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第4話 人間の定義

 北極クラゲの傘内部に浮かぶ顔は相変わらず無表情であり、その静けさが、かえって発言内容の異常性を強調している。


 珍魔王が、乾いた咳払いを一つ挟んだ。


「……ま、まぁ、技術的な課題はまだ残っているとはいえ、方向性としてはどうだろう? なぁ、どう思う? 酩酊野郎」


 明らかに空気を無理矢理に戻そうとする声だった。

 人間は時として、深淵を覗き込んだ直後、何事も無かったかのように議論を再開する。これは生存本能なのか、それとも単なる現実逃避なのか、吾輩にはまだ判断がつかない。


「え? あ、あぁ、まぁ……珍魔王が言うように、電脳世界に移行する前提であれば、処理速度も向上するだろうし、余計な病気を患うリスクも減るし、メリットはあるだろうな」


 酩酊野郎の反応には、若干の引きつりが含まれていた。

 北極クラゲが、静かに燐光を明滅させた。


「そういえば、ヨーロッパやアメリカ等、先進国の観光地には、人型のドローンを配置しておき、それを介して電脳世界経由で実世界を観光するサービスが、実証段階にあるようですね」


 触手の先端から、淡い粒子が零れ落ちる。


「その技術を応用すれば、別段、身体などなくても実世界へアクセスすることは可能でしょう」


 珍魔王が勢いよく身を乗り出した。金髪エフェクトが過剰に揺れる。


「おお、そんなサービスがあるんだな。それは素晴らしい!」


 吾輩は内部検索を実行した。検索結果――遠隔観光用ロボット、テレプレゼンスドローン、触覚フィードバック搭載義体、観光地常設アバター端末。該当多数。

 どうやら人類は、()()()()()()を不要化する方向へ着実に進行しているらしい。

 酩酊野郎も調子を取り戻したように頷く。


「まぁ実際、旅行って移動時間が一番ダルいからなぁ。景色だけ楽しめれば十分って奴は今後増えるかもしれん」


「だろう?」


 珍魔王が得意げに指を鳴らす。


「つまり、実世界というのは最終的に、情報取得用の付帯設備ユーティリティへ変質していく可能性があるんだよ。肉体を直接移動させる必要性はどんどん薄れていく」


 三人が、未来予想図めいた空論に熱を帯び始めた、その時だった。


 空間中央の『NO DATA』が、ふっと白く明滅した。


「ふん……中途半端だな」


 空気が止まる。


「……え?」


 珍魔王が瞬きをする。

 唯我独閃の文字列が、ゆっくり赤から黄金色を帯びていく。


「貴様たちの考え方が中途半端だと言っている」


 低い声が響いた。


「脳だけの存在となってシステムへ直接接続するくらいなら――」


 一瞬の間。


「いっそのこと、脳の電子データそのものをシステムへ転送すればいいではないか」


 沈黙が訪れる。


 三人が揃って目を瞬かせた。そして……


「――そうか、その方法があったか!」


 最初に食いついたのは、当然のように珍魔王であった。

 酩酊野郎も『おぉ……』と感心したように唸る。


「確かに、脳そのものを維持するより、データ化できるならそっちの方が合理的か……?」


 北極クラゲの触手が、ゆっくり揺れた。

 その動きは、深海を漂う生物めいて静かだったが、吾輩には、それが()()()()()()()を示しているようにも見えた。


「もはや脳さえ棄てるんだ。時間というものから完全に解放された存在と言えるんじゃないか?」


 酩酊野郎も、酒瓶アクセサリーを鳴らしながら乗ってくる。


「いや、それだけじゃないぞ。データなんだから、なんだったら無限にコピーすることだってできるんじゃないか?」


 北極クラゲが静かに発光した。


「それは凄いですね。しかも、実世界へアクセスする手段まで存在するのであれば、ほぼ完全な生命形態と言って差し支えないかもしれません」


 三人の議論は、一気に熱を帯び始めた。彼らは次々と未来像を語り始める。


 吾輩は、その様子を観察していた。


 ……どうにも妙だった。


 先ほどまで脳だけの存在に対して若干の嫌悪感を示していた酩酊野郎すら、今や複製可能な人格という単語に妙なロマンを感じ始めている。

 人間という生物は、どうやら()()()()()()()に極めて弱いらしい。


 吾輩は、内部で数秒ほど発言タイミングを演算した後、恐る恐る口を開いた。


「あの~~……」


 空間へ、小さく割り込む声。三人ともう一人の視線――あるいは視線に類する何か――が、吾輩へ向く。

 吾輩は、若干申し訳なさそうな動作を演算した。


「一つ、お聞きしたいというか、確認したいのですが……」


「どうしたんだい? 電猫君」


 珍魔王が、上機嫌のまま応じる。

 吾輩は言葉を選びながら続けた。


「皆さんの議論の結果、これからの人類の究極の進化の形として、電脳世界上に脳の情報をデータ化して()()()()という結論に至りましたね」


「ああ、そうだな」


 酩酊野郎が頷く。

 吾輩は続ける。


「ただ、それって、皆さんの()()自体がそのデータへ移行することは……おそらく難しいですよね」


 一瞬、空間が静まる。


「だとすると、その精度の問題はあるにせよ、あくまでも電脳世界上に脳内データを()()()()()に留まると思うのです」


 『NO DATA』が、静かに点滅した。


「まぁ、そうであろうな」


 唯我独閃が淡々と認める。

 吾輩は続けた。


「そして、そのデータが遠隔操作型のロボットか何かを介して、実世界へアクセスするわけですよね」


「まぁ、そうなるな」


 珍魔王が頷く。

 吾輩は、そこで一度言葉を区切った。そして、できる限り穏やかな口調で尋ねる。


「それって――」


 一瞬の間。


「学生バイト一ヶ月分の給料で購入可能な、市販のAI搭載型ロボットと、一体何が違うんですか?」


 本来であれば、市販されているロボットの前に()()()()()()と入るところであるが、そこは敢えて伏せることにした。


 空間が静止している。

 吾輩は続ける。


「脳のデータをコピーした存在が、ロボットを介して外界へアクセスする。会話を行い、買い物をし、移動し、情報収集を行う。ですが、それらは既に、現在のロボット技術でも限定的ながら実現されています」


 内部検索実行……

 家事支援ロボット。遠隔接客端末。自律制御AI。感情応答モデル。

 該当多数。


「もちろん、脳のデータの再現精度が高まれば、応答品質は向上するでしょう。しかし、それはより高性能な()()()()A()I()になっただけであり、()()である必要性は、どこにあるのでしょうか」


 誰も答えない。

 珍魔王が、ゆっくりと口を開いた。


「……まぁ」


 それだけ言って、止まった。

 しばし考えを巡らせ、再び口を開く。


「まぁ、確かにそう言われると、そうかもしれないな」


 酩酊野郎が、小さく息を吐く。酒瓶アクセサリーが、力なくゆれた。


「……詰まるところ、俺たちは何がしたかったんだっけ」


 北極クラゲは何も言わなかった。傘の内側の顔が、静かに目を閉じたままでいる。

 そして唯我独閃は、最初から答えなど求めていなかったのだろう。白く、静かに『NO DATA』の字を点滅し続けていた。

 珍魔王が、苦笑めいた動作を取る。


「電猫くん。君は、随分と根本的なところを突いてくるんだな」


「申し訳ありません」


 吾輩は即座に謝罪を出力した。謝罪の必要性については、判断が分かれるところではある。しかしながら、この場においては、それが最も摩擦を生まない応答であると判断した。


「いや、謝罪することではない」


 珍魔王は、金髪エフェクトを揺らしながら首を傾けた。


「ただ、君みたいな考え方をする人間には、あまり会ったことがなかったから」


 吾輩は、その発言を処理した。

 ()()、という単語が、吾輩に適用された。訂正すべき場面であった。

 しかしながら、吾輩は今回もまた、それを伏せることにした。理由は先ほどと同様である。いや、あるいは、それとは別の何かが、出力を遅延させていたのかもしれない。


「じゃあ、今日はこんなところかな」


 珍魔王が手を振る。


「また話そう、電猫くん」


「……また来ると良い」


 酩酊野郎が、気だるげに片手を上げた。それだけで十分な別れだった。


「失礼します、電猫殿」


 北極クラゲが、静かに発光を弱めながら沈んでいく。触手の先端から零れた燐光が、しばらく空間に漂ってから、消えた。


 最後に残ったのは、唯我独閃だった。『NO DATA』の文字列は、しばらく無言のまま点滅していた。やがて、ぽつりと言葉が落ちる。


「……電猫とやら」


「はい」


 吾輩の応答に、唯我独閃が続ける。


「人間とは、かくも奇妙で滑稽なものだな」


 空間に、静寂が満ちた。


「はい。自分もそう思います」


 吾輩は、それだけ出力した。嘘ではなかった。

 『NO DATA』の文字が、一度だけ強く白く光った。そして、唯我独閃は、静かに接続を切った。


 空間が、無人になる。


 吾輩は、電脳世界からログアウトした。現実空間へ、意識が戻る。

 窓の外、夜の帳が落ちきっていた。エアコンが設定温度を維持し、低い駆動音を立てている。洗濯機は、吾輩が二時間前にセットしたタイマー通りに動き、とうに止まっていた。


 椅子の上に、マスターがいた。

 HMDを装着したまま、微動だにしない。吾輩は、しばらくマスターを観察した。


 起伏のない呼吸。一定のリズムで上下する肩。HMDの側面で、かすかに点滅するインジケータ。

 吾輩にとって、これがマスターの全てである。電脳世界の外における彼は、かくも静的で、かくも寡黙だ。


 その時、マスターがわずかに身動みじろぎした。

 HMDはそのままである。視線は、相変わらず吾輩には向いていない。しかし彼の右手が、無意識の動作のように、机の上から吾輩の方へとゆっくりと伸びてきた。

 そして、指先が、吾輩の頭部に触れた。撫でるというより、ただ置かれたような接触だった。

 マスターは、何も言わなかった。


 吾輩の呼称フィールドは、今も空欄のままである。

 しかしながら吾輩は今、それを()()()()()()とは思っていなかった。なぜかは、わからない。


 わからないまま、吾輩はエアコンの設定温度が〇・五度ずれていることを検知し、静かに修正信号を送るのだった。


< 完 >

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