6 シコクの卵
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一番霊場の話は僕の心にも響くものがあった。
バロック使いにとってバロックは故郷と家族から生まれた遺骨であり、同時に自分自身の願いでもあった。
僕は三人娘の残りの二人にも同じ質問をしてみた。
哀しい話になるのは目に見えていたので、僕は身構えたが、二人とも案外あっけらかんと教えてくれた。これも〈歪み〉のうちなのだろう。
二人もやはり霧の中で何かが壊れ、代わりにバロックを得た。
「バロック」と言い合って僕らは別れた。
ロッカさんのことも訊きたいか? 二人がそう言ってくれていたけれど、僕は断った。二人も無理強いしなかった。
彼女らはあっけらかんとしていても、僕にとってはそうじゃないからだ。彼女らの境遇を僕と猫に重ねてみようとしたが、止めた。耐えられない。訊くなら本人から聞くべきだ。
だから、二人から聞いたのは、ロッカさんもシコクの出身で、でも彼女たちよりずっと前から教会に所属している、ということだけだった。
「四国消失より前から、バロック使いだったらしい」
こ学園の生徒は、ほとんど四国消失の被害者らしいから、そいう意味ではロッカさんも、僕と同じ例外的存在ということになる。
勿論、僕と違ってロッカさんは他の生徒達から頼られる古参的存在だった。
戦闘向きでないバロック使いを集めて〈聖歌隊〉という部隊を指揮しているのだ。
ともかく、僕以外はみんな〈歪み〉を持って、それを力へ変えて戦っているのだ。壊れてしまった何かのために。
この日、僕はまんのう町への決闘は仕掛けなかった。
僕は授業をサボって敷地を見てまわった。
歩きながら、うつらうつらした。
ほとんど寝ていなかった。眠ればキンモクセイの夢を見るし、目覚めるとキンモクセイがいない世界が待っている。
校舎は空港だった頃の建物を再利用したものである。
その後ろに、コンクリート製の奇妙な建物があった。窓のない、キューブとしかいいようのない謎の施設だ。
灰南学園は〈獣〉と戦うための拠点である。
ならば〈深淵〉を探すための施設もどこかにあるに違いない。
謎の施設の入り口には鍵が掛かって入れなかった。
その代わり近くで野良猫を発見した。
建物の裏に壊れた車が放置されていて、その中に二匹の野良猫が住み着いていたのだ。毛並みはサバトラとブチだ。
僕は、二匹を服の中へ入れた。温かい。キンモクセイを思い出して叫びたくなったが、放っておけなかった。
灰南学園内は空港だった建物を、バロック使いたちのための施設に改装しているらしい。用途不明の建物が増築されていたりして、混沌としている。
大きな倉庫が研究棟になっている。
部室塔みたいな建物がいくつもある。
移植された芝みたいに唐突に、古びた和風家屋があったりする。何のための施設だろう?
僕はプレハブの屋上に登った。
屋根は平らで寝転ぶのにちょうど良かった。
食堂から持ってきたサラダチキンを猫たちに振る舞った。太陽は白く、寝不足でクラクラした。目眩の一瞬、キンモクセイの白昼夢を見る。
二匹の猫と一緒に日向ぼっこしながら、ピストルズを歌ったりした。
歌詞は知らない。今ではネコ語だと思っている。
「アイアムニャ、ニャンチ・クリスト。ア~イアムア、ニャニャ~クリスト。ドニョワニャワニャンニャ~……」
僕の鼻歌に会わせ猫たちも歌った。
昔の街でお姉さんの一人に教わった歌だ。昼はスーパーの惣菜部で働き、家に帰ると爆音でピストルズを聞いたり、上半身裸でギターを掻き鳴らすという変な人だった。深刻な隣人トラブルを抱えていた。
「学長も好きらしいよ、その歌」
ロッカさんが登ってきた。
授業は終わったのだろうか? それとも彼女もサボったのだろうか。
「新しい子が食堂に姿を見せないってシゲさん寂しがってたよ」
鶏肉を指さして彼女は笑った。
人のいない時間に忍びこんで、食堂から食べ物だけ持ち出すのが僕の食事法だ。
「ウルタールは一人で食べるのが落ち着くんだね」
養父母は食事の場で愚痴や嫌味を言い続ける人だった。
嫌味に付き合うなら飢えた方がマシなので、食事時には外にいるのが習慣だった。
僕にとって、一番のご馳走は、人の居ないところで食べるご飯だ。
「はい――」
はい。一人がいいですねと言いかけたところへ、ロッカさんが割って入った。
「お弁当、持ってきたんだけど、じゃあ、食べたくない?」
「ぜんぜん食べますね」
と僕は言った。最高のご馳走です。
ロッカさんは、大きな「ねこまんまおにぎり」をラップで包んで持ってきていた。おかずがないところが潔くて素敵だ。
「うまい」
と何度も言って、もらったおにぎりを頬張った。
「秘密は特殊なパウダーをまぶすことだよ」
さすがロッカさんは、ねこまんまにまぶす粉も違うなと僕は感心した。ロッカさんは猫にもおにぎりをわけてやっていた。
「このパウダーは猫でも大丈夫なパウダーだから」
と言う。最高のパウダーだな。
「ムキになってまんのう町に挑んでるみたいだね」
ロッカさんはおにぎりをもりもり食べた。
お尻がふれあうくらいの隣に座っている。この人は僕のことが好きなのでは? と思うが、会話の内容が好きじゃないので僕は無口になる。
かわいい鼻をよせてくる気配があった。
「石鹸の匂い。けっきょくお風呂は逃げ切れなかったね」
再び僕は思う。この人は僕のことが好きなのでは?
「猫さんの匂いが落ちるのが嫌だった? それとも匂いが変わると帰ってきた猫さんが戸惑うから?」
そうかもしれない。
いや。分からなかった。僕はすべてが気に入らなかっただけなのかもしれない。
猫がいないのに、新しい生活が始まり、進展していく。キンモクセイは置き去りじゃないか。
黙りこんでいると、サバトラとブチの猫がすり寄ってきた。
またキンモクセイの白昼夢がチラつく。
「……ロッカさん知ってますか。猫の舌はざらざらしてるんですよ」
「知ってる」
「毛並みはサラサラを通り越してぬるっとしている」
「そうだね」
「抱くと弁当箱みたいに暖かくて――」
「うん」
「ある人に孤独な人間って言われたんですよ」
「うん」
「猫と暮らすまで僕はその意味が分からなかった」
「うん」
「今は分かります。僕の孤独は猫の形をしている」
なのに何で、ここにキンモクセイがいないんだ?
「すみません抽象的な話を」
「分かるよ」
とロッカさんが言った。
僕は反射的に嘘だと思った。ロッカさんは猫がいなくても生きてるじゃないか。
でも、ロッカさんは続けた。
「私のコードネーム憶えてる? 私がこの世に生まれた場所の名前なんだよ」
「確かクレメントプラザの――」
「コインロッカーだよ」
彼女は頬笑んでいた。
「私の故郷はコインロッカーの形をしている。だから私の愛もコインロッカーの形をしているんだよ」
バロック使い特有の笑みだ。その中でもロッカさんは特別だった。まるで聖母のような顔をする。
「ごめんね、抽象的な話をして」
と彼女は続けた。皮肉かな?
「じゃれ合いたいんだよ」
彼女は、満足げな、根拠は分からないがちょっと残酷にも見える表情になって、こう締めくくった。
「私たち、反対の人間なのかもしれないね」
どういう意味なのだろう。
そしてどういう気持ちでそう言ったのだろう?
後々になっても、この言葉の意味は理解できないままとなった。
「バロックは」僕の唇が自然に動いた。「バロックは祈りなんでしょうか?」
「バロックを知り始めたようだな」
無愛想な声がした。
屋根と下の階の境目から、まんのう町の顔がのぞいていた。
「来い」と彼は言った。「バロックの使い方を教えてやる。これでダメなら本当に諦めろ」
◎
「暴れるにはちょうど良い場所がある」
まんのう町に連れられて行ったのは、あのキューブ状の建物だった。
まんのう町はカードキーを使ってシャッターを開けた。
入ってすぐのエレベーターで、地下へ降りる。最下層まではいかず、途中で降りた。
降りた先に、陰気な風景が広がっていた。
ノイズみたいな蛍光灯の下、リノリウムの廊下が伸びている。
その両側に扉が一定間隔で列んでいた。静まりかえって死んだ監獄みたいだ。
まんのう町がドアの一つに手をかけた。
プレートにはなぜか住所らしきものが記されていた。知らない地名だった。
扉をくぐるとまた廊下になっていた。
その時点で妙だったが、後に起こった異変は劇的だ。
着いていくと、三段の短い階段。集合ポストが列んでいた玄関だ。
地下に玄関?
僕らはそこから表へ出た。
月夜の街並みが広がっていた。
何から驚いていいか分からない。
まず、今は昼時の筈であって、夜じゃない。
そして、僕らは地下深くへ降りて行ったはずだ。地下にある扉をくぐって、野外に出ることは有り得ない。
刑務所の天井に青空を描いて囚人の精神安定を図る。という話は聞いた事があったが、僕の目の前の風景は、だまし絵でもなければ、幻でも有り得ない。地下へ実際に街を作る、ということはもっと有り得ない。
驚いている僕に、まんのう町が説明してくれる。
「お前も知っている〈狭間の地〉だ」
〈狭間の地〉先代ウルタールが言っていた、適応した人間にしか侵入不可能の不思議な場所。彼と暮らしたあいだ、あの廃墟には結局誰も入ってこなかった。
「〈狭間の地〉に、獣から奪還した四国の一部を収納してる。海のまん中に町の一つ二つだけ戻しても荒廃させるだけだからな。すべての領土が揃うまで、ここに収納しておくんだ。四国の卵と呼ぶヤツもいる」
恐ろしく大きい〈狭間の地〉ということなんだろうか。それとも〈狭間の地〉に広さなんて元々ないのかもしれない。
「気をつけてね。存在と非存在の中間みたいな状態だから、急に地面が途切れてるところとかあるよ。ほら」
ロッカさんが地面を指さした。マンホールが半月型に欠けていた。地面もそこだけツギハギになっている。
電柱に触れてみる。
実物そのものの手触りだった。
しかし、町を歩くと、家と家が不自然に繋がっていたり、道路がループしていたりした。辺りは静寂に包まれている。人も、虫さえも存在しないらしい。
よく分からないが、確かに決闘にはちょうど良い場所だった。
「〈狭間の地〉の特殊性と、教会の技術でこの環境を保っている。しかし教会の技術力でも、他人のバロックをフルに使う方法は発見されていない。分かるか? お前はその定説を覆さなくちゃならないんだ」
広い通りに出たところで、まんのう町が足を止めた。
ここでやろうというわけだ。




