#63 presser
「不安にさせてごめん」
この人の声色は、わからない。どこまでか本当の気持ちで、どこまでが自分のための言葉か。ぴったりくっついた体で感じるのは、温もりというよりむしろ、蒸し暑くて汗ばんだ不快感だった。
鍵を差し込もうとしたところで、鍵が開いていることに気がつく。思わず、唾を飲み込んだ。そうか、もうこの扉を開けたら、晴貴くんがいる。
できるだけ静かに慎重に扉を開くと、ワンルームの部屋の奥の体育座りの彼が、自然な風に私を向く。
「おかえり」
「た、ただいま」
いってらっしゃいを言われたわけでもないのにその言葉を言われると、なんだか気持ちが悪い。しかも、家主のいない、初めて来た部屋に一泊した後だというのに、当然のように言えるのは最早尊敬する。
本を開いていた晴貴くんは、私の動きを何となく目で追っている。視線にそわそわしながら、荷物を一通り片付けて、彼と目を合わせる。
「沖縄、行ってたの」
「うん、お土産あるよ」
助かったとばかりに無難な話題に漕ぎ着いて胸を撫で下ろしていたのも束の間、晴貴くんは床を這ってこちらへ寄ってくる。そして、あぐらをかいて、膝に肘をついた。
「けい」
「は、はい」
無表情、と言うにはニコニコしている。いつもそんな顔だ。けれど、たぶん楽しいとか感じているわけではない。むしろ、言葉の少ない威圧感が恐ろしい。
「南 梗介と付き合ってるって聞いたんだけど。けいの、学科の人から」
「はい⁉」
色々とどういう風に説明しようか考えていたのに、いきなり全てが吹き飛んだ。晴貴くんは顔色一つ、声色一つ変えない。
「ホントだったとして、怒ってないし傷ついてもいないから。ただ――」
身を乗り出した勢いで、そのまま迫り来る。思わず目をつぶってしまった。懐かしい感じの匂いがした。あっさりと、彼のテリトリーに囲われてしまったような感覚だった。
二回くらい息を吸った。それにつられて私も二回くらい息を吸う。目を開くと、晴貴くんの肩が目の前にあった。強くなる懐かしい匂いに、全身の血管がぞわりとした。




