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最終章 構造的敗北のログ――ゴールド安の未来で、冷徹な目を伏せる

 王都の最南端、魔界との国境にほど近い高台に立つ中央魔導銀行・第一金庫室。地下深くへ伸びる重厚な螺旋階段を下りた先に、その巨大なスチール製の防魔扉は存在していた。「……ここが、我が国の為替平衡決済センターよ」静まり返った地下金庫室の扉を重厚な魔導キーで解錠しながら、私は呟いた。湿った冷気が肌を刺す。無機質な石造りの通路を進むと、壁一面に設置された無数の水晶モニターが、怪しい青緑色の光を放ちながら秒単位で刻々と数値を変えていた。「ゴールド(G)/ダーク(DK)リアルタイム為替レート」「魔界中央銀行・法定準備率」「国境間貿易収支・季節調整済み確報値」「ひえぇ……!なんか王宮の地下よりも雰囲気が暗くて重苦しいポチ……」浮遊するポケポケが、不安そうに耳をすぼめて私の肩のあたりに身を寄せた。後ろからは、泥酔してカジノの地下牢から引っ張り出されたばかりの重戦士ガルドが、重い足取りでついてくる。「おい、リナ……。俺の一億二千万ゴールドの負債の件なんだが……あれはちょっとした手違いというか、ダイスの出目が悪かったというか……その……」「黙りなさい、ガルドさん。貴方の債務処理:破産手続きについては、すでに私のファンドで処理済みよ。貴方の将来にわたるすべてのスポンサー収入と冒険者報酬を三十年間分、証券化して市場に売却したわ。貴方の肉体は今や、完全な債権者の所有物よ」「さんじゅうねん……!??俺の人生、全部売られたのか!?」「嫌なら今すぐ一億二千万ゴールドを現金で返却しなさい」「……頑張って看板背負って働きます……」ガルドがシュンと縮こまる。だが、そんなやり取りをしている間も、私の視線はモニターに映し出される一連の「チャート」から離れなかった。「……見てみなさい、ポケポケ。ガルドの借金なんて、この巨大な構造の前では砂粒以下の誤差でしかないわ」私は演算魔導端末を中央の制御台に接続した。 画面に展開されたのは、過去百年の人間界と魔界の経済データを統合した、極秘のメガ・トレンド解析ログだった。



 「ポケポケ。貴方は以前、私に尋ねたわね。なぜカイルの圧倒的な戦闘力と、私の資本力を使って、魔王軍を根本から全滅・討伐しようとしないのかと」「……そうだポケ」ポケポケが、いつになく真面目な瞳で私を見つめ返した。「カイルは本気ポケ。あいつは本気で魔王を倒せば、世界に永遠の平和が訪れるって信じて、毎日血の滲むような鍛錬をしてるポケ。リナの演算魔導と、国家予算レベルの資金があれば……魔王城へ直接設備投資をして、魔王を即死させる巨大魔法兵器だって買えるはずだポケ。なのに、どうしていつも幹部を倒すだけで寸止めにするんだポケ……?」



「答えは単純よ」



 私は端末のスクリーンの光を琥珀色の瞳に反射させ、冷酷なまでに短い言葉を吐き出した。「構造的に勝利できないからよ。私たちが魔王軍を全滅させた瞬間、人間界の経済は完全に崩壊し、私たちは国家ごと破滅するわ」「え……!?ど、どういうことポケ!??悪の魔王を倒したら、平和になってハッピーエンドじゃないのかポケ!?」「ハッピーエンド? ふふ……ファンタジーの読みすぎよ」私はため息をつき、一本の折れ線グラフを大きく拡大した。「これが現実よ、ポケポケ。第一の要因は構造的なゴールド安:通貨価値の絶対的格差」画面に表示されたのは、人間界の通貨:ゴールドと、魔界の通貨:ダークの為替レートの長期推移だった。「現在、為替レートは1ゴールド ≒ 8.5ダーク。表向きは人間界のゴールドの方が価値が高く見えるわね。けれど、これは王室と中央銀行が防衛国債を乱発して買い支えている偽りの高値よ。実質購買力平価で見ると、魔界の生産性は人間界の約四倍に達している」「よ、四倍……!?」「魔界は広大な未開拓ダンジョンと無制限の魔導エネルギー:天然資源を保持し、労働力である魔族の耐久スペックは人間の数倍。さらに、魔界の法人税率は人間界の半分以下よ。圧倒的なコスト競争力を持っているの」私は次の画面、人口動態と産業構造の比較データを引き出した。「第二の要因は人口差と産業の空洞化」「人間界の人口は現在、著しい少子高齢化と戦乱による若い労働力の流失で減少の一途をたどっているわ。冒険者の平均年齢は年々上がり続け、製造業や農業の担い手は激減している。一方、魔界は圧倒的な出生率と長寿命により、若い労働力で溢れているの。……先ほど、王宮の地下で見た密輸小麦のカラクリを覚えているかしら?」「覚えているポチ……。人間界の安価なパンは、魔界の奴隷労働で作られた小麦だったポケ……」「そうよ。人間界の食料自給率は、すでに実質30%を切っているわ。もし今、私たちが魔王軍を根本から滅ぼしたらどうなると思う?」ポケポケとガルドが顔を見合わせる。「魔王軍という共通の敵が消えた瞬間、国境の貿易は混乱し、魔界からの格安食料の供給が完全にストップする。人間界は途端に極度のハイパーインフレと深刻な食糧難に陥り、国民の半数が餓死するわ。さらに、魔王軍を維持するために発行されていた膨大な防衛国債は一夜にして債務不履行を起こし、ゴールドの価値は紙くず以下になる」私は感情を削ぎ落とした声で、淡々と世界の構造を解剖していく。「人間界はすでに、魔界の安い労働力と資源に依存しなければ生きていけない構造的従属エコシステムに完全に組み込まれているのよ。軍事的に勝利した瞬間、経済的に絶滅する……それが、この世界の真実よ」



 「そ……そんな……」ポケポケが力なく空中で揺れた。「じゃあ……カイルのやってることや、冒険者たちが命をかけて戦ってるのは……全部無駄なのかポケ……?」「無駄ではないわ。彼らの戦いこそが、この歪んだエコシステムを維持するための必要な演出なのよ」私は端末のログをさらに深く、最高機密の密約アーカイブへとアクセスさせた。そこに現れたのは、百年前の第十五代国王と、初代魔王との間で交わされた、羊皮紙の極密約定書:国境間均衡維持に関する不可侵・循環協定のデジタルログだった。「……魔王軍もまた、この構造を完全に理解しているわ」私は暗い画面を見つめながら言った。「魔王軍にとっても、人間界を完全に滅ぼすメリットはないの。人間界を滅ぼしてしまえば、彼らが喉から手が出るほど欲しい人間界の高度な魔法技術や文化コンテンツ、そして魔界のハイパーインフレを抑え込むための安定した資産退避先:人間界の不動産や債券が消えてしまう」「魔王軍も……人間界を滅ぼす気がないポケ……!?」「ええ。だから彼らは、時々幹部を一人か二人、人間界のダンジョンへ派遣(出向)させる。そしてわざと派手な破壊活動を行わせ、人間界の恐怖リスクプレミアムを煽るのよ」



 魔王軍が恐怖を煽ることで、人間界の国王は高率の戦時税を集め、防衛国債を発行できる。人間界の勇者パーティーが幹部を派手に討伐することで、国民は興奮し、軍需株と動画配信の投げ銭に金を落とす。その裏で、王室と魔王軍幹部は密輸とマネーロンダリングで莫大な裏マージンを山分けし、互いの権力を強固に維持する。「循環しているのよ、ポケポケ。軍事と資本、恐怖と欲望が……永久機関のようにね。魔王軍と人間界の上層部は、あえて決着をつけず、互いの権力と利権を維持するために戦争という名の永久事業を共同経営しているの」「ひどい……ひどすぎるポケ……!」ポケポケの目から、ぽろぽろと光る涙が零れ落ちた。「カイルは……カイルは何も知らずに、みんなの笑顔のためにって……!傷だらけになりながら聖剣を振るってるんだポケぞ!??なんで……なんでカイルに教えてあげないんだポケ!!」ポケポケが私の肩を掴むようにして叫んだ。その傍らで、ずっと黙って話を聞いていたガルドが、重い口を開いた。その顔からは、いつもの底抜けな明るさは完全に消え去っていた。「……リナ。俺みたいなバカでも、今の話の意味はなんとなく分かるぞ。……つまり、俺たちがどれだけ汗流して斧振り回したって、最初から勝ち目のない出来レースを踊らされてるだけってことか?」「……そうよ、ガルドさん」「……カイルには、言えねえな」ガルドは大木の幹のような太い腕で、乱暴に自分の顔を覆った。「あいつは……正義を信じてる。自分が世界を救うヒーローだって信じてるから、あんな真っ直ぐな目で笑えるんだ。……それを全部お前らの踊り子遊びでしたなんて言われたら……あいつ、壊れちまうよ……」



 金庫室の中に、重苦しい沈黙が降り積もる。無数のモニターが刻むゴールド安の数値だけが、冷酷に点滅を繰り返していた。「……だからよ、ポケポケ」私はゆっくりと演算魔導端末を閉じ、胸の前で手を組んだ。「だからこそ、私は冷徹に目を伏せる生き方を選んだの」「目を……伏せる……?」「ええ。この不都合な真実を前にして、正義感を燃やしてシステムを破壊しようと叫ぶのは簡単よ。けれど、システムを壊した先に待っているのは、ただの無秩序な大飢餓と絶滅よ。庶民が明日食べるパンも、カイルが信じる正義の舞台も、すべてはこの汚濁に満ちたシステムの上に成り立っているのだから」



私は琥珀色の瞳を、静かに伏せた。



 「私は目を開けない。世界の醜さにいちいち腹を立てない。耳を立てない。庶民の悲鳴や、理想主義者の戯言に心を動かさない。……ただ、自分の演算魔導と資本力だけを信じ、この腐りきった構造の隙間から確実な利権を毟り取り続ける」



「リナ……」



 「カイルには、永遠に光の舞台で眩しい勇者として輝き続けてもらうわ。彼が眩しければ眩しいほど、国民は希望を持ち、市場は活性化する。……そして私は、彼の足元に広がる泥深い闇の裏舞台で、すべての不潔な勘定を処理し続ける」私は静かに立ち上がり、金庫室の出口へ向かって歩き出した。「それが、私の構築した勇者経済学の、唯一の倫理よ」



 地上へ戻ると、王都の街は夕暮れ時の美しい黄金色に染まっていた。中央広場では、巨大な水晶モニターにカイルの爽やかな笑顔が映し出されていた。昨日のケルベロス討伐のダイジェスト映像が流れており、街ゆく人々や子どもたちが「勇者カイル様!」「かっこいいー!」と歓声を上げている。広場の屋台では、魔王軍の奴隷労働によって作られた格安小麦のパンが、香ばしい匂いを漂わせて焼かれていた。貧しい親子がそのパンを買い、「国王陛下と勇者様に感謝だね」と微笑み合いながら分け合っている。その平和で、美しく、そして救いがたいほどに歪んだ光景を、私は遠くから静かに見つめていた。「やあ、リナ!ガルド!ここにいたんだね!」雑踏の向こうから、爽やかな声を上げてカイルが走ってきた。その手には、焼きたてのパンと、小さな紙袋が握られていた。「探したよ! はいこれ、さっきの極秘外交の帰りに見つけたんだ。王都で人気の焼き菓子。いつも裏方の事務仕事ばかりで大変だろう?リナとポケポケの分もあるよ!」カイルは屈託のない、澄み切った太陽のような笑顔で紙袋を差し出してきた。その瞳には、一片の濁りも、世界に対する疑いも存在しなかった。



「……ありがとう、カイル」



 私は紙袋を受け取り、淡々と小箱を取り出した。「おいおいカイル〜! 俺の分はねえのかよ!」ガルドが努めて明るい声を張り上げ、カイルの首をぐしゃぐしゃと抱きかかえる。「痛っ!ガルド、あるよ!ガルドの好きな黒龍丸のつまみ用干し肉も買ってあるから!」「ガハハ!さすがカイル!気が利くじゃねえか!」二人が笑い合う姿を、ポケポケは切なさそうにじっと見つめていた。ポケポケは何かを言いかけたように口を開かけたが……私の冷ややかな視線に気づくと、そっと口を閉じ、悲しげに目を伏せた。「さて、二人とも」私は端末の画面をタップし、最新の市況データを表示させた。「感動的な友情の時間は終わりよ。カイル、明日から新しい設備投資の案件が入っているわ。王都近郊の不動産地上げ工作に対抗するための、大規模な不動産投資信託ファンドの設立記者会見よ。完璧な笑顔と決めポーズの準備をしておきなさい」「えっ!? もう次の仕事かい!?ははは、相変わらずリナは仕事が早いね!了解したよ、どんな悪質な地上げ屋が来ても、僕の聖剣で民の土地を守ってみせる!」カイルが力強く胸を叩く。「ガルドさん、貴方は明日からカジノの専属 PR 大使として、一日十八時間の街頭デモ演行よ。返済が滞ったら、即座に次の債権へ流動化するわ」「じ、十八時間だと!??地獄だぁぁぁっ!!」夕闇が迫る王都に、ガルドの悲鳴とカイルの爽やかな笑い声が響き渡る。



 私は二人から少し遅れて歩き出し、端末の画面に映し出されるゴールド安の予測グラフを凝視した。未来のグラフは、どこまでも右肩下がりに落ち込んでいく。ゴールドの価値はさらに下がり、世界の歪みは加速し、いつかこの偽りの平和も弾けて消える日が来るかもしれない。(……それでも)私は静かに端末を胸に抱き、冷徹な目を伏せた。その日が来るその時まで。私は強欲な財務顧問として、正義の勇者の影に潜み、世界の暗部をポートフォリオに組み込みながら、この狂った市場で生き残り続けてみせる。



風が吹き抜け、カイルの輝く金の髪と、私の漆黒の髪を揺らした瞬間――



一筋の閃光が、リナの額を貫いた。



 光と闇、正義と強欲、そして構造的な敗北を孕んだ私たちの勇者経済学は、終わりなき戦時マネーゲームの渦中へと、静かに、そして力強く突き進んでいくのだった。





【エピソード一 完】




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