#31 母親
上原 恵さんは、とてもじゃないけれど自分と同い年の人の母親とは思えないほど若々しく、瑞々しく、美しい人だった。つり上げた眉も、きゅっと結んだ唇も、長い黒髪も、ピンクのベッドの上で憤る姿が、まるで思春期の少女のように荒々しかった。
あきさんと違って化粧もしていないのに、白く透き通る肌が赤みを内包しているのを見て安心する。本当に、元気なようにしか見えない。けれど、彼女の存在はどこか非現実的だ。恵さんの周りだけ時間が止まってしまったかのようなのだ。確かに老いてるはずなのに、社会の中でスレてしまったことがないかのようだ。
「梗介」
「は、はい」
床に落ちたぐちゃぐちゃのバナナを恐る恐るつまんで、けれど南くんはピシッと立ち直して恵さんに対峙する。
「いきなり押しかけてごめんなさいも言えないの?」
「ご、ごめんなさい」
パシ、と音がした。飛んできたのは写真立てだった。不思議そうに南くんがそれを覗き込む。
「その髪の毛、何?」
「ええと」
「私の息子はそこに写ってる黒髪のかわいらしい天使だったはずなんだけど。母親に迷惑なんてかけるような子じゃなかったんだけど」
ちらりと目に入った。小学校入学の時に撮ったみたいな、よそ行きの格好の男の子の写真。幼い南くんが一人で写っていた。
「母さん、ごめんなさい……」
「そういえば、三年くらい前にもなーんかチャラっとした、アメリカ人ぶった男の子がウチに来たかなー。あの時は、女の子にフラれたって泣きながら──」
「ご、ごめんなさい! ホント! ごめんなさい!」
恵さんの勢いは止まらなかった。南くんに口々に皮肉を投げつけ、キッと睨み付ける。
「とりあえず、そこの女の子が誰なのかを言いなさい」
綺麗な琥珀色の瞳が、突然私を捉える。驚いて肩が震えた。けれど、恵さんと目を合わせて、何となく察する。彼女は、慌てていて私のことを気にも留められなかったあきさんや、ごめんなさいを繰り返す南くんよりも冷静だ。私のことをずっと気にしていたんだ。
「同じ学科の、早川 けいさんです」
「こんにちは、初めまして」
深く頭を下げる。恵さんが怖い人ではないと察してはいたけど、なんとなく二人のやり取りを見ていてドギマギしていた私は、顔を上げられなかった。沈黙が、さらにそうさせた。
「……梗介、大学って」
「今年、母さんと父さんと同じところに編入したんだ」
「知らなかったんだけど」
ごめんなさい、と南くんは言わなかった。恐る恐る頭を上げると、恵さんは窓側を向いていた。南くんは、手に持ったままだった写真立てをベッドの横の机に置いて、なお黙っていた。
「荷物、持っていってあげなさい」
静かにそう言った。その態度の変化を不思議がることは、できなかった。だって、少しわかってしまった。南くんが、彼女と、お父さんと同じ大学に編入したという事実。私も初めて知ったことだけれど、それが彼らにとってどれだけの意味があるかということ。
南くんはにっこりと笑って、私に手を差し出す。ボストンバッグを手渡すと、スーツケースを押して部屋を出ていってしまう。きっと、恵さんは私に話したいことがある、とみんながわかっていた。
そして、振り向いた彼女はとてもかわいらしく微笑んでいた。




