#85 嘘と願い
ピアノの置かれているいくつかの部屋は、部室を持っていない音楽系サークルの共用になっているらしい。その中でも一番使われていない部屋は、空いている時は誰でも借りられるのだという。編入してきて間もないはずなのに、私の知らないことを知っている。やっぱり、ピアノを弾きたいと思うくらい好きなのかもしれない。
南くんのピアノを聴きながら、晴貴くんと涼子さんのことを考えていた。この曲はまるで、あの二人の結末を表すかのようにおしとやかな華やかさを持っている。南くんの長い指が丁寧に動いていくのは、晴貴くんのそれとはまた違って見える。
涼子さんの告白を聞いて晴貴くんは、唇を噛み締めて、破顔はすることなく、ただ強く頷いた。それは横でぐすぐす言っている南くんと対象的で、私はといえばなんだか困ったものだった。晴貴くんは晴貴くんで、辛いのとは違う、険しい表情だった。
晴貴くんが願いを叶え、幸せになることが、涼子さんの幸せ。私にはまだ、わからないことだった。なんで南くんと一緒にいるのか、わからない。
涙が溢れていたと知ったのは、南くんの指が私の頬を拭ったときだった。いつの間にか演奏を終えた彼が、私の頬に手をやっていた。睫毛を伏せて、表情の見えない顔が近づく。長めに瞬きをした。涙が、繋がって落ちるように。
けいさん、さ。
「あの時……夏休み入って最初に会った時も泣いてた」
私がついた嘘で、南くんと私が付き合ってると噂されていたと知った時だ。あれからすぐに、南くんに告白されて、沖縄に行くことになって、今に至るけれど。
目を開けると、視界いっぱい、南くんの顔だった。零れた涙を親指で優しく拭って、南くんは目を細める。
「俺と付き合ってるって噂されるの、嫌だったの?」
違う。多分、違う。あの時はわからなかった。友達だから、家に行っても大丈夫だと思い込もうとしていたあの時は。自分が本当はどうしたかったのか、知らないふりをしていたから。
小さく首を横に振る。何か言わなきゃと思う。今も、多分少し心配してくれているから。
「私が言ったんだ。指輪、してないの……南くんに、彼女できたらしい、って」
私がついた嘘で、私が勝手に傷付いて、南くんが責任を感じるのは違うと思った。それと同時に、きっと気付いてしまったんだ。南くんをただの友達として見られない自分に。
「南くんのことが、好きだったんだと思う」




