4 墓場シャーク
◎
「シャアアアアアク!」
〈獣〉の鳴き声が霧を振るわせた。
「こいつ……間違いない、サメだ」
「ああ、完全にサメだ……」
「シャアアアアアク!」
真っ赤な口を開け、鋭いヒレで霧を切り裂きながら追ってくる。間違いない。海の最強生物、サメだ。〈聖堂街の獣〉には怪獣タイプのものもいるらしい。
「こんな時に……」
僕らは二人の女の子を救助に行かなくちゃならない。
なのにあの映画でも有名な大怪獣を相手にしなくちゃならないなんて。
「だが――」
僕は観察する。
だがサメには違いないが、そんなに大きな個体じゃない。小型船舶くらいだ。映画のサメだとか、玉葱冠と比べればだが、大きく見劣りする。
固い鱗で僕らの攻撃に耐えたようだったが、でも破壊できない程じゃない。
いくらサメ相手とはいえ、水中でなければやれるんじゃないか?
ここで〈獣〉倒せれば、聖堂は消える。つまり霧も消えて探索がしやすくなるだろう。
やるしかない。
振り返り様、短刀を振るった。
〈11ぴきのねこ〉が三日月型に飛んだ。
「シャアアアアアアアア……」
奔流はチェーンソーめいた刃と化して、サメを背骨近くまで斬り裂いた。
飛ばすときの形状で効果は変わる。今回は破壊の奔流を刃状にして一秒間ほど滞空させていた。
サメは霧の彼方へ吹っ飛んで見えなくなった。
〈11ぴきのねこ〉を使いこなせてきている。
そういう実感があった。
「やったか」とまんのう町。
やったはずだ。
だが、その瞬間である。
まんのう町の背後の霧のからサメが現れた。
食らいつく。
「なに――ッ」
金色の光が迸る。
まんのう町の拳がサメの鼻面を殴りつけたのだ。
殴っただけではない。光がサメの体内を駆け巡った。そして最後には破裂。
「シャアアアアアアアク!」
霧が爆煙のように渦巻き、視界を乱す。
「やったか」と僕。
やったように見える。サメは爆発に弱い。一般教養だ。
その瞬間である。
僕の視界の端で霧が動いた。
「なにっ」
振り返りざま〈11ぴきのねこ〉を楯のように滞空させた。
楯とはいっても渦巻く破壊の奔流には変わりない。
「シャシャシャアアアア……ク」
サメはミンチ機へ自分から突っこんだ格好。
突進の勢いのまま削りとられ、そのまま「ちびて」なくなった。
「やったか」
とまんのう町。
やってないはずがない。目の前で消滅したのだ。
だが――再び、まんのう町の背後の霧の中から、サメが襲いかかった。
有り得ない事だ。
「なにっ」
秒間三〇発のパンチが帚星のように走て、サメを滅多打ちにした。そののち金色の爆発。。
「やったな」
と僕。
「ああやった。だが、SETO灼熱伝第383話『井の中の蛙大海で散る……の巻』ってとこか」
セトは知らないし読む気もないが、言わんとすることは分かった。
「ああ、敵は複数いたってことか」
僕らの周囲を、サメの群が回遊していた。
蓋を開けてみれば単純な仕掛けだ。不死身でもワープでもない。単に敵が大勢いただけだった。
「でも獣は一つの聖堂に一匹だけじゃなかったのか」
背中合わせになってまんのう町へ訊ねた。
「最終的にはな。こういう群体型は霧の中で共食いを繰り返して、最終的に一匹の巨大な獣になる」
「ぜんぜん共食いしてる様子ないけど?」
「侵入者優先ってことだろ」
サメの群は、霧の中に見え隠れしながら、僕らを中心に回遊している。少しでも隙を見せれば襲ってくるだろう。
「こんな時にこんな面倒なタイプのやつが……」
一体一体は弱いが、全て狩るには時間がかかり過ぎる。
こうしてるあいだにも灰錆の生存率は驚くほどの速さで低下しているのだ。
思わず舌打ちが漏れる。
「しかたがない、僕がとにかく撃ちまくって――」
僕が提案しようとしたとき、霧の中からサメが一匹顔を見せた。
「――え?」
斬ろうとして、僕はためらった。
サメが口をパクゥッと開けたとき、妙なものを見た気がしたのだ。
驚いて見返す。だが口はもう閉じていた。
襲撃のタイミングを逃したからだろう、サメは霧の中へ引き返していった。
「どうした」
とまんのう町。
僕の方はどう説明したらいいか分からない。たぶん気のせいだと判断した。
「……いや。霧のせいで視覚がおかしい。いやトラウマのせいかな? 霧へのトラウマで幻覚が出始めてる?」
口が開いた瞬間、中に女の顔、あの灰錆の顔が覗いた気がしたのだ。しかも喋って「食われとるんか? これ?」と言った。いや、気のせいだろう。ありえない。幻覚に惑わされてる場合じゃないのに……。
「幻覚? おい、しっかりしてくれ」
「ああ大丈夫だ。早く助けに行かなくちゃあな」
「よく言った、やはり成長したって気がするぜ、お前」
「よせよ――」
と首を振ったとき、またサメの一匹がパクゥッ、と口を開いた。さっきと同じヤツだったかどうか、個体の見分けはつかない。
やはり牙のあいだに灰錆女の顔が見えて、
「なあ? これ食われとるんか?」と言った。
まただ。
こんな時にトラウマ程度で……。
自分で自分が情けない。でも一応確認しておこうと思った。
「まんのう町」
「なんだ」
「さっき何か聞こえなかったか?」
「やはりお前も幻覚を?」
「やはり?」
「さっきから俺もだ。情けない話だぜ、お前のことを悪く言えないな」
「お前もそうだったのか……;でも、ということは別の可能性として――」
「ああ。敵の『能力』という可能性もある。気をつけろよ」
「いや。うん」
僕が言いたかったのは「幻覚じゃないのでは?」という事だったのだけど。いや。現実のはずがないよな。サメの口の中だもの。
「そうだな。俺はまんのう町を信じる」
そう言った時。またサメが一匹近づいて来て、パクゥッ、と口を開いた。
また灰錆の顔が覗いていた。「食われとるんか? これ?」
サメの方は、僕らと視線が合うと逃げ帰ってしまう。確実安全に狩れるタイミングでしか仕掛けてこないつもりか。
「くそっ。また聞こえたぜ! 気弱な遭難者になった気分だ」
とまんのう町。
お前も?
「なあ……まんのう町?」
「やれやれだ。すっかり足止めされちまってる。いっそ、あの女がここに都合よく逃げて来てくれないものかな」
その時である。サメが一匹近づいて来た。やはり口がパクゥッと開いて、知ってる顔が現れる。
「食われとるんか? これ?」
「まんのう町!」と僕は叫ぶ。
「ああ。分かってる。ガラにもなく甘っちょろいことを言っちまった」
「いやそうじゃなくて」
僕はまんのう町の背後を指さす。「まんのう町、後ろ」
「ああ?」
まんのう町がこっちを振り返った。
これまでになく接近したサメの口がパクゥッと開いて灰錆女の顔が現れた。
「だから――食われとるんかって訊いてるだろが!」
「ああ……めちゃめちゃ食われてる」
ついに、僕らは幻覚に返事をしてしまう。
サメはまた貝みたいに口を閉じて、霧の中へ消えていった。
「えぇ……」
と僕たち。
僕らは一時撤退を選択した。
逃げながら女の子達を救出へ向かうのだ。でもその灰錆がサメの中にいなかったか?
「まんのう町くん。あれ食われてたかな? 食われてるわけないよな?」
「俺に訊くな」
「食われてただろ!」
「でも喋ってただろ!」
「どうする? 僕がやるか? でも斬ったら中にいる灰錆までやっちゃうかもしれない」
「中にいるわけないろ」
「いただろ!」
「じゃあお前……あれだよ。俺が腹を……殴る? そしてらこう……オエって……」
「なるかな? フワッとした策じゃない?」
「状況自体がフワッとしてるんだからしょうがないだろ! なんだあれ」
「あれなんで生きてるんだ? 偶然丸呑みされた?」
「だから俺に訊くな。知るか」
「丸呑みされたんなら腹殴るのもダメじゃないのか?」
「じゃあお前がヒレでも尻尾でも斬ればいいだろ」
「そうするにしても……どれが『当たり』なんだ?」
サメは無数にいる。
あの中の一体に灰錆が入っているはずだ。だとしたら、強力な攻撃は撃てない。『当たり』を巻きこんでしまう。
「見分けられるように何とかしろ。お前の方が向いてるだろ」
まんのう町が無茶を言ったとき、ちょうどサメが一匹追いついてきた。パクゥッと口を開けた。
灰錆女の顔が現れて「ははーん。食われとるな? これ」
「いたぞ! 『当たり』だ」
「このサメがっ」
僕が短刀を振るい、サメの鱗に十字傷を着けた。
サメが引き返していく。
「印。印つけた」
「でかした」
「おいまた来たぞ。お前の後ろだまんのう町」
サメが回りこんできていた。
その口がパクゥッと開いて灰錆の顔があった。「いや? 逆に食われとらんかもしれんな?」
「また出た!」
とまんのう町。
僕は混乱していた。
「今ちょっと得意げな顔じゃなかったか? いや――それよりも、マーキングの傷がなかった」
そう。今のサメには十字傷がなかった。
回復能力とかのわけがない。考えてみれば、群れというアドバンテージがあるのに、同じヤツが間を置かず接近してくるのも変だ。
今のは、最初のヤツとは別のサメなのだ。
「間違いない。今のは違うヤツだった。
「でも中に灰錆髪がいただろ」
「中の女だけが、別のサメに移動したんじゃ?」
「つまり……影分身ってことか?」
「バロック。黙れ」
「じゃあ何が言いたい」
「あの女の幽霊、とか?」
「オバケなんかいるわけないだろ。サメの上にオバケだと? 今度そんなことを言いやがったらお前を殴る」
とにかく『当たり』が分からなくなった。
もう本当に手当たり次第斬りまくるしかないのだろうか。
中の女を傷つけないよう手加減するべきか? もし幽霊なら手加減は必要ないけれど……。
考えていると今度は複数のサメが追いついてきた。
今度は、その全部のサメが口をパクゥッと開けた。
全部のサメ、全部の口の中に灰錆の顔があった。
「はっはーん。うちこれオバケやな?」
「ああ。めちゃめちゃオバケ」
と応えて、僕らはダッシュで逃げだした。
◎
「オバケだったな、オバケいたな」
「オバケな訳ないだろ! ふざけるなよ!」
「じゃあお前、止まって戦えよ」
「ふざけるな! オバケの担当はオバケを信じてるお前がやるのが筋だろ! 俺はオバケを信じてないからオバケと戦わなくていい!」
「それはもうオバケ信じてるヤツの発言だろ、お前が戦え。そして呪われろ」
「オバケなんていない! オバケなんて嘘だ!」
「オバケじゃないならどうするんだよ。全部のサメに灰錆女がいるんじゃ倒せないぞ」
僕らは逃げ続けていた。とりあえず、黒髪が倒れているであろう方向を目指してはいた。でも灰錆髪の女がどうなってるのか分からない。幽霊じゃないとしたら、喰われたとかより奇妙な何かが起こっていた。
実は、サメの口が開いたとき、灰錆と一緒に何か白い、サメを貝に喩えるなら白い柱に似たなにかが、見えていたはずなのだが、この時の僕らは、そこまで意識が回らなかった。
「落ち着け。ウルタール。俺は落ち着いてる。何かカラクリがあるはずだ。それを考えよう」
まんのう町は狩りに慣れている。一応、持ち直したらしい。
「あのサメの特殊能力とかか?」
「人を騙すような能力を聖堂の獣が持つとは考えにくいんだがな……あるとすれば逆に――うおおおっ!」
「痛い!」
突如、まんのう町がすっ転んだ。彼がとっさに服を掴んできたので、僕も転んだ。
受け身をとったとき、手に何かぬるりとした物がふれた。
「バカ。オバケが来るのに! 置いてくぞ」
「ふざけんな。何かで滑ったんだ。これもオバケじゃないだろうな」
ぬるぬるのせいで転んだらしい。
「何してる、行くぞ」
怪我はなく、すぐに走りだしたのだけれど、僕の手には何か蝋のようなドロドロが付着していた。
「何だ、これ」
白く、柔らかいが不思議な弾力があり、ベタベタはしない。餅程度には透けていて、ほんの少しだけ、虹の光沢がある。
臭いはない……ような、わずかに甘いような気もする。謎の物質だが、この光沢をつい最近見たように感じる。
考えるヒマはなかった。
サメの群が追いついてきた。なんだか尻尾に火でもついたような、これまでにない勢いの追撃だった。死角を探す円の動きじゃなく、マグロみたいにまっすぐ突っこんでくる。
「出たなオバケめ!」
まんのう町は戦いを決意したようだ。
僕も短刀を構える。
まとめてかかってくるなら、これまでと違うやり方もある。例えば〈11ぴきのねこ〉の範囲を広げ、広範囲に薙ぎ払えば複数を攻撃できるし、範囲が拡がったぶん、威力も加減できるだろう。
瞬時に作戦を立て構えたが、予想は外れされた。
サメたちが、ジタバタと藻掻きはじめた。
フェイントとかそういう動きではない。殺虫剤をくらったゴキブリみたいに、明らかに苦しんでいる。
でもどういう事態だ? と身を乗り出した僕らの前で、見える限りのサメが爆発、四散した。
意味が分からない。
いや、正確に見たことを話そう。
夢でも見てるのかという風景だったが説明すると、まずサメたちの口の中から女の声が響いた。
「もういいぞ。分かったからな。私は――」
同時にサメの体内から、皮膚を貫いて針のようなものが飛び出した。体の中でウニが巨大化した感じ。針は白く、わずかに虹の光沢を持っていた。
サメの破片が銀色に舞った。
霧の中に、一人の人影。灰錆髪の女の姿があった。
「分かったぞ――私はオバケだああああっ!」
雄叫びを上げている。
意味が分からない。
「オバケはサメよりも強い! オバケだから!」
灰錆女は一人に戻っている。
他にはというと、巨大ウニの残骸だけが残っている。それもすぐに見覚えのあるドロドロに変わって崩れていくのだが、その残骸はまだわずかに灰錆女の面影を残していた。
恐らくだが、僕らが見た複数の灰錆はこれだったのだ。
一体の『当たり』を除いて、他はどろどろの残骸に変わっている。
「なるほど」とまんのう町が言った。「どうやらバロック能力に目覚めて生存できたようだな」
言ったろウルタールくん。オバケなんていないんだ。




