#19 名前を呼ばないで
「じゃあ、俺のことは梗介って呼んで」
「あ、ごめん。えっと、その」
「ううん……俺こそ、ごめん」
涙はポロポロと留まることを知らない。壊れてしまった蛇口みたいに、静かに大粒となって滴り落ちてくる。鼻がツンとした。でも、それ以外に何も引っかかるものはなかった。自分でも、止めることができない。
「ちょっと、それもいいかもって思った」
手のひらで一生懸命押さえた目元がぐちゃぐちゃになる。メイクが崩れてしまうなら、いっそ落としたくてごしごしと擦った。だから、南くんの方を見ようとなんてできっこなかった。いくら、彼が耳を疑うようなことを口走っていようとも。
「面白いなって。指輪外したのに、なんで彼女がいるって噂になるんだって。しかも、早川さんとはあれからあんまり一緒にいないのにさ」
ああ、南くんはまだ知らないんだ。嘘の噂を流したのが私だって。私自身も、こんな風になるなんて、まさか思っていなかったけれど。
「でも、やっぱり、ダメだよな」
少しだけ波が去ってようやく見られた南くんの横顔は、夏の夜の陰りをそのまま取り込んで、明るくも切なかった。どうしてそんな顔をするのか、わからない。南くんはいつだって、よくわからない。
「……うん。ダメだよ」
やっと言えたのはそれだけだった。嘘をついたせいで南くんが困ったワケではなさそうだけれど、私の自業自得のことなのに、南くんは自分のせいだと思ってしまいそうだ。そのことが、喉を詰まらせてしまった。謝罪の一つもできなかった。
南くんは、乾いた笑い声をあげた。それから私に向けた表情は、異様に大人っぽいセクシーなものだった。薄目で私を見つめる瞳が、すっと引かれた唇が、南くんの全てがそうして妖艶だった。
「ねえ、けいちゃん」
「…………」
彼が口にした名前は、数週間前に聞いたっきりだ。あの人たち以外は、使わないはずだったのに。南くんは、依然として挑戦的な瞳を私に向けている。
「わざとやってる?」
「え?」
南くんの雰囲気が少しだけ和らぐ。ああそうか、南くんじゃないというなら、彼に面白がって教えた人がいるんだろう。
「名前。呼ばないでほしい」
ただそうやってきただけだけど、友達はみんな知っている。南くんであったって、嫌なものは嫌だ。南くんはきょとんとしながらも頷く。そして、少し考えるような素振りを見せて、にっこり笑った。
「南くん」が南くんになってすっかり日も経ったというのに目の前の男性は、「梗介」なのだという。何が、じゃあ、なのか。わからなくもないけどわからない。だって、普通はきっと、お互いに呼ぶから、じゃあ、なのだ。南くんはそれを脅しに使ってきた。
バタバタしていて投稿できませんでした。
今日中に三日分上げます。




