#30 開口一番
タクシーを降りた場所は、至って普通の住宅街の一角だった。南くんとの会話と、その事後処理に一生懸命になっていて、車窓の景色すら見ていなかった。普段生活している住宅街となんら変わらない風景だけれど、何千キロも離れた土地だというのだから不思議だ。
南くんは、迷うことなく一軒の家のチャイムを鳴らした。「上原」と書かれたシンプルな表札の横に取り付けられた黒いインターホンは、一人暮らしをしていたら久しく触れる機会のないものだった。
「はーい?」
出てきたのは、綺麗な中年の女性だった。化粧もして髪を長く伸ばして、しっかりした格好をしている女性は、まだバリバリ働いているだろうな、という若々しさと、それなりの年齢相応の落ち着きを兼ね備えていた。
「こんにちは、あきさん。ご無沙汰しています。南 梗介です」
南くんがあきさん、と呼んだ女性は、彼を見つめて五秒くらい静止していた。口も開けたまま、瞬きもしなかった。
「……大変! ケイー!」
そう言って走って家の中へ帰って行った。
「……ケイ?」
「ああ、俺の母さん、恵っていうんだ。早川さんと一緒」
あきさん、が誰なのかを聞く前に、耳についてしまった。その聞き慣れた、反射的に身構えてしまう響き。
南くんはいたずらが見つかったかのようにニヤニヤしていた。そうか、いたずらっ子でも私の嫌がることはしないだろうな、と思っていた南くんが私の名前を呼んだのは、こういうことだったのか。
「ご、ごめんなさい。久しぶり。入って」
取り乱したことが大人なりに恥ずかしかったのだろう、再び扉から顔を出したあきさんは、ちょっぴり子供っぽく笑った。目元のシワよりも、かわいらしさが目立つ素敵な人だ、と思った。
彼女にとって南くんのインパクトが大きすぎて、オマケと化した私の存在はほとんど意識されていないみたいだった。正直、お前は誰だと聞かれて友達だと言い張って経緯を説明できる自信がないから、ありがたかった。上品に廊下を急ぐ彼女に続いて家の中へ入った。家の外観はそれほど新しさを感じさせるものではなかったが、内装は綺麗で、玄関の芳香剤や生花が清潔感を演出していた。なんとなく、女性の家、という感じがした。
「最近は調子良いけど、あまり怒らせないようにしてあげてね。……って言っても、無駄だと思うけど」
扉の前で、あきさんは苦笑いで言った。南くんも、すまなそうに、でも少し嬉しそうに笑う。南くんのお母さんは、どんな人なのか。もう何秒後かには知れることに、少し胸が高鳴っていた。
「梗介! お前は、母親だからって、連絡もなしに、突然来るかーっ!」
あきさんが扉を開けて、南くんが部屋に入った瞬間。大きな声と、目にも止まらぬスピードで何かが飛んできたのが見えた。
「!?」
バン、と音がして南くんに当たったそれは床に落ちた。それほど重たい音ではなかったから安心したけれど、南くんの困惑が背中からも窺えた。慌てて彼を押し退けて部屋に入って見ると、この状況に困惑する理由も何となくわかった。
床に落ちていたのは、変形したバナナだった。
南くんも30話到達しました。
最近は更新も滞り気味で、勢いで後先考えず書いてしまっている節がありますが、まだまだ続くので今後ともよろしくお願いします。




