#38 吉澤 晴貴
恵さんは、かなり怒っていたように見えた。ただ、私の前で怒鳴り散らしたくないようで、その場はただ静かに南くんを咎めた。
「私は、とても重要な嘘をつかれたと思うの。違う?」
「……はい、そうです」
「勿論、私も大人としてバカだった。梗介が、自分のお金で、突然、女の子を連れてきても、それが約束のお嫁さんかどうかはわからないものね。でも、『次に来るときは必ずお嫁さんを連れてくる、何があっても帰らない』って言って、あの人が亡くなった時にだって会いに来てくれなかったのにね。私、年甲斐もなく期待しちゃった」
恵さんの力強い声は、内側から震えているように聞こえた。それは、彼女と二人きりでした話は、恵さんなりの覚悟がなければ赤の他人にはできない話だったと思うから。けいちゃんは悪くない、むしろ被害者だと言う恵さんの表情が曇っていく。この話において私を関係ないと扱うことが彼女自身も嫌なのだろう。
「梗介。それで、けいちゃんもその気かどうかは、二人でもう少し話して。――私、少し休むから」
少女のように喜んでいた恵さんの顔色が悪くなるのを見て、私は悪くなかっただなんて言えるはずがない。南くんと二人で肩を丸めてそこに座っていることしかできない。
「梗介くん、私、吉澤くんと――家に来てる人と電話するね」
客間という空間だけが残された私たちは、二人分の荷物と、ただ広い畳しかないそこで、ただただお互いに居辛さを一人ではないというそのことだけで誤魔化しているようだった。
「……もしもし? けい、いつ帰って来るの? 修さんに鍵もらってるんだけど、入っても大丈夫?」
「……え?」
吉澤 晴貴の声はいつだって明るい。息を含んだ特徴的な声は、声優でも歌手でもないのに、ラブソングでも歌われたらたまったものじゃない。
「ちょっと待って、あの人……お父さんが、何?」
「鍵もらった。けいのところに泊まっていいって言って」
仕方ないな、というように笑う。よもや私が自分に会いたくないがために沖縄まで逃げているとは微塵も思っていないだろう。
バカなことを考える父親と、一応本人に罪はない吉澤 晴貴。――この人たちは、私がなんとかしなければ、本当に仕方がない。
「ごめん、私、今沖縄にいるの。部屋入って自由にしてていいから、このことはお母さんには言わないで」
ちゃんと向き合うとは言った。けれど、父親と直接戦うよりは、まず彼としっかり話をしたい。話がややこしくならないように、少しずつ潰していかなければいけない。
隣で聞いている南くんが、何か言いたげにもじもじしているのが視界に映る。
「ええ、そうなの? んー、わかった。いつ帰ってくるの?」
あ、と思って南くんを見る。南くんはスマホの画面であさって帰る、と見せてくれた。
「あさって帰る」
「はーい。けい、帰ってきたら案内してよ。演奏できるところあったら行きたいし」
相変わらず、マイペースな人だ。彼にとっては自分がそうだと思ったことが間違いだということはあり得ないのだ。それでいて人をあまり疑わないのだから、早川 修のような変な大人に言いくるめられて、自分の気持ちに嘘をついて、こんなことになっているのだ。




