#32 南くんと同じ場所
「初めまして。梗介の母です。私も恵っていうの 」
南くんが笑ったように、同じように笑った。私と同じ名前だということが、嬉しいかのように。初めて見た彼女の笑顔は、南くんとそっくりだ。眉毛が下がって、目がきゅっと細められて、可憐な睫毛に覆われてしまうところ。綺麗な唇が、美しい弧を描くところ。
「けいちゃんって呼んでいい?」
「はい、勿論」
その綺麗な声で呼ばれることを拒むことができるわけがなかった。父親のことを思い出したりなんてしない。だって、彼女はあんまりにも現実味がないのだ。
「梗介のこと……私たちのこと、聞いた?」
「はい」
「そっか……。あの子も、ちゃんと頑張ってるんだね」
柔らかくなった声は、少し弱々しさを感じた。声を張ることなんて、きっと生活していてそう多くはないんだろうと思う。恵さんは、先ほど自ら投げつけた写真立てを大事そうに手にとり、指でなぞった。
「成長するにつれて、全然わからないことが多くなっちゃった。父親とそっくり。離婚した後も何度も会いに来てくれて、でも嫌だって言ってたのにいつからか髪はいっつも黒くなかったし、日本の大学も行ってくれなかったのに。今更になって、帰ってくるなんて」
愛おしそうだった。写真立ての中の南くんは、あまりにも幼いけれど、きちんと同じ人間だ。彼女が撫でるその少年は、写真立ての中にいつまでも収まってはいられないことは、きっと彼を産んだ恵さんには一番よくわかっているだろう。
「梗ちゃん、約束してくれてたの。だから、来てくれてありがとうね、けいちゃん」
わからなかった。南くんの約束なんて、私は聞いていない。きっと、彼が私を連れて来たのには何か大事な理由があったんだ、そう気づいたのと、恵さんの頬がきらりと光るのは同時だった。
大の大人が涙を見せるなんて、普通はないことだ。ましてや、私は今日会ったばかりの赤の他人なのに。でも、恵さんは笑うでもなく、悲しむでもなく、ぽろりぽろりと涙を流した。
「けいちゃん、こっちに来て」
招かれるままにベッドに歩み寄る。ティッシュで目元を拭った恵さんの目や鼻や頬の赤いのが、まるで少女のようだった。目線を合わせるためにそこに置かれた椅子に浅く腰かける。恵さんの白い腕が、私へと伸びた。
「ありがとう。梗介を愛してくれて、一緒にいてくれて、ありがとう」
不思議な香りがした。恵さんの耳元から、髪の毛から、胸元から、それは私の違和感を麻痺させる麻酔薬みたいに香った。それが病院みたいなにおいだと気付くまでの間、私は彼女の言葉を理解しようとすることもできなかった。
彼女の知る南 梗介と、私の知る南 梗介は、多分ほとんど別の人だ。私にとっての「南くん」は周りに人がいないことはない好青年で、だけど秘密をたくさん抱えているから一人きりで、私がいないとダメだなんて言う不思議な人だった。
恵さんも、南くんのことはわからないと言った。けれど、彼女にとっては南くんのことをわかるのが当然なのだ。私は、ずっとわからないことが当然だったのに。
梗介を愛してくれて、一緒にいてくれて──。そうか、私は、そうだったのか。
恵さんの抱擁はあまりにも柔らかくて、瞼を落とすと、夢の中に落ちてしまうようだった。その夢に身を委ねれば、たくさんのイメージが頭の中で溢れ出した。
私は、幼い頃の南くんと同じ場所にいた。




