#57 恋愛経験
「今日、ありがとね」
「え、なんで」
そんなの、恥ずかしいからに決まっている。昨晩みたいに、南くんから仕掛けられたら堪らない。いつまでも振り回されっぱなしで、私ばかりぐるぐるするのは嫌だ。
「観光は、普通に楽しかったし。他人に話したら、ちょっとだけ整理ついたし……。向き合おうって、思えたし」
「……無理すること、ないからね」
なんでこんなタイミングでそうやって弱気になるんだろう。そういうところが南くんらしくて、少し笑い声を漏らしてしまう。つられて、彼も少し笑う。
「向き合わなきゃいけないの、わかってたもの。遅いよりは、早い方がいいのも」
嫌いでもなんでもなかった父親と、好きだった吉澤くんを思い出す度胃を痛めて、しかもそれらが彼らのためにならないかもしれないことは、良いことではない。私の決断できない性質に乗っかって上手いように利用していたのだとしても、だ。
「俺のことも」
わかってる、と言えなかった。わからない。南くんのこと、きちんと責任をとりたいと思った。それが、彼の家庭事情を知ってしまったからでないとは言い切れない。ここに来る直前までは、すぐに答えを出せなかったくらいなのだから。
「わ、かんない……。今まで、好きって言われたこと、なかったし」
今となっては彼は違うような気もするけれど、南くんのようなキラキラした人たちとは違う世界に住んでいたのだ。友達は多すぎない方がいい。浅い付き合いならない方がいい。そんなだから、大学に入ってからは友達がほとんどいなかった。
「……マジで」
ああ、これは、あれだ。照れているってやつだ。上ずった声も、息遣いも、普段はそれほど狼狽しない南くんの弱点を突いた時の特徴だ。冷静に分析していないと、こちらも恥ずかしい自分が恥ずかしくなってくる。
「けいさんって、今まで何人くらい付き合ったの」
「物凄く短いのが2回」
自然に溜め息が出る。このエピソードは溜め息とセットだ。若気の至りとでも言うべきだろうか、けれどお互いに傷を負ったわけでもない。周りを真似して勢いで付き合ってみたら上手くいくのかという実験のような付き合いだった。
「お、俺」
「いい。いつか話して」
アメリカン・スタンダードを聞きたいとは思わなかった。それに、その反応を聞けばなんとなくわかる。そんな、済まなそうにしなくても。
「けいさん。電気つけて、もうちょっとちゃんと話さない?」




