#3 女性恐怖症
「待って待ってストップ。ホント、マジでごめんなさい、許して——!」
何もしていないのに——。必死の思いで、といったように私の手を握りしめる「南くん」は、涙目で顔を真っ赤にしていた。
気まずい。何故だろうか。それは、今まで知り合った男性の誰よりも圧倒的にかっこよくてみんなから好かれる人と一緒にカフェなんかに来たからではない気がする。「南くん」は淡く笑んでいるのに、一向に目を合わせてくれていない気がする。
初めて会ったのと同じカフェで、今度は彼の奢りでケーキとカフェモカを前に回想する。そういえばあの日も、「南くん」は清々しいほどのスピードでシフォンケーキをたいらげ、用事があるからと席を立った。その間、初対面ではあるし特に疑問も持たなかったのだが、隣の席にたまたま座っただけの二人のように、話をすることも目を合わせることもなかった。私はといえば、彼を観察するだけで満足していたのだから。
アイスティーのグラスにささった赤いストローをつまむ長い指。その左手の薬指には、やはり銀の輪が輝いている。「南くん」のミステリーの最たるものであるそれに触れようとは思わない。だって、それなりの事情がありそうだから。学生で指輪をしている人なんて、そうそう普通じゃない。
「海外に住んでたの?」
「うん」
「こっちの生活には慣れた?」
「一人暮らしはちょっと大変かな」
あ、一人暮らしなんだ。白いグランドピアノの幻想は、彼の実家という位置に納まって、そんなものが存在しないという仮説は、最初からなかったみたいだ。
「早川さんは」
少しだけこちらを向いた「南くん」の視線は、私を見てはいなかった。斜め下、少し向こう側に、ピントも合わせないで目をやっている、そんな風に感じた。やっぱり、私のことを知っていた。よく考えれば、そうでなきゃ声をかけたりなんかしない。
「一人暮らしなの?」
「うん」
「自炊とかしてるの?」
「休日はね」
短い会話が続く。あまりにも普通すぎるやりとりに、噂の「南くん」は目の前の人ではないのではないかということさえ思ってしまう。それでもこの人は、薬指に指輪をしている。
「——あ、ヤバイ、もうこんな時間」
「南くん」は、いきなり慌てて席を立った。それじゃ、と言いかけた彼は、あんまり慌てるものだから、グラスを引っ掛けて倒してしまう。
「大丈夫!?」
フォークを置くための紙ナプキンを咄嗟に掴んで、水浸しになった彼の太ももを拭った。急いでいたはずの「南くん」は、一瞬で動きを止めた。
彼の手は、私の手を強く握っていた。待って、ストップという言葉の通り強い拒絶を感じる力の入れ方に、びくりと肩が震えた。私は、彼の地雷を踏んでしまったのではないか——?
はっと気づいて手をどけると、素早く私から離れて、少し口端を上げて笑い、店を去って行ってしまった。色の変わってしまったベージュのパンツも、机から滴るアイスティーもそのままにして。