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第三章 国王陛下のマネーロンダリング――戦時経済に蠢く暗部

 王都の中央に君臨する白亜の王宮。その最深部にある謁見の間は、普段の煌びやかな装飾とは裏腹に、重苦しい静寂と密閉された羊皮紙の匂いに満ちていた。「よくぞ参った、勇者カイル。そして……その財務顧問の娘よ」玉座に深々と腰掛けた国王エドヴァルド六世は、豪奢な金糸のローブを纏っていたが、その眼光は老練な政治家特有の濁りを帯びていた。「陛下。お呼びとあらばいつでも参上いたします。魔王軍の脅威からこの国を守るため、我ら勇者パーティーは全力を尽くす所存です」カイルが爽やかに胸に手を当て、完璧な臣下の礼をとる。その隣で、私は無言のまま深々と頭を下げつつ、視線だけを王の足元に置かれた重厚な鉄の金庫へと向けていた。(王室の直轄財政……表向きの歳入歳出決算書とは明らかに整合性が取れない簿外資金の匂いが漂っているわね)「カイルよ、お前の活躍は耳に届いておる。ケルベロスの討伐、実に見事であった。つきましては、お前に国家の命運を賭けた極秘外交ミッションを命じたい」「外交ミッション、ですか?」「左様。魔界との国境沿いに位置する中立地帯にて、魔族側の穏健派勢力と極秘裏に停戦及び物資融通の協定を結ぶ交渉を行ってほしいのだ。戦争の早期終結と、国民の平和のためにな」「なんと……!平和への第一歩ですね!謹んでお受けいたします!」カイルの瞳が正義感に輝く。彼は疑うことすら知らない。国家という巨大なシステムが、どれほど複雑で汚濁に満ちたインセンティブで動いているかを。「うむ。カイル、お前は至急、先方の使者と接触するための準備に入れ。……ただし、財務顧問のリナ。お前はここに残れ。実務的な契約書の書式調製について、財務大臣と詰めてもらう」「畏まりました、陛下」カイルが「頼んだよ、リナ」と爽やかに微笑み、重厚な扉の向こうへと去っていく。彼が退出したことを確認すると、国王は背後の影に向かって短く手を打った。



 カチャン、と扉の鍵が閉められる音。暗がりから現れたのは、膨れ上がった腹を黒いシルクの服で包んだ財務大臣ギルバートだった。「さて……余計な『お飾り』はいなくなったな、リナ殿」国王の口調から、先ほどまでの威厳ある慈父の語り口が完全に消え去っていた。「本題に入りましょう、陛下。カイルを遠ざけたということは、冒険者ギルドや会計検査院の監査の目を潜り抜ける必要がある特別な会計処理ですね?」私は懐から演算魔導端末を取り出し、冷ややかに画面を立ち上げた。「話が早くて助かる」財務大臣ギルバートが、汗ばんだ手で分厚い黒皮の帳簿をテーブルに叩きつけた。「今期の防衛予算。特別戦時国債の発行によって調達した総額二十億ゴールド。そのうちの四成(約八億ゴールド)を、帳簿上から完全に消し去り、別の『きれいな資産』にロンダリングしてほしい」「八億ゴールド……」背後に控えていたポケポケが、恐怖で全身の毛を逆立てて「ひぇっ……」と引きつった声を漏らした。国家予算の数か月分に相当する巨額の闇資金だ。「防衛予算の不正流用。それも、ただの懐入れではありませんね?」「ふん、察しが良いな」国王が不敵に目を細める。「これはただの裏金ではない。魔王軍の最高幹部。魔導提督バアルとの間で交わされている裏の貿易資金だ」



「裏の貿易……?」



 私が問うと、財務大臣ギルバートは醜い笑みを浮かべながら、一枚の貿易明細書を提示した。「国民には『魔王軍の封鎖により食料輸入が途絶し、物価が高騰している』と説明しておるがね……実際には我が国は、魔王軍が占領する南方の広大な農耕地帯から、毎月大量の超低価格小麦と合成油脂を密輸しておるのだよ」「……なるほど。市場に出回っている王室公認・格安支援パンのカラクリね」現在、王都の庶民たちが国王陛下の御慈悲と感謝しながら食べている安価なパン。その原材料である小麦は、魔王軍が人間界の奴隷労働者を使ってタダ同然で生産させた超低コスト小麦だったのだ。「魔王軍側は、人間界から流れてくる大量のゴールドを欲している。我が国は、国民を飢えさせないための安価な食料と、王室・貴族層の巨額の裏金を欲している。……要するに、この戦争は双方の利害が完全に一致した官民一体の共同事業なのだよ!」国王が満足そうに金盃のワインをあおる。「国民には魔王軍の恐怖を煽って高率の戦時特別税を搾り取り、防衛国債を発行する。その金で魔王軍から格安食料を買い付け、差額の巨額マージンを王室と魔王軍幹部で折半する。……ククク、戦争ほど儲かる事業は存在しない!」「恐ろしいポチ……」ポケポケが震え上がる。「国民は高い税金を払わされた挙句、魔王軍が奴隷に作らせた小麦を食わされて、その金が魔王軍の軍資金と国王の懐に入ってるだポケ……!?」「その通りよ、ポケポケ」私は冷徹に帳簿の数値を分析しながら言った。「市場の独占と、恐怖を利用した需要の暴走。戦争という極限状態を利用すれば、どんな不当な価格設定も戦時だから仕方ないで押し通せる。……完璧な非人道的エコシステムね」「で、どうなのだリナ殿?」ギルバートが身を乗り出してくる。「この八億ゴールドの密輸資金と裏マージンは、そのままでは使えん。魔王軍への支払いは足がつかない暗号通貨か貴金属で行う必要があり、王室の手元に残る裏金は、合法的な海外投資の配当や寄付金として洗浄せねばならん。お前のその演算魔導で、この資金を完全に洗いきれるか?」私は端末のスクリーンの光を琥珀色の瞳に反射させ、薄く口角を上げた。「……不可能ではありませんわ。ただし、私の手数料は通常取引の三倍。洗浄額の15%一億二千万ゴールドをいただきます」「なっ……!?十五パーセントだと!?ふざけるな、強欲な小娘が!」ギルバートが激昂して卓を叩く。「お戯れを、大臣」私は冷ややかに言い放った。「これは国家威信と王権の存続がかかったハイリスクなマネーロンダリングです。もし会計検査院や冒険者ギルドの監査、あるいは正義感に溢れる勇者カイルにバレたらどうなります?貴方方は国家叛逆罪と不当取引で絞首台行きですよ?そのリスクを肩代わりするのですから、15%でも安すぎるくらいです」国王はしばし沈黙した後、低い声で笑い出した。「ハハハ! 素晴らしい!悪党の目だ!良いだろう、十五パーセントの手数料を支払う。ただし、完璧に洗え。カイルにも、世間にも、絶対に悟られるな」「お任せください、陛下。資金の『構造化と積層化にかけては、世界で私の右に出る者はおりませんわ」



 王宮の地下に用意された極秘の演算室。巨大な魔導水晶が怪しい青光を放つ中、私は端末に向かい、八億ゴールドという途方もない闇資金の分解作業を開始した。「リナ……本当にこんなことして大丈夫だポケ……?」ポケポケが不安そうに周囲を見回しながら囁く。「もしカイルにバレたら、カイルはショックで立ち直れないポケ……。あいつ、本気で平和のための外交だと信じて、今頃街で手土産の菓子折りを選んでるポケ……!」「カイルには一生知らせないわ。それが彼の正義を守るということよ」私は淡々と指を動かす。画面上には、幾重にも複雑に絡み合う資金移動のシミュレーション図が展開されていく。「まず、第一段階。配置プレイスメントよ」私は八億ゴールドの現金・証券を、細かく数千の小口口座へと分割ストラクチャリングした。一回の送金額を、金融モニタリングの監視対象以下である九千九百ゴールドに刻むことで、自動検知システムを回避する。「次に、第二段階。積層化レイヤリング」ここからが演算魔導の本領発揮だ。分割された資金は、世界中に張り巡らされたペーパーカンパニーのネットワークへと流し込まれる。エルドリア沖合シェルフ企業群を経由させ、架空の魔法素材の売買代金として送金。その資金で、先ほど暴落させた魔界の魔王Theデビル24フィットネスの無記名社債を購入。さらにそれを、ドワーフ自治領に存在する分散型暗号魔導通貨:ダブロン・コインへと即時換金。最終的に、三十以上の架空投資ファンドをタライ回しにし、資金の発生源:出所を完璧に迷宮入りさせる。「す、すごい勢いで金が世界中をグルグル回ってるポケ……!もうどこから入ってどこへ抜けたのか、全然分からないポケ……!」「これでトレースは不可能よ。そして仕上げの第三段階。統合インテグレーションよ」複雑に洗浄された資金は、綺麗に澄み切った「合法的な資産」として、二つの出口へと着地する。一つは、魔王軍幹部バアルが所有する、南方の中立地帯に存在するダミーの不動産開発会社への投資金として着金。これが密輸小麦の対価:魔王軍への裏支払いとなる。そしてもう一つは、先日、私が設立したユウボウ・事業再生投資ファンドを経由し、海外の優良不動産ファンドからの配当金という名目で、国王エドヴァルド六世の個人口座へと還流される。「完了コンプリートね」エンターキーを叩くと、画面上に『Transfers Completed (800,000,000 G)』の文字が緑色に点滅した。八億ゴールドの闇資金は、誰の目にも「合法的な国際投資の利益」として綺麗にドレスアップされ、表の経済へと再統合されたのだった。「ふぅ……。そして、私の口座には約束通りの手数料。一億二千万ゴールドが着金したわ」私のアカウント残高の数値が、一気に跳ね上がる。しかし、その画面を見つめる私の心には、いつものような爽快感はなかった。「……戦時経済の闇、ね。国家と魔王軍がグルになって戦争を長引かせ、国民から税金と命を吸い上げ続ける……。あまりにも非効率的で、悪趣味な市場歪曲だわ」



 翌日。王都郊外の中立地帯。のどかな草原が広がる街道沿いの老舗料亭にて、極秘外交の宴が開かれていた。「いやあ! カイル殿!君のような若き英雄と、こうして平和の杯を交わすことができるとは、誠に誉れ高い!」上機嫌で酒をあおっているのは、魔王軍の幹部:魔導提督バアルの代理として派遣された、立派な角を持つ魔族の外交官だった。「こちらこそ!紛争ではなく対話によって民の平穏が得られるのであれば、これに勝る喜びはありません!」カイルが爽やかな笑顔でグラスを掲げる。そのテーブルには、王室から贈られた最高級のワインと、豪華な料理が並んでいた。(……カイル。貴方が飲んでいるそのワインも、食べている肉も、すべて国家と魔王軍が国民を騙して作った裏の利益から出ているのよ)私は宴の席の隅で、冷めた紅茶を一口すすった。「ガルドさん、飲みすぎないでよ」「ガハハ! 何を言ってるんだリナ!今日の酒は王室の奢りなんだろ!?飲み尽くさなきゃ損だぜ!」何も知らないガルドは、豪快に肉を喰らい、酒を浴びるように飲んでいる。「……リナ」ふと、背後から影が伸びた。宴の喧騒から少し離れたテラスで、カイルが静かに夜風に当たっていた。私は紅茶のカップを置き、カイルの隣へと歩み寄る。「どうしたの、カイル?夢にまで見た平和の外交が成功して、満足でしょう?」カイルは夜空に浮かぶ二つの月を見上げたまま、少し寂しげな横顔で呟いた。「……実はね、リナ。さっき、先方の魔族の使者と少し個人的な話をしたんだ」「……何の話?」「彼らの領地でも、今、ひどい食料不足と重税で民が苦しんでいるらしい。なのに……なぜか魔王軍の幹部たちだけは、人間界から流れてくる上質な絹や酒を大量に買い込んで、贅沢な暮らしをしていると言っていた」カイルの手が、欄干をギュッと強く握りしめる。「おかしいと思わないか、リナ?戦争が長引けば長引くほど、人間も魔族も、末端の民はどんどん貧しくなっていく。なのに、なぜか両国の上層部だけは富み続けている……。僕たちが剣を振るって守ろうとしている正義って、一体何なんだろうね」



 一瞬、夜風が私たちの間を吹き抜けた。カイルはバカではない。戦場の第一線に立ち、泥をすすりながら戦ってきたからこそ、現場の違和感に気づき始めているのだ。ただ、その構造が経済という見えない糸で縛られていることまでは、まだ確信を持てずにいる。「……カイル」私は静かに言った。「世界はね、正義や悪という単純な感情ではなく、利益誘導で動いているの。誰かにとって戦争が損である限り、戦争は終わらない。けれど……誰かにとって戦争が利益である限り、どれだけ正義を唱えても戦争は作られ続けるわ」「インセンティブ……」「ええ。だからこそ……」私は演算魔導端末を握りしめ、夜空の月を見据えた。「正義を振りかざして悪を斬るだけじゃ、この構造は壊せない。……彼らが戦争をするよりも、平和にする方が圧倒的に儲かるという状況を、私たちが経済的に作り出すしかないのよ」カイルは目を見開き、それからいつもの真っ直ぐな瞳で私を見つめ返した。「……相変わらず、君の言うことは難しいね、リナ。でも……君が僕の知らないところで、この世界を救うために戦ってくれていることだけは分かるよ」「……バカね。私はただ、自分の利益を守っているだけよ」私はそっぽを向いた。カイルは優しく笑い、「さあ、中へ戻ろう。ガルドが酒に酔い潰れる前に止めないと」と言って宴席へと戻っていった。



 深夜。王都の宿屋に戻った私は、自室で静かに端末を操作していた。「リナ……これからどうするポケ?」ポケポケが心配そうに覗き込んでくる。「国王と魔王軍のマネーロンダリングの手伝いなんてしちゃって……私たち、完全に国家の闇に足を踏み入れちゃっただポケ……」「足を踏み入れたんじゃないわ、ポケポケ」私は画面上に、今回の取引で得た一億二千万ゴールドの残高と、極秘に入手した王室の裏帳簿データを表示させた。「こちらから買い取りに行ったのよ」「え……?」「国王と魔王軍幹部が構築したこの不当な密輸・資金洗浄ルート……。構造が分かってしまえば、攻略は容易いわ」私の指先が、妖しく光るコードを打ち込んでいく。「今回、資金洗浄の通過点として使ったユウボウ・事業再生投資ファンド……。このファンドの中に、国王の裏金と、魔王軍幹部バアルの密輸決済口座を、逃げられない形で相互担保として組み込んでおいたわ」「そ、相互担保……!?」「ええ。もし彼らが私を裏切ったり、不正な市場独占を続けようとした場合……私が端末のボタン一つを押すだけで、国王の裏口座と魔王軍幹部の口座が同時に不渡りを起こし、全資産が我がファンドへ合法的に差し押さえされる仕組みよ」ポケポケが口をぐうの音も出ないほど開けて固まった。「王室と魔王軍の弱みを握り、彼らの裏マネルフローの首輪をこちらが握ったということポケ……!?」「そういうこと。彼らは自分たちの裏金を洗ってもらったつもりでいるけれど……実際には、自分たちの金脈の管理権限を私に売り渡したのよ」私は冷徹に、しかしどこか満足げに笑った。国家という巨大な権力も、魔王軍という絶望的な暴力も、資本と情報のアドバンテージの前には等しく操り人形に過ぎない。「さあ、準備は整ったわ。潤沢な裏資金と、国家最高幹部たちの弱み……そして、次に訪れるバブルの予兆」私は端末の画面を不動産・土地取引サマリーへと切り替えた。魔王軍と王室が密かに推し進めている、ダンジョン周辺および王都近郊の土地買い占め(地上げ)のデータがズラリと並ぶ。「相手は不動産バブルを仕掛けて、庶民から土地と家財を奪う気よ。……ならば、こちらはそのバブルを極限まで膨らませた末に、華麗にショートしてあげるわ」「ひええええ……!次は不動産バブルの崩壊だポケぇぇぇっ!!」ポケポケの悲鳴が静かな部屋に響く中、私は静かに端末を閉じた。正義の勇者が表舞台で光を放ち、強欲な財務顧問が裏舞台で闇を喰らう。国家の暗部すらも己のポートフォリオに組み込んだ私たちの勇者経済学は、次なる主戦場狂乱の不動産マネーゲームへと突入していくのだった。



はずだったのだが。



ピコン……



 「何かしら?」静寂を破り、リナの演算魔導端末に緊急の魔導通信が舞い込む。「……リナ様。私でございます」画面越しに恐縮しきった様子で頭を下げるのは、オープンしたばかりのカジノの支配人だった。 嫌な予感を覚えたリナは、苛立ちを隠さずに問い詰める。「要件は?」「……そ、それが、ガルド様がご来店されまして……負債が一億二千万ゴールドまで膨れ上がっております。これ以上の貸付は、いかにリナ様の親密なご友人とはいえ、あまりにリスクが……」「……」つい先ほど、命がけのマネーロンダリングで手に入れた手数料一億二千万ゴールド。画面の向こうで青ざめる支配人の報告と、手元の口座残高の数値を見比べながら、リナは静かにこめかみを押さえた。(……あの馬鹿、私が国家の闇相手に命がけで稼いだ裏金を、一晩で丸ごと溶かしたというの……!?)不動産マネーゲームへ乗り出す前に、まずはパーティー内の巨大すぎる不良債権の処理という頭の痛い現実が、リナの前に立ちふさがるのだった。


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