9.葬儀と叫び
「お父様、お母様はどうなったの……?」
「シッ…静かに」
振り向いたハルモニアの背後、教会の座席の一番前にセオドラとラゼリードが座っていた。
二人共に喪服だった。
セオドラの手からは聖印が垂れている。
何処からかパイプオルガンの音楽が聞こえる。
その重厚な音色は人々を陰鬱な気分に駆りたてるのには、効果てきめんだった。
通路を挟んで反対側には、クリスチユとその家族が座っていた。此方も勿論喪服だ。
正面に向き直ると、フィローリが棺の側に跪いて、空中に淡く緑に光る文字を指先で描いていた。
あれは確か……高位の守りの術式だ。
魔法を使う際に詠唱を必要としないのが精霊というものだが、大掛かりな術には詠唱と紋様が要る。
『俺、白装束だけどいいのかな』
ハルモニアは己の着ていた短いマント付きの白い上着を掴んだ。襟元の羽根のブローチと、生まれ持った髪だけが黒を主張している。
口に出してみたものの、悪いとは思わなかったので、彼は退室しなかった。
退室したくとも扉が閉まっていては出来ない相談だ。
ハルモニアはフィローリの側に近寄った。
棺の中に横たわるのは、血を拭い、傷を縫合され、美しく死化粧を施されたアーキア。
これも予想の範囲内だ。
だが教会内は驚く程、人が少なかった。
ほんの少数の遺族らがフィローリの術を見守っている。
これは国葬ではない、とハルモニアは察した。
アーキアの死因は自殺なのだ。
葬儀が行われるだけまだ救いがあると言えよう。
ルクラァンに葬儀はあまりない。
単純に生から死へのサイクルが長いというのもあるし、半精霊なら死しても亡骸が残るが、精霊は元素に還るからだ。
時を止めて遺体を保存されるのは王族だけだ。
それも時編む姫の能力があってこその事。
時編む姫が臨終に間に合わねば、遺体は平民と同じく元素に還る。
先代のルクラァンの愚王──ハルモニアにとっては祖父にあたる──バシリスは、頭部しかルクラァン王廟に残っていないらしい。
と、どうでもいい事を考えていたら、フィローリの術が完成したようだ。
「皆様、これより御出棺となります」
澄んだテノールでフィローリは呼び掛けた。
兵達がわらわらと集まり、棺に蓋をすると遺族が石で釘を打った。
「お父様、これではお母様が出られないわ……」
ラゼリードはまだ母の死に実感がないらしい。
死という概念が理解出来ないのだろう。
7歳…だったか…それにしては幼い考え方だ。
「では先導します。眠りの丘へ」
フィローリの言葉と共に棺が兵達に持ち上げられた。
ふっ、とハルモニアの意識が寸断した。
次の瞬間、ハルモニアが聞いたのはラゼリードの泣き声だった。
「お母様を閉じ込めないで! ラゼはいい子になるから……猫も飼わないから! リーチィにも会わない! だからお願い、お母様を出してー! 出してぇえー!」
城から少し離れた場所に、こんもりとした丘があった。ここが眠りの丘とやらだろう。
その麓に扉があり、今まさにアーキアの棺が運び込まれる瞬間だった。
暴れるラゼリードはクリスチユの両親が手を繋ぎ、クリスチユが彼女の胴体を抱き締めていた。
今は片眼鏡をかけていないクリスチユも泣いている。
狂ったように泣き叫ぶラゼリードは、眠りの丘に棺と、フィローリと、父セオドラが入るのを見て、気を失った。
くたくたと倒れる子供達に、王弟セファーレンが手を差し伸べる。
驚く事に彼は左腕に7歳のラゼリード、右腕に9歳のクリスチユを抱えても、びくともしなかった。
ハルモニアは一瞬『こんな強さを持った男性になりたい』と願ってしまった。
セファーレンの妻、ジザベルも潤んだ瞳をしながらハンカチで子らの涙を拭ってやっていた。
「貴方、この様子ではシルオンナート領には暫くの間、戻れませんわね」
「ああ、そうだな。しかし兄上もおいたわしい……あんなに愛しておられたのにな。アーキア様には伝わらなかったのだろうか。ましてやこんな愛らしい姫を残して……」
「貴方」
「すまぬ、口が過ぎた」
「私もラゼリード様を我が子の様に思っております。私達の命が尽きるまで、この子を愛しましょう」
セファーレンは頷いた。
ここから先はハルモニアも知らない話になるが、セオドラはアーキアの喪が明けぬ内に妾妃を娶る事を議会に要求された。
だが、セオドラは頑として妾妃を娶らなかった。
一度ならず二度も三度も薦めて、それでも駄目ならばと、下着姿の良家の娘を王の寝室に置いたというのに、だ。
駄目だったのだ。
それほどまでにアーキアを愛していたのかと、議会の貴族達は納得せざるを得なかった。
ただ、彼らは一つだけ誤解していた。
カテュリアの直系王族のラゼリードは《男の子》ではなかった事を。
彼らはセオドラがラゼリードを男として育てるものだと思っていた。
現にアーキアの死後、ラゼリードは女の子の時も男装をさせられた。
だが彼女は憤慨してクリスチユの前で服を脱ごうとした事もあった。
いや、脱いだ。
【ここまでは我、延時だけが知っていればいい事だ。小さな末裔よ、時を進みたまえ】
「可愛いラゼリードや」
「は、はい、お父様」
謁見の間には十数人の家臣が居た。
常に無い場所、常にない正装、常に居ない筈の人々。
──居ないはずのハルモニア。
臣下の末席に、いつの間にか立たされていたハルモニアは、一瞬何が起きたのか解らずにポカンと口を開けた後、ラゼリードの顔が見れる位置、即ち玉座の側まで走ってきた。
ハルモニアは図々しくも火急の用件以外で謁見の間を駆けた訳である。
見えていれば、の話だが。
『この俺が末席な訳無いだろう!』
正装として王子服を着せられたラゼリードは、父の前で跪いていた。
「ラゼリード、お前はこのところ不満に思っている事があるだろう? 言ってみなさい」
ラゼリードはパッと顔を上げた。
その顔にはありありと不満が刻まれている。
「わたしは女の子なのに、王子様の服を着せられて不満です。わたしは女の子の時も男の子の時もあります。男の子の日に王子服を着るのは不満ではありません」
非常にハキハキとした返事に、セオドラを始めとした臣下全員が驚いた。
フィローリだけは玉座の側に控えて、くすくすと笑っていた。
「あい解った。では、性別を選びなさい」
「お父様……?」
「陛下!」
「お戯れを!」
「それでは御嫡男が!」
セオドラは手で家臣達を制した。
「ラゼリードや、この世にはお前のように男の子と女の子をいったりきたりする子は居ないのだ。お前だけが特別なのだ。だからといってどちらも、という訳にはいかない。男か女か、どちらかしか居ないこの世の法には従ってもらいたい。表向きだけでいいから選びなさい。王子か、王女か」
『ラゼリード……! 両方って言え! 事実なんだから!』
ハルモニアはラゼリードの前でジタバタと足掻いたが、ラゼリードの紫水晶の瞳ははっきりとフィローリを捉えていた。
ラゼリードの頬に朱がのぼる。
瞳に恋の色が見えた。
「では、父上。わたくしは王女を選びます。生まれた時は女の子だったって母上が仰っておりました。名前も女の子のものです。王女しかありません」
《王女ラゼリード》の誕生の瞬間だった。
またしてもハルモニアはラゼリードの貴重な節目を見てしまったのである。
その夜、セオドラはセファーレン相手に酒を交えて泣き言を漏らした。
「娘に《お父様》ではなく《父上》と呼ばれてしまったよ。アーキアが死んだ後から、もうすっかり大人びている」
セファーレンはナッツを口に含むのをやめて言葉を探した。
「……、兄上、それは母上を亡くしたから、ラゼリードが精神的に自立したのでは?」
セオドラはうぐぐ、と唸るとゴブレットの酒を飲み干した。
「自立ってものじゃあないよ。あれは……恋だ。ラゼリードはフィローリに恋をしている。ああ、一度でいいから『ラゼはお父様と結婚するのー』とか言われてみたかったよ。あれは面食いだな。小さな頃からフィローリにばかり視線が向いていた……」
と、立て板に水とばかりに言葉を紡いだ瞬間、セオドラは眠ってしまった。
彼の顔はゴブレット一杯の酒でもう真っ赤だ。
セファーレンは苦く笑うと、自慢の腕で兄王を助け起こして寝台に寝かせた。
「兄上は飲めないのに無理するのだから困ったものだ」
【これも過去。古きたわいもない思い出だ。小さな末裔よ、再び時を進みたまえ】
「あれが隣国のエルダナ様?」
ハルモニアは父の名にビクンと背を逸らした。
花の盛りの中庭で遊ぶクリスチユとその妹達、そしてラゼリード。
ラゼリードが出来たばかりの花冠(のような何か)を頭に載せながら発した言葉だった。
慌ててハルモニアはラゼリードの視線の先へ目をやる。
エルダナが、父が、外交官に先導されて中庭から見える通路を歩いていた。
ただし、見えるのは上半身のみ。窓枠に嵌まった硝子越しに。
『父上っ!!』
叫んだ声は絶叫に近く。
花畑を荒らして走るハルモニアはいつの間にか涙を流していた。
『父上、ハルモニアです! 貴方の息子のハルモニアです!』
エルダナは気付きもせずに廊下を曲がって姿が消えた。
『ちくしょう……』
ハルモニアは涙でボロボロになった顔を拭いもせず、絶望に呑まれた。
『もっと未来の、父上にっ、会わなければいけないのかっ……!』
ハルモニアは声を詰まらせて泣きながら中庭の壁を叩いた。
「あら?」
「どうしたの、ラゼリード」
「誰かが泣いている気がしたの。変ね、ルシスもファリアも……泣いてないわね」
従姉妹達の顔を覗き込んでラゼリードは首を傾げた。




