10.王に相応しい心持ち
「うう…」
流れる涙もそのままに、ハルモニアがうずくまっていると、背後から何かが勢い良くぶつかってきた。
「……?」
彼が振り向くと、また少し大きくなったラゼリード――いや、男の子の格好をしているからエイオンだろうか?
エイオンは両手に木剣を持って立ち上がるところだった。
佇むは硬い石床の武道場。
先程までハルモニアが流した涙に濡れた花は何処へやら。
「もう一本、お願いします……!」
歩み寄るエイオンの視線の先には、彼より少し年下だろうと思われる少年。両手に同じく木剣を携えている。
「よし。ヨルデン、もう一度だ」
「はい、父さま」
審判は口髭を蓄えた男性。エイオンの相手は審判の息子らしい。
ヨルデンとエイオンは木剣を構え直す。
「始め!」
審判の合図と共に、二人の少年は踊るように剣を振るった。
右の剣を打ち付ければ、左から斬撃が襲いかかる。それをしゃがんでかわすが、大きな隙が出来たエイオンにヨルデンの連撃が続いた。
盾を持たない二刀流は剣が盾の代わりとなる。
二人ともに流れるような剣舞を魅せたが……。
たちまちの内にエイオンは壁際に追い詰められ、再び壁を背にしてハルモニアの横に尻餅を付いた。
喉元には切れぬ筈の木製の剣。
それでもエイオンが息を飲んだのが、ハルモニアには分かった。
「そこまで! 勝者、ヨルデン・ディンナー」
「くっ……」
エイオンがすみれ色の瞳に涙を滲ませた。頬に伸ばした黒髪が落ち掛かる。
ハルモニアは初めて見るエイオンのその表情に胸をときめかせた。
審判の男が近寄ってきて、エイオンの手を取って立たせた。
ハルモニアもエイオンの表情見たさに立ち上がる。いつの間にかハルモニアの頬から涙の跡が消えていた。
「ラゼリード様、すみませぬ。もっと私が剣を教えに来れたら良いのですが、領地の任務が溜まっておりまして……」
「……ください」
凛とした声が、武道場に落ちた。
「はい?」
俯いたままだったエイオンの声に、審判が思わず聞き返す。
エイオンが、きっ、と顔を上げた。
「ヨルデンを私に貸してください! ディンナー伯爵がおられぬ間、彼から剣を学びます! だからどうか彼を!」
「……ラゼリード様、落ち着いて下さいませ。それはヨルデンをお側に置きたいという事ですか?」
審判――ディンナー伯爵は少し考えた末に、傍らに立つ息子に声をかけた。
「ヨルデン。ラゼリード様はお前をご所望だ。お付き人になるか?」
ヨルデンは先程から勝利に酔う事もなく無表情で居たが、同じような無表情なまま一言、爆弾を落とした。
「出世街道まっしぐらウハウハですね」
エイオンは驚きの余りに、目をぱちくりさせ、何か言おうとしたのか、口をあけるが言葉は出なかった。
「ラゼリード様、ヨルデンは私めもどうしてこうなったのかわからない程、表情も無く、とても口下手なのです。それでも宜しければ……」
ディンナー伯爵が言い終わる前にエイオンは口を開いた。
「私の侍従に是非ヨルデンをください」
ドクン、とヨルデンの胸が高鳴り、初めて戸惑ったような表情が宿った。
コノ方ガ、僕ノ主……!
エイオン――公にはラゼリードと呼ばれる存在は、気付いていただろうか?
いや。多分、気付いていない。
『侍従』とは『王』の側にだけ仕える者の事だと。
ラゼリードの過去からの予言。宣言。
ラゼリードの体質上仕方なく降り掛かるいばらの道を、彼らは二人征くのだ。
ハルモニアはヨルデンの事がなんだかたまらなく、羨ましくなった。
また、意識が途切れた。
真っ暗だ。延時が話し掛けて来る時はいつもこうだから、別段驚きはしなくなった。
【小さな末裔よ、あの子はもうこの時点でいつか王になると決意をしているぞ。お前はどうだ? いつまでも子供のなりで、過ごす気か?】
『違う! 早く成長したい! 父上の様な立派な身体つきで、王に相応しい心持ちで白の王冠を授かりたい!』
カテュリアの王冠が赤なのに対し、ルクラァンの王冠は白いびろうどが金剛石に飾られている美しい冠である。
【では聞くが、王に相応しい心持ちとはなんだ?】
『それは……』
なんだろう、この小さな身の内に眠っている灼熱の炎が、今はまだ小さな埋火が。
疼く。
けれど、延時の質問には答えられなかった。
―――――――
フッ……っと辺りが明るくなった。
壁が白い。城の中の様だ。
延時は俺を見限ったのだろうか。
それも仕方なかろうと、自分でも思う。
内面も外見も成長のない今の俺には……。
考え事をしていると、小さなラゼリード……例によってまた少し大きくなっている……が、スッとハルモニアの前を走り抜けた。
反射的に後を追うと、何やら背後からラゼリードを呼ぶヨルデンの声がした。
ヨルデンも大変だな、などと考えていたら、ラゼリードが一枚の扉をくぐった。
慌てて後を追うも、ハルモニアは右足首を扉に挟まれてしまった。
『なんて重い扉なんだ……!』
「シャロ、フィローリ、今日は何し……うっ!!!」
『ラゼリード!!!』
窓を開けていた大人達は気付かなかったのだ。
甘い匂いの煙がラゼリードの方へ向って流れた事に。
倒れ伏すラゼリードにシャロアンスがいち早く気付いた。
「姫様!?」
フィローリの瞳が新緑色から金色に変わる。それこそが守護の証。
「シャロ! カティだ! 毒抜きしてない生のカティが坩堝に紛れ込んでいる!」
「火を消せ!」
「消した! でも高温度に熱した坩堝はすぐには冷えない!」
ハルモニアはそこで何をすればいいのか、一瞬でわかった。
『坩堝の熱よ! 俺の元へ来たりて、我が身を熱せよ!』
過去の世界に来てから、暑さ寒さを感じないハルモニアが初めて熱をその身に感じた。
なんと心地よいのだろう。
実は火精には火を操る事は容易くとも、熱まで操るのは至難の技なのだ。
それを難なくやってのけたのは、ひとえにハルモニアのラゼリードへの愛故だろう。
「坩堝が冷めた……?」
フィローリは異常に気が付き、そして薄く開いている扉に目を向けた。
扉の前では、シャロアンスがラゼリードを介抱している。
「ラゼリード様! 息を吸って、吐いて!」
「……! ごほっ…ごめん、なさい、忍び込んで、わたし、死ぬの? 甘い、喉が灼け、…」
「死なないさ、このシャロ先生とフィローリがついてるからな」
「よかっ、た」
シャロアンスの腕の中で、かくん。と、首が傾いて大分長くなった黒髪がさらりと落ちる。気を失ったのだろう。
ラゼリードがこののち、カティの毒煙の夢を度々見るようになるのは、ハルモニアも知っての通りだ。
ハルモニアはふと胸をよぎるものがあるのに気が付いた。
王に相応しい心持ち。
それは"守る"ことではないかと。




