表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玻璃の箱庭~あなたの失恋を、私だけは知っている~  作者: 硝子細工の森


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/18

空白の三年

 カイル・ローウェルが北方へ去ってから、三年の歳月が流れていた。


 王都には今年も雪が降っている。


 白く曇った空。凍える石畳。灰色の冬空から舞い落ちる雪片は、まるで時間そのものを静かに覆い隠していくみたいだった。


 けれどエレーナ・ヴィニエの中では、季節だけが過ぎていった。


 あの卒業舞踏会の夜から。


 図書室で交わした短い会話から。


 最後のワルツから。


 何かが始まることはなく、何かが変わることもないまま、三年という時間だけが静かに積もっていった。


 王立図書館は、王都の中央区画に建ち、学園の図書室より遥かに広く、幾千冊もの蔵書を抱える巨大な知の宮殿。その高い天井には繊細な装飾が施され、長い回廊には古い紙とインクの匂いが満ちていた。


 エレーナは、その場所で司書として働いている。


 朝早く出勤し、返却された本を整理し、破損した頁を修復し、利用者の求める文献を探す。


 静かで、穏やかな仕事だった。


 誰かの視線を集めることもなく、誰かの中心になることもない。


 けれどエレーナには、その在り方が心地よかった。


 人々の物語を、少し離れた場所から見守るだけ。


 昔から、自分にはそういう役回りが似合っていると思っていた。


 高窓の外では雪が降っている。


 夕暮れ前の淡い光が書架の隙間へ差し込み、舞い上がった埃を白く浮かび上がらせていた。


 エレーナは返却棚へ本を戻しながら、小さく息を吐く。


 最近、無意識にため息をつくことが増えた。


「エレーナ、またため息?」


 軽やかな声が飛んでくる。


 振り返ると、同僚のマリアが呆れたように肩を竦めていた。


 栗色の髪をきっちり結い上げた彼女は、図書館でも数少ない気安く話せる相手だった。


「そんな顔してると、本当に婚期逃すわよ」


「……もう逃している気もするけれど」


 エレーナが苦笑すると、マリアは声を上げて笑った。


「まあ、否定はしないのね」


 冗談めかした会話。


 いつものやり取りだった。


 けれど“婚期”という言葉が胸に刺さらなかったわけではない。


 ヴィニエ伯爵家の財政は、この数年で急速に傾いていた。


 父は昔から金遣いが荒く、利益にならない事業へ次々投資し続けた結果、領地経営はほとんど破綻寸前だと噂されている。


 最近では、その穴埋めのように縁談話ばかりが届くようになった。


 名ばかりの資産家。


 年老いた地方貴族。


 愛人を何人も囲っている男。


 どれも「娘を差し出す代わりに援助を得たい」という思惑が透けて見えるものばかりだった。


 父から送られてくる手紙を読むたび、胸の奥が冷えていく。


 けれどエレーナは反論できなかった。


 自分は特別な人間ではない。


 美しい姉たちのように社交界で注目を浴びることもなく、誰かに熱烈に求められることもない。


 ならば、そういう結末も当然なのだろうと思ってしまう。


 脇役には脇役らしい人生がある。


 昔から、ずっとそう思ってきた。


「でも本当に大丈夫? 最近、顔色悪いわよ」


 マリアが少し心配そうに眉を寄せる。


 エレーナは慌てて笑みを作った。


「平気よ。ただ少し寝不足なだけ」


「本?」


「……うん」


 本当は違う。


 眠れない夜に思い出すのは、いつだって同じ人だった。


 北方守護隊総指揮官。


 “冷徹な北方守護者”。


 今や王都でもその名を知らぬ者はいない。


 北方で頻発していた魔獣災害を鎮圧し、辺境の反乱を最小限の被害で収め、若くして数々の戦果を挙げた英雄。


 新聞には度々その名が載った。


 ――カイル・ローウェル。


 その文字を見るたび、エレーナの胸は静かに痛んだ。


 彼は遠い場所で生きている。


 雪と血の匂いがする世界で。


 きっと今の彼は、学園時代よりずっと鋭い顔をしているのだろう。


 誰かを守るために剣を振るい続けながら。


 エレーナはそっと目を伏せた。


 三年。


 長い時間だった。


 それなのに、どうして忘れられないのだろう。


 図書室で交わした短い会話も。


 地図の上で近づいた指先も。


 最初で最後のワルツも。


 何一つ薄れてはくれなかった。


 むしろ思い出は、琥珀の中へ閉じ込められたみたいに、時間が経つほど鮮やかになっていく。


 窓の外で、雪が強くなる。


 白く煙る景色を見つめながら、エレーナは小さく息を吐いた。


 ――もう、終わった恋なのに。


 そう何度言い聞かせても、胸の奥ではまだ、静かな熱が消えずに残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ