#番外編 南くんはインフルエンザ
南くんとけいちゃんがイチャイチャするだけの番外編です。
本編の次の冬の話。
バイトが終わってみても、返事が来ていなかった。返事が欲しいメッセージに何時間も返信をしないのは、南くんにしては珍しいことだ。バイトはない日だって言ってた気がするし。
寝る前に一言追加してみて、どうしたものかと思う。クリスマス、年末年始と一緒に過ごしたけれど、適度にだらだらしてしまったから、一緒に何かしに行こうと話していたのだ。テストが終わったら、軽く旅行とか、そういった類の。彼のことだから、考えに考えている最中なのかもしれなかった。
翌朝届いていたメッセージを見て、すぐに電話をかけた。起こしてしまったらどうしようと思いながら、すぐに南くんは出てくれた。
「おはよう。大丈夫?」
「おはよう。……昨日よりはマシ」
深夜に、ごめん寝てた。風邪引いたかもと返ってきていた。そして今朝になって、インフルエンザかも、と。お互い寝起きに電話するなんて初めてだけれど、南くんの寝起きのぽやぽやした声は、もっと掠れていて、余計心配になる。
「今日も治りそうになかったら、病院行きなよ。必要なものとかある?」
「うん。大丈夫」
「昨日の夜からちゃんと食べた?」
「食べてない。食べる」
南くんの不摂生を叱り続けていたせいか、すぐには治らないものの、彼自身善処しようとしてくれている。深夜のバイトもやめたし、健康的な昼食を摂るようになった。
「食べるものあるの?」
「うーん、まあ」
あの家にまともな備蓄があるとは思えない。冷蔵庫はいつも、物が入っているスペースの方が狭いくらいスカスカだ。
「何か買ってくよ」
「いいよ、自分で行けるから。コンビニ、遠くないし」
南くんの語気は少しだけ強い。強引なところがあると言っても、物腰がいつも柔らかい彼らしくない。こんな風に意地を張るのは、大抵、自分ひとりでなんとかしようとしている時だ。
「わかったけど……行けなかったらそう言ってね。ご飯食べないと治るものも治らないよ」
とりあえずは本人に委ねた方が無難だ。最悪、押しかければいい。歩いて数分のところに住んでいるのだから、お互いそれについてそう重く考える必要はないはずだ。ないはずなのに。
「うん。けいさん、ごめん」
「……なんで?」
南くんは優しいし女性的なところもあるけれど、そう簡単に謝ったりしない。それは、アメリカ育ちの影響もあるのかもしれない。
「楽しいこと話してたのに、心配させた」
「じゃあ早く風邪、治してよ。拗らせたら怒るよ」
南くんの体調管理に関しては、随分と強いことを言えるようになった。あと、お金の使い方も。どちらも、恵さんに顔向けできるように、という気持ちも勿論ある。変なところで天秤のかけ方を間違える南くんを、ちゃんと見守ってあげないといけない。
電話を切ってから出てきた溜息は、彼が自分自身を大事にしてくれるか心配であるからなのか、たしかに楽しいことを話していたのに中断されざるを得なかったからなのか。後者であるほど、私はまだ、傲慢になっていないと思いたい。
スポーツドリンク、たくさん。レトルトのお粥、たくさん。小さいパックの野菜ジュース。冷凍の果物。マスク。カップスープ。大きな袋をぶら下げて、マスクを一枚、自分でつけた。
翌日の昼前、インフルだった、とだけ送ってきて、南くんの既読がつかなくなった。もう夕方だというのに。正直、自分が安心したかっただけかもしれない。南くんが病気を治すために全力で自分に対して努力するとは思えなくて。
合鍵なんて必要ないと思っていたけれど、こういう時は作っておけばよかったと思う。忘れ物とか取りに行けるし、今度お互い作ろう。一緒に住む予定はないけど、そのほうが便利だ。古臭いチャイムをピン、ポン、と鳴らして、南くんがドアを開けるのを待った。
ドアノブは動いたけれど、扉は少しだけしか開かなかった。南くんの片目だけ見えたその隙間に、まずマスクの袋を差し込んだ。
「マスクして」
南くんがこれほどまでに頼ろうとしてくれないのには、うつしたらまずいという考えがあるのはわかっている。授業はないとはいえ、私もバイトがあるから。
一旦閉じられた扉が、しばらくしてまたゆっくりと開く。ぼさぼさの髪の毛を、わしゃわしゃとかき乱してから、潤んだ瞳は私を見た。
「話は後でね。ちゃんと食べて。ちゃんと飲んでね」
こんなにくたびれた顔を見るのは初めてだった。焦点の合っていないような南くんは、頭が働いているのかわからないけれど、ビニール袋を受け取って、黙って私を見つめている。何か言いたいのかもわからなくて、長く玄関先にいるのも変だと思った私は、それじゃ、と切り出した。
「……辛いな」
ぽつりと呟いた声は、掠れて、しかも低くて、南くんのものとは思えないほどだった。反射的に聞き返すみたいに顔を見ると、南くんの涙袋が膨らんだ。
「今ほどけいさんをぎゅってしたいことないのに」
冗談、ではない。嬉しそうに、けれど困ったように笑って、南くんはあんまりクサいことを言う。病人だから少しばかり思考能力が低下しているのかもしれない。何と返せばいいかわからない、普段だったら、茶化すけれど。
「……お大事にね」
「ありがと」
さすがにうつるから。そう自分に言い聞かせるみたいにして、目線を逸らす。うつったらそんなにまずいことなのか、と思い始めてしまう。それほどに、南くんの甘えには破壊力がある。
自分の部屋に帰ってみたら、さんざん感謝の言葉が届いていた。やっぱり、ろくに食べていなかったんだと思う。私に世話を焼かれることを喜んでいるのかもしれないけれど。翌朝には、ちゃんと食べたよ、と写真も送ってくれた。お互い、わかっている。わかられている。それから5日間、授業が始まるその日まで南くんに会うことはなかった。
「……もう大丈夫なの?」
「うん。おかげさまで」
多分大丈夫と言っていたし、まあだめでもインフルなら出席は回収できる。それに、レジュメは届けてあげようと思っていたのに。ちょうど準備をしている時間帯を狙って部屋にやってきた。まだそれなりに時間もあるし、来てくれたのに先に行っててよと言うのも偲びない。顔色を見るに、治ったというのは嘘でもないみたいだし。
身支度をしているのを横目で見られているのを感じるけれど、今更恥ずかしがるのも恥ずかしい。彼がこの部屋に来て泊まって朝に一緒に準備をしたことだって何回もあるのだ。すっぴんも、メイクをしているのだって、彼が嬉しそうに見ているのも知っているけれど、気にしない。
いつも通りに少し忙しなく一通り準備を終えると、見計らったように南くんが側にやってきて、私にのしかかるように抱きついてきた。
「けいさん、今日もかわいい。あー、久しぶり。ホントにけいさんだ。夢みたい」
「何、言ってるの」
南くんの甘い言葉は、彼自身がそれに慣れてしまうと、もう止まらなくなった。妙にべた褒めしてくるのは当然恥ずかしいけれど、本人が恥ずかしがるのがなくなった分、マシになった。とは言っても、何と返せばいいかわからない。
「南くんも今日もイケメンだよ」
「うん。あんなダサい顔見せちゃったし、久しぶりにけいさんに会えるから、めっちゃ気合い入れて来た。いっぱい寝てたから、肌もツヤツヤ」
そう言って私の手のひらを頬に持って来る。確かにもちもちツヤツヤだ。ヒゲも剃りたてで全然じょりじょりしない。手触りが良くて、たくさん触ってしまう。
ぐふふ、とイケメンらしからぬ声を漏らす。
「俺たちってこんなイチャイチャしてたっけ」
「…………」
急に恥ずかしくなる。こんなに会うのが久しぶりなのは確かにちょっと珍しいのだ。私自身も、この一週間の行いを振り返って、疑問を抱いてしまう。頬から手を離し、南くんから体を離す。
「でも、いっか。一週間以上会えなかったから、平均したらしすぎってこともないよな」
そう言って、もう一度抱きついてくる。南くんはいつもいい匂いがする。今日は特に、そのキラキラオーラも、いい匂いも、心地よい暖かさも、ひとしおだ。
「遅刻しちゃう」
「35分に出れば間に合う」
それも、授業開始5分前に。席を取るために早めに行っているのだって、南くんはもう当然のように知っている。付き合ってもうすぐ、半年だから。
南くんがぎゅうぎゅうと抱き締めてくるのに抵抗するでもなく、彼の襟足を撫でたり肩を撫でたりして楽しんでいたけれど、南くんは遂には解放してくれた。
そして顔を傾けて、軽くキスをした。どちらともなく、息だけで笑う。良かったね、って言い合うみたいだ。
「ね、合鍵作ろう」
「え⁉」
「その方が便利でしょ」
「……あぁ」
「一緒に住むのはダメ」
お父さんを説得するのもめんどくさい。それに、私も南くんも、ちゃんと一人でもっと生活できるようにならないといけない。
「いつになったら、許してくれる?」
「……その時が来たら」
南くんとの未来を考えられないと言ったまま、責任は持てないままだ。でも、考えることはある。心を決めることができたなら、そのときは一緒の部屋を借りよう、と。
「けいさんは、病気にならないでね。俺、押しかけて絶対迷惑かける」
大学までの短い道のりじゃ、手なんか繋いで歩けない。繋いでなくたって、私たちの関係は当然周りに知れているけれど。
「同じインフルだったら南くんにはもうかからないんだから、隅から隅まで面倒見てね」
押しかける南くんは想像ができるけれど、私の面倒を見てくれる南くんは想像ができない。だからちょっと面白くて笑ったら、南くんは、もっと面白いくらい生真面目な顔で、それはいいね、と呟いていた。
そんな日もきっといつか来るのかな、と思って、気付く。ちゃんと彼との未来を、こんなにも考えていたのだと。




