5 エクトプラズム
◎
僕は周囲を見渡す。
灰錆髪の周囲に、幾つも白い水溜まりができている。蝋か砂糖菓子の残骸みたいだ。
「バロック? あれが? 僕の短刀とかまんのう町の腕輪みたいな?」
「いや。どろどろは石じゃなく能力の方だろう。あれを硬く変化させて防御や攻撃に使ったんだ」
「一連のわけ分からん行動はなんだったんだ……」
「バロックに目覚めたばかりの時は、精神的にも不安定になる」
灰錆に怪我はなさそうだ。サメに喰われた瞬間、バロック能力で身を守ったのだろうか。制服が血で汚れていたけれど、それは本人のものではないようだ。
「黒髪の子の方は――」
二人は一緒にいたはずだが、その姿がない。
「おそらくはな」
とだけ、まんのう町は言った。
彼女の方は駄目だったのだ。そもそも傷が深すぎた。
灰錆はさっきから叫んだり高笑いを繰り返している。
友人を失ったにしては奇妙だ。
僕らの視線に気づいて、灰錆は笑い止んだ。
そして奇妙なことを言った。
「……お前ら、私が見えるのか?」
それから自身の姿を見渡し「なるほど!」とややボリュームの壊れた声を上げたのち、唐突に制服を脱ぎだした。
「おい!」
「やめろ!」
僕らは慌てて止める。
灰錆はきょとんとしている。
「……脱いでも見えるのか? 寺生まれか? お前ら」
何を言っているのかさっぱり分からない。
「お前、霧の中で何があった」
まんのう町が訊いた。
「何って私はオバ――いだだだだだだ!」
突然灰錆が頭をおさえて苦しみだした。
「おい」
「どこだ? 頭か?」
僕らは慌てて様子を見ようとする。
「まんのう町……」
頭にあてた指のあいだから、よじれた角のような物が生えていた。植物の発芽か氷柱の形成を早回しで見るみたいな感じだ。
「いだだだだだだだだ!」
角は貝殻の内側みたいな白、あるいは銀色で、虹の光沢を持っている。
何本もはえているが、それが螺旋を描きながら伸びて、絡み合いって総体を更正していく。葡萄のツルで編んだ飾りのようだ。ちょうど果実みたいな感じで、真珠が実っていく。
「痛い痛い痛い、でも痛いって言ってもそれは麻酔して親知らずを引っこ抜かれるみたいな痛みであって一般的な痛みではない。あっ。やっぱ普通に痛い」
金色の角、あるいは蔓が編み上がった。
それは最終的には外国のお姫様が付ける三角形のティアラみたいな形だった。
「いだだだだだ。いや幽霊だから痛くない。うん。あ。平気だわ」
「……体内にバロックが発生してそれが成長したものらしいな」
まんのう町が言った。
「体から生えてくるパターンもあるの⁉」
「いだだだだだッ! やっぱいたーい! 引っ張られる感じ。麻酔が聞いてるけど訊いてない感じ。あっ。でもいったーッ。いったー。いったー! でも……オバケだから……いだくない!」
「うるせえ!」
「痛いのか痛くないのかどっちだ!」
ついに僕らは叱った。
「いや? 言うほど痛くなオゲゲー!」
「おい!」
「ちょっとぉ!」
返事をしながら彼女は吐いた。
「おげげー!」
「おい、大丈夫か」
「けっきょくヤバいんじゃないのか?」
痛さのあまり吐いたのか? と僕らは本気で心配しだした。
でも違うようだった。
「おい、このゲロ……」
吐瀉物は、例の白いドロドロだった。バロック能力だ。
「おげげげげげ……」
灰錆の口からドロドロが量産される。
「おい……なんだこれ」
更に異変。
僕らの見ている前で、ドロドロが蠢きだした。
地面の上で彫像に変わっていく。
それは、子供向けの妖怪図鑑に出てきそうな一つ目の入道だった。
ドロドロが集合して、見あげるほどデカくなった。
その時、僕らはサメの残党が近づいて来ているのに気づいた。灰錆はこれを察知してバロック能力を展開したのだろうか? でもこの彫像に何が出来るんだ?
サメたちが接近する。
入道が雄叫びを上げ拳を振るった。声というより洞窟を通る風のような音だった。
サメがつぎつぎに殴り飛ばされていく。何匹かは入道に噛みついたが歯がたたないようだった。
「ゲロでサメを殺した……」
「好きな形に変えられるんだな。影分身のカラクリもこれか」
「違う! ゲロじゃないエクトプラズムだ! 私がオバケだという証拠だ!」
ゲロ女が異議を唱えてくる。
エクトプラズム? 役目を終えると、入道はドロドロに戻っていった。
白い水溜まりがズルズル動いて灰錆の体を包んだ。
エクトプラズムで衣服を作っているらしい。さっき脱いだ制服を着れば良いだろ。
エクトプラズムの服は、死に装束に似ている。死に装束にしては装飾が目立つ。なんだかちょっとオシャレにアレンジされた感じだった。
「……完、成。これが……オバケの力だ……おえっ」
オシャレ死に装束の女がポーズをとった。吐きすぎてヘロヘロじゃないか。
それにしても発言が意味不明だ。
どうも自分の事をオバケだと主張しているらしいけれど。
「さっきから何を言ってるんだ?」
オバケ嫌いの男が嫌な顔をする。
死に装束の女は答えて、
「私はオバケだからな! すべての霊現象はエクトプラズムで説明ができる!」
と言う。何言ってんだ?
「オバケオバケ言うくせに、こいつオカルトに詳しくないな」
僕は黒髪の女子生徒を思い出す。オカルトマニアは彼女の方で、灰錆はどちらかというと幽霊のことは否定していた。
「どうやら、さっきから言い張ってるオバケの部分にコイツの〈歪み〉があるようだ」
まんのう町はそう分析した。
バロック使いは皆、認知の歪みを持つ。それはクソみたいな現実を否定する、祈りだ。彼女は何を否定したくて、幽霊を自認するのだろう?
「オバケは私の方なんだ! その証拠にエクトプラズムが使えるし、サメに食われても平気だ! 死んだのは私だ! どこだオカルトクソ女、私はオバケになったぞー!」
『オカルトくそ女』は黒髪の生徒のことをそう言ってるのだろう。
ここにいない友人に対して、灰錆は自分こそが幽霊なのだと叫び続けている。
僕らは確信する。黒髪は助からなかったのだ。
灰錆の制服は血で汚れていた。たぶん彼女は友人の最後を看取ったのだ。
そして、そんなクソみたいな現実を否定した。延々と続く虚無の霧の中で祈り続け〈歪〉んだ。
バロックを得るとはそういうことなんだ。
「残念だ」
まんのう町の呟きを、灰錆は鋭く否定した。
「違う! あいつはオバケを探しに行ってるだけだ! オバケが出たからもう帰ってくる! オカルトくそ女だから生き残る。ホラー映画なら私みたいなのが真っ先に死ぬからな! 見ろ、それが証明された! サメに喰われて私はオバケになった!」
そう言って彼女は友人を呼び続けるのだ。
「わーたーしーはー! オバケだぞー!」
僕は彼女に何か声を掛けようとした、らしい。
自分では分からなかったがそういう素振りを見せたようだ。
「今は何を言っても無駄だ。思いのままにさせてやれ」
まんのう町が僕を引き止めた。
「それに俺たちにも余裕はない。サメはまだ残ってるし〈ルーシーの人獣〉もどこかに潜んでいるはずなんだからな」
まんのう町のいう通りだった。
彼は指を回して見せた。
指の上を、羽根のはえた海蛇が横切った。〈欠片〉が見せる怪異だ。
「怪異があるという事は、ここにあった〈ルーシーの欠片〉はまだ奪われてないということだ。霧を出すのに使ったのは、人獣が初めから持っていた自分のヤツを使ったのだろう」
聖体を移動させるときには、封印みたいな措置を執るという。
そうしなければ、怪異をばら撒きながら移動することになるからだ。自分が人獣だと名乗って歩いているようなものだ。だから敵は〈欠片〉を回収するとき、その力を遮断するような措置を執るはずなのだ。
〈ルーシーの欠片〉が封印されれば、怪異も消えるはずである。
「それがないってころは、俺たちはまだ敵に追いつけるということだ。それにたぶん、敵は俺たちを先に倒すべきか迷ってる。口封じをすべきかという問題と二重で名」
僕らと獣、双方の目的は〈ルーシーの欠片〉である。僕らに〈欠片〉を見つけられるリスクがあるなら、倒してしまった方が早いと敵は考えるかもしれない。勿論口封じだって出来ればしたいだろう。どんな証拠を残してしまったか分からないし、何なら黒髪が死んだのを知らず、僕らが保護したと考えるかもしれない。
戦いになる可能性が高いということだ。
「私は……オバケだ……かわいいタイプのやつ……」
灰錆は相変わらずだ。
精神的には不安定だが、彼女のエクトプラズムは協力だ。
「彼女を戦力にいれるべきかな?」
僕は一応まんのう町へ訊いてみる。
「訓練されてもいないバロック使いに期待するな。バロック使いなんて頭がおかしいヤツらの集まりだぞ」
確かに、と軽口を利きたい。
でも僕は黙って周囲を警戒する。霧は消えていない。つまりサメはまだどこかに潜んでいるのだ。
「いいか、敵は恐らく迷っている。〈欠片〉を探しに移動するべきか、先に俺たちを始末するべきか。それに黒髪の口から、あいつに自分の特徴がバレたかもしれないからな」
灰錆女へ視線を送る。
今、その事を彼女に訊くべきだろうか?
でも黒髪の死が絡むと彼女の発言は混沌を帯びる。危険の迫っている今、訊くべきではないのかもしれない。
僕は話を先へ進めることにする。
「そうなると、敵は口封じに動く可能性が高いんじゃ?」
「だが敵は組織だ。自分一人の顔を見られたくらいじゃ勝手なことは出来ない。とにかく〈欠片〉を優先することだって考えられる」
「まんのう町はどっちに動くと思う?」
「霧が出ている。そのあいだは、敵も無茶はしないと思う」
「つまり?」
「必ず〈ルーシーの欠片〉を優先するはず。俺らを始末するかの決断はそのあとだ」
確かに。優先順位からいっても、人間心理からいっても、そうなりそうだ。
「じゃあ撤退か?」
敵が〈欠片〉を優先するなら、逃げるチャンスである。黒髪はもういないし、灰錆の救助は完了している。
僕らがここに留まるとしたら、理由は〈欠片〉のゲットか、人狼の捕獲、ということになる。どちらも高確率で攻戦になるだろう。
まんのう町は指先に怪異を止めたままである。
そこに何かあるのだろうか?
「僕は、ここで人獣を倒したい。少なくとも〈欠片〉を渡すのはイヤだ」
僕は思いきってそう言った。「無関係の人間を手にかけるような連中に、これ以上、力を与えたくない。バロックに誓って」
人獣は黒髪の女の子を殺した。それに前の学校の知り合いだって、キンモクセイを奪うために巻き添えにされたんだ。それに、撤退といっても、今の状態の灰錆を連れて歩くのは危険だ。さっきの入道の射程範囲はどれくらいだろう? 彼女が勝手に人獣を見つけ開戦してしまう、という可能性もある。そうなったら、霧の闇の中、統制が取れない僕らが不利だ。やはり倒すしかないのではないか。
まんのう町は黙っている。
リーダーとして肯定は出来ないが、男として同意はする。そういう沈黙だ。
僕は訊ねる。
「〈ルーシーの欠片〉を先に奪う。まず、これだけを目的にするのはどうだろう?」
「……怪異がヒントになるはずなんだ」
とまんのう町は言った。指の先に止まらせた怪異を観察しながら。
「何か法則がある……それは確かだ。法則さえ分かれば〈欠片〉の場所もきっと……」
「分かるのか?」
「きっかけさえあれば気づけそうな気もするが……」
ということは敵も同じ事に気づくかもしれない、ということだ。
先に気づかれれば、高確率で襲撃を受ける。あるいは逃げられてしまう。
「そうだ。僕が単騎でサメを狩ろうか?」思いついて僕は提案する。「サメを全部倒せば霧も消えるんじゃないか? そうすれば敵を見つけやすくなる」
「敵もそんなことは気づいてる。倒されないようサメの一匹くらいはもう保護してるだろう。獣は上位の獣を襲わないから、そういう事が人獣には可能だ。それに霧はあったほうがいい。奇襲に使えるからな」
僕はまんのう町を振り返る。
「やる気になったのか」
「状況判断だ」
「じゃあ仕掛けるって前提で作戦を立てるんだな?」
「それには敵の居場所が分かれば一番いいが……」
「霧の中でか?」
「高台でもあればいいんだがな、そこら辺の枯れ木じゃ低すぎる。もっと高いところが」
「上からなら見える? 霧があるのに?」
「霧を川の水だと考えろ。潜って水の中から遠くを見ようとすれば難しい。だが上からなら魚影くらいは見分けられる」
「そうか。でも高いところといっても――」
傾斜はあるものの、森はほとんど平坦な地形だ。
巨木も、丘も、灯台みたいなものもなかったはず。
迷っているところに、もう一つの問題事の方がポップアップしてきた。灰錆だ。
「おーばーけーがーでーたーぞぉおおおお!」
とにかく煩い。
それだけでもリスクがあるのだが、彼女は力を使い過ぎている。
声を上げながら、彼女はエクトプラズムを放出し続けている。
白いドロドロが異形へ姿を変えてる。
すでに、子供の悪夢たいな光景。いわば百鬼夜行が完成しつつあった。
彼女なりのオバケのイメージがこれなのだろう。オバケというよりUMAみたいなものも混ざっている。
一つ目入道。歩く樹木。人面犬。モアイ像。ネッシー。口裂け女。蛙人間。巨大蟹。人喰いツチノコ。チュパカブラ。お腹に穴の開いた乳牛。
残念ながら僕らを乗せて高く飛べるようなUMAはいなかった。材質上の問題かもしれない。チュパカブラは走って移動している。
UMAたちが森を行軍し始めた。
出会うサメたちを叩きのめし始める。サメの群れは混乱状態にある。恐らくだが、人獣も新たな状況に戸惑っているだろう。
「これはまずいんじゃないのか?」
たった今危惧したことが起こり欠けている。UMAたちが人獣に仕掛けたらどうなる? 向こうで避けてくれるだろうか? だとして人獣に灰錆の能力を知られることになってしまう。
問題はもう一つ、繰り返すが彼女は力を使い過ぎている。
「異様な規模の力だな……制御できてないせいもあるんだろうが」
まんのう町も驚いていた。
「こんな規模で力を使い続けて大丈夫なのか?」
「目覚めたばかりのバロック使いは力を制御できない。力尽きるまで爆発させれば馴染み始めるだろう。今は荒れるにまかせるしかない」
「泣き疲れて眠るみたいに?」
「……そうだな」
まんのう町は切り替えて言った。
「とにかく、エクトプラズムは放っておけ。敵に気づかれるかもしれないが仕方がない。向こうも迂闊に仕掛けたりはしないはずだ。俺はこの混乱のうちに怪異を解く」
「それで〈ルーシーの欠片〉の場所がわかる?」
「敵も〈欠片〉を取りに行くはずだ。つまり在処をつかんでおけば、奇襲ができる」
状況によっては、とまんのう町は付け加えた。ぎりぎりの状況というものは有り得る。こちらから仕掛けた方が安全な場合だって存在するだろう。どうにかそれを見極めなくてはならない。そのためには――・
「おーばーけーがーでーたーぞぉおおおお!」
灰錆は叫び続けている。僕にはどうしてもそれが気になってしまう。
「『バロック』と言ってやれ。それくらいしかできることはない」
まんのう町が諭すように繰り返した。
「他人ができることは何もないんだ。バロック使いはみんな、自分の〈歪み〉を抱えて生きていくしかないんだからな」
確かにそうなのだろう。僕らは自分の歪んだ世界に生きるしかないんだ。
「おーばーけーだーぞおぉおおおおおおおお!」
灰錆は今や、全身からバロックの力を放出している。
口だけでなく、皮膚や、体の末端、そして両目から真珠色の玉をこぼれさせている。




