#36 一人にしない
梗介を愛してくれてありがとう。そう言ったけいさんの声が、脳裏によみがえる。そのとき、私はなんと思った──?
ああ、私は南くんを好きだったんだ。そう思ったはずだ。彼のために振り回されて、彼を振り回して、指輪を預かっていることも本当はとても嬉しかったし、こうして突然沖縄にまで連れて来られて、他の事情があるとはいえ、嫌だとは思わなかった。
「あの……ね」
けれど、私は全てを無視して突っ走れるほど、子供のように現実から逃げられない。中途半端に大人になってしまったから、南くんを受け入れるのが吝かでないのに、はい、と言えなかった。
「私に会いに来てる幼馴染、私と結婚することになってるんだ」
勿論、私の意思ではない。吉澤と父親が手を組んで、お互いにとっての利益のために勝手にそう言っているだけ。だけど二人は、正直、本気だ。
「でも、その人は私のことが好きじゃない。だから、結婚しない方がいいと私は思ってる」
吉澤は、ただ自分を守りたいだけだった。自分を守るために最適な道がそこにあったから、それを選ぼうとしただけだった。正確に言えば、最適に見える道、だ。私にとっては、そんなことは望まなかったのだから。
「だけど、私、ちゃんと話せてないから。そんな状況で、梗介くんのこと……」
逃げ続けているのは、本当は吉澤が目を覚ましてくれないかと期待しているからだった。話をしようとすれば、難しくなるとわかっていた。私には他に結婚したい相手がいるわけでもなかったし、いち早く吉澤が安全なところに入りたいと思っていることは知っていた。
「…………」
頭を上げた南くんの表情を、見ようとできなかった。もしかしたら傷ついているかもしれないと思ったから。けれど、彼はくすり、と声を漏らした。
「ねえ、早川さん」
一歩踏み出す。その足元の動きがきっかけになって、はっと顔を上げる。南くんは、実に嬉しそうに笑っていた。
「俺は早川さんのことが好きです。だから、お付き合いしてくれませんか?」
どうして笑っているのか、もう、わからない、と逃げることはできない気がした。南くんの気持ちが、少しだけわかる。わからない、わからないと言い続けていたのは、彼がこういう人のはずだ、という枠組みには納まらないことを知っていて納めようとしていたからだ。
あれだけ自分のことを話すことを避けていた私が、すんなりと自ら話したこと。頭のいい南くんは素直にわかってくれたんだと思う。
私は、恵さんに言われて気がついた。南くんと一緒にいた。愛していた。それは、自ら選んだことだ。だから、そのことから目を逸らしてはいけない。南くんは、きちんとこうして向かい合ってくれているのに。
「言ってなくてごめんなさい。母さんには、次に来るときはお嫁さんを連れてくると約束してた。本当は、かなり焦ってた。父さんが亡くなって、母さんの病気と戦う気持ちが少しでも弱くなってしまったら、俺は約束を果たせないと思ったんだ」
唇は、上手く動かない。こうなってしまえば、と止まらない南くんの言葉を、遮りたかった。私が応えれば、彼を安心させてあげられる。そうだとわかっているのに、私なりに責任をとらなければいけないことがその足を絡めとって動けなくしてしまう。
「恵さんは──」
ああ、どうしてだろう? 私は彼女とはさっき会ったばかりだ。どうして、彼女の気持ちを代弁しようだなんて思ったんだろう。自分のことじゃないから、適当なことを言えるのか。そんな自責の念を、乗り越えてしまう。それが何故なのか、口にしながら少しずつわかった。
「梗介くんのこと、一人にしたりしないよ」
きっと南くんの孤独を一番知っているのは恵さんだ。けれど、それは私もある意味同じだと思った。出会う前の南くんの孤独と、父親を亡くした今の南くんの孤独。恵さんと同じものを見てきたわけじゃないのに、彼女の南くんに対する気持ちに共鳴したくなってしまう理由は、そういうことなんだと思う。
「私も、一人にしたりしない」
ねえ、これでわかってくれるかな。笑顔に染み込んでいく憂いを、私の言葉で少しでも薄れさせることができただろうか。確かめるためにその目が私を見てくれるまでずっと待っていた。
揺らいで、震えて、やっと一つになった焦点は、私だけを見ている。それが嬉しいと思うのは、今に始まったことじゃなかった。




