5 TATARIでSOTOBA
◎
「がははははッ! オーバーケーがーでーたーぞー!」
灰錆女は爆笑しながらUMAを量産している。
彼女の歪んだ認知では、死者は自分の方なのだ。
だから特殊な力が扱える。だから友達は生きている。
だから彼女は笑っていて、だkらその咳きこむような爆笑は、ときどき嗚咽と区別がつかない。
「出てこーい。お前の言う通り幽霊はいたぞ! それは私だあ! がはッがはははは! どこだー? オカルトくそ女!」
灰錆はバロックの力を放出し続ける。額のバロックが枯れたように色あせ始めている。
僕は近づいて来たサメを切り伏せる。そのあいだも灰錆から目を離せない。
再びまんのう町の忠告。
「集中しろ。女は置いておけ。今はこの状況を利用するんだ。敵は混乱しているはず。もちろん、ほんのわずかな逡巡だろうが、上手くやれば、俺たちに手番が回ってくる」
まんのう町は手をかざして怪異の観察を続けている。邪魔をしない方がいいだろう。〈欠片〉の場所が判明すれば僕らは有利になる。
僕は、自分のするべきことを自分で考える。
少しでもサメを倒しておくか、見晴らしの良い場所を探すか、囮になるか。灰錆女に対して、出来ることは……多分ないのだろう。
「がははははッ! オーバーケーだぞー! 私は! ここにいるぞ!」
UMAたちは灰錆の周りを無為にうろついている格好だった。目的を与えられていないせいだ。
これに乗って偵察に出たらどうだろう?
一つ目入道の背中に掴まろうとして、僕はやっぱり灰錆を無視できない。
ずんずん歩いて行って、灰錆の腕を掴んだ。
バロックの祈りに対して僕が出来ることはないかもしれない。でも、だから何なんだ?
「オバケだぞ! 私が間違ってた! オバケは実在した! ねえ? もう、お前が正しかったって証明されただろ、 だから出てきてよ……!」
「お前がオバケなのは分かったよ」
真珠の涙とともに灰錆が振り返った。
「聞いてくれ。はは。私は幽霊に、なった!」
「――うん」
「あいつの身体が私の腕を擦り抜けて落ちてった。私が幽霊になったからだ」
「うん」
「あいつの血は暖かかった。生きてるからだ。でも私はサメに食われても平気だ、幽霊だから! オカルトくそ女はオカルトで死んだりしない! 耐性があるから! オカルトでオカルトくそ女は死なない! 私はオカルトクソ女じゃないから幽霊になった! 暴力を振るうし、あいつが一人で行ったとき止めなかったし、オカルトを信じないから、私は死んで当たり前だろ? それが正しいことなんだ。そうだろ?」
「そうだね。でも、もうやめよう」
「やめない! まだあいつが戻ってきてない。もうすぐだ。オバケがいるって知ったらすごいぞ。はは。あいつ、とんでくるから見てろ」
「もう会えないよ。だってお前、死んでオバケになったんだろ?」
「――でも、あいつは……でもオカルトくそ女だから……」
「大抵のオカルトくそ女はオバケに会ったことないよ」
「でも……あいつはオバケを見たって言ったよ」
「あの人虚言癖あるから」
「あるけど……」
「それより怒らないのか」
「怒る?」
「黒髪がひどい目に合わされたろ」
「でも生きてる。死んだのは私の方なんだ、だから……」
これが、彼女の祈りだ。
友人の死を否定し続ける。だから、心がどんなに悲鳴を上げていたとしても、彼女は決して哀しいとは言えない。バロック使いは正しく哀しむことができない。でも怒ることはできるかもしれない。
「お前が許してもあの人は犯人を許すかな?」
と僕は言った。
「え? あいつなら……超ぶち切れる」
目から鱗、といった感じで彼女は言った。「あいつ頭がおかしいから」
友達とはいえ、すごい言い様だな。
僕は続ける。
「じゃあ、お前は? お前は怒らないのか?」
「でもぶちぬかれたの私の腹じゃないしなあ」
「この期に及んでこの言葉が出てくるのすごいな……」
何なんだ、こいつらの関係性は。でも二人にとってはかけがえのない関係なんだろう。まるで姉妹のように親しくて薄情だ。
「彼女がここにいないなら『幽霊』のお前が、ぶち切れるべきじゃないのか? 残念だけど、もう会えないんだから」
「本当に会えない? 私が幽霊になったから?」
「……そうだよ。ごめんな、僕らが間に合わなかったせいだ」
彼女はきらきらした目でこちらを見ている。
バロック使い特有の子供みたいな顔だ。目の中で、人間的な論理とバロックの祈りがせめぎ合って、虹色の火花を散らす。
僕は繰り返す。
「もう呼んでも彼女には会えないんだ」
このあたりで、僕は自分が泣いていることに気づいた。
といって、悲しくて嗚咽しているとかではなく、なんというか共鳴反応みたいな感じだった。僕の胸の猫型をした空虚に風が吹いて、結露を生じている。自分でも何を言っているのか分からない。僕はバロック使いの泣き方に慣れてないんだ。
でも、灰錆の方は何かを感得したみたいだった。
真珠のこぼれる目に、新しい感情、目的意識のようなものが浮かんでいる。あてのない祈りが指向性を得た。
「私が犯人を? つまり、祟りということか?」
論理が不明だけど、清々しい顔で言うので僕も乗ることにした。
「ああ。祟りだ」
「TATARI! そうか。つまり祟りを魅せてやれば良いんだな! あいつに届くくらいでっけえ祟りをよ! オバケは見えなくても、祟りは見える! なぜなら犯人がむごたらしく殺されるから! 逆さまになって死んで一帯に血の雨が降る!」
剣呑なこと言いだしたな。
「そういうことだな! えーとお前名前なんだっけ?」
「え。ウルタール」
「ウの字」
ウの字?
「行くぞウの字。リアル祟りを特等席で見せてやる!」
何か共犯にされている。やだなあ、怖いなあ。
◎
「見とけよウの字~。リアル祟りはこういうモンだってのをなあ~おげげェエエエエッ」
「汚いなあ……」
灰錆は口の奥まで指をぶちこみ、エクトプラズムを吐瀉する。
エクトプラズムは髪とか肌からも分泌できるようだが、得意のなのはゲボのやり方らしい。すごく嫌だ。
「おい、勝手に何を始めようとしてる」
まんのう町も気づいて声をかけてきた。
「僕にも分からない。たぶんイカれてるんだと思う」
「イカれてると思うならやめさせろ」
「でも利用できそうだ」
「何?」
「おい、エクトプラズムを一旦ここへ集めることってできるか?」
僕はゲボ女に訊く。
「おえぇえ……おお……で……出来るが?」
「またゲボで疲労困憊じゃないか」
「作戦があるのか?」
まんのう町が僕へ訊いてきた。
その通りだ。エクトプラズムを見て、僕には閃いたことがあった。
「んねこが――」
作戦がある、と言おうとして、僕はなぜか「猫が」と言ってしまう。疲れのせいだ。
「猫?」とまんのう町。
「間違えた。作戦と言いたかった」
「猫と作戦間違えないだろ」
「間違えるんだよ僕は」
純然たる言い間違いだが、そのとき不思議なことが起こった。
僕はエクトプラズムに触れてしまっていた。
白いドロドロが、軍手を裏返すみたいな感じで変化した。猫の姿に変わっていた。
でも、猫と言ってもキンモクセイにはほど遠い。
猫は一つ目のオバケで、口の中は真っ赤。シャアと鳴いたあと、くるりと裏返って消えてしまった。後には白い塊が残った。
「なんだ、これ? 僕が猫って言ったから?」
「俺にやらせてみろ」
まんのう町は何か気づいたらしい。
灰錆の頭をバスケットボールみたいに掴んだ。
「おげげ~」
灰錆の口からおどろおどろしい槍が飛んだ。槍はサメの一体を串刺しにしたあと白く溶けた。エクトプラズム製だ。
「なるほど。さわった人間の意識に勝手に反応するのか」
どうやら、まんのう町がやらせたらしい。
中世の拷問器具みたいな女だ。もしくはシャンプーの容器。
まんのう町はさらにプッシュして、携帯端末、ポラロイドカメラ、等を吐き出させた。
彼は女子高生の吐瀉物を弄って、
「……撮影機材とか、印刷フィルムみたいなのは無理なようだ。出せるのはハリボテだけだ」
エクトプラズムのカメラは作動しなかった。
想像力に感応して蛸のように姿を変える代わり、複雑な機能は再現できないみたいだ。
そういえば入道達も単純な動きしかしない。感覚器が機能しているのかも微妙だ。灰錆の命令がないと大したことは出来ないらしい。だとしたら「人獣を探せ」「居場所を報告しろ」といった命令も使えない。なんでも出来るように見えて、案外制約の多い力だ。
「それに形の制限も正確じゃないな。ホラーっぽい補正が入るというか……」
でも、僕の作戦には問題なさそうだ。このアイデアに重要なのはコピーの精度より物量の方だった。
僕は灰錆に近づいて耳打ちしようとした。
「がはは! くすぐったい」
「聞け」
と灰錆の耳を引っ張って僕は作戦を伝えた。
「ふん、ふん……なるほど! なるほどなるほどなるほどなるほど」
なるほど多いな。心配になってきた。
「つまりは合体だな!」
「合体⁉」とまんのう町。
そう、合体である。通じてよかった。
「オラッ合体!」
灰錆がUMAを結集させる。
一つ目入道や雪男が粘土みたいに集合癒着していく。溶けかけのオバケで出来た台座のような形になる。指示通りだ。
「三人で上がるぞ。たぶんまん中の方がいい」
「なんだこれは気色の悪い」
まんのう町が嫌な顔をする。
「怖いか? これが本物のTATARIだ」これは灰錆の言葉。
「俺の知ってる祟りはこんなんじゃねえ」
「この塊を塔みたいに高く伸ばせるか?」
灰錆に訊く。彼女は自信満々で頷いて、僕らが身構えるまもなく、それを実行した。
エクトプラズムの足場が、上空めがけて伸び上がった。僕らは昇降機の天辺にのっているような格好だ。
「ガハハハハ! これがUMA合体! リアル怪談! あの墓場にあるヤツ……トーテムポールじゃー!」
違う。たぶん卒塔婆のことを言いたいんだろう。幽霊が一番間違えちゃいけないやつだ。
UMA製のトーテムポールが、僕らを乗せて高く伸びていく。
「何が起こってる、ウルタール説明しろ」
まんのう町が叫ぶ。
体感だがすでにビルの三階以上の高度はありそうだ。
「高いところなら敵を探せるんだよな?」
「――そういう事か」
上空から森を見渡せた。
傾斜に沿って霧が沈殿し、色々な影を浸している。
影の種類は、主に動きで判別できた。泳ぐ動きのサメたち。動かない枯れ木と墓石。それに〈ルーシーの欠片〉が生み出した怪異たち。
この中のどれかに人獣「猫盗みクソ野郎」がいるはずだ。
――だが。
探す範囲が広すぎた。墓石や霧自身の濃淡に惑わされて、人影を見分けられない。
「ウの字、これ長くは持たんぞ、崩れる」
確かに足元からきしむ気配を感じる。重力に逆らうには強度が足りないらしい。
時間がない。
僕は必死で目を凝らす。
影は見える。だが、もし人獣がじっと潜んでいたら墓石の影と判別がつかない。
人影が動くとしたら〈欠片〉を隠しに行く時だけだ。迂闊だった。敵を見つけるには、タイミングも重要だったんだ。
「おい、はよしろ」
塔のどこかが崩れた。全体が揺らぐ。
だめだ、見つけられない。せめて〈欠片〉のある方角が分かれば。
僕が諦めかけた時、まんのう町が力強く言った。
「いや、十分だ」
「――見えたのか?」
「いいや。だが敵の向かう方角は解る。〈ルーシーの欠片〉の場所がな」
「それって」
「ああ、怪異の法則を解いた」
まんのう町の手の上に小型の怪異が踊っている。
「こいつは〈ルーシーの欠片〉から投影された映像のようなものだったんだ。つまりこいつらには『光源』がある」
「光源?」
眼下の霧の中に蠢く怪異の動きは、完全にランダムに見える。
「動きじゃない。影を見ろ」
まんのう町の手の上にいるのは、ウスバカゲロウを大きくしたような怪異だ。その矢印に似た影が、彼の手に落ちている。
「指をかざしてみろ。怪異と平行になるように。
言う通りにした。
僕の指の影と、カゲロウの影が交差した。普通なら二つの影はほぼ平行になるはずだ。
「光源だ」
とまんのう町は繰り返した。
「〈ルーシーの欠片〉がこの影をつくっている。つまり、この影と反対の方向。『光源』に〈欠片〉は存在する」




