5 不滅の聖体ルーシー
◎
「ご機嫌か?」
まんのう町が訊く。
「獣が狩れるならご機嫌だよ」
僕は答える。
「俺もだ」
聖堂街のあらゆる屋根に火が灯っている。
火は深紅から青へと色を変化させながら、蓮の形で燃え続けている。
最も大きく、鮮やかな炎の下に、この聖堂の〈獣〉が睡っていた。
〈調査〉はまだまだ続く予定だ。
「そういえば」
見張りを続けながら、僕は気になっていたことをまんのう町へ訊ねた。「深淵クラスは、下位の獣の聖堂へ自由に出入りできるんだよな」
「それが?」
「だとしたら人獣たちは、聖堂を渡り歩いて〈ルーシーの儀式跡〉まで行けるんじゃないのか? 獣との戦いなしで」
「いや。いくら深淵でも自分より高階層の聖堂へは入って行けない」
「……あいつらより強い獣がそんなにいるのか?」
僕らは〈深淵〉に手も足も出なかった。それが十体手を組んでいる。
「〈儀式跡〉付近にはな。それはデータから導き出した事実だ。だからヤツらも『近いところ』から陣取りしていくしかない」
僕らも、最終的にはその獣たちと戦う事になるのだ。
それに、猫盗みクソ獣野郎――つまり人獣たちだって力を蓄え、更に強大になっているかもしれなかった。
「目の前の敵に集中するしかないってことだ」
まんのう町は双眼鏡での観察に戻った。
僕もそれに従う。
「炎の強さに周期があるな」
「気づいたか。おそらく火の規模と獣の強さは比例している。今は弱い時期のようだ。今なら狩れるな」
「――って報告するわけ?」
これから帰って報告書を書いて、作戦を立て、演習の末にここへ戻ってくるのか?
「……いや、作戦会議してるあいだに周期のパターンが変わってしまうな」
まんのう町が立ち上がった。
いつもの仏頂面だ。でも何となく悪戯っぽい顔に見えた。僕もちょっと楽しくなる。
「じゃあ、しょうがないな」
僕も立ち上がり、バロックを抜き払う。
「ああ。まったくしょうがない」
まんのう町もそうした。
猫と故郷をとりかえすためには、僕らはもっと強くならなくちゃならない。獣よりも、人獣よりも早く。今すぐにでも。
「見てますよね岸本先生、俺の新しい技です……」
バロック。
まんのう町の腕輪が輝き始めた。
装飾部に調節してもらったので、装飾部分のデザインが変化している。
左手にある腕輪から光りの輪が三つ分離した。
それは移動して、残りの四肢、右手首、両足首にはまった。
それらは擬似的にバロックと同じ働きをするようだ。
「先生ェ‼」
まんのう町が跳躍した。
すごい速度だ。
両の足からバロックの輝きを噴出させ、ジェット噴射のような推進力を得ている。
さらに両手からも同じようにして、空中制御を担当させていた。
バロック使いの身体能力は常人より強化されているが、彼の動きはその範疇を大きく超えていた。
輝く暴風のように奔って獣を牽制していく。
「これがチャクラの力だ!」
バロック。岸本先生に謝れ。
だが強い。巨大な獣に何もさせず、鷹のように追い立てていく。
すごくバロックな男だが、戦いに関しては恐ろしく頼りになる。
バディを組んでからもう何度も助けられていたし、最近では僕もそう認めざるを得なくなっていた。
獣も激しく抵抗している。
一見、拮抗しているように見えるが、それは獣が今のところ自分の生態で戦えているからだ。
いずれ、まんのう町が獣の呼吸と体勢を突き崩す。その時が僕の出番だ。
僕らの狩りはダメージレースではない。必殺のタイミングを見計らう追い込み猟だ。
まんのう町が獣の背後をとった。
獣は体を捻って、とっさの反撃をする。火炎を纏った爪が空を切った。
まんのう町は、空中制御ですでに地面にいた。着地の姿勢と同時に、宙を蹴った。足首のバロックが光りの残像を描く。その円弧が輝く刃となって、獣の後ろ足を切り飛ばした。
獣の体が宙に浮く。
攻撃の要である腕は伸びきった状態。胴は雑巾を絞ったみたいに捻れていた。
躱すことも防御も叶わない姿勢。死に体だ。
「ウルタール!」
タイミングが訪れたところで、僕の出番だ。
〈11ぴきのねこ〉を放つ。
炎を掻き消し、艶やかな黒い毛並みが奔る。その中には無数の牙と爪が潜んでいる。
工業用サンドブラストに晒された果実みたいに、獣の体は削り取られ、消滅していった。
手応えを感じながら、僕は少しだけ、神戸支部の男を思い出す。あの僕らを憐れむような目。
本当に的外れの感傷だと思う。あの人はきっと戦ったことがないんだ。
彼らには理解できないだろうが、狩りをするあいだ僕らはご機嫌なのだ。孤児だっていつも泣いてるわけじゃない。
僕らが彼と同じ感傷に浸るとすれば、それは全てを取り戻した後のことになるだろう。
ドクロ狸に続いて戦果が増えた。
その後も僕らは可能とみれば独断で獣を狩った。その判断が間違ったことはない。
言い訳させてもらうと、状況判断で獣を狩るチームは僕ら以外にもたくさんいた。
もちろん叱られるが、だからといって先生たちも僕らを現場から遠ざけたりはしなかった。
たぶん先生たちは、ある程度の独断を承知の上で仕事を振っているのだ。
つまり倒せる程度の敵を割り当ててくれている。そんな気配があった。
もし調査の途中で計算違いがあれば、迷わず撤退させたはずである。
僕らが軍人からほど遠いことを、先生達は理解しているのだ。
僕らは聖人でもなければ、救助者でもない。
僕らの祈りは行き過ぎている。
僕らの認知は歪んでいる。
僕らの宗教は作り物だ。
僕らは自分のバロック世界に棲んでいて、星のように孤独で、獣を倒すという目的だけでどうにか繋がっている。
灰南学園で行われていることは、ようするにそれだけだ。
でも、そんな僕らも時には、遠くに見える別の星を好ましく思ったりもするのだ。
それで救われている。
「ご機嫌か?」
まんのう町が訊く。
「獣が狩れるならご機嫌だよ」
と僕は答える。
それからも僕らは聖堂を巡り〈調査〉という名の狩を続けた。
ミーティングで叱られたり、情報交換したりする。
大きめの討伐任務に参加したりもした。
また普通の学生のように授業を受けて、放課後にはシゲさんから格闘技を習ったりもした。
シゲさんは胡散臭いほど洗練された老紳士で、恐ろしく香り高い珈琲を入れてくれる。そして、眼鏡をかけてボトルシップを制作したりする合間に、僕らに稽古を付けてくれるのだった。シゲさんは「カラテだ」というけれど、すごくカンフーっぽい。もっというなら、たぶん映画で学んだ我流武術だ。それでも僕らはシゲさんに一度も勝てたことがなかった。
一日の仕事が終わると、僕は晩ご飯をもりもり食べる。そしてキンモクセイじゃない猫と睡る。
学長から呼び出されたのは、そうした日々に慣れた頃だった。
初手からこう言って僕らを高揚させてくれた。
「お前ら、人獣と戦れるかもしれねえ仕事だ。やるかい?」
◎
呼び出された場所へ向かうとき、僕は少し緊張していた。
向かう場所はいつもの岸壁だ。
まんのう町は無言で歩いていたが、やがてこう切り出してきた。
「お前何をうじうじやってる」
「うじうじはしてない」
「歩き方がうじうじしてる」
彼の言いたいことが分かった。
確かに僕にはちょっとだけ気に掛けている。
これから学長に会う。呼び出しの連絡を受けた時点で、僕はあることを訊ねようと決めていた。
そもそも、聖体ルーシーの話を聞いた時から、ずっと引っかかっていた事があるのだ。でも学長から答えを聞くのが怖くて、うじうじしているわけだ。
僕はしばらく歩いて、
「ルーシーをどう思ってる?」
とまんのう町へ訊いた。彼にだけはまだこの質問をしていなかったのだ。
彼の答えはシンプルだった。
「ルーシーのすべてを破壊する」
俺がルーシーに対して発言するとすれば、それだけだ。
ルーシーのすべて。
それは当然〈ルーシーの欠片〉の事を含むのだろう。
そこから無言のまま、岸壁へ到着した。
結果から言うと、僕の質問は必要なかった。学長の方から同じ話を切り出してきたのだ。
「前はルーシーと聖体について話したよな。だが、あん時にはまだ語らなかったことがある。そいつを話しとこうと思ってよ――」
そう言ってジウス学長は釣竿を振った。
なお今回コンロと油が用意してあった。釣った魚で天ぷらをやりたいらしい。
でも今回ばかりは、僕もそんなことに言及する余裕がなかった。
ジウス学長が話し始めた。
「まず〈ルーシーの欠片〉だが、あれは破壊不可能だと先に言っておく」
まんのう町が眉を寄せる。彼も知らない情報だったらしい。
「〈欠片〉を見つけて破壊してやれば、〈聖体ルーシー〉の復活は阻止できると考えていたが?」
僕は考えたことがなかった。確かにピースを破壊してしまえばパズルは完成しない。でもそれは不可能なんだと学長は言う。
「〈ルーシーの欠片〉は復活するのさ。どんなに破壊してもな」
「復活?」
「〈儀式〉を謎の一段が襲撃した。それでルーシーは破壊されたんだが、わずかに間に合わなかった。破片になった瞬間にはすでに〈聖体ルーシー〉は八割方は完成しちまってたんだな。だから、どんなに破壊しても〈欠片〉の状態までは復活する」
「だから、その復活とやらはどういう現象なんだ。再生するのか」
「それ以上さ。〈ルーシーの欠片〉はこの世の理を超越してる。破壊されれば、いったんこの世界から完全に消えちまう。だが時間をおいて日本のどこかで復活する。無からでも復活できちまうんだ。なんで日本限定なのかは不明だが」
「つまり、手に入れた〈ルーシーの欠片〉を破壊しても、また探し直しになるわけか」
「ああ。復活したとこを深淵派に奪われちまったら最悪だな」
まんのう町は少し考え、
「〈ルーシーの遺産〉を手に入れれば問題ないだろう。それで破壊方法がわかるんだからな」
「うん」
学長は素直にうずき、それから何故だか僕に対して申し訳なさそうな目をした。僕は厭な感じがする。
「――だがな。〈ルーシーの欠片〉が重要なことにはかわりがねえ。それどころか破壊もできないとなると、誰かが見張ってなくっちゃならない。〈聖体ルーシー〉の性質を思い知った者ならなおさらそう考えるだろう?」
学長はまだ僕を見ている。
来るべき時が来たのだと、僕は覚悟した。
僕がずっと恐れていたことが今、学長の口から明かされようとしていた。
「〈聖体ルーシー〉を破壊した一団があった。そいつらは〈ルーシーの欠片〉の性質を知り、それを守る役目を背負うことにした」
僕は黙って待つ。
「その中の一人の名が〈ウルタール〉。お前に猫と短刀を託した男の名だ」




