2 黒と灰錆
◎
「四国支部のまんのう町です。こいつはバディのウルタール。本日は縄張り区域内で仕事させていただきますんで挨拶にまいりました。ご迷惑はおかけしませんので」
「あ、ご丁寧にお土産まで……」
「四国支部で作った本場のうどんと、うどんと、そしてうどんです」
「うどんと……うん、うどん。ありがとうございます。それでどれくらいの間こっちに……?」
「今から現場へ向かいます。二時間以内連絡を入れますが、それがなかった場合、済みませんが四国支部へ連絡願います」
「あ、そう……私らは本当に行かなくていい?」
「はい。何かあっても救助は不要です」
「でも……君ら子供だろう?」
「俺らは四国支部ですから」
「……うどん、ありがとうね」
「本物の、うどんですので」
「あ、はい」
姫路に到着したとき、僕ら、主にまんのう町と姫路支部のあいだで、そういうやり取りがあった。
ルーシーの件はシコク支部だけで動く、という宣言でもあった。
つまり何かあっても助けは期待できない。僕らは自分の行動に自分の命で責任をとらなくてはならない。その代わり、自由だ。
◎
というわけで〈狭間の地〉の入り口を見つけた。
僕らには、独断が許されている。
「どうする?」
「当然突入だ」
「だからどうやって?」
ダビデ像の周りをグルグル回る。
「任務のデータくらい記憶しておけ」
「墓場にダビデ像のインパクトのせいで忘れてた」
「尻に落書きされた形跡あったな……」
七週目で〈狭間の地〉に入った。というより、視界が切り変わって、気づくと別の場所に立っていた。
狭間の地は痩せた森だった。
「うだうだやってる間に完全に日が暮れたな」
まんのう町の言う通り、白い枯れ木の森は、夜の中に沈んでいくところだった。〈狭間の地〉にも時間は適応されるんだな。いや、場所によるのか。キンモクセイの廃墟のタイムラインは現実と同じだったが、シコクの卵はずっと明け方とも深夜ともつかない宵闇のままだった。
広さはどうだろう?
森を見渡す。まばらな樹木と墓石がひそやかな影をつくっている。雑草が皆無で、白骨みたいに隙間だらけの風景だった。なのに地面は緩い傾斜の波が続いていて、果てが見通せなかった。
白っぽい土の照り返しで、月光だけでもかなり明るい。ただし、樹木にかかる影だけは、墨のように黒かった。道といえるような跡は存在しなかった。
遠近感に乏しく、目印といえるような物がまったくない。
現実との接点、つまり出入り口はダビデ像があるから、見間違えることはないとして、これは森の中に入ってしまえばたちまち迷ってしまいそうだった。
「……これは、砂漠を歩くくらいの心構えでいたほうがよさそうだな」
まんのう町も同じ意見のようだった。
「でも、怪異をたどれば〈ルーシーの欠片〉へ辿り着けるんだよな?」
と僕。
「いや。狭間の地に入ってから怪異の動きが散漫になった。『デパートから出てくる群衆』を辿って来たのが『デパートの中の群衆』になった感じだ」
「主夫みたいな例えだ」
「黙れ」
確かに、怪異の動きは一方向でなくなった。
怪異は〈ルーシーの欠片〉によって起こるが、別に〈欠片〉の中から出てくるわけじゃないのだ。怪異の動きから〈ルーシーの欠片〉の場所を辿るのは無理そうだった。
「締めていけよウルタール。怪異があるってことは、まだ〈ルーシーの欠片〉が存在するということだ。そして欠片があるってことは、今にも人獣野郎が来るかもしれないって事なんだからな」
「――確かに」
「すでに来てる可能性だってある」
そう言い合った時、まさに僕らの視界の先、樹木の間を影が横切った。
怪異の白い幻影ではない。質感を持った黒い人影だ。
「誰かいた――」
僕らは駆け出す。
◎
作戦に向かう前、ジウス学長は僕らにこう忠告した。
「――〈ルーシーの人獣〉に遭遇する確率は高い。とはいえ、殺し合いはならないだろう。敵はお前らの始末より〈欠片〉の回収を優先するはずだからな」
彼が言うには、人獣の優先順位は、まず〈ルーシーの欠片〉。次に自分自身のことだという。自分自身というのはつまり、正体を隠そうとする、という意味だ。
「どんなに無敵でも、身元がバレて絶えず襲われちゃどうしようもねえからな」
数や組織力ではルスキニア教会のほうが上回っている。
「だから、向こうで〈ルーシーの人獣〉と鉢合わせしたら、とにかく逃げろ。お前らが逃げに徹すれば、相手がルーシーの人獣でもやられることはないだろう。やつらは必ず欠片の回収を優先するからだ。その場合〈欠片〉は奪われるが気にしなくていい。それだけで世界が滅びるわけじゃない」
完成した聖体を使うには〈ルーシーの遺産〉が必要だからだ。
「ヤツらが本気で牙を剥くとしたら、それは姿を視られた時だろう」
隠密だ。と学長は言った。
「もしヤツらを発見したらそのまま潜んでいろ。ヤツらの顔か持ち物をゲットできれば最高だが、それも気にしなくていい。手がかりってのは、糸くず一本みないなもんでも十分なんだ。案外な。『人獣と戦える』って俺が言ったのは殺し合いのことじゃねえ。今はまだ情報戦って意味なんだぜ。いずれ倒すための準備の戦いだ。いいか、絶対交戦はするなよ」
◎
討伐よりも情報。
それがこの任務の趣旨だった。
今回ばかりは、僕らも従うつもりだった。敵は少なくとも十体。その上に首謀者もいるはず。人獣を一体倒したとして、それで組織に逃げられたりしたら、割に合わない。
「隠密だ」
まんのう町も声に出さず僕へ指示する。
今、僕らは墓石の裏に身を伏せている。確かに人影を見た。
まんのう町と視線で合図を交わす。
顔を見たか?
否。
一人か?
二人に見えた。
聖体は?
それも否。見ていない。
敵は僕らに気づいたか?
おそらく気づいていない。
僕らはお互いすべてに「いいや」と首を振る。
恐らく二人組。人影は歩いて遠ざかっていく。編み目のような木々の影に取り込まれて、時々見えなくなる。
僕らは頷き合うと、追跡を始めた。
隠密。
たぶん、まだ気づかれていない。
でも、もし見つかったら?
学長の指示では「逃げろ」だ。僕らが姿を見られるのは問題がない。向こうは僕らを知っているから。
でもお互い貌を見てしまった時には?
それは命の取り合いになる。
向こうは躊躇しない。そのとき僕らに迷いがあったら? きっと敗北するだろう。人獣が二人。この場合は「逃げ」ですら危険なのだ。
僕らは尾行を続けながら目で確認し合う。
隠密は絶対だ。だがもし対面の状態になったら、その時は躊躇なく倒す。そういう合意の目配せだった。一番危険なのは迷うことなのだ。
そういう前提の元で、慎重に尾行した。
のだが、すぐに僕らは空回りだったことに気づく。
「ぐああああっ痛ってえ!」
前方の人影が声を上げた。女の声だ。音からして転んだらしい。人獣が転んだ上、こんな無様な声を上げるだろうか。
「痛え。引っ張ったなクソが」
「お前の足に引っかかったんだアホが」
二人とも若い女の声だった。女が二人言い争っている。それに物音、というか格闘する音だ。嘘だろケンカしてる。
この時点で、僕らは対象が人獣じゃないと気づきはじめていた。
近づいて行った。
僕らの足元に、土煙を上げて取っ組み合う二人の女子高生がいた。
「腹を! 殴るな!」
「お前が腹を殴るな! 腹ぐええええっ」
ネズミ花火みたいにグルグル回っている。
「めちゃくちゃケンカしてる……野生動物みたいなケンカだ……」
「敵……がこんな大騒ぎしてるはずがないな。おい、そこの二人やめろ、やめ――いま耳を食いちぎろうとしたか?」
仲裁は大変だった。
二人で引き剥がし、でかい魚を釣るときみたいに、しばらく暴れさせ疲れたところで地面に座らせた。そうしないと隙を見て飛びかかろうとするからだ。
「……つまり肝試しに来た学生ということか」
ショートカットの黒髪と、灰サビ色の長い毛並みの女だった。
学校の制服を着ている。スカートの下にジャージをはくタイプの子たちのようだ。確かに君たちは、はいたほうがいいな、と取っ組み合いを見たあとでは思う。
一般人とみて間違いないだろう。
偶然、例の石像の周りをぐるぐるまわってここへ辿りついたのか。それとも僕みたいにこの狭間の地と相性がよかったのか。
「お前のせいで捕まっただろおらっおらっ」
「くそがッ!」
二人がまたグルグルのつかみ合いを再開した。
「まだやる気かこいつら……平家と源氏でももうちょっと仲良くするぞ」
「パウダーかけろパウダー」と僕。
「なんでだよ」
「このままじゃ話できないし、敵が来たらヤバイだろ」
「だからなんで俺のパウダー?」
「早く早く! また耳食いちぎろうとしてる」
「いや……」
「はやーく!」
結局かけたし、効果抜群だった。
二人の女子高生は、口の周りをペロペロしながら大人しくなった。野良猫にマタタビをかけたような格好だ。すごいなまんのうパウダー。
粉まみれの女子高生二人に事情を聞いた。
バカらしくなるような理由だった。
二人はオバケの証拠画像を撮るためやって来たのだ。
「いるわけないだろ、そんなもんバカか」
まんのう町が辛辣な顔をした。
◎
僕らは、墓地の管理会社だと嘘をついた。
二人の女は観念したように身元を打ち明けた。
いわく、私たちはサーカス団員に拾われた孤児である。不法侵入がバレたら団長に火かき棒で殴られるので穏便に済ませてほしい。とのことだった。
もちろん嘘だ。没収した生徒手帳によると、本当は姫路の高校一年生らしかった。
灰錆髪の女はマズいラーメンを出すことで有名なラーメン屋の娘で、若干の虚言癖があった。
黒髪ショートの方は、そのマズいラーメンのファンで、同時に心霊オカルトマニアであり、かつ若干の虚言癖があった。
本当の事情はこうだ。
若干の虚言癖のため、二人は教室でも浮きがちな存在だった。
最近、黒髪の発言が元でクラスメイトとトラブルがあったらしい。
黒髪は「メモリアルパークよしふみの幽霊」の噂を主張した。墓地の裏で、実際に幽霊を見た、と言うのである。
これは〈ルーシーの欠片〉のせいなのだが、もちろんクラスメイトたちは知るよしもない。
また黒髪の虚言癖が出た、と言い合った。
灰錆髪も信じなかった。
「いるわけないだろボケカスはげお前」
と言ったのうだ。
だが、それだけでは済まなかった。
世の中には、浮いた人間が嫌いでしょうがないという者が存在する。教室にもそういう子はいて、さっそく黒髪に絡み始めたらしい。
だが、黒髪はいじめっ子たちが期待したような大人しい子ではなかった。それにいじめっ子が言い掛かりついでで灰錆髪家のラーメンをけなしたのも悪かった。
それらが黒髪、灰錆髪、両方の逆鱗に触れたわけだ。
二人は必殺のアイアンクロウで、クラスメイト達のメガネ、携帯、任天堂、通学用ヘルメット等を掴み割った。そして耳を食いちぎろうとしたが、さすがにこれは未遂に終わった。
いじめっ子たちは失禁寸前だったが、それでも二人を非難した。
こちらに非があったとはいえ、暴力はいけない。という正当な主張だった。
しかも、最初に嘘をついたのはそちらで、それも悪い、と言うのだった。
おおむね事実だった。
だが黒髪は憤然として、嘘じゃないもん、全裸の幽霊いたもん、と言い張って、なら嘘じゃない証拠を見せてもらおうという話になった。さもなくば壊したものの代金を払え、と。
さすがの二人も、これを飲んだ。
そして、怪異の証拠写真を撮るため「メモリアルパークよしふみ」を訪れたのだった。
という説明をすることで火がついたらしい。二人はまたまた取っ組み合いを始めた。
「お前のしょうもない嘘で! この心霊クソ女!」
「お前のアイアンクロウのせいだろ!」
「うっさい死ね」
「死なない。ホラー映画ならお前みたいなやつから死んでくからな」
「お前が死ね」
「お前はバチ当たって死ね。お前は逆さまされて蝋人形みたいにまっ白になって死ぬ」
「何か判らんが怖すぎるだろ!」
「静かに」
まんのう町は残りのパウダーを全部ぶちまけた。
ケンカは鎮火した。
最初にけしかけた身とはいえ、僕は、女子高生に謎の粉を躊躇なくぶっかける男を眺め、やっぱりまんのう町はどうかしているなと戦慄していた。
ともかく二人は〈狭間の地〉を撮影すると言って訊かない。
「じゃあもう、ここで撮れば」
というが、ダメだもっとはっきりしたオバケを撮りたい、と言う。
「まずオバケなんて存在しない。そもそもここで撮影したデータは外に出たら勝手にぶっ壊れるぞ」
まんのう町が口を挟んだ。
灰錆髪が携帯端末を確認する。
「ほんとだ……あっ。ネットにも繋がらない。クソがっ」
「もう帰れ。オバケなんていない。いいな? いないんだ」
まんのう町が帰らせようとする。
「やっぱりな! いる訳ないだろオバケなんて!」
後半の言い分に灰錆髪が同意した。
それが黒髪の子の気に触った。
「いいや、いるね! そしてアンタみたいなやつから殺されてくから。下顎を吹っ飛ばされて死ぬ」
「暴力に偏りすぎだろ、お前のオバケ。熊か!」
「とにかく探せばもっと――あれ」
口喧嘩の途中で黒髪が走りだした。何かを見つけたという感じだった。話の流れからいって幽霊だろうが、ここにはそんなものいるはずな。
「待て待て」
僕らは追おうとする。
「おぎゃああ」
灰錆髪がすっころんで倒れこんできた。木の根っこを踏んだらしい。
「足がうぎゃあああっ」
「えっ邪魔っ」
僕らの進路を塞ぐ形で転がった。
「いだだだだ!」
足を捻挫したようだった。
「結構腫れてるな、じっとしてろ」
「オカルトくそ女にやられたうぎゃあああ」
「嘘言ってる!」
友人の悲鳴を聞いてか、前方で黒髪が振り返った。
「そこでじっとしてろバカ。私が証拠持ってきてやるから心配するな」
そう言い残して木陰に見えなくなってしまった。
僕らは目配せする。
「あの女、何かを見つけたみたいだったな」
「怪異を見ただけなら良いんだが……」
まんのう町の言いたいことは分かる。
見たのが怪異じゃなかったとしたら。つまり、僕らより、さらに彼女らより、先に〈狭間の地〉に来ていた者がいたら?
それは今度こそ人獣に違いない。
その時、枯れ木の向こうから、短い悲鳴が聞こえた。
「おい――」
僕らは走りだした。灰錆髪もぴょんぴょん跳んでついてきた。
追いつくことは簡単だった。彼女は立ち止まって見えた。
枯れ木に寄り添うような後ろ姿が見える。
だが変だった。よく見ると両脚が地面から浮いている。
「おい、オカルト女……オバケの真似か?」
「待て!」
灰錆が近づこうとするのを、まんのう町がとめた。
黒髪の少女はぐったり動かない。制服の背に黒ずんだ染みが広がっていくのを僕は見た。宙吊りになった足から雫が、重そうな血の玉がこぼれ落ちていた。
黒髪の生徒の向こうにもう一つ人影が見さだめられた。
姿は見通せない。体のほとんどは少女と枯れ木の向こうに隠れている。
その二つの影が一瞬揺らいだように見えた。
そうではない。何か白いモヤのようなもので霞んだのだ。
モヤは少女の制服をはためかせたかと思うと、爆発的に拡がってきた。
視界を遮るほどの白さ。
「違う」まんのう町が叫んだ。「モヤじゃない、霧だ」
その瞬間、一帯に霧があふれた。
白い津波に視界がおおいつくされる。
「ウルタール!」
「ここだ」
僕らはお互いの居場所を確認しようとする。
これがただの霧のわけがない。〈虚無の霧〉だ。
もう確信していた。これは〈ルーシーの欠片〉を使って呼ばれたものだ。
それに、霧があふれる瞬間、僕は女の子の胴体を貫く獣のような腕を確かにみたのだ。
「――ルーシーの人獣……!」
ヤツらが先に来ていた。




