開放②
アリアが咄嗟にトリスタンを庇う。
伸ばした腕に、氷の矢が直撃する。
それは彼女に傷をつけると、砕け散った。
「いったぁ」
小さくうめくアリア。彼女は腕を振り、こびりついた氷を振り払った。
「アレク!ギルさん!みんなを連れて離脱!」
トリスタンが厳しい表情で指示を下す。
「あ、ああ!!」
二人はパメラとハークスを担ぎ上げると、よろよろと逃げ出した。コリンがそれに続く。
「アリア、離脱の援護を」
「わかった」
アリアはフロストエルフへとナイフを投げつける。その軌跡を追いかけるように突撃した。
***
おそらく、略式詠唱では自分にほぼダメージを与えられない。
そう踏んだアリアは一気に距離を詰めるべく駆ける。
「バルメス神の眷属か……」
そう呟くと、フロストエルフは迎撃に移った。
『毒の剣』
エルフが略式詠唱で喚びだしたのは数本の緑色の刃だ。
触れれば砕けそうなほど薄いそれが、アリアに向かって飛来する。
アリアは両手を交差させると顔をかばいつつ前進した。
刃はアリアに当たると、音を立てて粉々になった。白い肌に僅かに傷がつく。
アリアはそのままエルフに接近すると、ショートソードで切り掛かった。
斬り合いに応じるフロストエルフ。一合、二合と切り結び、火花を散らす。
何合か打ち合ったのち、アリアは違和感を感じた。後退して距離を取る。
頭がふらつく。体が重い。
先ほどの緑色の刃が頭をよぎった。
「毒……?」
魔法による毒である。アリアの特性でそれはすぐに中和されるだろう。
だが、その一瞬の隙を敵は見逃さない。
「浮き上がれ氷の台地。『氷の舞台』」
アリアの足元から氷が迫り出すと、彼女を打ち上げた。
およそ七アルマ(四メートル九十センチ)ほどの高さまで浮かび上がった彼女は、そのまま重力にしたがって落下した。
「かはっ……!」
何とか受け身を取ったものの、その衝撃は彼女を打ちのめした。
***
「アリア!」
倒れ伏したアリアを見て、トリスタンは思わず駆け寄った。
重い体に鞭を打ち、アリアを庇うように立つ。
願いの剣を構え、フロストエルフへと対峙した。
トリスタンの眼光がエルフを射抜く。だが、彼はそれを意に介さず、剣を下ろした。
「少し、話をしないか?」
意外な言葉に、トリスタンは一瞬固まった。
「何を……言っている?」
「先ほどの私の魔法。あれを逸らしたのはお前か?」
「……そうだ」
「興味深い能力だ」
フロストエルフは見定めるようにトリスタンを見つめる。
「だから、研究が必要だ。貴様、私の元へ来い。力ずくでも構わんが、お前のような人種は言葉で縛らねば従わぬだろう?
そうすれば他の者達は見逃してやろう。」
一拍おいて、男は続ける。
「北の王、アガレスの名の下にな」
その名に、トリスタンの背筋が凍りつく。
「魔王……アガレス。生きていたのか」
「──ああ、貴様達は私のことを魔王と呼んでいるのか。全く、侵略者どもが……どの口で言うのか」
アガレスから僅かな怒気が漏れ出でる。
「まあいい、どうするか早く決めろ。さもなければ、次こそは揃って串刺しだ」
「ま、待て……!」
トリスタンに現状を打破する手立ては思いつかなかった。一瞬、頭の中が真っ白になる。
沈黙を切り裂いたのは、アリアの声だった。
「スタン!!」
倒れ伏してなお、アリアの眼差しは鋭かった。
その視線が、トリスタンを射抜く。
彼女はトリスタンの選択を尊重するだろう。
だが、安易な選択は許さない。その赤い瞳が、そう言っていた。
時間がとてもゆっくりに感じた。
ここで自分を差し出せば、みんなを救えるのだろう。
──けれど
ルカの薫陶も。
リアナの献身も。
オーウェンの優しい嘘も。
トリスタンが居ない世界では、きっと、意味がないものだ。
──そんなのは、嫌だ。
それはただ、心からの願い。
勇者としてではなく、人としての祈りだった。
遠く、心の奥から──声が聞こえる。
『お声、治るといいね!』
『胸を張るんだ。なら、君は魔法使いだ』
『私に声は無い。でもせめて、願うよ』
『嘘がつけないならさ、嘘を本当にしてこいよ』
──紡がれた祈りが
──積み上げた全てが
呪いを、否定する。
スピラーレが輝きを放ち、周囲を明るく照らした。
トリスタンを侵す呪詛は打ち払われ、清浄な空気が場を満たす。
数秒の奇跡。しかし、それはトリスタンにとって十分なものだった。
確信と共に、言の葉を紡ぐ。
呪いを焼き払う力。そのイメージを、言語化する。
「白き輝きにて、音なき闇を祓う。
『白炎よ、熾れ』」
白く小さな炎が発現し、トリスタンの周りを漂う。それは暖かさを持たなかったが、辺りを照らし、呪いを払っていた。
「……魔王アガレス。答えはノーだ」
それは同時に、自らへの答えだった。
輝きを失った剣を突きつけ、告げる。
「トリスタン・ロッテンフィールド。名乗る名は無い」
そう。今のトリスタンに名乗るべき銘は無い。
「けれど──心に刻め。魔王を討つ、人の名を」
数年ぶりに聞く、自分の声。
いつの間にか──少し低く、変わっている気がした。
「その炎、覚えているぞ……」
魔王の言葉は、地の底から響くようだった。憎悪が、空気を粘つかせる。
「だが、人間……名乗りもなしとは、私も甘く見られたものだ」
「我は冥底より出ずる、戦慄の奏者
人よ、悚然と立ちすくみ、
座して運命を受け入れよ。
月冴ゆる夜の主
──我が名はアガレス
白炎が再び我が前に立つというのならば。その宿縁、ここに断ち切ってくれよう」
魔王が名乗り終えた直後、冷たい手がトリスタンの心臓を鷲掴みにする。
恐れが、トリスタンを支配しようとしていた。
アガレスが司るものは恐怖。『書院』の知識ではそう知っていた。身構えていても、抗えない。
歯がカチカチと音を立てるのがうるさかった。
視界が狭く、暗くなるような錯覚を覚える。
だが、百年前に人々がどう対峙したか。それも、彼は知っている。
『戦旗の下に!』
精神攻撃から身を守る魔法を紡ぐ。
震えはおさまり、心が奮い立った。
「ははっ、流石にこれで終わっては興醒めだったな」
「そんなもの、百年前に攻略されてるだろう?」
トリスタンとアガレス。対峙した二人は同時に動いた。
トリスタンは手を掲げ、詠唱する。
白炎はわからないことが多い。顕現させるのは蒼炎だ。
「弾ける炎、烈火の如く『火球』」
「凍らせろ、千々に砕け『凍てつく世界』」
アガレスの足元から白い冷気が広がる。
その冷徹な魔法構成に、骨まで凍りつきそうな感覚を感じた。咄嗟に、トリスタンは頭上の火球を地面に叩きつける。
冷気と炎が相殺し、圧力が霧散した。
爆炎に紛れるように、トリスタンは突撃する。
煙が晴れた時、彼我の距離はすでに剣の間合いだった。
左から切り上げるように剣を振るう。
アガレスは剣を振るい、それを迎え撃った。打ち合った鋼が、火花を散らす。
「『火の矢』」
「『氷の矢』」
剣で撃ち合い、略式詠唱で牽制し合う。
戦闘詩術は相手の「間」の奪い合いだ。
隙を作り、その「間」にさらに強力な魔法を捩じ込む。
だが──その点において、アガレスが上手だった。
『突き上げろ氷槍』
「くっ」
言の葉を拾うものが、肌を刺すような感覚を告げた。トリスタンは二歩、三歩と後退した。追い縋るように、地面から氷の槍が生える。
回避に「間」を取られ、あまつさえ距離を取らされた──トリスタンの背筋に冷たいものが走る。
「列なして斬り刻め。『氷剣の演舞』」
「我が手に烈火の激流『炎の奔流』」
アガレスが喚びだした無数の氷の剣が飛来する。咄嗟に炎を放射するが、全てを溶かしきることはできなかった。
太ももに深々と、撃ち漏らした氷の剣が突き刺さる。
灼熱の痛み。それを氷の冷たさが上書きした。
「ぐ……っ!!『回復』」
痛みと出血が治まる、応急処置だが、しばらくは保つはずだ。
「そんなものか?人間。」
トリスタンを冷たく見つめながら、魔王が言い放つ。
それに答えたのは、銀色の声だった。
「まだまだ。これからなんだけど?」
アリアがふらつきながらも立ち上がり、剣を構えていた。その手に持った払うものが淡く輝く。
払うものの加護によって、恐怖は打ち消されていた。
だが、その顔色は決して良いものではない。
玉のような汗が頬をつたい、震える唇は紫色だった。
「アリア!」
心配するトリスタンを手で制すると、アリアはアガレスに突進した。
その動きにいつもの精彩はない。
「『炎の矢』」
トリスタンは炎を顕現させ、アリアを援護する。
炎の矢はアリアを追い越し、アガレスに迫った。
「『白き盾』」
アガレスはそれを氷の盾で防ぐと、アリアを迎撃する。
大ぶりの一撃を、アリアは掻い潜った。
ショートソードが幾たびか閃き、魔王に数条の傷をつけた。
「チッ……『氷の槌』」
丸太のような氷が出現し、アリアを突き飛ばした。
「うっ……」
トリスタンは、よろめくアリアを支える。
「吹き上がれ、白き炎の奔流『炎の壁』」
彼が詠唱を行うと、二人の背後に白炎の壁が顕現した。
「アリア、心配しないで」
「え?ちょっと待って、さすがにそれは──」
そう言うと、躊躇なくアリアを引っ張って炎の壁に飛び込む。アリアが短く悲鳴を上げる。
二人は、何事もなく炎の壁をすり抜けた。
炎の影に隠れながら、二人は一瞬の意思疎通を行う。
「このままだとジリ貧だ。大技を使いたいから、二十秒だけ時間が欲しい」
トリスタンの言葉に、アリアはニヤリと笑う。
「その倍、稼いであげる」
寸秒の沈黙。
炎が消える。二人は頷き合うと、行動に移った。
アリアはショートソードを投げ捨てると、投げナイフを抜いた。
体が鉛のようだった。先程のダメージが大きい上、足枷が急速に力を吸い取っている。
ショートソードの重みすら、煩わしかった。
アリアはアガレスにナイフを投げ放つと、そのまままっすぐに駆け出した。
アガレスはそれを何なく打ち落とした。
アリアは払うものを右手に持ち替え、振るう。
その一撃は、あっさりと受け止められた。
アリアは短剣を引くと、心臓を狙って突き出した。
その攻撃も弾かれ、体がわずかに泳ぐ。
アガレスの反撃を、かろうじてかわした。
とにかく、トリスタンを信じて──時間を稼ぐだけだった。
だが、防御に回れば魔法で押し切られる。詠唱の暇は与えられない。
体ごとぶつかるように鍔迫り合いを行う。
「勝てると思っているのか?」
「百歳超えたおじいちゃんに言われたくないね」
アリアは不敵に笑う。
「人間風情が、調子に乗るなよ……!!」
アガレスの目に黒い炎が宿る。前蹴りを繰り出し距離を取ると、剣を荒々しく振り回した。
普段であれば何なく捌ける攻撃も、今のアリアにとっては辛いものだった。
ギリギリで見切り、何とか受け流す。
だが、数合の撃ち合いの後、突然に限界が訪れた。
足に力が入らず、アリアは糸が切れたように跪く。
「終わりだ」
アガレスが剣を振りかぶる。
それが振り下ろされる直前。七色の光が世界を満たした。
アリアに見栄を切ったものの、トリスタンは不安を拭い切れなかった。
魔法が使える今、切り札がある。
神の残り香。聖蹟魔法。
神代の言の葉は、魔王にすら届きうるだろう。
だが、『書院』の次世代を担うと言われていた彼でさえ、その成功率は低い。
人ならざるものの言霊。その発音は筆舌し難いものだった。
失敗すれば二人の命運は尽きる。
冷たい汗が流れた。
トリスタンは息を大きく吸い込み、ゆっくり吐き出す。
集中し、祈るように言葉を紡ぐ。
今だに燻る炎の音も、アリアと魔王の剣戟の音も。──全てが、遠ざかっていく。
「それは照らすもの
それは育むもの
されど同時に、全てを焦がすもの
光を束ね、万象穿つ矢尻となす
『七色の巡礼』」
手ごたえは、あった。
トリスタンの頭上に七つの光が浮き上がる。
同時に、ガラス片のような物体が魔王の周りに出現した。
それらはキラリと冷たく、輝いていた。
アガレスが自分に向けられている魔法に気づいたのだろう。振り上げていた剣を放り投げ、魔法詠唱を始める。
その顔には、初めて見せる焦りが滲んでいた。
「そびえ立て氷。世界を隔て切り分けろ『白き盾』」
アガレスの前に分厚い氷が立ち上がる。
略式ではない全力の詠唱。魔王を守る最後の砦。
おそらく、トリスタンの炎では破れない。だが──
青い瞳が、一際煌めいた。
その心は、静かに燃えている。
【行け、巡礼者】
手をかざし、トリスタンが心の中で命じる。
七筋の光が、発射された。
それらは漂うガラス片に乱反射し、全方位からアガレスを撃ち抜く。
砕けた氷が、宙を舞った。
光に塗り潰される瞬間、魔王がニヤリと笑った気がした。
光の洪水が収まった後、魔王はピクリとも動かず、倒れ臥していた。
「アリア!」
トリスタンは気遣うよう叫び、アリアに駆け寄る。
膝をつくアリアを抱くように抱える。
その体の温かさを感じ、安堵の息を吐く。
「よかった……」
アリアは首だけをトリスタンに向ける。
「ふーん。スタンってそんな声だったんだ。」
いい声だね。そう言って、アリアは微笑んだ。
トリスタンは何か言い返そうとして、やめた。
その代わり、柔らかく微笑み返した。
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