1 奪還OK?
◎
釣糸を垂れながら、ジウス学長は十体の〈深淵〉について語りはじめた。
「ニャンさんを攫ったのは多分〈深淵派〉だろうよ。ヤツら異端どもにとってお前の猫は重要なものだったらしい」
「深淵派?」
当然僕は訊き返す。知らない単語だ。
「〈聖堂の獣〉を信仰する連中だ。世界中を霧でのみこんで、一匹の〈獣〉に変えちまうのが、あいつらにとっては『世界の正しい状態』なんだと」
「バカなのか?」
というのが僕の最初の感想。
「バカだよな。まあ深淵派の中にも〈獣〉の不死に興味あるだけのヤツとか実は色々だけどな。だが第一目標はどいつも同じだ」
「深淵派の第一目標?」
「〈聖体〉だ」
「生態?」
「聖なる体」
「聖体ってキリスト教が言うみたいな?」
やさぐれたキリストみたいなジウス学長は応えて、
「ここでいう〈聖体〉はまた別だ。俺の体はここにある」
「そういうのいいんで」
「ルスキニア教会の前身になった教団があったが、その時代から崇めてたもんだ」
「御神体みたいな物? 人魚のミイラとかみたいに?」
「そんなとこだったらしい」
「ミイラなの?」
「聖体は、たいてい化石の形をしてるな。まあ色々あるが。由来もまた色々だ。空から降ってきた石だともいわれている――つまり何なのかは判明してねえ」
「適当だな……自分のとのこ信仰対象だろうに……」
「宗教なんてそんなもんだろ」
そうなのか。自認キリストの人が言っていいのか、それ。
「確かなのは、この聖体に〈虚無の霧〉を呼ぶ力があるってことだ」
本題に近づいて来た気がする。
「虚無の霧を――」
「理論上じゃ、そういう事が可能だって言われてんだな。だから終わりを求める深淵派は〈聖体〉が欲しいわけだ」
「世界を霧で消すために?」
「――で、宇宙に等しい聖堂と一匹の獣が誕生するわけだ」
「じゃあ、聖体はかなり危険なものなんじゃ?」
ジウス学長は釣竿を上げたり下げたりしている。
突っつきたくなるのを我慢して僕は話の続きを待つ。
「理論上はな。霧を呼ぶことはぜんぜん成功してねえんだ」
「でも、ずっと昔から聖体はあったんでしょう?」
「あった。なのに誰も解明できてねえんだ。何世紀もかけて、頭おかしくなるほど複雑な計算してよ、大金使って儀式してもよ、深淵派は不死も終わりも得られなかった。まあ、それは俺ら教会も同じだったんだがな」
「教会も聖体の研究を?」
「そら〈虚無の霧〉から世界を守りたいって団体だからな。医者が病気の研究するようなもんよ」
「でも、何も判明しなかった?」
「ほぼな。霧を呼ぶ〈儀式〉で呼べたのは、極小さい霧ていどだった。最近までは、な」
「『まで』?」
ジウス学長は釣竿をあげた。餌は食い逃げされていた。
彼は溜息をついて、説明を再開した。
「そうだ。つい十数年前までは。技術が大幅に進歩したのは一人の天才が現れたからだ」
「ルーシー」
ここでまんのう町が初めて口を開いた。
乾いた声だった。
ジウス学長は頷いた。彼は「その名」を劇薬を扱うみたいに慎重に発音した。
「ルーシー。教会始まって以来の天才。そして最悪の裏切り者だ。あいつは新しい聖体を造りだしちまったのさ」
◎
「ルーシー……」
僕は固唾をのんで次の言葉を待った。
「おああああっ」
突然、学長が叫んだので僕はびっくりする。
釣竿が、海へ攫われそうになったからだった。彼はものすごい勢いでリールを巻いた。やがてまるまると太った黒い魚が釣り上げられた。
「かかった! 十年かかって初めて釣れた!」
初めて!? 十年かかった釣れたの始めて?
学長は調理道具まで準備していた。
「おいアンデレ! パウダーかけてくれ! お前のパウダーを俺の魚にパウンドしてくれよ!」
「まんのう町だっていってんだろ」
「そう! かけてくれ! そう! もっといっぱいかけろよ! 俺を溺れさせてくれ!」
七輪から魚の焼ける匂いが立ち始めた。
十年間、毎回七輪を準備して座り続けたのか。この人はもしかしてバカなんじゃないか。
「うめえ! お前らも食うか? 食うだろ?」
「いらねえ」
「素手で毟ったから、もういらない」
僕らは冷たく断った。
ようやく話が再開した。
「ルーシーはすべてを兼ね備えていた、と皆は言う。実際、あいつはカリスマ性、知性、そして戦いにおいてまでも、周囲を超越していた。ギターの腕は中の上ってとこだったがな」
横でまんのう町が何か呟いたが、それは潮風にまぎれて僕には聞き取れなかった。
ところでこのルーシーの話が、猫の行方とどう繋がるのだろう?
「遠回りしているようで申し訳ねえが、重要なことなんだ」と学長は先回りして言った。「四国支部にとってルーシーの話はな」
僕は頷く。実際転校初日の頃ほどイラつきはしなかった。理由は分からない。
「つまりルーシーは何をしたわけ? 裏切り者ってさっき言ってたけど」
「そうだな、まず……ルーシーは聖体の研究をしてた」
「ぜんぜん解明されてなかったっていう聖体」
「そうだ。ルーシー以前まではな」
「彼が解明した?」
「いいや、解明できないってことを解明した」
「……分からないな」
「そもそも人が聖体を使うのは無理だったんだ。キリンにピアノが弾けないように、人間にとって聖体は制御不能なモンだった。ルーシーはそこから出発しようと考えた」
ジウス学長は、ここで少し言葉を選んだ。
「つまりだな、ルーシーはずっと神聖視されてきた聖体を捨てようと考えた。こんなもんは使い物にならねえ、とうっちゃったんだ」
「『うっちゃった』ってなに? 何語?」
「古代からある聖体は人間にはあつかえない。なら、人間にも扱える聖体を造ってしまえばいい。あいつはそう考えたんだ。そしてその類い希な頭脳で、本当に完成させちまった。人間の人間による人間のための聖体――人造聖体をな」
ちょっと、話に着いていけなくなってきた。
僕は自分にもわかりやすいよう、人造聖体とやらの役割りを簡略化する。
「それは、その人造聖体は……つまり『使える』ってこと? 〈虚無の霧〉を呼ぶことができる?」
「そうなるな」
「じゃあ……深淵派の欲しいものはもう完成しているってこと?」
僕は情報をまた整理しようとする。
深淵派は〈虚無の霧〉を呼びたい。
そして、それを可能にする人造聖体は、協会側のルーシーが完成させてしまった。
ということは……どうなったんだ?
学長が続ける。
「ルーシーが教会を裏切ったんだよ」
「裏切り……」
学長が続けた。
「そもそもルーシーは深淵派と手を組んで人造聖体開発してたんだ」
「じゃあ――」と僕は驚く。「じゃあ、もう人造聖体は使われてしまったのでは?」
「使われた」ジウスははっきりそう言った。
「使われた? 世界が終わるっていう聖体がすでに?」
「使われたが、霧を呼ぶ〈儀式〉の途中で、聖体は破壊されたんだ」
「じゃあ計画は阻止された?」
「あるいは――いや……」
妙な沈黙が帰ってきた。
やがて学長が言葉を継いだ。
「『阻止』つうんなら『阻止』されたんだろうな。世界は守られたんだからな。だが完全じゃなかった」
「儀式が途中だったから?」
僕は思いつきを口にする。それは概ね正しかったらしい。
まんのう町が引き継いでこう言った。
「そうだ、儀式は不完全だった。そしてそのせいで四国は消滅することになった。ルーシーが〈儀式〉を行ったのは四国の山中だったからな」
「人工聖体が暴走したんだ」
と付けくわえたのは学長である。「止められる者はいなかった」
「シコクが?」
まんのう町たちの故郷、シコク。僕はそれがどういう文字を書くのかさえ知らない。
まんのう町の表情は変化していなかった。それが逆に不穏だ。
学長は補足して言う。
「ルーシーの計画を阻止したのは、教会の外の人間だった。その謎の集団はルーシーを倒し、その聖体を破壊した。だが、そのせいで聖体が暴走し、四国が消えることになった。だが彼らが居なければ、もっと大きな被害が出ていたはずだった」
学長は淡々と話し、それから「質問は?」と訊いてきた。
もちろんある。
「それが僕の見た〈深淵の獣〉とどう関係する?」
僕の猫を攫っていったのは〈獣〉なのだ。
ルーシーでも異端者でもない。
「当然の質問だ」
ジウス学長は頷く。
「深淵派は〈獣〉を使役できる、とか?」
「まず、ほぼ不死にして完全な生命体である〈獣〉たちが人間に従うことは有り得ない。そもそも獣同士ですら協力はしないんだからね」
「でも〈深淵〉は十体もいた。そいつらが協力して僕の猫を閉じこめたんだ」
「ああ。報告に訊いてる」
「学長の話と矛盾してる」
学長は素手で、でもどこか優雅に焼き魚を食べた。
ゆっくり噛んでいる。頭の中で理屈を組み立てているらしい。
「――ルーシーの人造聖体には、人と融合する特質があった。なんせ人間に適応するよう造られたモンだからな。同じ種類の若木を接ぎ木するみたいにすんなり馴染む」
僕は首をかしげる。科学的なことを話しているんだろうけれど、それがどこに着地するのか分からなかった。かといって検証できるほどの知識は僕にはない。
つまり黙って聞くしかないということ。
「他方、そもそも本物の聖体には人間以外の物質と融合する性質があった。逆に言うと人間にだけ適応しなかったんだな。ルーシーはそれを改善したわけだ」
やはりまだ分からない。
「ルーシーの聖体はあらゆる物を接ぎ木できるわけだ。獣も、人も、その両方とも」
そう言ってから学長は魚を抓み、今度は僕へ差し出した。
僕はそれを食べた。
ようやく、僕にも理解できた。人と獣の接ぎ木。群れることのないはずの〈深淵〉が十体も、しかも計画的な動きを見せた理由。
「〈深淵〉のなかに人がいた――。〈深淵派〉は人造聖体を使って〈獣〉と融合したんだ」
「ご明察」
◎
「取りあえず〈ルーシーの人獣〉とでも名づけるかな」
ジウス学長が言う。
彼は付けくわえて、
「まあつっても〈人獣〉はまだまったくの推測だけどな」
「証拠とかはない?」
「ない。理屈だけだ。〈獣〉は馴れ合わない。なら人の手が入ってるんだろう。〈獣〉を操るには〈ルーシーの聖体〉を使うしかない。〈獣〉と融合しようなんてのは〈深淵派〉くらいしかいねえ。だからニャンさんを攫った深淵は〈ルーシーの人獣〉で、融合したのは〈深淵派〉なんだろうってその程度の推測だ」
「はあ……」
「目的は不明。世界の終わりか、そうじゃなきゃ不死が目的か」
「じゃあ……」
と僕はまたまた脳を回転させる。
目的は不明だが〈人獣〉たちは計画して僕の前に現れたことになる。じゃあ学校に出た霧も深淵派が仕組んだのだろうか? 人造聖体だとかを使って? いやしかし――。
「――ルーシーの人造聖体は破壊されたって言ってませんでしたか?」
根本的なことに思い至った。確かルーシーの儀式は邪魔されて、その際に聖体は破壊されたはずじゃないか。
「破壊はされたが、消滅したわけじゃなかったんだ」と学長は答えた。「ルーシー聖体はいくつかの欠片になり、世界へ散った。犯人は、そのいくつかをどうにかして手に入れたんだろう」
「パーツでも〈接ぎ木〉が?」
「可能だとウチの学者連は考えてる。もちろん完全な聖体よりグレードは落ちるだろうが……」
「深淵派の居場所は?」
僕は訊ねる。
頭を使った結果、シンプルになればいいと思いたったのだ。聖体とか深淵の居場所がどうあれ、深淵派そのものを探せばいいだけではないか。
「調査中だ。だが、その調査はお前らの仕事じゃない。それは教会のそういう本職に任せておけ」
「手伝えというなら手伝いますが」
「必要ない。てか専門家じゃねえと無理だ」
「本職じゃない僕は何をすればいい?」
「それだ」
ジウス学長は両手を打ち合わせた。
「それが君らの仕事になる。アンドレに関して言えばいつも通りの仕事だ」
「まんのう町だっつってんだろ」
「愛してるぜ、我が子よ」
「仕事って?」僕は話を元に戻す。
「バロック使いの仕事は主に三つある。『奪還』『防衛』『あと色々』だ」
「それは三つとは言わないだろ」とまんのう町。
「言わない」と僕も頷く。
「愛してるよ息子たち。ともかく、ウルタールがニャンさんを取り戻す最短ルートの仕事は、この『奪還』になる」
「奪還って? 具体的には?」僕は訊ねる。「獣を倒してシコクを取り戻すというヤツ? それが僕の猫のために出来ること?」
「『四国支部のために利用されてんじゃないか?』って疑問は分かる。だが、まあ聞け。〈失われた四国〉にゃお宝が眠ってんだ。そいつを深淵派も欲しがってる」
「お宝?」
「ルーシーの遺産さ。いや、金の話じゃねえよォ。研究資料さ。メモ。実験データ。施設設備。日記。そういうやつだ。やつらがなんでそんなもんを欲しがるかわかるか?」
「……ルーシーの研究を引き継ぎたいから?」
「それもある。だが、そもそもルーシーがどういう意図で聖体を造ったのか誰も知らねえんだ」
「世界の終わりが目的だったんじゃ?」
「いや。目的は不死だったかもしれねえし、もっと別の何かだったとも考えられる。ルーシー聖体で霧が呼べるのは確実だ。だが、ヤツのホントの目的が分からない以上、迂闊に人造聖体は使えねえはずなんだ」
「一度暴走してるから?」
「うん。聖体の小さな欠片で、人獣造ったり、小規模な霧を呼んだりは出来るだろう。だが完全なルーシー聖体の扱いは、ヤツらも慎重にならざるを得ないはずなんだ。目的がどうあれ、失敗しちゃ意味ないからな」
――だから深淵派も〈ルーシーの遺産〉は欲しくてしょうがねえのよ。とジウスは言った。
「……それが聖堂と化したシコクのどこかにある」
僕にも理解できた。
シコクが奪還できれば、施設や資料も元に戻って閲覧可能になるはずだ。そこに完全なルーシーの聖体の扱い方が記されている。
「聖堂界に地図はない。だから『奪還』なんだ。〈聖堂街の獣〉を倒し、四国を奪還していけば、ルーシーのそういう施設もいつか甦る。そこには〈ルーシーの遺産〉も必ずある。そいつを深淵派より早く手に入れなくちゃあならない」
興奮したのか、ジウスは立ち上がった。
僕はまんのう町に変化はない。
驚いていないようだ。どうやらすでに知っていた話らしい。
ジウスは続けて僕へ言う。
「〈奪還〉と〈ルーシーの遺産〉の確保が当面の目的だ。それが深淵派を探すことにも繋がる」
そう言ってジウスは僕の目を覗きこんだ。
「なぜって、向こうも〈ルーシーの遺産〉を求めてるんだからな。ヤツらも〈奪還〉に来る。いずれ聖堂街でかち合うことだってあるはずだ。そん時ゃ、ニャンさんの居場所も吐かせられる。そうろ?」
「つまり〈奪還〉を進めるほど『猫盗みクソ獣野郎』へ近づいていけるってことでいいですか」
「ご明察。シンプルだろ? やるかい?」
「――もちろん」
僕はその場で頷いた。シンプルだ。今の時点では。
その後もしばらく説明が続いた。
ジウス学長は釣り道具を片付けながら、最後にこう言った。
「――すでに言ったように、優先すべきは〈奪還〉だ。つうわけで……お前らバディ組むか。これからはペアで動いて聖堂街――〈失われた四国〉へ潜れ。なんだかんだで相性は良さそうだしな」
「断る」
と僕らは声を揃えて言った。
「NO×NOでYESと見なす」




