6 キャッツ!
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ウルタール。『彼』のことだ。
僕に異国の生活や狭間の地を教え、さらにキンモクセイとバロックを与えてくれた男。
その名が、ジウス学長の口から語られた。しかも衝撃的な形で。
「あなたは――」僕はジウス学長に言った。「最初から彼の名前を知っていた?」
シコク支部学長が、聖体破壊の犯人を知らないわけがない。
ということは、僕に関する報告を読んだ時点で〈ウルタール〉の名に気づいていたはずだ。
なのに隠していた。
いや、様子を見ていたと考えるべきか。きっと、当時の僕には受けとめきれない内容だったから。
そして、今は僕を信用して話してくれている。
「すまねえな」
とだけ彼は言った。僕も責めなかった。
話は先へ進む。
「先代はお前になにも話さなかったんだな……」
「ええ。故郷の話以外は」
でも、予想すべき範疇ではあった。
人獣は僕のキンモクセイを狙って来た。僕はバロックを受け継いだ。『彼』だけが無関係なはずはないのだ。
「……『彼』とその仲間が〈聖体ルーシー〉を破壊した」
「そうだ」
「その、後は?」
その後、彼は聖体にどう関わってくるんだ? 僕の中で、本能が濡れた火事跡みたいな臭いを発しはじめる。またの名を『不安』という。
学長が話をまとめた。
「すでに述べたように〈ルーシーの欠片〉は破壊不可能だ。破壊すれば見失うことになる。だから『彼ら』は〈ルーシーの欠片〉を深淵派から隠したのさ。一つに纏めると、一網打尽の危険がある。それで各々が〈ルーシーの欠片〉を持ったまま、放浪することになった」
僕は訊いた。
「『彼』は教会と手を組もうとはしなかった?」
「彼らは教会も信じてないようだった。ルーシーが隠れて実験を続けられたのは、教会内に彼の支持者がいたからじゃないかと考えたんだ」
「スパイを疑った?」
「まあ、いてもおかしくはないわな。どこの組織でもそうだ」
「それで〈欠片〉をもって散り散りに?」
「やつらは強力なバロック使いでもあったからな。自信もあったんだろう。実際、調べてみると深淵派どもがバタバタ返り討ちにあった形跡がある」
「でも、ずっと逃げるわけにはいかない」
「逃げながら破壊方法を探るつもりだったんだろうな」
そうして彼らは各地へ散ったのだという。
それぞれが聖体ルーシーの主要部位を一つずつ持って。それは安住することのない放浪の旅だった。
「僕が会った『彼』は、その旅の途上だったのか」
「やつらは長い間逃げ続けた。深淵派の方でもヤツらを追ってばかりもいられねえ。どうせ〈ルーシーの遺産〉がなけりゃ完全な聖体は手に入らないわけだしな。〈遺産〉奪取のためにも動かなくちゃならねえ。一方で教会は深淵派を狩り続けてる。近年じゃ深淵派も衰退してた筈なんだがな……」
「でも、深淵派は人獣を造った。どうやって『彼ら』から〈ルーシーの欠片〉を?」
衰退していた深淵派に、強力なバロック使いを倒すような戦力はなかったはずだ。
「〈ミストチルドレン〉かもしれねえな」
学長がぼそりと呟いた。
「ミストチルドレン?」
「深淵派のやつらもな『人造秘蹟』が使える。深淵派と俺ら教会は元々一つの信仰団体だったからな」
学長は言った。「やつらそれで人造のバロック使いを造ったことがある」
「人造のバロック使い?」
バロック使いは霧の中でしか生まれないはずだ。
「ルーシー以前の〈古代聖体〉にもな、多少扱いやすい物はある。そういう〈古代聖体〉に星の列びだとかの複雑な条件を揃えてやれば、ほんの小規模だが霧を呼べるんだ。人造秘蹟の中でもとびきりの外法さ。で、やつらは呼んだ霧の中に孤児を放りこんで、バロック使いを造ろうとした。帰ってきた子供は洗脳して戦力にしちまう。もちろん大抵は失敗するが、そんときゃ自分らで獣を倒してやり直しゃいい。俺も二人だけだが『ミストチルドレン』の成功例を見た事がある。ありゃスゲえぜ。何せ理性がぶっ壊れてつねにバロック全開だからな」
「クソみたいな事をする――」
まんのう町が吐き捨てた。あの霧を体験した者ならみんな同じことを言っただろう。
「とにかく〈ミストチルドレン〉なら、数と能力次第では〈襲撃組〉も狩れるかもな。いやチルドレンの存在に関しちゃ完全な憶測だけどよ」
学長は首を振った。
僕は十体の人獣のことを思い出す。
〈獣〉から得た力を差し引いても、彼らは戦いに慣れていた。
つまり人獣以前から、深淵派には十人の戦闘員がいたはずなのだ。その十人で〈欠片〉を一つでも手に入れられれば、人獣が完成する。深淵派の戦力は一気にアップすることになる。
人獣がいたなら『彼』を追い詰めることだって出来たかもしれない。
僕と出会ったとき『彼』は怪我をしていたのだ。人獣の襲撃に遭ったという可能性は十分考えられる。
だが、しかし、そうであるならば――。
僕は長いあいだ迷った。それからようやく口にした。
「だとしたら――キンモクセイが、僕の猫が〈ルーシーの欠片〉なんですね?」
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「だとしたら――キンモクセイが、僕の猫が〈ルーシーの欠片〉なんですね?」
僕はジウス学長を見つめた。落ちていく感覚。
彼も僕を見つめ頷いた。
「ああ。その可能性が極めて高い、な」
僕は意志の力を使って、慎重に頷く。
まだだ、まだ絶望的って程じゃない。
正確には、僕の猫のなかに〈ルーシーの欠片〉がある、というのが正しいのだろう。キンモクセイは確かに一度死んでいた。
学長も同じ意見だった。
「――推測だが、死んだ猫の中に〈ルーシーの欠片〉を隠したんだろう。それで猫が生き返ったのは、もしかしたら先代ウルタールにも予想外だったのかもしれねえな」
聖体には動物と融合する力がある。それが良い方向に働いたのだろう。
「〈欠片〉を隠したのは、深淵派に追われていたからだろ思いますか」
「恐らく。彼は怪我をしてたんだろ?」
それは間違いない。
僕には決して触れさせなかったけれど、ほとんど動けない様子だった。
深淵派の強力なバロック使い――もしかしたら人獣が完成していたのかもしれない――に追われ〈狭間の地〉へ隠れたのだ。そこへ僕が迷いこんだ。
「でも、なぜ彼は猫を遺して去ったんだろう?」
「敵の接近に気づいたんだろうよ。逃げ切れないと悟って囮になることにした」
もっともな話だと思う。
「……バロックを置いていったのは死を覚悟していたから?」
「それほど勝機のない相手だったってことなのかもな……。でもよ、お前を見こんでバロックを託したとも考えられるぜ?」
慰めのつもりだろうか、学長は指鉄砲の仕草でおどけて見せた。
いずれにしろ、彼のバロックのおかげで僕は命拾いしたわけだ。
「でもなんで『彼』はそこまで追い詰められたんでしょう。仲間を呼ぶとか出来なかったのかな」
「彼らは永訣の誓いを立ててた。助けを呼ぶのは誓いに反し
てたんだろ。敵が強いならなおさらな。それに教会も信用できねえしな」
皮肉だろう。学長は哀しげな目をしていた。
『彼』がそこまでしても、けっきょくキンモクセイは攫われてしまった。
玉葱冠の事件も仕組まれていたと考えるべきだ。
深淵派は何らかの形でキンモクセイに気づき、十体もの数で追ってきたのだ。
きっと、キンモクセイのなかにある〈ルーシーの欠片〉は重要な部位だったのだろう。その証拠に〈深淵〉たちはキンモクセイを恐れていた。
僕がもっと強ければ僕の猫も〈ルーシーの欠片〉も奪われずに済んだだろう。
しばらく沈黙が落ちた。
「今のところ、先代ウルタールの遺体は見つかってねえ」
そう前置きしてから、学長は改めて詫びた。
「黙っててすまなかったな」
「いいえ」
と僕は言う。本心だ。それに何となく『彼』は生きているような気がした。まったく根拠はないけれど。
またしばらく間があって、今度はまんのう町が口調を変えていった。
「それで、俺たちに何をしろと? 先代ウルタールの仲間を見つけて保護するのか?」
そう、僕らは任務があると言って呼ばれたのだ。
学長の推測が正しいのなら、僕らは急ぐべきだった。
人獣が完成しているということは、すでに〈襲撃組〉のうち何人かは倒されてしまったはずである。
だがジウス学長は首を横に振った。
「いや。彼らとのコンタクトは不可能だろう。こんな状況だ。誰も信用すまい。見つけることすら困難だろうよ。つうか前らそんなスキルねえだろ」
「じゃあどうするんだ?」
「さっき〈ルーシーの欠片〉は破壊できねえって話したよな」
「壊しても別の場所で復活する」僕は復唱する。
「そうだ。それは逆を言うと、いよいよ追い詰められちまったら破壊した方がマシってことでもある。〈欠片〉を別の場所へ移せるんだからな」
「行方不明にして一旦御破算にするという事か」
でも、それは本当に最後の手段だった。誰に拾われるか分からないのだから。
「〈襲撃組〉が深淵派に狩られてるのは間違いねえ。だがその中には、ぎりぎりで〈ルーシーの欠片〉を解放した者がいたはずなんだ。仲間が回収してくれるのを願ってな」
それが本当なら大ごとだ。
浮いた〈ルーシーの欠片〉があるなら深淵派より先に、何としても回収しなくてはならない。
でも、だとしてもどうやって探せばいいのだろう。
「それは確かなのか? それとも推測か?」
僕に変わってまんのう町が訊ねた。
学長はすぐに答えた。
「根拠がある。このところ情報部に全国から怪異の噂が届きだしたのさ。普通ではありえない増え方だ」
「……それがどう関係するんだ?」
そもそも何で怪異の情報なんか集めているのかすら僕らには分からない。
学長は答えて曰く、
「〈ルーシーの欠片〉が怪異の原因だからだ。『聖体あるところに怪異あり』って言ってな。大昔の教会には聖体探して怪異を調査する部署があったくらいだ」
「――それはつまり。怪異の場所へ行けば、復活した〈ルーシーの欠片〉に当たるかもしれないってことか」
「同時期に現れた情報ってとこがミソだ。深淵派の襲撃は一斉に行われたはずだ。で、そのころ誰かが破壊した〈ルーシーの欠片〉が、最近になって復活し始めた。怪異の増加はそういう事だと思う」
そろそろ任務の詳細が明らかになってきた。
「やる」と僕らは言った。
「いつ出発する?」
「はええ、はええ。もうちょっと俺に言わせろ」
学長は咳払いして、改めて僕らに任務を下した。
「お前らには新生した〈ルーシーの欠片〉の回収に赴いてもらいてえ。当然、深淵派も怪異には気づいてるだろう。回収に向かった先で人獣と戦いになるかもしれねえ。それでもやるか?」
当然、僕らは即決した。
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話が終わると岸壁沿いに歩いて帰った。
僕らの影に反応して、数メートル下で、魚がボチャボチャ跳ねた。こんなにいるのに学長はまったく釣れなかったらしい。
強い横風が吹いている。
僕はまんのう町を盾にして、潮風から身を守った。
まんのう町は気にせず進んでいく。
しばらく無言だった。
やがて向こうから口を開いてきた。
「お前が足りない頭で考え続けてたのは、猫と聖体のことだったのか」
僕は歩きながら頷いた。
「まあね」
「そこまでショックは受けてないみたいだな」
僕も最初は悩んだ。
僕のキンモクセイは何ものなのか。
生き返った猫なのか。
それとも、猫の皮を被った〈ルーシーの欠片〉なのか。
今では、そんなこと重要じゃないと思っている。
僕が本当の意味で猫と言うとき、それはキンモクセイを指すのだ。僕の胸に開いた孤独の形。そこへぴったりはまるのはキンモクセイだけだからだ。
キンモクセイが、たまたま猫だっただけだ。
だとしたら、
キンモクセイが、たまたま聖体だった。
としても問題はないわけだ。
いずれにしろ、僕はキンモクセイを思って毎朝泣く。キンモクセイも僕がいないと毎晩鳴く。それがすべてなんだ。
僕が恐れるのは、今後キンモクセイがどう扱われるかについてだけだ。
深淵派は? 教会は? キンモクセイをどうしたいのだろう?
〈ルーシーの遺産〉が見つかるまでは、迂闊に手を出しはしないはずだ。深淵派も、教会も。
でも取り返したとしてその後は? 僕は教会を手伝っていいのか?
キンモクセイは、まんのう町や、ロッカさん、一番霊場たち。教会のみんなの敵なのか?
僕は来るときと同じ質問を、まんのう町に繰り返す。
「ルーシーをどう思う?」
彼は黙っていた。
学生寮に帰ると騒がしかった。
一番霊場たちが、ウンチの後の猫みたいに走り回っている。
「お前らどこいってた? 大変だぞ」
「キャッツ!」
「キャッツ!」
なんだが複数形で狼狽えている。
騒ぎの中心に二匹の猫がいた。
クッションの上で丸くなったサバ柄のお腹に、いくつもの可愛い鳴き声がぶらさがっている。
子猫が生まれたのだ。
五匹。小さいのに元気いっぱいで胸がチクチク甘くなるような可愛さだ。
わなないている僕の隣にまんのう町がやってきた。
彼は十分も前にした質問について考え続けていたのだ。
「ルーシーのすべてを破壊する」と彼は言った。「だが〈欠片〉は破壊不可能らしいからな」
僕は彼を振り返って見た。
「『あれ』は壊せるものはいない。そうだろ? それにルーシーが天才なら、猫を何とかする方法だって〈遺産〉に書いてあるだろうよ」
僕らはその日のうちに発った。
〈欠片〉新生の候補地、姫路へ向かった。




