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#40 その日

 大慌ての南くんは何もない廊下で転倒したらしく、物音を聞いて目を覚まし駆け付けると、あきさんが真っ青な顔で放心していて、その状態の彼女に他の部屋はないか、なんて聞けるわけがなく、私は南くんを引きずるようにして客間に戻った。少しの怪我もしていなかったけれど、本人もなかなか反省したようで、しゅんとしていた。

 そんなわけで、私たちは空間だけは広いこの部屋で二人、できるだけ布団を離して敷いて、お互い反対側を向いて横になっている。


 この家ではむしろ男性の南くんの方がアウェイなわけで、お風呂を借りることはそれほどトラブルもなく、例に違わずオシャレで綺麗なお風呂で人心地つくことができた。

 湯船に浸かって、少し考えていた。どうしたら、吉澤 晴貴と、私と、早川 修の奇妙な事態をなんとかできるか。そもそもの課題は、一体何なのか。


 その始まりは、私が吉澤 晴貴に告白した、何年か後のことだった。


 吉澤 晴貴は、当時も地味なタイプだったと思う。決して陰湿な感じはしないけれど、どちらかと言うと大人しくて、どちらかと言うと真面目。でも、それらは極端じゃなかったから、平均的な中学生の男の子として、目立つこともそれほどなかった。


 ただ一点において、当時から他人と違うことがあった。私はたまたまそれを知ってしまったのだ。


 昼休み、音楽室や図工室、パソコン室などの特別教室がある四階にはそうそう人は近づかない。ましてや、音楽室の防音扉は中に誰かがいようと、その音は外にはほとんど漏れない。

 忘れ物を取りに行ったとき、誰かがいるような気はした。ただ、先生だろうと思った。だから、ノックをしても聞こえないその扉をゆっくりと開けて、だんだんと聴こえてくるピアノの音が印象的すぎて、今でも鮮明に覚えている。

 その人は、演奏をやめなかった。私に気づいていなかったのかもしれないが、本当のことはわからない。吉澤 晴貴は、その時のことを覚えていない、と言うのだから。

 聴いたことのない曲だったし、私は音楽に詳しい訳ではなかったから、彼のピアノを聴いて素敵だ、と思った理由は、「なんとなく」以外の説明が出来ない。でも、私は彼に惹かれてしまった。その時初めて認識した、目立たない男の子を、追いかけるようになってしまった。

 それが、相手と接触もしないままに告白するなんてことになったのは、若気の至りなのだろう。私には今も何がなにやらわからない。ただ、勢いだけで行動したのだと思う。確かに彼のことはどうしてか気になっていて、クラスも違う吉澤 晴貴とすれ違ったり、何かの機会に見かければ、気にしてしまっていた。それが本当に「好き」だったのか、中学生の私にわかっていたはずもない。


 ただ、「俺、君のこと知らないし」とだけ言い、当たり前のように付き合えない、と言った彼とは、もうそれで終わりで、関わることもないはずだったのに。


 ある夜遅く帰って来た父が連れてきたのは、久しぶりに見る吉澤 晴貴だった。私よりも偏差値の高い高校に進学したらしいことは知っていたけれど、中学校を卒業して以来一度も見かけていなかった。制服ではないけれどワイシャツにスラックス、というフォーマルな格好の彼は、私たち家族に深々とお辞儀をした。その時点で、何かがおかしいとは思っていた。


「けいちゃん、晴貴くんのこと知ってるでしょ?」


 ニコニコしながら言う父は、その時はまだ自慢の父親だった。


「晴貴くんと結婚してあげて」


 その言葉を聞いたとき、私の中で全てが変わったのだった。


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