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21話

「誰だ」

 蕉が問うと、下方の藪の間から立ち上がる影があった。その立ち上がり方が、まずおかしかった。まるで、つい今し方まで地面を這って移動していた扁平な物体が、べろりと捲られるように全身を仰け反らせ、それをあとから手でこねて人の形に調えたような、不可解な現れ方をしたように史岐の目には映った。暗さのために見間違えたのかもしれない、とほんの一瞬考えたが、近づいてきたそれは、東杢比野漱人とそっくり同じ姿をしていて、弛緩した笑みを顔に浮かべているのである。

「あ、睦事の最中に、申し訳ありません、探して、おりました──熊野様」

 擦り切れたテープを無理矢理回すような声で喋りながらそれが両手を伸ばして近づいてくると、薬草を煮詰めたような刺激臭が鼻をつく。思わず史岐が息を止めた時、蕉が、たっと地面を蹴って跳び上がった。

 彼女は山刀を抜いていた。体重をかけて振り抜かれた刃先は、正確無比にそれの首を両断した。

 斬り落とされた、丸いものは、草の中を転がっていって見えなくなる。

「下がれ!」

 蕉が鋭い声で言った。史岐が、はっと後ろに下がった瞬間、首を失った胴体がそこに倒れ込んできた。

 傷口は白く凝固している。

 蝋で作った模型のように、一滴の血も流れていなかった。

「ギキ・ホだ」その胴体の周囲を歩きながら蕉が呟く。史岐から借りた羽織の裾で鼻と口を覆っていたので、くぐもった聞き取りづらい声だった。「体臭で気づかれないように、匂いの強い葉の汁を擦り付けて、風下から近づいた……」

「太白ではない?」史岐も手をかざし、その臭気を遮りながら訊く。

「違う」蕉は首をふった。「あいつなら、もっと巧みに化けられる」

 蕉はうつ伏せに倒れた胴体の脇で膝を折り、ちょうど心臓のある辺りに垂直に山刀を突き立てる。ぶつりと太い繊維を断つような音がして、漱人を模した物体は、あっという間に服も肌も一緒くたに白いあぶくとなって崩れた。

 地面に達した蕉の山刀の先で、灰を被ったように白い蠍が事切れていた。かなり大きい。体色も相まって、虫というよりも鼬鼠のようだった。不気味に膨らんだ尾の先端には尖った毒針があり、頭部は欠損している。

 その断面から少し離れたところに何かが落ちていた。

 見覚えがある気がして、史岐はしゃがみ込み、それを拾い上げる。

 暗闇でほのかに輝く、白い球体。


 真珠のイヤリングだった。


「蕉」史岐は蠍の死骸を見下ろして言った。「その山刀を貸して」

「なぜ?」蕉は首をかしげる。

「僕は弓が上手くない」

 史岐は顔を上げると、蠍の死骸を回り込んで一気に蕉に接近した。

 蕉は驚いたように目を見開き、片手で素早く山刀を引き抜く。鞘に収め、柄に手をかけた姿勢で後退した。

 史岐はそれを追いかける。

 さらに二、三歩あとずさりをした蕉は、後ろに立っていた木に背中がぶつかって止まった。振り返り、左右に逃げ道を探したようだが、その時には史岐が目の前まで来ていた。

 息も出来ていないような表情で、蕉が渾身の力で押さえている山刀の柄に、史岐は手を伸ばしかけ──それを、もう一方の手で押さえた。

 喋ろうとした。

 だが、一度で言葉にならない。

 吐息とともに何度も呻き声を漏らし、それからようやく、絞り出すような声で、

「おびき寄せられているのは、僕か」

と言った。

 言い終えるのと同時に、頭に上っていた血が一気に抜けて立っていられなくなり、史岐はその場で膝を折った。目をつぶると、急激な悪寒がつま先から首まで這い上ってくる。意識が遠のきそうになるのを、手の中のイヤリングを握りしめて堪えた。

 蕉が慎重な足取りで戻ってきて、史岐の前にしゃがみ込み、手もとを覗き込む。

「それは、何だ?」

「利玖のイヤリング」史岐は、自分の耳を指さして答えた。「ここに着けるんだ、真珠で出来ていて……。太白が、今日思いついて、すぐに用意出来るものじゃない」

「見せてくれるか」蕉は言った。「あ、いや、おまえが持ったままで良い」

 史岐が広げた掌の上にあるイヤリングを五秒ほど見つめたあと、蕉は酬笄館の方へ顔を向けた。

「血の臭いはしない」そう言って、再び史岐に目を戻す。「今はまだ、三之間にいるはずだから、突入は無理だが、近くに行って様子を探るくらいのことは出来る。無事かどうか、確かめてこようか?」

「いや……」史岐は首をふった。「君に万が一のことがあったら、漱人さんの計画が台無しになる」

 史岐は帯の間にイヤリングを挟んで立ち上がる。少し頭痛がしたが、動けないほどではなかった。

「ごめん、乱暴なことをした」そう詫びてから、史岐はふと思いついて訊ねた。「さっき、僕があのまま山刀を取ろうとしたら、どうするつもりだった?」

 蕉は無言で躰を半分引くと、次の瞬間、鞭のように上体をしならせて片足をふり上げた。

 圧縮された空気の塊が顔に当たり、前髪は僅かに彼女の爪先をかすめてもっと直接的に揺れた。

「いかにも威力の高そうな武器を、見える場所にぶら下げておくのは、それをなくしたらまったく戦えないと相手に思い込ませる意味もある」彼女は足を下げ、口もとを斜めにした。「ちょっとは頭が冷えたか?」

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