表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玻璃の箱庭~あなたの失恋を、私だけは知っている~  作者: 硝子細工の森


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/18

一週間の軌跡

 翌日から、エレーナは図書室へ行くことを止めた。


 卒業までの一週間を、彼女は別の方法で埋めようと決めた。

 中庭のベンチで読書をしたり、友人と最後の学園生活を語り合ったり、夜会の準備に時間を費やしたり――。


 けれど、心はどこにも留まれなかった。


 図書室の窓辺を思い出す。

 琥珀の森の伝承を思い出す。

 彼の沈丁花のような香りを思い出す。


 全てが、彼との最後の対話に繋がっていた。


 三日目、エレーナは友人と夜会のドレス選びに出かけた。


「エレーナ、この色はどう?春のパステルカラーが流行ってるって」

 友人の声は弾んでいたが、エレーナの視線はショーケースのガラスに映る自分の姿へ向かっていた。


(あの時、なぜ逃げたのだろう)

(もう一度、話を続けられなかったのだろう)

 後悔が、静かに胸を蝕む。


 四日目、学園で卒業式の準備が始まった。


 講堂には白と金の装飾が施され、卒業生の名札が並べられた。

 エレーナは自分の名札を見つめ、その隣にカイル・ローウェルの名札があることに気づいた。


 わずか数センチの距離。


 図書室の地図の上で、触れそうになった指先の距離と同じ。


 五日目、北方からの使者が学園に訪れた。


 カイルの赴任先に関する最終確認だという噂が流れた。

 エレーナは廊下の隅で、カイルと使者が話す姿を遠くから見つめた。


 真剣な表情。

 確かな歩み。


 彼はもう、この学園の生徒ではない。

 王国の騎士として、次の舞台へ歩み出すのだ。


 六日目――卒業式の前日。


 エレーナは最後の決心をした。

 図書室へ行く。もう一度だけ。

 何も期待せず、ただ静かに過ぎ去る時間を見届けるために。


 重厚な扉を開くとき、彼女の手は微かに震えていた。

 窓辺の席は空だった。資料も地図もない。


 ただ、午後の光が机の上に落ちている。


 彼はもう来ない。赴任準備に忙しいのだ。

 当然のことだった。


 エレーナの胸には鋭い喪失感が突き刺さった。

 彼女は空の席の前に立ち、そっと手を机の上に置いた。


 木の温もり。

 古い紙の香り。


 全てが、あの日の記憶を呼び起こす。


「琥珀の森……」

 彼女は呟いた。


「雪に埋もれても消えず、春が来るまで淡く光り続ける花」

 その伝承は、まるで彼女の胸の中に咲いた感情のように思えた。


 エレーナは窓の外を見る。

 中庭の木々には、蕾がほんの少し綻び始めていた。




 卒業式当日。


 エレーナは淡いパステルカラーのドレスを選んだ。


 春の色。

 新たな始まりの色。


 けれど彼女の心は、冬の琥珀の森のように、まだ雪に埋もれていた。

 講堂は華やかな装飾に包まれ、卒業生たちは晴れやかな表情で席につく。

 エレーナは自分の席に座り、隣の席――カイルの席を見た。


 空だった。まだ来ていない。

 または、もう別の場所にいるのか。


 式が始まり、校長の祝辞が響く。

 王国の未来を担う者たちへの期待。

 新たな舞台への祝福。

 全ての言葉が、エレーナの胸を通り過ぎていく。


 名前の呼び上げが始まった。


 卒業生一人一人が舞台へ上がり、証書を受け取る。


「カイル・ローウェル」

 その名前が呼ばれた時、エレーナの呼吸が止まった。


 彼は舞台へ上がる。

 濃紺の制服が、講堂の光の中で凛と輝く。

 証書を受け取り、校長と握手をする。

 その姿は、もう学園の生徒ではなく、王国の騎士だった。


 エレーナは彼の背中を見つめ、そっと胸に手を置いた。


(さよなら)

 声にならない言葉。

(琥珀の森の花のように、私の記憶の中で光り続けるから)


 式が終わり、卒業生たちは講堂から溢れ出す。

 祝福の声。

 笑い声。

 別れを惜しむ声。


 全てが混ざり合う喧騒の中、エレーナは静かに廊下を歩いた。


 図書室へ向かう。


 最後の場所。

 最後の記憶。


 扉を開ける。

 中は誰もいない。


 卒業式の日、図書室は静かな別れの場所だった。


 エレーナは窓辺の席に座り、外の光を見つめた。


 そして、机の上に置かれていた一枚の紙に気づいた。

 古びた地図の一部――琥珀の森が記された部分。

 その上に、小さな紙が添えられている。


『伝承を教えてくれてありがとう。この森を訪れる時、その花を探してみよう』

 署名はない。

 けれど、筆跡は彼のものだった。


 エレーナは、胸に押し当てた。

 涙が零れそうになる。


 窓から差し込んだ光が、机の上を照らしている。

 琥珀の森の花は、雪に埋もれても消えず、春が来るまで光り続けるという。


 彼女のこの思いもきっと同じだろう。

 卒業して会えなくなっても。

 彼が遠い北方へ行っても。

 彼との思い出は、淡く光り続ける。


 エレーナは立ち上がり、図書室の扉を閉めた。

 琥珀の森の記憶を胸に抱きながら。

 雪に埋もれた花のように、静かに光り続ける願いを抱きながら。

 そして彼女は、次の季節へ歩み始める。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ