再点火⑦
一同は夜を越し、再び南へと歩き出す。
「……」
誰も、口を開かなかった。
アレクすら、必要なこと以外は話さない。
定期的に進行方向を指示するだけだった。
コリンが、ハークスに話しかける声だけが虚しく響く。
全員の顔には明らかな疲労が浮かんでいた。
トリスタンはチラリとギルを見る。
屈強な彼ですら、背を丸めていた。
空気が重い。だがトリスタンは、現状を打破する言葉を持たなかった。
歩く。休む。歩く。休む。
担架を抱える手の感覚がない。トリスタンは時々、自分が把手を握っているのか目視で確認をした。
往路からは考えられないほどの時間と体力を使い、トリスタン達は岩山の裂け目へと辿り着いた。
「もう少し進めなくはないが、今日はここで休もう。体力を回復しようぜ」
誰もアレクの提案に反対する者はいなかった。
トリスタン達は早速野営の支度を始める。
ここ数日で慣れたものである。黙々と手を動かした。
「ギルさん。食料の残りは?」
「三日……使う量を少し減らしても四日というところか」
「少ないな。このペースだと……」
「リゲルサクセの包囲状況もわからんぞ。しばらく都市外で野営する必要も出るかもしれん」
ギルとアレクの相談が漏れ聞こえてくる。
トリスタンは唇を噛んだ。
無力感に苛まれながらも、彼は準備の手を止めることはなかった。
その夜。トリスタンは焚き火の番をしていた。
ひと塊りになって眠っている仲間達に、背中を押しつけるようにして暖を取る。
火が消えないように、様子を見ながら燃料を放り込んでいた。
「スタン君」
名前を呼ばれ、トリスタンは振り返った。
ハークスが、悲愴な顔で彼を見つめていた。
「どうしました?怪我の具合が悪く──」
トリスタンの言葉を、ハークスが遮る。
「違うんだ。スタン君──」
少し、ハークスは言い淀む。
だが、意を決したように、言葉を紡いだ。
「もう、十分だよ。私は……置いて行ってくれて構わない」
トリスタンは殴られたような衝撃を受けた。
「な、何を言い出すんですか。ケイシーちゃんが、待ってるんですよ!」
「……わかっているさ。だが、辛いんだ。私のせいで、皆が死ぬかもしれないというのは。それならばいっそ、楽に……なりたい」
ハークスの表情から読み取れたのは、自責。
トリスタンも同じ立場だったら、そうしていたのかもしれない。
だが──
「駄目です。俺の友人を、嘘つきにはできない」
「……?」
ハークスはその言葉の意味を理解できなかった。
トリスタンは微笑む。
「あなたは連れて帰りますよ。約束したんです」
その二人のやりとりを、ひっそりと聞いている者がいた。
火の番を交代するため、目を覚ましていたギル。彼は誰にも気取られないように小さく息を吐く。白い息は即座に固まり、氷の結晶となった。
翌日、タープを叩く雨音で、トリスタンは目を覚ました。
「雨……?」
降り注ぐ雨は、地面に落ちた瞬間に氷へと変わる。
「雨氷だ……」
リゲルサクセではしばしば見られる現象だった。氷のように冷たい雨は、何かに触れた瞬間に凍りつく。
「起きたか。スタン。見ろ、雨氷だ」
火の番をしていたギルが声をかけてきた。
「はははははっ」
普段は冷静なギルが突然、笑い出した。
この寒さに続いての雨氷である。最悪の事態が、トリスタンの脳裏をかすめた。
「ギ、ギルさん。大丈夫ですか……?」
トリスタンは思わず彼に声をかけた。
ギルは笑うのをやめ、トリスタンに向き直った。だが、その笑みは崩れていない。
「ああ、すまんな、スタン。違うんだ、儂は大丈夫。だが、この雨はまさに奇跡だ」
ギルの目つきはしっかりとしていた。正気を失った雰囲気ではない。
「アレクを叩き起こせ。一気に距離を稼ぐぞ!」
雨氷は、早くも雪に変わりつつあった。
砂漠は、その性格を一変させていた。
凍りついた砂が、まるで氷のようになっていた。
だがそれは逆に、雪国で過ごす彼らには歩き慣れたものだった。
ギルはバターを取り出すと、惜しむことなく板の裏へと塗りたくった。
「即席のソリだ。今なら簡単に引けるはずだ」
彼はそこにハークスを寝かせると、引っ張ってみろとトリスタンに言う。
重い。だがそれは、担架を抱えるよりも遥かに楽だった。
「……いけます!」
トリスタンは笑顔で頷いた。
「よし。同じものを作って、荷物を載せよう。アレク、これならどうだ?」
「ああ、大丈夫そうだ!今日中に砂漠を抜けよう」
彼はそう言うと、足元を気にしながら歩き出した。トリスタン達も滑らないように気をつけて続く。
パーティーに疲労の色は濃い。だが、昨日までの重苦しい空気は、そこにはなかった。
***
リゲルサクセは魔王軍に包囲されていた。
だが、レイナードの表情は落ち着き払ったものだ。
「思ったよりも軽いな」
「ええ。敵の魔法使いもあまり数は確認されていません」
冷静に、副官と相談を交わす。
「兵糧攻めが目的だと思うか?」
「そうですね。私がリゲルサクセを陥とすなら、それを狙います」
リゲルサクセはその地形も相まって、難攻不落だ。
だが、入り口が一つしかないというのは、そこを止められた場合の補給が問題となる。
「食料は問題ない。それに、戦いが長くなるなら王都から援軍が来るだろう」
「ええ。すでに王都への定時連絡は止めてあります」
「ああ、わかった。引き続き指揮を頼む」
「かしこまりました」
包囲され、外界と連絡が取れなくなった場合に備えて、レイナードは普段から手を打っていた。
平時は週に一度、王都に『異常なし』と手紙を送る。それが途絶えた場合、何かが起きたと判断される手筈になっている。
「しかし、なんか……嫌な予感がするんだよな」
部屋から出ていく副官を見送り、レイナードは小さく呟いた。
***
トリスタン達はその日のうちに砂漠を抜けることができた。
日が沈む前には、初日に野営をした洞窟に到着した。
「この雪景色を見て安心することがあるなんて、思わなかったね」
アリアが笑う。
つられるように、他の人々も笑みをこぼした。
「うむ。だがここが目的地ではない。油断するなよ」
ギルの一言に、緩みかけた空気は引き締まった。
「とりあえず見張りを立てて交代で休もうぜ。明日にはリゲルサクセだ」
「うむ。儂は飯を作ろう。野営準備を頼む」
トリスタン達は寝床を作り、焚き火を起こす。
ギルがいつもよりも食材を多く並べているのが目に入った。
アリアも同じことに気づいたようで、トリスタンよりも先にギルに声をかけた。
「ギルさん?今日はいっぱい食べていいの?」
「うむ。明日は戦闘になるかもしれないしな。アリア、スタン。頼むぞ」
アリアの目が輝いた。
「まっかせて!!」
ギルの計らいで、その日の食事は少し豪勢だった。
トリスタンは木屑のレンガを焚き火に放り込んだ。
音を立てて、炎が新たな獲物に舌を伸ばす。
「スタン。明日は戦いになるかもしれん。そうなれば……よろしく頼む」
一緒に見張りをしていたギルが話しかけてきた。トリスタンは笑顔で返す。
「ギルさんにはここまで連れてきていただいたんです。俺たちは、俺たちの役割を果たしますよ」
「……若い者を前線に立たせるのは、やりきれんな」
ギルは絞り出すように呟き、自分の右手を見つめた。
その手は、少し震えているように、トリスタンには見えた。
「スタン」
ふとギルが顔を上げ、トリスタンに声をかける。
「はい?」
「リーゲルは元気だったか?」
その人物の名前が出るとは思わず、トリスタンは目を丸くした。
その様子に、ギルはくつくつと笑う。
「その剣。儂の友人がアイツに贈ったものだ」
意外な縁に、トリスタンは驚きを隠せない。
「お知り合いだったんですか?」
「ああ、二百年前にはアイツらと一緒に魔王アルビダと戦った」
「その時から、運び手をされてたんですね」
「いや……あの時の儂は戦士だった。
種族の問題か……儂には効かなかったようだが、『魅了』された仲間を斬る羽目になってな。それ以来、武器が持てん」
「あ……それは、すみません、言いづらいことを」
「構わん。気にするな」
パチパチと、焚き火の音だけが鳴り響く。
「それでも……少しでも、あの街の力になりたくてな。バカのアイツが造ったわりには、いい街だろう?」
ギルは笑った。
トリスタンもつられて笑う。
二人の笑いが、洞窟の湿った壁に染み込んでいった。
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