#80 幸せが見えない
初めて会った日なんて、覚えていない。彼との記憶の数パーセントを占める風景では、無口で大人しい晴ちゃんを弟みたいに思っていた。年上だから、手を引いてあげなければいけなかった。けれど、そそっかしい私が転ぶのに手を差し伸べるのは、やっぱり晴ちゃんだった。そしていつしか彼は、私が倒れないように手を引いてくれるようになった。
「晴ちゃんすごい! 最優秀賞だよ?」
「別にすごくない」
まだぶかぶかの中学校の制服を着た晴ちゃんは、大きなコンクールで表彰された日、今までで一番つまらなそうにしていた。興奮して抱き着いた私の腕を、強い力で振りほどこうとした。
「もうコンクール出るのやめる。涼子も聴きに来てないで受験勉強しなよ」
それからだ。それからだった。晴ちゃんの態度が冷たくなったことなんて一度もない。けれど寂しかった。彼は拒絶していた。以前は一緒にやっていたことのほとんどが数年のうちに失くなっていた。ピアノ教室に行くこと、両親の帰って来ない日に夕飯を作って食べること、イベント事の日に集まること。
ずっと、手は引いてくれていた。違う道を進んだら私が進めなくなってしまうと思っていたのかもしれない。許嫁を断った後も、晴ちゃんは当然のように努力して同じ大学に入った。
知っていた。晴ちゃんは、私がいつも言いなりなのを嫌がっていたこと。周りの大人に、晴ちゃんに、全て言われるままにして、まるで我を通すことがないと。けれど、それが普通でないのは知りながら、私にとっては嫌なことではなかった。誰かの願いや期待を叶えること自体が自分の目標になっていた。
けいちゃんは初めて会ったときから今まで、あまり変わらずやっぱり戸惑っているけれど、二人の仲は全然悪くない。けいちゃんには不思議な魅力がある。行動力のある晴ちゃんは、けいちゃんを引っ張ることで、もっと色々なことができるようになっていた。責任というものの力で、晴ちゃんは何でもできるようになっていた。けれど、自由なのにどこか義務的だった。絶対に口にはしないけれど、数年もの間、ずっと義務的に生きているように見えた。
「ホントはお前も、寂しかったんだよね」
そんな顔で、言うから。自分に嘘なんかつかないで、とか、無理しないで、とか、そんな言葉じゃ表せない。晴ちゃんのために、私はどうしたらいいのかわからない。
本当の気持ち。勘違いしないように。伝えましょう。
けいちゃんの揺らがない強い眼差しに、心が揺れる。わからない。わからない。わからないはずがないのに。
私の幸せはどんなに苦労しようとも、晴ちゃんなしではわからない。きっと、そういうことだった。晴ちゃんがいなくなってから、わからなくなった。晴ちゃんがいないと、見えなくなってしまう。
だから一緒にいて欲しいという言い方で、間違ってないかな。
けいちゃんは、とても嬉しそうにうなずいてくれた。




