3 学園長との対面
◎
学長室からは、耳をつんざくような大音量のジューダス・プリーストが聞こえてくる。
ドアを入ると正面、ソファに派手な柄シャツの男が座っていた。
シャツの前をはだけ、土足の足をテーブルへ投げだした格好。ほとんど仰向けに寝ていると言っていい。
ルートビアを瓶から直接あおっている。僕の所からはごくごく動く痩せたノドが見えるばかりだ。それと伸び放題の長髪。
まさかこれが学長じゃないだろうな。
「新人を連れてくるといっただろ、しゃんとしろ」
まんのう町がステレオを止めた。静かになると、今度は男のすすり泣きが聞こえだした。ソファの男が嗚咽しているのだった。
またビールを飲む。というより浴びている。そして訳の分からない事を繰り返している。
「オヤジよぉ……何で……何で俺らを見捨てたんだぁ……ユダの野郎が……ッ……可哀想じゃねえか……オヤジよお」
まさかこいつが学長じゃないだろうな。
「気にしないで。自分をキリストだと思いこんでいるだけだから」
とロッカさん。
気になりますけど? それにキリストのイメージおかしくないか。
偽キリストは、灰色の長髪を波うたせた中年の男だった。老いてはいないが瑞々しいとは決していえない。そんな印象だった。
座っていても背丈と肩幅の立派さが見て取れる。飲んだくれのわりにはダンサーのような痩せ方をしている。
柄シャツの上に一応、背広を羽織っているが、下はジーンズだ。聖職者の姿には見えない。裸足に直に革靴をはいている。
そして、ジーンズの腹の所に巨大な拳銃を捻じこんでいる。きっとモデルガンだろう。そう信じたい。
「まさか本当にこいつが学長じゃないですよね?」
僕はついに口に出して訊ねた。
ロッカさんは頬笑んだまま答えない。
「……くそオヤジ。いいからちゃんとしろ」
ソファからずるずる崩れ落ちていく男を、まんのう町が引き起こした。
オヤジ? と僕。
マフィア風偽キリストも同じ反応をした。
「父と? 我が子よ。ついに俺を実の親のように思ってくれるようになったと、そういう訳だね?」
「いや。オッサンという意味で言った」
「ジーザス……」
どうやら血縁ではないらしい。
それでも少しはしゃんとする気になったらしい。
マフィア風偽キリストは、ようやく僕の方を向く。
「失礼。俺はこの学園の者全部を自分の子供だと思っているのでね」
二人の子供たちが同時に異議を唱えた。さしあたりまんのう町とロッカさんだ。
「そう思うならちゃんとしろ」
「ブラック企業の常套句だよね」
そうしてから、ロッカさんはようやくマフィア男を紹介してくれた。
「この人が灰南学園の学長、星陵院ジウス先生」
「ジュース?」
「お義父さん、この子が例の猫の子。ウルタールって呼ぶことにしたから」
「お義父さん?」
僕は混乱した。ロッカさんのお義父さん?
お義父さんはまたビールを浴びている。
嘘ですよね? と思うが、せっかくロッカさんが紹介してくれたので、僕も一応お辞儀しておく。
「――す」
「うん……」
お義父さんの反応は僕に劣らず素っ気なかった。
冷たいのではなく曖昧と言うべきか。
彼は一瞬、瞑想的な目つきになり、言葉を途切れさせたのだ。蓬髪も無精ひげも無視して、顔だちだけ見ると理知的な男に見えた。
が、続く言葉を待ったけれど、彼は口を開かなかった。
寝てたんじゃないかという沈黙のあと、ようやく彼は柄シャツで顔を拭い、仕事の話を始めた。
まず、まんのう町へ言う。
「ところで我が子達よ。外では大変だったらしいね」
「霧の発生予測が機能していなかったぞ」
「そういうこともあるさ、アンドレ。十年前はもっと精度が低かった」
「まんのう町だっていつも言ってんだろ」
「だがイレギュラーが起こった。そうだね? マリアちゃん?」
「ロッカですけど」
三人は事件の情報確認を行っている。
「アンドレ」とか「マリアちゃん」というのはジウス学長の妄想の一つなのだろう。と思っておく。
しかし、本当にこいつが学長で大丈夫なのか?
そのとき、室内に銃声が響いた。天井に穴が開いて、パラパラと粉が落ちてくる。本物らしい。
「やベっ」
ジュース学長がとぼけた声で銃を確認している。
いじっていて暴発させたのだ。自慢のリボルバーは、僕なら両手で扱っても持ち重りするであろう巨大な銃だった。
今度は先生も含めた「我が子」全員が叱った。
「危ねえな! 殺すぞ」
「仕事中は弾は抜いておく約束でしょう」
「学園長、約束を破ったので没収です」
「学長ダメ! みんなが笑っているうちに銃を離しなさい!」
「あんたは道徳観念が無いのか?」
さんざんな言われようだ。たぶん、よくあることなのだろう。
「はっきり言っておく」
拳銃魔はアームロックで押さえこまれながら、僕に話しかけてきた。
「あっはい」
「ようこそ、灰南学園へ。お前の事、メッチャ歓迎してる」
「……あざす」
このタイミングで言うか? と思ったが、そんな事は重要じゃない。僕は素直にお辞儀を返し、それから本題に入った。
「深淵を追う。その方法を教えろバカ」
実のところ、僕は苛ついていたのだ。
一瞬、皆が黙った。
それからジウス学長の笑い声が響いた。
「あっはっは。バカって言われちゃったよ」
「バカは事実だが」とまんのう町。
「バカなことばかりしてるから新人にバカにされるんですよ」
「僕はあなたが恥ずかしい」
加えて先生達からも非難が上がった。
「まいったね」
学長は頭を掻いている。
毒気を抜かれた気持ちにナリながらも、僕は主張を繰り返した。
「深淵を追う。あんたなら方法を知っていると教えられた」
「うん」
ジウス学長はソファへ座り直した。
彼の黒い瞳が、ようやく僕をまともにとらえていた。
僕も見つめ続けた。
ジウスの額に縫い跡がある。よく見ると、掌にも。しかも両手にだ。一瞬、刺青かと思ったが、本物の縫い跡だ。
いや、跡というのは正確ではない。糸がまだ残っている。雑に縫いつけてある。今にも縫い目がほころんで、まぶたのように開いてしまいそうだった。
掌の傷には出口と入り口がある。つまり貫通した傷だったが、血は一滴も流れていない。
だが、それより異様なのは、彼の視線の力だった。
睨んでくるわけではない。
月並みな表現だが、吸いこまれそうな瞳、というのだろうか。
ずっと見ていると、瞳が巨大化して、自分がそのクレーターの淵に立っている。今にもその冥い穴の中へすべり落ちていきそうな感じで、ビコツの辺りがムズムズした。
「ウルタールよぉ」
やがて彼が口を開いたので、僕は幻視から醒めた。慌てて瞬きを繰り返す。
「ウルタール。まずは礼を言おう。俺の子供たちを助けてくれてありがとうよ。そしてお前のことも今日から我が子として扱うと誓う」
「それはどうでもいい」
「ジーザス……」
「話を続けてほしい」
「真面目だねえ。じゃあ二つ目。〈虚無の霧〉は、万物を存在以前の段階にまで分解してしまう。正確には、その消えていく過程が、なぜか霧に見えるだけで、霧そのものに害があるわけじゃない。災害の大元は、開闢以来からあらゆる場所に存在する〈虚無〉だ。普段は無害なほど小さいが、それが時に害をなすほど大きくなる」
これも、どうでもいいに聞こえた。
ジウス学長は続けて、
「肥大化した虚無は一切を原初に還す。そして、獣と聖堂へと再構築させる。そういう意味で『獣は元々人間だった』と思えるかもしれない。だがそれは、魚を食して『プランクトンを殺した』というようなものだ。つまり何が言いたいかというと、お前が玉葱冠に対して悔いることはない、つうことだ。獣狩りは殺人にはあたらない。獣を人へ戻すことは不可能なんだからな」
「それもどうでもいい」
「そうかな?」
「……こっちから質問しても?」
「どうぞ」
「あんた達も目的は? 何のために獣と戦う?」
ジウスはあの深海のような瞳で僕を見た。それから微笑んだ。
「やっと俺らに興味を持ってくれたかな?」
「違う」
「俺らの目的を訊いた」
「あんたらも猫を欲しがってるだけなんじゃないか、それを疑ってるんだ」
僕の猫は――キンモクセイは特別だ。
〈深淵〉が欲しがったことからもそれは確実だ。なら、この教会にとってもキンモクセイは特別かもしれないじゃないか。
「意外と用心深いな。お前も猫のようだ。だが猫さんのことは調査中だ。まだ欲しがりようがないな」
僕はまだ信じない。質問を繰り返す。
「あんた達はなぜ獣を狩る? しかも子供を使って。そのための学園まで用意して」
ジウスは天井を仰いだ。
「『子供を使う』とは痛いところを突くなあ。でもなバロック使いは、ある時期、ある事件で一気に増えたんだ。それがウチのガキどもの世代ってわけなんだよ。そして獣と戦えるのはバロック使いだけだ。だから『子供に頼らざるを得ない』というのが実情だねえ」
「だから、目的は?」
「うん――」
ジウス学長が立ち上がった。
転がったビール瓶をまたいで、後ろの棚から地球儀を取って来る。
それをテーブルへ置いてくるくる回した。
こういうものに見入ってしまうという癖が僕にはある。
僕を十分引きつけたところで、ジウス地球儀を止めた。
ダーツみたいに突き立てた指が、見事に日本の位置を捉えている。
タツノオトシゴみたいな形をした僕らの故郷。
「目的は、ここにある。誰にでも納得できるシンプルな理由だ」
ジウスは指で日本の領土の、すぐ下あたりをなぞって見せた。
「――俺らはよ、単純だ。故郷を取り戻すため獣を狩ってる。獣を倒せば聖堂も消え、元の土地が帰ってくる。それは知ってるよな」
僕は頷く。
「人間は返らないが、故郷は奪い返せる。俺らのかつて暮らした地を取り戻す。それが目的だ」
土地の奪還。
それを聞いて、僕が初めに思ったのは「僕の学校に起こったようなことが、この人らの故郷にも起こって、その土地はまだ戻っていないんだな」だった。
次に「それはどこを指してるんだろう」だった。まだ取り返せてないってことだ。それほど広い領土なのだろうか?
学長の指は、日本の下の部分、岡山の下の海域あたりをなぞっていたのだ。
そこは海だ。小島の一つも記されていない。
「何もないように見えるかい? 本当に?」
僕は頷く。
「――だよね。私にも見えない。だがかつてはここに大きな島があったんだ。四つの県が存在していた。霧に喰われて、地図からも、歴史からも消えちまったけどな。存在してた頃は〈四国〉と、そう呼ばれていた」
◎
「シコク……?」
聞き慣れない言葉を僕は聞き返す。
日本列島はタツノオトシゴに似ている。
ジウス学長によると、そのタツノオトシゴの腹の部分に、卵みたいな感じで島が存在したのだという。
僕の知っている日本地図は「卵無し」の日本三島だ。
「霧に喰われた領土は歴史からも『無かったこと』にされちまう。憶えているのは、四国の大浸蝕を生き延びた者だけだ」
ジウス学長は、ロッカさんからまんのう町を見渡した。彼女たちもシコクの生き残りということなのだろう。
「ルスキニア教会は各地に支部を持つ。ここ灰南学園は別名こう呼ばれる『四国支部』ってな」
「シコク支部」
でもここはシコクじゃない。
「今は神戸に間借りしてる状態だけどな」
「シコク」
僕はオウム返しに呟くくらいしか出来ない。
「分かるかい? 国土が消えるレベルの災害。そういう規模の話なんだよ。お前が猫一匹のため、飛びこんで来た世界はな」
なるほど。
僕は頷いた。どうでもよかった。
「関係ない。いいから猫の居場所をこの僕に教えろ」
まんのう町がまた溜息をついた。
僕を下がらせようとする。
「お前には無理だ。学園に所属するのは自由だが、前線には立たせない。足手まといだからな。猫のことは俺らがなんとかしてやるから、すっこんでろ」
「あんた、無理だったろう」
僕は彼を振り払う。まんのう町も譲らなかった。
「まぐれで深淵に一太刀入れたくらいで図に乗るなよ。お前がしゃしゃり出てくる世界じゃないって言ってるんだ」
「違う。僕が猫の世界だ」
「……ああ?」
まんのう町には意味が伝わらなかったらしい。何せ僕もよく分からず言ったのだから。
「お前らな――」
ジウス学長が口を開いた。
止めに入ってくるのかと思ったら、彼は予想外の提案を押しつけてきた。
「――お前ら、勝負してみるか。入団テストだ。アンデレに勝ったら深淵との戦いに参加させてあげよう」
アンデレはまんのう町のことだ、たぶん。
「テストだって」
ロッカさんが、かわいく首をかしげた。
「バカらしい」
とまんのう町が言ったのと、僕が宝石刀へ手をかけるのは同時だった。
つまり僕が先に仕掛けた。
宝石刀に切れ味はない。鈍器としても弱いが〈深淵〉に対峙したときみたいに、不思議な力が補ってくれるだろう。
そう考えていたが、這いつくばったのは僕の方だった。
振り下ろした宝石刀がまんのう町へ触れる、そう見えた瞬間、僕の体は地面に仰向けになっていた。
投げ飛ばされたのだろう、と推測するのがやっとだった。
何が起こったのか見えなかったし、衝撃で息ができなくなっていた。
まんのう町が、僕を膝の下に組伏せようとする。
地べたでグルグル暴れて抵抗してやった。拘束から逃れ、ふくらはぎの旨そうな所に噛みついてやった。
「いっ――ってえな!」
衝撃。そしてしゅわしゅわした爽快感。
ビール瓶で殴られたらしい。
飛び散った液体が鼻に入った。
吹き出しながら、なおも暴れた。
そこでジウスが学長止めに入ってきた。
「はいストップ。ビール……あーあ。もったいない。ほらあ、ガラス危ねえよこれ」
「あんたがやれって言った」
「飲んだくれは下がってろ」
僕らはジウスを罵倒して、噛み合いを続けようとする。
「お二人とも」
ロッカさんがドアの方を指さしている。
ドアの隙間から、三人組が覗いていた。
ケンカをしていると思ったのか、ビール瓶の割れるのがショッキングだったのか、一人は怒りながら泣いていた。
ジウス学長が縫い目のある手を叩いて止めに入った。
「ほらぁ世話焼いてくれた子泣かせちゃダメだろ。ていうかここで始めるんじゃないよ」
僕はしかたなく力を抜いた。
まんのう町も舌打ちしながら離れる。
二人ともビールでべしゃべしゃだ。
「あーあ。またお風呂入らなきゃだね」
ロッカさんが朗らかな声で言い、ケンカは終わりという気配が漂った。
すると一番霊場たちが突入してきて、僕とまんのう町の頭を泣きながら叩いた。
それから一番大きい子が両手を広げてまんのう町の背後へ回りこんだ。長く逞しい腕が首に巻き付く。チョークスリーパーだ。
「カッ」
と言ってまんのう町が白目を剥いた。
直後、大きい子が視界から消え、僕も同じように「カッ」と気を失った。




