとりは、やはり聖堂で行うようだなあ? 人獣同士なら誰も入ってこない未踏破の聖堂で落ち合えるわけだ。そうだろユダ……いや胴花どうばなよ」

 ユダ――教師胴花が振り返る。黒髪の残した胸像と同じ顔。僕が初めて学園へ来たときに見た三人の教師のうちの一人。

 胴花の背後に、ジウス学長が立っていた。胴花からは一瞬で背後に現れたように見えたに違いない。尾行には警戒していたはずなのだから。接近した方法は不明だ。多分誰にも分からない。

「……何の、話なのか分かりませんね、ジウス学長せんせい

 彼からしてみれば、意識の警戒網を完全に擦り抜けてジウス学長が現れた、といった状況。にもかかわらず、胴花は汗もかかず、呼吸も乱れていなかった。常に覚悟を決めていたのだろう。その日が今日だっただけなのだ。

「今さらとぼけんなよぉ胴花。盗ってきたんだろ? 俺らのゲットした〈ルーシーの欠片〉のデータってとこか? 多分最後のスパイ仕事だ。そろそろ切られそうだってことでな。〈監視役〉か? それとも〈始末人〉が兼任してんのか? そいつと聖堂で落ち合ってデータの受け渡しする決まりなんだろう?」

「学長……お戯れを……」

「賭けてもいいが、この仕事が終わったらお前ら、消されるぜ。そろそろ愛想を尽かされるところだ」

「……本気で疑っているんですね。私を」

「確信だよ。お前は顔を見られたんだよ、目撃者を殺して霧のおかげで『なかったこと』にして、それで逃げ切れたつもりだろうが、そうはいかなかったな」

 胴花はもう反論しなかった。

 彼の大きな体が内側から波うった。衣服の隙間から獣毛が躍り出た。彼の体が人獣へと変化を始めていた。

 学長は両腕を垂らしたままである。

 気の抜けるような軽い声で、彼は人獣にこう提案した。

「なあ胴やんよ。投降しねえかい? あんたもあんたのスパイ仲間もシコク支部は受け入れる」

「――なに?」

 獣への変化の途中、しゃがれた声で胴花が訊き返す。

「抜けろって言ってるんだよ。深淵派だか不死派だか知らねえが、そこでの待遇はどうだ。大したもんじゃねえんだろ? 〈ルーシーの欠片〉だって木っ端しかもらえなかった」

 胴花の体が動揺した。獣化のせいか感情が抑えられなくなってきているらしい。

「図星かい? 最初から思ってたんだ。人獣十体は多すぎる。いくら何でもルーシーの主要部位を十個も集められたとは思えねえ。十体の人獣の中で、主要部位を与えられた真の〈深淵〉はせいぜい一人か二人。それはあんたらじゃねえ。人獣の力は使う聖体のランクによって決まる。そうだろ? 木っ端聖体じゃあ、大した〈獣〉は取り込めねえ」

 胴花は答えない。だが体は獣化を続けながら、断続的に痙攣している。

「実験体だったんだよ、あんたらは。第二のミストチルドレンってとこだ。そして〈獣〉だから主要部位を持つ上役には逆らえねえ。〈始末人〉がそうなんだろ? で、そろそろそいつがやって来る。その前に俺はあんたらを保護したいんだ」

「……保護?」

 ややあって胴花から応えがあった。

「おうよ。もちろん今まで通りの生活とはいかねえが、できる限り配慮はするぜ。情報を話してもらえりゃよ。まあ、あんたらには隔離生活を送ってもらうことになるだろうな。保護も兼ねて警備は付ける。どうだい? 生きてガキどもに償いをしたくねえか?」

「つぐない?」

「あんた結構無茶したよな。情報部からデータを抜き取って持ってきた――否定はしなくていい。これは今までにない強引な任務だ。そうだろ? 今回に限って上役があんたらに無茶を言ってきたのはこれを最後に消すつもりだからだ」

 胴花は再び黙った。

「なあ。疑っても仕方がないぜ? 上役とあんたが接触するまで游がせることだってできた。なのに今声をかけたのは確信してるからだ。次に情報を渡した時、あんたらは必ず始末される。それは誰も得しねえだろ。黙ってるな。あれかい? この口調が信用できねえのかな? それなら勘弁してくれ。ほら……俺は裏切られるのには慣れてるからよ。ルーシーとかな。ルーシーはツレだった」

 学長は軽薄に笑って見せた。

 胴花の重い口を開かせたのは、その笑顔ではなくルーシーに関する下りだったのかもしれない。彼は静かに両手を上げて見せた。

「あの女の子は……あれは想定外だった……と言っても信じてはもらえないでしょうね……」

 学長はやるせない仕草で首を振った。

 胴花の服が裂けた。

 上げた両腕とは別に、もう一対、獣の腕が生えていた。

 学長めがけて、鋭いかぎ爪を振るう。

 学長は跳んで躱す。

「信じるさ――」

 彼の手に、手品師の素早さで銃が握られている。リボルバー式の弾倉に宝石弾が装填されていた。

「――想定すべきだったのさ。お前も俺もな」

 宝石弾が発射された。

 胴花はそれを獣の腕で受けた。

 彼の姿が一気に膨らんで、巨大な四臂の人獣に変わる。四つの手に黄金の武具を握っていた。

 キンモクセイを攫った人獣のうちの一匹だ。

「深淵派? 不死派? 私たちの目的はそんな下らない輩とは違う!」

 四臂の人獣は、地下施設を破壊しながら学長へ迫った。

 学長は蝶のようにひらひらと躱した。反撃へ転ずる。発砲するたび、恐ろしい反動があるらしく、彼の体は中で回転した。その反動を学長が完全に制御していた。それどころか推進力に変えて、宙を自在に舞っている。

「――胴やんよう。じゃあ聞かせてくれよ。お前ら、どんな夢を見てガキどもを裏切ったんだい?」

 胴花の鉾が天井を破った。

 学長は壁を蹴って上へ逃れる。

 戦い舞台は地上へと移行した。


 ――戦闘開始を告げるサイレンが鳴り響いた。


 ◎


 サイレンが鳴り響いている。

 学園内を霧が満ちていく。御輿が展開した霧。僕が喰われ溶け入りつつある霧。

 学園の敷地のあちこちから装飾柱がはえだす。

 〈虚無の霧〉と〈獣〉の破壊に対する防衛機構だ。柱の周囲では霧が薄くなっている。

「おら一年ダーッシュ!」

「ここはゴリラにまかせろー!」

 学園のあちこちで生徒たちが戦の構えをとる。

 それと非戦闘員を避難させる者たち。あるいは容疑者から外れた大人たちを説得する者たち。これも戦いだ。

 一番霊場、ラーメン三八、パワーシティは聖歌隊を率いてサポートにまわっている。

 技術部の人たちも、装具を使って救護に来ていた。

 そして、御輿、胴花に続く裏切り者の三人目と戦う三年生の集団。三人目のユダは元教員狩谷だ。けっきょく、僕が最初に出会った三人の教員ぜんぶがユダだった事になる。

 あらかじめ立てた作戦通り皆が動いていた。想定外の事態に陥っているのは、僕とロッカさんだけのようだ。

 いや、もう一人いた。まんのう町だ――。


 ◎


「あんたも俺たちを裏切ってたとはな――」

 まんのう町の前に一人の男が立ちふさがっている。

「――シゲさん。いや、静磨シズマ=ゲープハルト」

 シゲさん。学生寮の管理人。僕らにカラテの稽古を付けてくれた柔和な老人。だが、これが同じ人物だろうか。

 まんのう町の目の前にいるのは、若々しい青年である。

 白髪だった頭髪は艶やかな灰金色に。深い皺の刻まれた顔は、青年の瑞々しさを取り戻している。スマートな体型はそのままに、しなやかな筋肉の気配を身に纏っていた。

 六十は超えていた姿が、二十代のそれへまで若返っている。

「若さ――か。裏切りの代償にあんたが手に入れたものは。目的は不死か?」

「代償だァ?」

 若返ったせいなのか、口調まで変わってしまっていた。

「わああ……」

 まんのう町の後ろでモリアキが悲鳴を上げる。彼はけっきょく巻きこまれてしまったのだ。


 静磨=ゲープハルトはまだ人の姿のままだ。だが青年の肉体の時点ですでに、秘めた力の気配が冷気のように放出されていた。

「何でもいいが、退いてくれるか? ファンを送り届ける途中なんでな」

 平静を装ったまんのう町の言葉。静磨=ゲープハルトはあざ笑った。

「気弱だな?」

「……ここでって、あんたに何のメリットがある? 裏切りはもうバレたんだ。尻尾を巻いて逃げりゃあいい。気づいてないなら教えるが、あんたら捨て駒にされるらしいぜ。〈始末人〉だかが回収に来るんだと」

「お前はァ――」

 静磨=ゲープハルトは、ドイツ製スーツのポケットへ両手を突っこんだまま、ふてぶてしい態度で通した。

「――ルーシーに会ったことが……そう。なかったな。だがジウスとは親しい。あの男からルーシーについて何か聞いてないか?」

「……何の話だ」

「ルーシーの話さ。俺が知りたいのは、それだ。そのためにまだここに留まっているし、そのためなら痛みを伴う尋問だって実行する気でいる。かわいい弟子相手でもな」

「ルーシー? ルーシーが何だっていうんだ?」

「夢さ」

「――夢? 何を言ってる?」

 まんのう町は戸惑っている。なぜここでルーシーの話になるのか分からない。

 静磨=ゲープハルトは歌うように応える。

「俺のなかに欠片だがルーシーがいる。情報さえ与えりゃあコイツが導いてくれるはずなんだよなァ」

「導く……?」

「ルーシーが何を求めたのか。それを知ることが出来る。彼の夢の続きへ、俺を連れて行ってくれるはずなんだよ」

「ルーシーの……続きだと……まさかシゲさん、あんた達の目的は――」

「どっちら? ジウスか〈クレメントプラザのロッカ〉か? 彼らはルーシーと親しかっただろ? ルーシーから何かを受け継いだ筈なんだ。あいつらどこにいる?」

「静磨――」

「ルーシーの全てを手に入れるのが俺たちの目的だ! 若さ? 不死? そんなモンはどうだっていいんだよ!」

 ここで初めて静磨=ゲープハルトが声を荒げた。

 彼の姿が一瞬消えた。

 次の瞬間には、まんのう町の背後へ回りこんでいる。


 ◎


 偶然だが、ほぼ同時刻。ジウス学長と胴花のあいだでも、同じ会話が交わされていた。

「ルーシーの夢を継ぐ。それが私たちの目的で全てだ!」

「ルーシーに魅入られたってわけか。深淵派や不死派を探っても見つからねえはずだ。目的そのものが違ったんだからな。〈ルーシー派〉とでも呼ぶべきか?」

 施設を破壊し、地上へ出た彼らは激しく交戦中だった。

 あまりに速く、あまりに激しい。そのため誰も援護に入ることさえできなかった。

「派閥ではない。我々はルーシーの後継者だ」

「……お前ら、ルーシーに会ったことねえよな? そういう人物はすべてマークしてるはずだからな。それが後継者だあ?」

「私らの中に〈ルーシーの欠片〉がある。我々は彼の夢を受け継ぐ彼の一部なのだ!」

「そうかい? お前らん中のルーシーとやらは何も語りかけちゃくれねえはずだぜ?」

「……情報と聖体の欠片が足りないだけだ、いずれ彼の意志を読み取ってみせる」

「違うね。あいつはお前らに何も求めちゃいないのさ」

「望郷とバロックに縛られたあなたたちには分かるまい。彼の夢を理解できる者がいなかった。だから彼は一人で決起したのだ」

「『誰もがルーシーに夢を見る』――か。バロックを捨てて夢を得たつもりかよ?」

 立て続けの宝石弾が人獣を捕らえた。

 四臂あるうち二本までの腕が、爆ぜるように切断された。

「――あああッ!」

「……もう止めときなよ……。お前さんが与えられた〈小片〉じゃ力にも上限があるんだよ。それに、こっから逃げられても〈始末人〉がお前さんらを追ってくるんだぜ。口封じと〈小片〉の回収にな」

 胴花の体が縮んでいた。

 一見すれば、獣の力が尽きて人間に戻りつつある、といった様子だ。

 だが、ジウス学長に浮かんだ表情は余裕のそれとは違った。反対だ。警戒心の青い波がさっと軽薄だった表情をさっと撫でた。

 地面に伏せたまま、胴花は淡々とした声を連ねた。

「……学長。我々は勤勉な教員だったでしょう? そんな我々がただ獣の力に頼るだけだと思いますか? 戦力とは、力の量のことをいうんじゃない。運用方とその効率のことなのですよ――」

「……おい。おいおいおい――」

 人間体の胴花が、新たな変化を起こし始めていた。


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