7 クソでか手裏剣――シャイニング風車
◎
〈シコクの卵〉は無人の世界だ。
路上に車はあるが、当然持ち主は存在しない。
だから、まんのう町の蹴りで吹っ飛ばされた僕がフロントガラスをぶちぬいても何ら問題ないわけだ。僕が内臓ひっくり返されたみたいなダメージを受ける以外は。
先手必勝と斬りかかったところを、返り討ちにあった。
「挨拶もなしに攻撃か。動物みたいなヤツだ。俺はお前に付き合ってやってる立場なんだがな」
まんのう町は余裕の態度だ。
僕は構わず仕掛けた。
まんのう町の残像を斬っただけだった。
「なぜ深淵と戦いたがる? 他の生徒を見ろ。戦いに向いていないヤツもサポートに徹している。それが目的のため有効だと知っているからだ」
すぐ背後にまんのう町の声がした。
べたりと地面に伏せる。
避難しただけといっていい。運良く躱せた。
まんのう町の攻撃が僕の頭のあった場所を薙ぎ払っていく。
「柔軟性と素早さはたいしたもんだ。だがバロックを使えなくては深淵とは戦えない」
まんのう町は攻撃を続けた。
僕は身を低くして逃げ回るしかなかった。
相手は明らかに力を抑えている。
それでも、スペックにおいて僕をはるかに上回っている。速さも、力も、体力も。
相打ち覚悟で斬りかかる。短刀を素手で受け止められていた。
「バロックは持ち主の身体能力を向上させる。それが適合した者ならな」
まんのう町が短刀を離す。
僕は再び打ちかかった。他に出来ることがない。
さっきまでより強い力で殴り飛ばされた。
また一台、高そうな車が犠牲になった。
フロントガラスが降りそそぐ。
横隔膜が痙攣して呼吸ができない。
「進歩がないな。少しは話を聞こうと思わないのか」
まんのう町が目の前に立っている。
「敵の話をか」
「その時点からお前は勘違い野郎なんだよ」
まんのう町は僕を引き起こすと、そのままぶん投げた。
三台目の車が犠牲になる。
「わあ」とロッカさんの声。彼女は死んだ信号機の上に座って見学している。「ちょっと、やりすぎだよね」
「黙ってろ」
まんのう町がもう一度近づいて来る。
「俺だってお前と仲間ごっこしたい訳じゃない。故郷を取り戻すことだけが俺の、みんなの目的だ。必死なんだよ。お前はどうだ? お前は自分の目的より、俺とのケンカごっこが大事なのか。『敵の言葉がどう』とかってよ」
彼はそう言って待った。
僕がどういう行動を取るのか見さだめようとしているようだった。
ガラス片を払って、僕は立ち上がった。
そのまま、パンチの当たる距離まで近づいて行く。
しばらくまんのう町の前でためらってから、僕は空手家のように、できるだけ素早く、頭を上下させた。これはプライドのせいだ。
お辞儀のあとは、ファイティングポーズを取って「よろしく」と言った。「バロックの使い方を教えてほしい」
まんのう町が驚いた顔になる。
「――マジかお前……人ってそんな嫌そうな顔が可能なもんなのか」
人が過ちを認めたのにそんな言い方があるか?
あるかもしれない。しょうがない。
僕は同じ構えのまま、まんのう町を見つめ続けた。
彼は溜息をついた。
でも頷いて構えを取った。
「よろしく」
と彼も言ってくれた。
「ファイッ」
信号機の上でロッカさんが両手を交差した。楽しそうだ。とてもかわいい。
突っ立ってお喋りするつもりは、僕にもまんのう町にもない。
まんのう町、戦いながらレクチャーした。
「〈バロック〉は〈歪み〉に対応する。だから普通バロック使いは力の使い方を本能で知っている」
「でも僕は違う」
「そうだ」
短刀は先代ウルタールから譲り受けたものだ。
「お前とバロックに繋がりは本来存在しない。だが、一度でけだがお前はバロックと使用した。有り得ないことだ」
「なんで使えた? 僕は何をやった?」
「お前とその宝石刀のあいだに通じるものがあるということだ。一時にしろ、お前の中には宝石刀の対となる〈歪み〉があったはずなんだ」
「深淵を斬った時と同じ気持ちになれば、やれる?」
「あの時、お前は何を考えていた」
あの時のことは必死で憶えていない。僕は、とにかく、あの時自分が思ったであろうことを、短刀へこめた。
猫への愛情。「猫は、かわいい!」
ロッカさんのこと「ロッカさんもかわいい!」
怒り。「調子になるなまんのう町!」
どれでも短刀は反応しなかった。
「それは〈歪み〉じゃないだろう」とまんのう町。「バロックにこめるのは自分の中の〈歪み〉なんだよ」
〈歪み〉と言われても。僕はその概念を掴み切れていない。そんなものが僕の中にも存在するのか?
まんのう町はパンチを繰り出しながら、突然変な事を言い出した。本当に変なことを言い出した。
「『俺の歪んだ根性は、ニンジャ王へのまっすぐな螺旋階段だ』」
「……なんだって?」と僕。
「『SETO―灼熱伝―』第五巻四十三話より引用」
「なんだって?」
「おっと。気づかれてしまったかな。現在少年ジャンプで人気連載中の『SETO―灼熱伝―』あの主人公が、俺だ」
僕にはずっと意味が分かってない。
「頭を打ったのか?」
まんのう町のたわごとは続いた。
「まったく。作者の岸本先生には参るよ。俺の日常をどこかから監視して、漫画にしてるんだからな。俺は気が休まる暇もないっていうか、な?」
『な?』と言われても。
「いや、まず岸本って誰?」
「クソでか手裏剣――シャイニング風車!」
後ろ飛に下がると、まんのう町は突如絶叫した。バロックからこぼれた光が集まって巨大な手裏剣になる。
「スリケンだ」
信号機の上でロッカさんが楽しそうに呟いた。
クソでか手裏剣シャイニング風車が回転しつつ飛んできた。
僕はジャンプして躱す。
クソでか手裏剣シャイニング風車は自動車を破壊したあと光の粒子になって消えた。クソでか手裏剣シャイニング風車ってなんだよ。
まんのう町を見返すと、彼はハイになった顔で、
「な?」
と言った。
本当に意味が分からないし怖い。
「岸本先生! 見てるか、この『展開』を」
喚いている。
信号機の上でロッカさんが、
「バローック」
と花火の合いの手みたいな声を上げている。
僕は気づく。これが〈歪み〉だ。
本当に意味が分からなくて恐怖だけれど、これが、まんのう町の〈歪み〉なんだ。
彼のこの〈歪み〉を腕の〈バロック〉が力に変えて、クソでか手裏剣シャイニング風車を発生させるのだ。バロック。
「子供の頃から不思議だった。『SETO』を読んでいると自分に重なることがあるんだ。主人公セトの考えが自分の事のように分かる。セトの苦難が自分の事のように苦しい。俺のオヤジがかつて務めていた『まんのう町工場』に酷似した建物も登場した。極めつけは、御存じ第四巻三十三話で登場した『セト大橋』だ。瀬戸大橋は俺の故郷に架かった橋だ。そういうことがあって、俺は『真実』に気づいたわけだ。セトは俺だ、と」
まんのう町は拳を握りしめて熱弁している。
歪んだ妄想が高まるにつれ、腕輪も輝きを増していった。
「俺は! 俺が、本物のセトだ。作画の岸本先生は、自分が考えたかのような発言をしているがな。彼は俺の人生を漫画にしているだけなんだ。だが安心してほしい。俺は怒ってなんかない。パクリだとも言わない。『セトって俺のことですよね』『俺のこと見てますよね』とファンレターを出したのに返事すらなかったが、ぜんぜん怒っていない。重要なのは『SETO』が世界中のちびっ子達に『勇気』を与えているということだから……!」
怖い。
バロックがどうとか以前に人の話を聞かないのが怖い。
僕は口の動きだけでロッカさんへ助けを求める。こいつは・あたまが・おかしい。
「それがまんのう町くんの『歪み』。ヒーロー願望っていうのかな。自分を物語の主人公だと思ってる」
「願望じゃない事実だ」
「そうだね。バロック」
「バロック」
とまんのう町も返す。やっぱりこういうふうに使っていいんだな。
「おい」
まんのう町が話しかけてきた。
「はい」
「深淵を退けたあの黒い刃の奔流。あれを撃ってみろ。あれが一番強力で、お前のバロックを端的に表していると思う。そしてあの力を振るえないのなら深淵には絶対に勝てない。あれを再現するんだ。あの技の名前はなんという?」
「名前?」
「名前のない技なんて存在しない」
「いやするだろ」
「ジャンプの編集部が許してくれない。岸本先生が怒られないよう、俺は主人公として気を使うぜ。技には名前が必要だ。それはシステムであり、サーヴィスであり、主人公の義務なんだ。ちなみに俺の必殺技の名は――」
「えーと『11ぴきのねこ』」
設定の話が始まると長くなりそうなので、僕は思いつきでそう言った。
「『11ぴきのねこ』か……いいじゃないか」
お気に召したらしい。
「影属性なのか?」
影属性って何だ。
「とにかく『11ぴきのねこ』を出すことに目的を絞れ」
そう言うと、まんのう町はまた別のことをブツブツ話し始めた。
集中しているように見える。
いや、よく聞いてみるとそれは歌だった。腕輪が太陽の輝きを増していく。
一番霊場の歌う聖歌のようなものではない。たぶん、これはアニメの曲だ。おそらく『SETO―灼熱伝―』のテーマソングなのだろう。
「『ウィー・アー、ファッイティン・ビーバー! 高みを目指してファッイティン・ビーバー!』」
ついにデカい声で歌いだした。
もう、ずっと何なんだこの男は。クールな男だと思って、そこの所だけは信頼していたのに。
「俺は俺を証明するためバロックを使っている」
急にまともな声になって、まんのう町がしかけてきた。
急にまともになったら、なったで不気味だな。
その時――。
僕は転がって逃げる。
振り下ろされた拳が、地面を砕いていた。
先ほどまでとは違う。手加減のない一撃だった。
こいつ僕を殺す気か。
「俺たちは救命隊でも軍人でもない。もっと碌でもないものだ」
息つく暇もなく、間合いを詰めてくる。
短刀で受ける。
が、十メートルも吹っ飛ばされた。
街路樹をぶち抜いて転がる。
「俺の目的は故郷を取り戻すことだが、バロックを使うときそんな事は考えない。俺の〈歪み〉はそんなところにないからだ」
起き上がった時には、まんのう町はすでに眼前に迫っている。
猛攻。
折れた街路樹が倒れきるまでの短い時間に、攻撃を五回も受けるハメになった。
これまでと比較にならない速さだった。
受けたといっても、致命傷を避けたというだけにすぎない。
防御越しに肉は軋み、骨が極限までしなる。
「お前は猫を助けに行くと決めているようだが、目的意識だとか、義務感はトレーニングの時にでもとっておけ。バロックに必要なのは〈歪み〉だ。そして世界観だ。絶対的に歪んだ自分だけの世界へ没入しろ」
地面を転がり、街路樹や、車、ビルを盾にする。
いよいよ力を増すまんのう町は、そのすべてを破壊した。
瓦礫が散弾のように飛び交って、僕の体を傷つけた。
「俺はセトだ。その世界観を譲る気はない。間違ってるのは、外の世界の方だ。獣に食われ、故郷の消えたこの貧弱な世界。俺はその貧弱世界を否定し続ける。俺の正しい世界で、ねじ伏せるんだ」
まんのう町は地を駆け、壁を蹴り、重力を無視して迫って来る。
「――おお」
彼の拳を、僕の短刀が初めて完璧に防いだ。
衝撃で数メートルも後退させられたが、倒れることはなかった。
「分かるか?」
とまんのう町が言う。
「まだ、もう少しだ」
と僕は言う。
体で解りかけている。そういう実感があった。
だがまだだ。まだ掴めていない。
「――来い」
「二つの世界を思い浮かべろ。一つは大切なものが獣に奪われたクソみたいな世界。みんなはこれを『本当の世界』だという。もう一つは、お前の信じる、お前にとってだけ正しい『バロックの世界』だ」
まんのう町の拳から、光波がほとばしる。
僕は吹き飛ばされ、住宅の二階部分へ突っこむ。
瓦礫を蹴散らしながら、まんのう町が間を詰めてくる。
防御した。
余波で住居の二階部分は完全に吹き飛ばされた。
「お前にとって正しい世界とは何だ。それはどんな形をしている?」
僕はまだ立っていた。
かたち。僕の歪んだ世界の輪郭。
さっきまでよりダメージが少ない。短刀が力を与えてくれているということだ。
「俺たちは歪んだ世界に一人きりで生きる王様なんだよ。その誇りを持て。そしてお前だけの世界を、お前のバロックへこめろ」
世界、と僕は呟く。
バロック。大げさなやつだ。
でも、その大げさな言葉は祈りに似ている、ように思う。
一番霊場は弟の手を離すべきじゃなかった、と言った。そんなことは間違っていたのに、と祈るように呟いた。
まんのう町は故郷を取り戻すまで、この大げさな歪みを手放さないだろう。
ロッカさんは、コインロッカーを故郷だと言った。コインロッカーの形をした愛だとも。それがロッカさんの世界なのか?
みんな、それを歪みだと知っていて、でも手放そうとしない。
手放したくない。
祈りを武器に、クソみたいな現実と戦っている。
僕の祈りは何だ?
僕が願う世界の形は?
「猫だ」
僕の孤独は猫の形をしている。
なのに、ここに猫がいない。
「お前の歪みに名をつけろ。クソみたいな現実を斬るために!」
まんのう町が拳を繰り出してきた。
僕は避けなかった。
短刀で受けた。
今度は後ずさりすることもなかった。
体に力が満ちて来る。
深淵と向かい合ったときの充実感。万能感が甦っていた。
「一つ訊きたい」
僕は短刀で拳を押し返しながら言った。
「……ああ」
まんのう町が頷く。
「まんのう町国でも、そこら辺のコンビニでもいい。道のはしに猫がうずくまっていると思って近づいたらコンビニ袋だった。お前なら怒るか?」
「……まんのう町は町名だぞ。国って何だ」
「僕は怒る。耐えられない」
「はあ?」
ここで突然、僕の感情が沸点に達した。これまでの孤独が爆発した感じだた。
「なんで! ここに! キンモクセイがいないんだよ! 僕はウルタールだぞ!」
僕はわめき、胸をドンドン叩いてわめき散らした。
「許されないんだよそんなことは! 猫を孤独にするな。猫に僕を返せ! 孤独は犬にでも食わせておけ!」
「それは犬が可哀想だろ……」
今度はまんのう町が戸惑う番らしい。
でも僕は構ってられない。
体を引き裂きたかった。体ごとこの間違った世界を切り裂いて、鳴いている僕の猫の所へ駆けつけたかった。
「ここに穴があいてるんだよ……!」
僕はもう涙をボロボロこぼしながら怒り狂っていて、でもそうしながらゆっくり短刀を構えはじめた。
短刀が、僕の〈バロック〉が、潤んだ月の輝きを放ち始めていた。
まんのう町が迎撃の構えをとる。
彼もまた叫んで、己のバロックを高めようとした。滑稽で哀しい祈りの所作。
きっと人は本当に戦おうとすると、滑稽にならざるを得ないんだ。
「岸本先生! 見ているか! セトはまだここにいるぞ!」
拳の輝きは、本物の太陽と見まごうほどだった。
僕もまた滑稽だ。
滑稽なまま、クソみたいな現実を否定し続けようと思う。
涙が止まった。
まんのう町に習って、僕も名乗ろうと思う。バカみたいな理屈で、でも祈るように名乗る。
「ウルタール。僕の名はウルタール。ウルタールがこの現実をぶっ壊す!」
「バロック」
とまんのう町が、拳を振りかぶる。
「バロック」
と僕も応える。
そうして僕は、初めて自分の意志で『11ぴきのねこ』を放った。
◎
『11ぴきのねこ』の黒く艶やかな奔流と、まんのう町の輝く拳が正面からぶつかった――かに見えた。
「おぇおぇ。さすがにどっちか死んじゃうぜ」
僕らの間にジウス学長が割こんでいた。
僕ら二人の攻撃を、左右の手で受け止めている。
つまり僕らの渾身の一撃を、それぞで片手で止めてしまっていることになる。
縫い目の糸が切れて、鳩の血の色みたいな宝石が覗いていた。その力なのだろうか?
ジウス学長は真剣な顔を一瞬で崩すと、へらへら笑って「合格」と言った。
「合格。二人ともバロックだったぜ」
僕らが何も言わないので、彼は繰り返した。
「あなた方にはっきり言っておく――超合格」
僕が返事をしなかったのは、力を使い果たしていたからだ。
まんのう町にはまだ余力がある。彼はとても厭そうな顔で、でも肩を貸してくれた。
「人ってこんなに嫌な顔ができるものなのか?」
と僕は言ってやった。
「どうにか、使える様にはなったな」
とまんのう町。
「……自分がネコの家だって自覚をこめたらできた」
「そうか。バロック。何言ってんだコイツ」
お前が言うな、と呟いたところで僕は気を失った。




